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ここでじっくりと

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「人口減少と人材枯渇は全国地域の課題ですからね。海部郡(かいふぐん)というより、一国の問題だと思っています。片田舎からの視点で出口のひとつでも提示できれば、世界的にも意義があると思う。夢はでかいんです。」

阿波国の最南端、海部郡にあるNPO法人どーんと・せーの!!

その名のとおり志は大きく、でも自分たちにできることから着実に歩を進めています。

地域で生き残るための道。まずは人が残り、集まるための事業づくりをしていく。

ここでじっくりと、共に歩んでいく人を募集します。

 
 
徳島空港に降り立ち、バスに乗って徳島市内へ向かう。

徳島駅前に到着すると、待ち合わせ場所に北山さんが迎えにきてくれました。

dontoseino01 助手席に乗り込み、これから向かうのは海部郡。

徳島県の最南端に位置し、海に広く面した地域です。北山さんはここで生まれ育ちました。

東京の電子機器会社で航空電子系の業務に就いていた経歴があり、どこか外の視点を持っている方。

帰郷後、寂れゆく海部郡に危機感を抱き、2006年にNPO法人“どーんと・せーの!!”を立ち上げました。

道中、これまでの経緯をうかがいます。

「30年前になるかな。東京から帰ってきたときは高度経済成長の末期。家業や工場での仕事が忙しくて、地域のことに関心なんてなかったんですよ。」

家業は、北山さんのお父さまの代からやっていたシキビとサカキの栽培。帰郷後、農園規模を拡大するために雑木を伐採して、20町歩の農園をつくった。

「ところが、雑木はすぐにまた生えちゃうんです。手入れだけでものすごく費用がかかるので、どうしようかなと思ったときに工場長の話が来ましてね。」

その当時、海部郡には誘致企業の縫製工場が設立された。北山さんはそこで工場長を務め、ゼロから工場づくりに携わる。

5年後に仲間と独立して、縫製・電機・花卉の3事業を行なう会社を立ち上げた。

「でも中国製品が進出してきて、結局会社は赤字続きでやめることになりました。このころから地域も寂れていった。駐在所がなくなって、続いて中学校、農協、商店。これじゃあいけないと思っていたんですけど、工場経営とその後の借金返済で身動きとれなかった。」

そんななか、数年ぶりに農園の様子を見に行くと、雑木が消え、シキビと大ぶりのサカキだけが残っていた。

「びっくりしましたね。どうやら、雑木の芽を野生動物が食べて、毒のあるシキビは残しているみたいで。上等な農園ができて、これは商売になるぞと。」

家業として、シキビ・サカキの花卉事業を続けていくことになった。

dontoseino02 家業が安定したのち、地域に取り組むための活動をはじめた。

「人口減少を緩和するための応援事業を行うNPO。ようするに、何をやってもいい団体ということですね。海部郡を歩いて10人の理事と60名の会員を集めて。それで出発したんです。」

団体名は“どーんと・せーの!!”。考えるより、まず行動することからはじめる。

限界集落の独居者の見守りや、仕事づくりフォーラムといった啓蒙活動など、これまでさまざまな取り組みを行なってきた。

「50年後の海部郡の人口は、いまの10分の1になると考えています。地域に残った人が生きていけるように、NPOで地域づくりをしていこうと。」

いま目指しているのは、人材を集積するための仕事づくり。家業の花卉事業を軸に、海部郡での産業を模索する。

「花卉に将来性があるかっていう話なんですけど、これはあまりないんですね。総需要は減っている。ところが生産者がそれ以上に減っているんです。結局は強い需要があるわけです。」

北山さんの農園規模は、個人で西日本のトップクラスに入るそう。さらに息子さんという後継者がいることで、市場が大事にしてくれている。

「収穫するのは週に2〜3回、この車を一杯にして帰ります。車1台分で高津中央市場などでは7〜10万円ほど。せがれと一緒に作業をすると倍になります。」

「事業としての安定性は非常にあって、やろうとすれば2〜3倍の規模にも増やせる。そんな見通しがあるけど、忙しくなるのはいやで。気ままにやっていきたい。」

とは言いつつも、チャレンジ精神の溢れる北山さんは、3年前から新たな事業に取り組んでいる。

漢方薬品メーカーと提携して、薬草栽培をはじめた。

dontoseino03 「漢方薬品メーカーのツムラさんは、漢方薬の7割を中国から輸入しているんです。だけど、漢方が健康保険の適用を受けることになり、世界的にも生薬の需要が広がってきていて、ツムラさんは日本での増産を考えていた。そこで結びついたわけです。」

さいしょの1〜2年はカモシカに薬草を食べられたり、なかなか上手くいかなかったそう。対策を練り、3年目の挑戦がこれからはじまる。

「日常の手入れは野菜より楽ですよ。水やりはいらないし、お年寄りでもできるような作業が中心です。農園は高地にあるので、除草作業はわずかの労力で済みます。」

「試験栽培がうまくいけば次のステップとして、うちが持っている山林の土地を薬草栽培に当てようと考えています。そこは何ヘクタールもあるので、10家族以上は食べていけるくらいですよ。」

薬草事業が新たにはじまり、NPOはいま、経営の岐路に立っているという。

「いままで営利企業化もせずに、のんびりやってきました。でもこれからは地域のために、人を雇っていかないと。そこで経理管理をしてくれる人に来てほしいんです。複雑な事業でもないので、収入と支出を見るような簡単なことでよくて。あとは、もっと売り上げをのばすためのことを考えてくれればいい。」

ただ事業を理解してもらうために、はじめは花卉や薬草の現場経験をしてもらうそう。繁忙期には応援に入ってもらうこともある。

体力的につらいのは薬草の雑草抜き。だけど体が弱い人でも大丈夫だという。作業は少しずつ慣れていってくれればいいと、北山さんは話していた。

「僕が雑草抜きをはじめたのが60過ぎてから。さいしょの半年は大変だったけど、そのうち体の痛みが消えてね。体幹が鍛えられたんです。うちのかみさんも畑仕事なんてしない人だったけど、いまは3〜4時間平気で作業していますね。」

体力に自信がなければ、サカキやシキミを出荷用に束ねるような軽作業を担当してもらう予定だという。そこは柔軟に、人に合わせて仕事を割り振ろうと考えている。

dontoseino04 「来てくれた人にはどんなことがあっても、ずっと先まで生活の面倒を見ようという覚悟なんです。」

そう話す北山さんは、食費や住居費、車とガソリン代や実家に帰る際の旅費まで負担する予定だという。

生活費は少なくすむので、給料がそのまま自由なお金になる。都会からは遠いけれど、車を走らせればすぐにスーパーがある。生活に困ることはないと思う。

dontoseino05 徳島駅を出発してから約2時間。だんだんと海部郡に近づいてきた。

「このあたりは県南の宝石っていわれるほど、室戸阿南国定公園の中でも綺麗なところですよ。」

窓の外を眺めると、一面の蒼い海。海岸には午後の陽に映える砂浜が見える。

「あそこは内妻海岸といって、サーファーが集まる浜なんです。すぐ隣の生見海岸も、サーファーの世界大会が開かれるような浜で。」

北山さんの家の隣に、サーフボードに絵を描く職人さんが移住しているという。サーフボードの製造工場がいくつかできていて、ここ数年でサーファーたちが定住をはじめている。

サーフィン好きの人たちが海部郡に集まったのは、波がよかったのはもちろん、外の人を受け入れる風土が地域にあったからだという。

海も山も、川も近い。本州にはない、四国独特の豊かさだと思う。

dontoseino06 「ここはなんでも美味いですよ。我が家は野菜を自給自足していますから、それを一緒に食べてもいいし、空いた時間に野菜づくりをしてもらってもいい。」

「鮎採り名人がうちの近くにいますから、鮎やウナギ採りを教えてもらうと面白いんじゃないかな。野根川の鮎は本当に美味いんです。」

自然の中で仕事をするし、遊んだり食べたりもする。

たとえば、都会の生活に疲れた人がここへ来れば、素直な感覚がゆっくりと整っていくように思う。

「一緒にやりたいと思ってくれさえいれば、心に傷を受けた人やリタイアした人でも構わないと思っています。ここは時間がたっぷりありますから、ゆっくり元気になっていってもらえばいい。」

「我が家は美味しいものに目がないですから、食べるのが好きな人なら暮らしも一緒に楽しめるだろうなあ。」

 
 
北山さんが住むまちを過ぎると、そのままサカキやシキビの農園がある標高700mの山頂へと向かう。

dontoseino07 林道の半分は未舗装の道路。隣の北山さんの声が聞こえづらくなるほど、ガタガタと音を立てて進む。

「まえに新車の軽ワゴンを買ったんですけど、この道を走ったら3日で中古車になりましたね(笑)。」

そんな冗談話や美味しい食べものの話を楽しんでいると、あっという間に山頂の農園に到着した。

「田舎のいいところは、とにかく占有できる面積が広いこと。実は、人に教えたくないくらいの場所が向こうにあるんですよ。」

そういいながら、北山さんは農園の先へ連れていってくれた。

dontoseino08 360度、山々を見下ろすことのできる絶景ポイント。向こうには町の中心街や太平洋も見える。仕事合間にこの風景を眺められるのは、とても贅沢だなと思う。

しばらく北山さんと一緒に景色を楽しんでいると、農園のほうから北山さんの息子さん・のぶひこさんが声をかけてくれた。

ちょうどサカキを収穫し終えたようだ。

dontoseino09 のぶひこさんは10年前に長野から海部郡に戻り、北山さんと一緒に家業にあたっている。

「雑草を刈ったり、肥料を撒いたり。地道ですけど、手をかけるほど素直に効果が返ってくる仕事だと思います。病気とか虫の被害で弱っていた木が、手をかけることで復活して。綺麗な芽を出てくれたときは嬉しいですね。」

家業である花卉事業は、これからも受け継いでいくという。

「地域全体では先細りだけど、需要がしっかりありますから。ただ、親たちが用意してくれた家業以外にも、僕自身で何ができるか探っていこうと思っています。ずっとこの土地で暮らしていくためにも。」

「大学は長野でしたけど、それでもこちらのほうが水も空気も澄んでいて、気候が穏やか。人の暮らす環境として、とてもいいんじゃないかと思います。田舎に憧れを持って、暮らしてみたいって。そういう夢のある人に来てもらえると嬉しいですね。」

dontoseino10 田舎暮らしや自然の中での仕事。都会にはない、心地よく時間を過ごせる環境がここにはあると思います。

だけど、地域移住にいろんなことは付き物。けっして明るいことばかりでない。

そんなときは、北山さんたちを頼ってほしいです。しっかり受け入れて、家族のように力になってくれると思う。

「景色もいいし、浜もきれいだし。地域は閉鎖的であるわけでもない。田舎のいいものが海部郡にはいっぱいあります。人のネットワークやITが合わされば、都会に劣らないものができあがると思うんです。」

「だけど、まだ我々に力がない。だから違う目を持った人が来て、発展させてくれたら嬉しい。一緒につくっていきたいというより、その人にどんどん切り開いてほしい。それが理想です。すぐにでなくてもね、ここでじっくりとやっていってほしいです。」

(2015/3/16 森田曜光)