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生きあう地域

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まちには色々な人が暮らしている。

働き盛りの人、結婚したばかりの夫婦、子どもはもちろんのこと。今後も一人暮らしの高齢者は増えていく。一人では解決のむつかしいことを抱え、いまは働きたくても働けない人もいる。

これまでは、行政やソーシャルワーカーといった専門家が、「仕事」を通して支援することが中心でした。

今後は、日々そこに住む人同士が、「暮らし」を通して関わることはできないのだろうか。

1 まずは住民同士が生きあう。必要に応じて、専門家が支えていく。

そんな地域の形がはじまっています。

岩手県大船渡(おおふなと)市。ここで、住民や専門家、行政をつなぐ地域のコーディネーターを募集します。

一度は違う仕事に就いたけれど、人をつなぐ仕事に関心のある方。人がよく生きることに関心のある方。そして、ゆくゆくは事業をはじめることに興味のある方。

まずは読んでみてください。

東北新幹線の岩手県北上駅。

朝の気温は5℃。駅を出ると雪がうっすら積もりはじめたところ。

ここで、今回募集を行う「特定非営利活動法人いわてNPO—NETサポート」の事務局長・菊池さんが迎えてくれました。

2 車で90分ほど。沿岸部の大船渡へと向かいます。

「岩手の県庁所在地は盛岡ですが、沿岸部へ向かうベースキャンプとなるのが、北上です。市内を一級河川の北上川が流れています。明治時代までは、石巻と盛岡の間の物流を船でつなぐ中継の中心地でもあったんですよ。」

菊池さんは盛岡の出身。スポーツトレーナーを目指して東京の大学に進学します。

「一人一人に関わることも好きですが、次第に、自分はコーディネートするほうが性に合っていると気づきます。」

大学を卒業すると、オリンピック選手の引退後のセカンドキャリアを描くNPOへ。事務局として働きます。

その後は岩手県へと戻り、NPO—NETで働きはじめた。

「外部のコンサルタントが、日本全国で同じような総合計画を描く時代がありました。けれど、いまは地域に根ざすことからはじまると思うんです。」

「地域の“とんがった”部分をより磨くこと。そして個性のある地域が増えていく。僕らの役割は、三重県尾鷲(おわせ)市や岡山県西粟倉村といった全国地域と連携することで、地域につねにあたらしい風を吹き込むことだと思います。」

ここで、車は約4万人の暮らす大船渡市へと入る。

3 主な産業は、水産業。

サンマやサバが水揚げされるほか、「三陸産」として出荷されるカキやワカメの養殖も盛んです。

採石場があることから、業界最大手である太平洋セメントの工場もあります。

市街地を進むと、限られた平地に明治時代の古い家屋からマンションまで、建物がぎゅっとつまっていることに気づく。

チェーン店はほとんど見られない。地場の事業者がしっかりしているのだと思う。居酒屋やラーメン屋、寿司屋といった飲食店。大型の本屋や家具屋も並ぶ。もともと木工のまちでもあるという。

そんな大船渡は、東日本大震災が起きると津波により、約3,500戸が全半壊の被害を受けた。

1,800戸の仮設住宅が建てられると、子育て世代から、一人暮らしの高齢者まで色々な人のあらたな生活がはじまった。

4 そうした中、仮設住宅に暮らす住民たちを、地域住民が支援する仕組みが生まれた。菊池さんは“復興支援員”という総務省の制度を活用。民間企業、NPO、行政の連携を促しました。

「仕事を通して、地域の人たちがつながり、生活をとり戻していけたらと思ったんです。」

37地域にある仮設住宅の団地では、約70人の復興支援員が活躍しています。

仮設から、あらたな住宅への移行も進みつつある。

自力で自宅を復旧する方もおり、すでに500戸ほどが住まいを移した。

再来年の3月には、定住のできる公営住宅が竣工される予定。

1,300戸の仮設住宅からは、移住を望む声が聞こえてくるという。

5 同時に、15%にあたる約200戸の住民は、何かしらの不安を抱えていることがわかった。

「個別に聞くと、一人暮らしで身寄りのない高齢者。引きこもり。現在仕事に就くことができず、収入面の不安がある人。精神的に不安定な人。色々な人がいることがわかりました。」

「そうした状況は、震災前からありました。仮設住宅に移ったことで、あきらかになったんですね。」

今後は、仮設住宅から定住できる住まいへ移行。あらたなコミュニティを描いていきたい。

そこで募集するのが、事務局コーディネーター。

各仮設住宅を担当する70人の復興支援員と連携しつつ、ときには自ら住民たちと話し、移行をサポートしてほしいという。

一見“家”というハードの取組みに見えるけれど、実は生活の建て直しなのだと思う。

「まずは住民同士でできることがたくさんあると思います。住民同士のつながりを育んでほしい。また必要に応じて、専門家とつないでほしいんです。」

市役所の地域福祉課や保健介護センター。生活に困っている人たちの自立支援に取り組む社会福祉協議会。また、就労支援を行うのは宮城県の公益財団法人・共生地域創造財団。

東北では、あらたな動きがポコポコと生まれている。県内に限らない連携も考えられるという。

「公営住宅に移ると、多様な人が共存するあらたなコミュニティの形が生まれていきます。お互いに関わりあうことで、人がよりよく生きていけたらと思うんです。」

どんな人に来てほしいでしょうか?

「分野は問わないので、自分でやりたいことのある人です。コーディネーターとして人をつなぐ仕事をしていきたい。これからの地域福祉のあり方を見出していきたい。起業につながる一つのステップとして捉える人も、もちろん大船渡へ帰るきっかけを探していた人にも来てほしいです。」

UターンやIターンをして、大船渡で活動をはじめる人も現れています。

菊池さんとともに働く2人の方にも話をうかがいます。

6. 大船渡出身の熊谷さんは、細やかな気づかいをしてくれる優しい方。

事務局長補佐として働いています。これからやってくる方は、まずは2、3ヶ月間を二人三脚で仕事を覚えていきます。

大学で東京に進学し、スポーツジムに勤務。

2013年の1月にUターンしました。

「いつか大船渡に戻りたい。そう思っていたんです。」

菊池さんのもとで働き、今年5月には、NPO法人「さんりくWELLNESS」を立ち上げました。現在は仮設住宅などで、体操教室を実施しています。

「仮設住宅では一人暮らしが続いたり、気疲れする人もいます。運動することで体が元気になり、コミュニケーションが生まれることで、笑顔になるんですね。」

Uターンをした熊谷さん。働きはじめると、いままでとは異なる地域の顔も見えてきたという。

「地元とは言え、考え方や仕事の進め方が違い、戸惑うこともありました。けれど、お互いによい刺激でもあると思うんです。」

7. これから来る人に伝えておきたいことがあるという。

「慣れるまでは戸惑うことも多いと思います。毎日まちも大きく動きつつある中で、自ら判断を迫られる場面もあるでしょう。」

大切になるのは、ゆくゆくは自分で事業をはじめたいという気持ちなのだと思う。

次に話をうかがったのは、今年の3月から大船渡市へやってきた下津浦(しもつうら)さんです。

現在は、市民活動センターで働いています。

7 出身は福岡県。

前職は外資系アパレル企業。福岡、熊本を経て、台湾で店舗の立上げに取り組んできました。

今年まで大船渡を訪れたことはなかったという。

「学生時代から国際協力に関わる仕事に就きたい思いがありました。そんな中、まずは日本で起きている目の前のことに取り組みたいと思ったんです。」

「九州からは距離が遠く、なかなか行くことができませんでした。2013年に東京で事業統括の仕事に就いたタイミングで、休日に訪れたのがはじまりです。」

3度訪ねた後に、大船渡へやってきました。

現在は、市内で活動する団体の中間支援を行っています。

壁面に並ぶファイルを紹介してくれた。

「地域活動の“見える化”に取り組んでいます。子ども、手話、環境、… 訪ねていき、リスト化を進めました。みんなで手分けして100件ヒアリングしたんですが、まだ半分も終わっていません(笑)。地域には、これほど活動している人たちがいたんですね。」

8 活動団体の資金調達サポートや、団体立上げの手続きを案内したり。団体をつなぎ相乗効果を生み出すことにも取り組んでいるという。

どんな気持ちでやってきたのでしょうか。

「前職は畑違いなので、自分が役に立てるのか不安はありました。でも、やってみないことにはわからない。まず行ってみよう。そんな気持ちで入ってみたんです。」

将来については、大船渡への定住につよくこだわっているわけではない。

「自分のやりたいことを大切にして、とことん取り組んでいきたいんです。その過程で、自ずと人ともつながっていくと思います。」

言ってみれば、一つの転職の機会なのだと思う。

「知らないことだらけで、毎日勉強の連続です。NPOや行政、住民の方。色々な人とも会います。いまは毎日がほんとうに面白いんです。」

住まいについては、仮設住宅を借りているとのこと。

これからやってくる方も、仮設住宅は無償で借りることができます。空き物件は少ないとのことだけれど、もちろん物件を借りることも可能です。

最後に、現在の大船渡を知る上で、紹介したい人たちがいます。

志田豊繁(とよしげ)さんと志田仁さん。2人の志田さんです。

豊繁さんは、漁師としてワカメやホタテの養殖を営む漁師。

今年7月に、「大船渡温泉」を立ち上げました。

100部屋の客室からなり、50人が働く大きな宿泊交流型施設です。

9 「大船渡がこれから世の中を引っ張っていく。そのシンボルになるから、大きければ大きいほどいいと思ったんだよ。」

2008年頃から、豊繁さんは日帰り温泉の立上げを予定していました。

けれど、交流人口を増やしたい。そして地元に雇用を生みたいという思いから13億円を借り入れます。

10 きっかけは震災直後にありました。

電気・水道・ガス・電話がすべて止まる中、ウニやアワビなどの食材を避難所へと提供し、温泉も開放しました。

「みんなに喜んでもらって、いままでの人生の中で一番充実していたの。そのときに気づいたんだよ。人は人のために何かするのが、一番うれしいって。信念を持って、もっと世の中に尽さねばなんね。そう思ってしまった。」

そんな豊繁さんにお世話になったのが、現在は復興支援員として働く仁さん。今後は農業を営むことを決めたそうです。

大船渡では、セクターを越えた色々な取組みが生まれています。

住民同士が生きあう。これからの地域の形がはじまるのかもしれません。

(2015/1/9 大越はじめ)