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期待、膨らむ

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まんまるで、ふわふわして、色とりどり。

幼いころ、風船を見つけると思わず駆け寄って遊んでいたのを覚えている。

きっと誰もが触れたことのある風船。

その製造工場の多くは、東南アジアにあります。昔は日本にもいくつかあったけど、いま残っているのは2つだけ。

そのなかで、唯一手づくりでゴム風船をつくっているのが、伊藤ゴム風船工業所という会社です。

maru-sa01 50年以上も前から受け継がれる技術で、手づくりでしかできないゴム風船をつくっています。原材料は天然ゴムだから、自然と土に還って環境に優しい。

つくり手は、日本で唯一の手づくりゴム風船職人の伊藤さんご夫妻のふたりだけ。ご主人の伊藤ふさおさんはもうすぐで70歳になるけれど、後継者がいません。

そんな状況に危機感を抱いて、卸し先のマルサ斉藤ゴムの斉藤靖之さんが伊藤ゴム風船工業所を引き継ぎ、伊藤さんの技術を継承する人を募集することにしました。

一徹にものづくりをする職人を目指すというより、技術を承継しつつ、現代のやり方を盛り込んで日々アップデートしていくイメージです。

斉藤さんはアイディアいっぱいで、風船の新しい可能性にどんどんチャレンジしている人。伊藤さんご夫妻も、気さくで遊び心のある人たちです。

そんな斉藤さんや伊藤さんと一緒に、新しい風船づくりをしてくれる人を募集します。

 
 
取材の日、斉藤さんと待ち合わせたのは朝8時。

東京・墨田にあるマルサ斉藤ゴムの事務所から車で2時間半かけて、伊藤ゴム風船工業所がある千葉・銚子へと向かいます。

maru-sa02 マルサ斉藤ゴムは、斉藤さんのお祖父さんが立ち上げた会社。今年で創業65年を迎える。

伊藤ゴム風船工業所とは古くからの付き合いで、いまでは伊藤さんたちがつくるすべての風船をマルサ斉藤ゴムが卸している。

6年前に斉藤さんが社長を引き継いだとき、せっかくの手づくり風船をもっと高く売れないかと考えていた。

伊藤さんたちがつくっていたのは普通の風船。機械でつくる大量生産の風船と差別化できていなかった。

また年々、伊藤さんご夫妻は高齢になっている。

なんとか伊藤さんの技術や工場を残すことはできないか。斉藤さんは、伊藤ゴム風船工業所の土地と建物と設備を取得して、ゆくゆくは合併することにした。

「うちは問屋さんだったけど、メーカーになることで、売り方だけでなくつくり方から考えられるようになる。それに、伊藤さんの手づくり風船で、子供だけでなく大人自身が楽しめる、大人が大人のために買うような風船をつくりたかったんです。」

そう思ったきっかけは、北九州発祥のふうせんバレーボールというスポーツだった。

「風船って年齢・性別・国籍問わず、どんな人でも楽しめるんだと。今まで大人が遊べる機会がなかっただけで、風船を使った新しい遊び方や使い方をもっと普及していけばいい。そんなサービスとプロダクトの両方をつくっていこうと。」

風船を使った新しいサービス。たとえば、企業の社員教育に利用できないか研究中だという。

maru-sa03 プロダクトで目指すのは、どんな人でも楽しんでもらえるような、手づくりでしかつくれない風船。

墨田区の事業“ものづくりコラボレーション”で出会ったデザイナーの協力を得て、商品開発を進めた。

「デザイナーさんは風船のつくり方を知らないから、新鮮なアイディアを出してくれました。たとえば、口のところだけが別の色だったら可愛いよねって。手づくりなので、異なる色を重ねてつくることができるから、内側に青色を入れて、外側に黄色を入れてみて。」

「できあがったのを試しに膨らませてみると、風船の色が変わったんですよ。ゴムが薄くなって光が透過して、色が混ざるんです。思いもよらないところから新しい発見があって、『これはHEN-SHIN BALLOONと名付けよう!』と。」

ほかにも、膨らませ過ぎずに一定の空気量で止めることで動物の形を維持できる“mammal シリーズ”や、上下半分で色の違う“TWO-TONED BALLOON”など。

新たに開発したいくつかの商品を、新しく立ち上げたブランド“marusa balloon”にラインアップし、いままでにない風船として販売をはじめた。

ifft12_marusa1003 “marusa balloon”の売上は順調に伸び、新しい販路開拓もしている。

一般のものと比べると高価な“marusa balloon”。昨年にはイタリアやドイツなどのヨーロッパへ展開した。また、所得が上がってきている東南アジア諸国の都市部でも販売をはじめた。

「ほかにない職業だと思うんです。子どもから大人まで、みなさんに喜んでもらえるような個性的なものづくりができる。しかも、自分がつくった手づくり風船を通して、世界中の人たちに笑顔を届けることができる。そんなことに魅力を感じて、一緒にやってくれる人がいたら嬉しいな。」

maru-sa05 ちょうど話が一区切りしたころ、インターチェンジを降りて下道を進んでいく。

窓の外を眺めていると、大きな風力発電用の風車がいくつも見えてきた。

「このあたりから、景色がすごくいいんですよ。」と斉藤さん。風車の反対側には、青々とした海が広がっていた。

海岸に沿った道路をしばらく走り、銚子市君ケ浜に到着。

住宅街の小道を抜けると、一面のキャベツ畑。畑を横断するように、線路が敷かれている。その隣に、伊藤ゴム風船工業所の工場がある。

maru-sa06 工場とキャベツ畑と電車。一風変わった景色だと思うけど、不思議とマッチしている。

想像していた無機質な工場のイメージとは真逆で、心地いい場所。空気がおいしいし、ゆったりとした時間が流れている。

斉藤さんに連れられて工場へ入ると、ちょうど伊藤ふさおさん、ようこさんのふたりが風船をつくっているところだった。

maru-sa07 聞こえてくるのは、AMラジオの音と、風船の型を固定する台を移動させるときの「ガタッ、ゴトッ」という音。

ガラスやプラスチックでできた風船の型を、色の付いた天然ゴムの液体に浸けて、乾燥させる。途中細かい作業があるけど、基本は浸けて乾かすことを何回も繰り返すことで、厚みのあるゴム風船ができあがる。

maru-sa08 ふたりはあまり声をかけ合わないけど、息の合った作業をしている。

作業の邪魔にならないか恐る恐る話しかけてみたけど、ふたりともこちらに顔を向けた瞬間、柔らかい表情で丁寧に話してくれたのが印象的だった。

お昼休憩になり、ふたりに話をうかがいました。

maru-sa09 風船をつくっているときの真剣な表情とは打って変わって、笑顔いっぱいのふさおさん。

さきほどの作業について聞いてみると、風船づくりの難しさを教えてくれた。

「ゴムはね、生き物と同じですよ。暑い寒いがわかるんです。暑けりゃ薄くなるし、寒けりゃドロっと濃くなっちゃう。だから、朝と昼で寒暖差の大きい時期は一番やりづらいです。」

その日の気温・湿度で、この風船なら何秒浸けるか。伊藤さんはこれまでの経験から判断しているけれど、そういった技術を新たに受け継いでいくには時間が足りないかもしれない。

だから、はじめの1年間は伊藤さんの横について作業しながら、同時にひとつひとつの数値データを記録していくことになるそうだ。

技術を継承しながら、よりよくできる部分は改良していく。機械を導入できる工程があれば検討したり、機材の配置を変えて効率化を図ったり。現代にあった形に合わせていくことを斉藤さんは考えているそうだ。

「そうすることで、いまより多くの風船をつくれるようになって。たくさんの人たちに喜んでもらいたいんです。」と斉藤さん。

「風船をつくることに喜びを感じて、そしてそんな手づくりの風船をつくることができるのは、自分ひとりだけだということに誇りを持ってほしい。たとえば、クリエイターを目指していたような人が、風船を使って自分のクリエイティビティを表現してもらってもいいと思っています。ただの職人や工場長じゃなくてね。」

maru-sa10 伊藤さんご夫妻は、職人歴40年以上にもなる。

もともとふさおさんは、この工場で従業員として働いていたという。

「28歳のころに東京から地元に戻ることになって。自分で独立してやれる仕事をやりたくて、この風船工場に勤めたんです。7年くらい経ったときに当時の社長が辞めることになって、それなら自分がやるって引き継いで。」

「『人が辞めるようなところなのに、儲かるわけねえがっぺ』ってまわりから言われたけど。俺はいままでちゃんと給料貰えていたわけだから、最低でも俺の給料だけは稼げるって。そんなつもりでやったんです。」

急に工場を引き継ぐことになり、苦労もたくさんあったそう。それでも40年以上も続けてきた伊藤さんたちが思う、この仕事のよさってなんなのだろう。

「いまになってだけど、みんなは機械で風船をつくっているから、ほかにできねえことをやるっていうのは面白いですよ。だから遊び半分で、テレビ番組で大きな風船をつくってみたり、ほかの工場で断られたっていう芸大の子の依頼を引き受けたりしてね。鉄腕DASHは面白かったな(笑)。」

そういう話が来たら、まずはやってみようって姿勢なんですね。

「そうだね。まずやろうって。楽しいですよ。」

maru-sa11 ふたりは、どんな人に来てもらいたいですか?

「あんまり真面目過ぎても、やりづらいよね。」と、ようこさん。

続けて、ふさおさんも「ひとりでコツコツやるのは違うなあ。」

いわゆる職人タイプではないみたい。伊藤さんも斉藤さんも、チャレンジするのが好きな人たちだから、子ども心というか、遊び心のある人が合っているのかもしれない。

「明るい子だといいな。それなら、俺らも気さくに頼めたりできるじゃん。(笑)」

「まあ、銚子はいいところですよ。このあたりは霧ケ浜って言って、沖では親潮と黒潮がぶつかって霧の多いところでね。マイナスイオンが日本で一番多いところ。魚の種類も豊富で。」

知り合いの漁師さんに魚を分けてもらったことや、石巻のイベントに参加したこと。話があちこちに広がりながら、しばらく談笑は続く。

こんな感じで楽しく笑い合える人だといいのかな。

 
 
工場を後にして、歩いて5分ほどの林の先にある浜へ、斉藤さんと歩いていく。

「ここは僕も住んでみたいと思うところでね。週末は畑いじってもいいだろうし、毎朝サーフィンをやってから仕事をしてもいいかもしれない。工場の2階が空いているから、自分で好きなように変えて住めるようにしてもいい。都会にはない暮らしですよ。」

職人でありながらも、その地の開拓者という一面もある。変わっていて、面白い職種だと思う。

maru-sa12 帰りの車で、斉藤さんは一緒に働く人について話してくれた。

「社員さんという形で募集するけど、僕はパートナーになってほしいと思っています。やることがたくさんあるかもしれないけど、自分で考えて動いてもらって。最終的には、一緒に夢を語って実現していくような、そんな関係になれたらいいな。」

ほかにはない、技術継承者の募集だと思う。

日本唯一の手づくり風船。伊藤さん、斉藤さんの人柄。銚子という豊かな地域。なにかひとつでも引っかかったら、ぜひ応募してほしいです。

(2015/1/14 森田曜光)