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磨き職人になる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

コンピューターや機械が担う領域は、日に日に増えていく。今後も、ますます加速していくのかもしれません。

いま人の手だからこそ、できることがある。

image001 航空機の羽から、機械部品、調理道具、タンブラーまで。

くもり一つない、まるで鏡のようになるまで磨きあげるその技術を目の当たりにすると、感じるものがありました。

ものづくり600年の歴史を持つ燕市。“磨き”の技術を受け継ぐ弟子を募集します。

磨き屋一番館での研修は、3年間。月額15万円ほどの奨学金が支給されます。

その後は独立する人、企業に入る人など道はさまざま。用途の幅広い技術をもとに、工芸の世界に飛び込むことも考えられそうです。

ものに合わせる仕事場は、冬場は暖房が効いていなかったり、力仕事も多い。けっして楽な仕事ではないと思います。

けれど、その技術は、ふたたび見直される時期に差しかかっています。

これまでは燕市在住の方を中心に、研修生を育ててきました。今年は、技術の継承者を、全国で募ります。

冬の新潟と聞くと、雪深いイメージがあるかもしれません。県の中央に位置する燕市は、比較的降雪の少ない地域。

2 新幹線の燕三条駅を降りると、市役所商工振興課の関口さんが迎えてくれた。

「まずは昼を食べましょうか。」

そう案内してくれたのが、「杭州飯店」。

時計は11時を回ったばかり。けれど、早くもにぎわっている。12時を回ると行列ができるという。

出てきたのは、うどんのような太麺に背脂。聞けば、背脂ラーメン発祥の店。

そそくさと食べて店を出ると、関口さんはこう話してくれた。

「燕市はものづくりのまちです。熱々で伸びないラーメンを町工場へ出前するには、どうしたらよいか。そう考えて生まれたのが、このラーメンだったそうです。実にかなっているんですね。」

ものづくりの歴史は、江戸中期までさかのぼる。仙台から渡りの職人が技術を伝えたことがはじまり。

古くは霊峰、いまはパワースポットとして知られる弥彦山(やひこやま)。ここで採れた銅は、やかんなどに加工されていく。

明治に入ると、各地との技術交流が生まれていき、工芸の一大産地となる。

現在も、カトラリーの国内シェアは約90%。

GOOD DESIGN賞を受賞したり、海外のデザイナーとコラボレーションしているものもある。

image005 時代が工業へと移り変わるなかで、自動車などの機械部品や情報通信機器にシフト。日本有数の金属加工地帯となりました。

分業体制を組み、市内で一貫製造に取り組んできた金属加工。金属を延ばし、成型し、最終工程に位置するのが「磨き」。

image007 「担い手も減少していくなか、『後継者を育てていこう』という地域の事業主たちの声を受けて、2007年に立ち上がったのが、磨き屋一番館なんです」。

これまでに16人が卒業。12人が就職し、4人が独立を果たしているという。

その理事長であり、技術指導を行う高橋さんを訪ねました。

短髪で一見無口な方かと思ったけれど、じっくり話をはじめてくれました。

image009 高橋さんは、燕市の磨きを営む町工場に生まれ育った。

大学で東京に進学。インテリア関係の仕事に就いたのち、燕へ戻る。

「当時は、いわゆる3Kに近い仕事とされていました。親から『サラリーマンになりな』と言われて育ってきた世代なんですね。」

高橋さん自身も、若い頃は仕事を継ぐことは考えていなかったという。

「けれど、燕の金属加工を見渡したとき、欠かすことのできない仕事でした。磨き職人がいなくなると、燕のものづくりが止まってしまう。そう実感して、後継者の育成に取り組みはじめたんです。」

もし研修生として入ると、どんなふうに仕事を覚えていくのですか。

「製品をつくっていくんです。そのほうが覚えも早いですから。」

「はじめは受託が中心だったんですね。仕事は航空機の羽からタンブラーまで。ほんとうに幅広いです。いまでは、デザイナーと組み、自分たちのブランドも立ち上げています。」

技術を身につける上で大切にしているのは、「自分の頭で考える」ことだという。

幅広い商品を、自分の頭で考え磨くことで、職人としての技術も育つという。

「人の手だからできることだと思う。たとえばタンブラーの飲み口も、人の手でつくったものだから、完全な円ではない。人の感覚が活きるし、より確実なものができるんだよね。」

image011 どんな人でも職人になれるのでしょうか。

「経験や年齢は問いません。若いうちにはじめるに越したことはないけれど、これまでの研修生も20代から40代まで幅広いです。」

「人によって、向き不向きはあります。けれど、なにより大切にしたいのは、“やりたい”という気持ち。それがあれば、どんな人でも受け入れたいと考えています。3ヶ月の試用期間は設けていますが、能力で区切るようなことはありません。」

研修がはじまると、まずは高橋さんについて教わります。

2年目に入ると、1年目の後輩を指導することで、自分の技術を言語化し、振り返る機会を設けているという。

また、年間約2,500人の見学客が訪れるという。磨き体験教室の先生になることもある。

研修後、独立を目指すならば、磨きの技術に加えて、営業や人の希望を聞くことも大切。総合的な力を身につける環境はある。

ここで、高橋さんに工房を案内していただく。

「たとえば」と手にとったのは、自社ブランドのスプーン。

image013 よく見ると、凹みの部分が深い。

「昔の形なんです。これだけ深いと、機械では磨けないんですね。」

「その他にも浄水器は、表面のざらつきをとることで、水アカの付着を防ぎます。塗装されたラーメンのどんぶりは、使う中で剥げやすいフチの塗装をあらかじめ磨く。また飛行機の羽は、10の工程を経て、空気抵抗の原因となる鋲(びょう)の突起やキズを磨きます。磨くことで燃費が向上するそうです。」

3年の研修には、どんな気持ちで望んでほしいでしょう。

「職人とは、自分の腕で食べていける人のこと。いくらきれいなものがつくれても、1月にタンブラー1つでは、しょうがない。研修とはいえ、3年の内に、自分の食いぶちは自分で得る。それぐらいの気持ちを持ってほしいです。」

「僕は磨いて29年が経ちますが、いまもあたらしい仕事が来ては、どう磨くかを考えて。道具からつくることもあります。ましてや失敗のできない、替えのきかないものもあるんですよね。何年やったら一人前、ということはないと思います。」

「最近頭をつかったのはね、」と見せてくれたのが、こちら。

image015 「左にある原料を磨いて、右のものにしたんですよ。」

県の無形文化財に認定されている鎚起銅器(ついきどうき)をつくる玉川堂(ぎょくせんどう)とデザイナーの谷川じゅんじ氏がコラボレーション。3年越しで製品化に至ったというワインクーラー「MOON」。

100個のリミテッドエディションで、一つ45万円。NHKワールドでも特集が組まれたそうだ。

高橋さんは経験をいかし、「こんな具合かな」と勘所をつかみ製作に臨んだという。

「磨きと一言で言っても、鏡のように輝かせることも、つや消しもある。技術は幅広いです。まずは上限まで磨く技術を身につけることで、どんなものづくりにも対応できるようになります。」

ここで一番館をあとにして、卒業生の方を訪ねます。

移動の車中で、再び役所の関口さん。

「磨きは、用途から見つめ直す時期に来ていると思います。技術はたしかに高い。一方で、つかい手を意識せず、『ここまでできるんだよ』と職人の技術ありきの面もあります。どんな商品が求められて、磨きの技術をどう活かせるのか。」

これから入ってくる方は、職人として腕を養いつつ、磨きの未来を見つめていけるとよいかもしれません。

到着したのは、スワオメッキ有限会社さん。

2代目の鈴木さんは、最近手がけたというJR九州の“ななつ星”を紹介してくれた。

HPを見て依頼が来たそうだ。

「大型の金属メッキをできるところはないんだよね。はじめに車両の顔となるエンブレムのメッキを受けました。続けて、茶室で使うアンティークの茶釜の内側やワインクーラーの加工もやりましたね。」

メッキをしたものは、次に磨きを行う。

入社して10ヶ月ほど。磨きを手がけるのが、卒業生の古見さん。

お隣長岡市の出身。

「磨きという言葉も知らなかったんですよ。ただ、もともとつくる仕事がしたかったんです。偶然に一番館の研修生募集を目にして。ピンと来たんです。」

image017 現在は、お祭りにつかう神輿(みこし)のパーツの磨きに取り組んでいるところ。

祭りで使う中で、メッキがはがれたり、傷ができることもある。日本全国から、リペア待ちの行列が続いているという。

「神輿はここに来てはじめて手がけました。それでも、あまり戸惑いませんでした。一番館で色々な種類の磨きを、自分の頭で考えながら仕事に臨んだ経験が活きていますね。」

ここで、古見さん。

「小さなぼこぼこがあるのがわかりますか?磨くことで滑らかに、表面が輝いてくるんです。」

image019 これから研修生となる方も就職、独立と選択肢はあるそうです。

就職先はカトラリーなどの工芸から、機械部品まで。受入先の状況と相談しつつ、決めていけるとのこと。

最後に、紹介したい人がいます。

関口さんとともに、一番館の事業に取り組む役所の山﨑聡子さん。

この日も、燕市の金属加工技術のPRに向けた打ち合わせで、東京出張へ。帰りの駅で会いました。

image021 「磨きは、技術力や独自性の割に、誇りを持ちにくい仕事でした。というのも、分業化が進み、つかい手に評価される機会がなかったんですね。実は磨きに限らず、燕市の職人に共通する課題です。」

これから入ってくる方も、つくり手やつかい手と話す機会からはじまると思う。

「一番館では、自社ブランドの展示会への出展も行っています。指導員の高橋さんとも話し合い、そうした場に、積極的に参加することも考えられます。」

担い手の育成は、仕事に対する誇りともつながる。
真空チタンのタンブラーが、APECでの贈答品となったSUS GALLERY。山崎金属工業のカトラリーは、スウェーデンで行われるノーベル賞受賞者の晩餐会で用いられる、唯一の外国産製品。

燕市では、老舗企業の後継者がリブランディングをはかり、ファクトリーブランドを展開する事例も現れています。

いっぽうで、職人を志す方が、商品企画やプロダクトデザインまで専門的に手がけるのは大変なこと。

そこで、燕市としても取組みを考えつつあります。

「今後は外部のクリエイターとも協力しつつ、PRやブランディングに力を入れることも考えています。まだまだ手探りで具体的な話はできませんが、少しずつ体制を整えていきたいです。」

積み重ねられてきた技術を引き継ぎながら、新しい磨き職人が求められています。

(2015/2/9 大越元)