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森と海と明日と

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あたらしいことがはじまる。

移り住んだ人。生まれ育った人。週末になるとやってくる人。

色々な人が関わり合う雄勝(おがつ)町を訪ねて、そう感じました。

1 1923年に建てられ、地域と外のつなぎ役を担ってきた旧桑浜小学校。

改修した東京駅にも用いられたスレートという石材が屋根に敷かれた、日本で唯一の校舎です。

いま、世界中のこどもが集い育つ場“MORIUMIUS”(モリウミアス)へと生まれ変わろうとしています。

この場に関わる人を募集します。

現在約1,000人が暮らす雄勝町は、宮城県石巻市にあります。

仙台駅からバスに乗り約60分。

石巻駅で、モリウミアスを運営する公益社団法人sweet treat 311の油井(ゆい)さんに迎えてもらう。
油井さんはこども向けの職業体験テーマパーク、キッザニアの日本法人立上げに関わってきた方。

縁あって、2011年よりsweet treat 311の活動に加わります。現在は専任の理事として、雄勝町と東京を行き来する毎日。
sweet treat 311は、炊き出しやスイーツを避難所などに届けることからはじまりました。
その後は石巻のこどもたち向けのアフタースクールや体験プログラムを実施する教育支援を中心に行っています。

2 車は60分ほどかけて雄勝町へと向かいます。

市街地を抜けると、田畑が続く。石巻は漁業だけでなく農業も盛ん。実はササニシキの主産地でもあるそうだ。

「一次産業のまちなんですね。この近くには知り合いの農家さんや森を持つ山主もたくさんいます。こどもたちに色々な体験をしているんです。」

さらに進むと、北上川が見えてきた。

ほとりには日本有数の茅場(かやば)が広がる。石巻は、日本でも珍しくなりつつある茅葺きが産業として営まれているところ。

3 トンネルを抜けると、雄勝町に入った。

過疎化が進みつつあった中、2011年3月11日の震災が起きる。

かつての目抜き通りも、いまは更地。

さらに進んだ山の中腹に、旧桑浜小学校が見えてきました。建てられたのは、いまから91年前のこと。

当時は、道路もなく陸の孤島とも呼ばれた雄勝。

こどもたちが遊び、数年に一度あたらしい先生が赴任してくる小学校は、外との交流の場でした。

こどもの数が減り、2002年には町内の学校へと統廃合。けれど、町内の有志が引き取り、現在まで保存されてきました。

いま、世界中のこどもが集い育つ場モリウミアスへ生まれ変わろうとしています。

構想は、キッザニア時代に感じた出来事があると話す油井さん。

「夏休みに全国各地で体験をする宿泊型のプログラムがありました。なかでもこどもたちに特に人気だったのが、一次産業でした。豊かな自然と食、そして人。受け入れる地元の方々も交流を心から喜んでいた。次第に、こどもたちが地域に飛び込んでいけたらと思うようになったんです。」

こどもたちだけでなく、地域の人も元気になるという。

実は、旧桑浜小学校の老朽化はかなり進んでいた。土台にコンクリートを流し込み、柱には接ぎ木を施す大改修が必要だった。

「ただ建物をつくるだけなら新築のほうが安く、早くできたんです。」

5 改修に踏み切ったのは「こどもたちは雄勝のたから」。そう思わせる歴史があったからだ。

昭和40年代のこと。鉄筋コンクリートの建物が普及する中、桑浜小学校を他校へ統廃合する計画があがったという。

そこで動いたのが町内の人たち。全世帯でお金を積み立て、学校の修繕にあてるように。

校庭脇の斜面には全長60m、日本一長いすべり台がある。

これも積み立てからつくられたもの。昭和60年代、町内に肥満児が増えるなか、運動をうながすためのアイデアだった。

「場の歴史を受け継ぎつつ、ここに関わりたいと思う人たちと、あらたな歴史をつくっていきたい。プロセスから一緒に築いていきたいと思いました。」

校舎はまさにいま、生まれ変わろうとしている。

校舎の屋根に用いられるのは、うろこ形のスレート。

これは雄勝石を原料にしたもので、最近では東京駅の改修でもつかわれている。

6 一度屋根から外したものを、20代から70代まで町内の人や
ボランティアがたわしで洗い、再び並べていった。

校舎脇には、土壁の風呂をつくっているところ。

わらや土の準備から、住民たちが進めてきた。壁面の一部には、山から切り出した竹もつかわれる。

「閉校後も、町の人たちは何かしたい気持ちを持っていたそうです。モリウミアスは、思いをかたちにするきっかけなのかもしれません。」

関わるのは住民だけではない。

風呂脇の斜面では、おじさんと若者が木を整えている。

はしごに登り木を伐採するのは、地区会長で漁師の今野さん。

落ちてきた枝をまとめるのは、大学院を休学して京都からやってきた河合さん。

7 河合さんはこう話す。

「はじめはボランティアがきっかけだったんです。地域で暮らす人に出会ったとき、地域の当たり前を『すごい』と感じて、来ました。」

今野さんから「こっち手伝って、もうちょっと早くして。」そんな声が飛んでくる。肩書きではなく、人と人同士が関わり合う場なのだと思う。

実は、雄勝町には毎日のように外から人が訪れています。

再び油井さん。

「はじめは、『元気を与えてあげる』そんな気持ちで入った人も少なくなかったと思います。いざ入ると、ボランティアのほうがもてなされ、元気をもらったり、第2のふるさとだと感じたり。何度も訪れる人が現れ、その輪が広がってきました。次第に“来たいから来る”場になりつつあります。」

個人での活動が波及し、企業や行政を動かすケースも出ている。

総合商社の三菱商事では月に1度、20人ほどがバスで訪れるそうだ。また国家公務員の人事院からは、各省庁の1年目の官僚たちが研修として訪れる。

「地域の人たちも驚いています。雄勝にこれほどたくさん、人がやってくるとは思わなかった。それも、何度も来てくれる人たちがいる。先日あるお母さんが、『ここに嫁いできてよかった』と話してくれました。」

モリウミアスがはじまるにあたり、働くことを決めた雄勝町出身者。離れていたけれど、戻りたいという人も現れている。

8 また、これまでの交流を通して6人が移り住んでいます。

「活性化は、すでにはじまっています。いまがターニングポイントですね。モリウミアスという交流の場が生まれると、さらに加速化すると思います。」

今後は、世界のこどもたちが交わる雄勝町になればと考えている。

油井さんは、これまでの半生をアメリカで過ごしてきた方。

「僕自身が魅力を感じたんですね。もっと自然の豊かな国は他にもあります。けれど里山・里海という言葉があるように、日本の自然はおだやか。人が自然と共に生きやすい環境があります。」

9 「森と海が近い。500mほどの硯上山(けんじょうざん)に登ると、水が湧き出て、海に流れ込んでいく。自然の循環が手にとるようにわかりますよ。ちょうどいまの時期は鮭が川を上り、上流ではイワナの泳ぐ姿も見えます。」

すでに、雄勝町では海外のこどもたちの受入がはじまっている。

「中国に住む日本人のこどもたちを招いたときのこと。一日中、森の中を走り回っていたんです。聞けば、日ごろは大気汚染により、外で思うように遊べないとか。それだけで、大喜び。元気になりますよね。」

来年度は、アメリカの私立高校の受入希望が届いたという。

「このいなかに、アメリカの高校生が来ることは、以前ではあり得なかったと思います。モリウミアスを通して、雄勝町にたくさんのつながりを生み出し、あらたなまちをつくっていく。それが僕らの仕事だと思っています。」

雄勝のこどもたちが中国、アメリカ、韓国、イギリスとも交流しながら豊かに育っていける。その環境が生まれる可能性があるようです。

10 夢がある分、大変さも味わうことになると思う。

「雄勝ではじまろうとしているのは、前例のない“実験”とも言えます。トライアンドエラーを繰り返していくでしょう。用意された答えがなければ、もしかすると答えじゃないところに行き着くかもしれません。」

現在、sweet treat 311の活動は企業や基金の助成をもとに行われています。
モリウミアスがはじまるのは、来年の夏。

長期休暇や週末は親子連れの受入、平日は企業研修の場として。数年後には自立した事業化を目指しています。

施設運営や料理、体験学習に仕事で携わった経験がある方は、活かせるでしょう。ただ一番大切なことは、自分でつくることを楽しめる気持ち。そして、しなやかなたくましさだと思う。

「お膳立てされたものはありません。そう、簡単ではないですよ。逆に言えば、貴重な機会。僕自身そう思っています。」

「変わっている人、歓迎です。人とのつながりを大切にしつつ、『ここだ』と思う人が自分を活かせる場だと思います。」

ここで油井さんと別れ、地域で活動する人たちを訪ねます。

雄勝に生まれ育った、漁師の佐藤一(はじめ)さん。

11 訪ねた11月は、帆立の稚貝を海に入れていく“耳付け”の最盛期。

午前2時から作業に追われる合間をぬって、話をうかがいました。

佐藤さんは、石巻のこどもたちへ漁業体験を行っています。

「はじめはこわがっていた子も、気づくと一緒に手を動かしています。船で沖へも出ます。帆立がニガテだと話していた子が、船上でさばいて食べると『ありがとう』。魚とともに水揚げされた小海老や海藻を見て、いきものが生かし生かされている。そう感じる子もいます。」

今後は、モリウミアスで受入れたこどもたちへの漁業体験もしていきたいという。

佐藤さんは、もう一つの取組みを行っています。

おととしから、仲間の漁師たちと「株式会社雄勝そだての住人」を立ち上げました。

従来は市場に卸していた海の幸を、直接食べる人に届ける。そして実際に雄勝を訪れてもらうため、浜焼きや漁業体験の交流企画も行います。

すでに2,000人を越えるファンがいるとか。

「みんなが関わることで漁業も雄勝も、そだっていけたら。そう思って名前をつけました。食べ手の方には、海の幸をきっかけに、雄勝町に実家ができたと思ってもらえたら。親戚のような関係を築けたらと思うんです。」

4. 記事では紹介しきれませんが、雄勝町ではほんとうにたくさんの人に出会いました。

そして移り住んだ人も、生まれ育った人も、週末訪れる人も。口を揃える言葉がありました。

「雄勝町は、“みんなのふるさと”になれる。」

ここで生まれようとしているのは、かつての村社会ほど封建的ではないけれど、いざというときに支え合える。

なつかしくもあたらしい関係かもしれません。

(2014/12/4 大越元)