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日本で一番の僻地と言われている南の島に移住する。今回はそんな求人です。
ただ、島には週2便の船しかありません。商店は朝と夕方に少し開くだけです。嵐で船が欠航すれば、食料品の在庫はなくなります。若い人たちには島を維持していくための役割があります。たとえば港の荷役など。教育や医療も充実しているとはいえません。
ほかにも不便なことはあるけれども、島の人たちに会って話をしたり、島に滞在していると、大切にしたいものが見えてきました。
夕方の飛行機で羽田空港を飛び立つ。これが沖縄だったら3時間もすれば到着する。けれどもこれから行こうとしているトカラ列島は、一番近い島でも12時間かかる。今回はさらに遠い18時間かかる宝島を目指す。ただ、最近は奄美大島にLCCが就航したので、もう少し早く行けるようになったそうです。
鹿児島港までたどり着いたら、ここから「フェリーとしま」に乗船する。この船が十島村の七つの島をつないでいる。

船はゆっくりと出港し、錦江湾を抜けると真っ暗な太平洋を南に進んでいく。客室で眠りについている間に屋久島の横を通り過ぎて、早朝には口之島に寄港した。そこから5つの島を抜けて、宝島に到着したのは昼過ぎだった。
甲板から見る島にはほとんど人工物が見えない。大きな森の中から埠頭がニョキっと伸びている感じ。とてもサイケデリックな壁画も迎えてくれた。
船を降りると、島からたくさんの人が集まってくる。どうやら積み荷を受け取る人たちらしい。とても印象的だったのは子どもたちが思ったよりも多かったこと。

まずはご主人の功(いさお)さんに、軽トラックで島内を案内してもらうことになった。
功さんとお会いするのは初めてだったけれども、移住当初の写真とはうって変わって、たくましい島の男という印象。いいアニキという感じでとても話しやすい。
功さんは土地を開墾して農業を営んでいる。どうやって開墾するのか車の中で聞いてみた。
「まずは土地をみつけて、そこの人と交渉する。貸してもらったら最初はパワーショベルで木を根っこから倒す。ある程度やったら、あとはひたすら根っこを拾います。それから整地したら堆肥をいれて寝かして。」

「でも最初はしょうがなく開墾していたんだけど、畑を自分でつくるのはおもしろい。だんだんうまくなるし。農業もやったことはなかったけど、知識や経験が反映されていくと、畑に愛情が生まれますね。」
最近はどの辺りを開墾しているんですか?
「今は砂丘地をやっています。昔はきれいな砂丘があったみたいですね。そこで育てているのが島らっきょう。」
収穫した島らっきょうは、東京築地に直接卸しているそうだ。
畑は開墾すればまだまだ土地はありそう。家はどうなのか聞いてみる。
「宝島では空き家が少ないけど、これから新築する計画もあります。あとはもし家を建てる技術があれば、自分で建てることもできる。」
「やりたいことをやっていれば、すべてが村おこしになっていきますよ。」
ドライブが終わって、集落に戻ってきた。空が少しずつオレンジ色になっている。島には集落はひとつしかなくて、そこに小さな家が密集している。家の明かりが灯り、夕飯の香りがしてきた。
温泉の銭湯に入り、商店の横で島の人とビールを飲んだ。真冬に訪れたけれど思ったよりも暖かい。

奥さんのトシエさんは帽子のデザイナーをしていて、4年ほどイギリスに留学していたそうだ。海外出張も多かった。二人の付き合いは長くて、夫婦同然に暮らしたあと、トシエさんがロンドン留学から戻ってきたと同時に籍をいれた。
ただ、東京に戻ったときにトシエさんは、自分の理想の暮らし方について考える。
「ロンドンでファーマーズマーケットに出会ったんです。自炊していたから料理をしていると野菜のおいしさに気づいたんですね。それで東京に帰るといつもの生活がはじまる。忙しいとどうしても外食になってしまう。」
「結婚してからもロンドンのことが忘れられなかったんです。それで田舎暮らしに憧れて。とくに住みたい場所があったわけでも、仕事を辞めたいと思っていたわけでもないんですよ。」

「ひまつぶしに日本仕事百貨を見ていたんです。そしたら衝撃を受けた。こんなところもあるんだって。ワクワクしてその日のうちに功くんに話したの。」
不安はなかったですか?
「ワクワク感のほうが大きかったな。」
移住できる人って、そうですよね。教育とか、医療とか、子育てとか、心配になってしまったらもう動けない。
「心配なんてどこでもあると思うんですけど、いいところのほうが大きかったんでしょうね。ほかの人がどう思うかあまり気にするタイプでもないし。1番の決め手は『人』かな。島の人と話してみて、移住前に厳しいことも言われたけど、その厳しさの中にも温かさを感じたんです。」
「ファッションも好きでしたよ。でも疲れている自分にも気づいていました。元気なんだけれども、なんだか空回りしていて。ほんと、何がきっかけだったのかな。」
すると横から功さん。
「おれと出会ったからだよ(笑)」
こうして2人は暑い夏の日に島へ移住することになった。
2人が感じた島のいいところ。その一つが人の良さ。
竹内家のお隣さん、梅子さんにもお話を聞いた。ちょうど二人のおかあさんのような存在。Facebookやスカイプも使いこなしながら、島の暮らしを今に伝えている方。
「生まれも育ちも宝島にござんす。その昔は薩摩藩よ。中村姓が薩摩藩の横目付でここに派遣されてきて住み着いて。」

もしも移住を考えている人がいたら、なんて声をかけますか?
「良いところだって言うけど、それに責任が持てるわけじゃないから。簡単には言えないねえ。生活するにはそれなりにしっかりした考えをもって、何があっても帰らないっていう覚悟がないと住めないところじゃないかな。ちゃんとやればここはいいところだと思うし、みんな助けてくれる。」
もう一人紹介したいのが、村議会議員の前田さん。夫妻の暮らしを助けてきた人だ。
前田さんに話を聞いてみると、いきなり厳しいことを言われた。
「竹内にも言ったんだけどね、移住はやめたほうがいいよって。」

これからもっと大変なのですか…
「子どもが一番のネックだから。中学卒業したら自分たちの元から離れる。誘惑も何もない島で育った子どもが、いきなり親元離れて自立しないといけない。今のうちからそういうことも考えないとだめだよって。15歳なんてあっという間だよ。」
やっぱり覚悟が必要ですね。
「自分はそう思う。それに竹内が『島を出ます』ってなったら自分たちだって寂しいわけ。そういう思いはあんまりしたくないね。」
梅子さんも前田さんも、覚悟が必要なことを話してくれた。それくらい大変な生活であるとともに、別れるのが寂しいという気持ちも感じられる。
その寂しさは、関われば関わるほど強くなるものだろうけれど、この島の人たちはそんなこと考えることもなく助けてくれる。
最後にもう一組の移住者である本名(ほんみょう)さんにも話を聞いてみる。
もともと不動産の仕事をしていた方。今は島のものを使って加工品を製造販売している。
島に移住して何かびっくりしたことはありますか?
「島の人は時間にルーズじゃないってことです。もともと遅刻しがちな自分でも、南のほうに行ったら大丈夫かと思っていたんですけどね。」
今はバナナのコンフィチュールやトビウオの加工品をつくっているんですね。はじめから考えていたんですか?
「そうじゃないんですよ。きっかけは鹿児島市で離島フェアみたいなのがあって、呼ばれたんです。行くだけじゃ面白くないから、自分で商品を試験的につくって売ってみようって。」

長命草のドレッシングをつくったら、結構売れたそうだ。次は「ジャムは加熱するから安全なのでジャムをつくれ」というアドバイスのもとバナナのコンフィチュールをつくり、鹿児島の特産品として受賞する。
商売センスのある方なんだな。そんな本名さんに、おすすめの仕事を聞いてみる。
「今なら『牛』ですね。島の人も教えてくれるし、成功モデルがある。農産物なら島らっきょう。水産加工も中之島に加工場ができたので働き口が増えると思う。あとは回線も太くなったので、スマホのアプリをつくるとか。そういう人もいいと思いますよ。」
帰る前に島を一周走ってみた。人の手が入っていない深い森。光り輝く海。そして、挨拶をしてくれる島の人たち。

気がついたらあっという間の時間でした。帰りの船に乗りながら、島のことを思い出してみる。
功さんがこんなことを話していた。
「東京にいるときはゴールデン街とか、いろんなところに遊びに行っていたので、島は何にもないから少し心配でした。でも島にはなにもないようで、たくさんのことにあふれている。だから全然飽きないよ。」
本名さんはこんなことも。
「島の幸せは、子どもがはじめて寝返りをうったときも、はいはいしたときも、歩いたときも、しゃべったときも、隣にいることができたこと。ここでは人生がちゃんとつながっているんです。」

2月22日の大阪でのイベントにぜひ参加してください。島に関わる人がたくさん集まる予定です。
(2015/2/6 ナカムラケンタ)