※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
「石」という素材で、想像するもの。石ころ。パワーストーン。墓石。
身近にあるものだけれど、木に比べると少し遠い存在に思えるかもしれない。
今回募集するのは、石と人の関わりかたを考えていく人。
宮城県の大蔵山という場所で、石の可能性を提案する営業・渉外、そして石を加工する職人を募集します。
そこには、取材にいくまでに想像をしていた「石屋さん」とはまったく違う世界が広がっていました。
東京から新幹線で白石蔵王駅に向かう。駅を降りて静かなロータリーで待っていると、大蔵山スタジオ株式会社の山田能資(たかすけ)さんが迎えにきてくれた。車で山を15分ほど登ったところに本社が見えてくる。
大蔵山スタジオは約50ヘクタール。ディズニーランドがまるごと収まる面積を保有して、採石から加工、小売店への販売までを行っている。このほかに福島県にも採石場を保有しているそうだ。
まずは能資さんに、大蔵山でとれる「伊達冠石」のことを伺う。
「表面は大地を思わせるような土色ですが、磨くと独特の光沢を出します。採れる場所によって石の表情もさまざまですが、表面が焼き物のように美しいものもたくさん産出します。」
たしかに1つの石でできているとは思えないくらい、表情がゆたかだ。
どうしてこんな風になるんだろう。
「大蔵山は火山の噴火後、溶岩が固まってできました。伊達冠石がまとまってとれるのはこの辺りしかないんです。石のでき方は2つあって、10メートルくらい掘ると出てくる玉石は長い年月をかけて土が表面についたものが多いです。その下層にある岩盤は水が浸食し酸化したため、表面が錆色になっています。」
磨いた鏡面も5年から10年をかけて、一定の色になるまで変化するそうだ。お墓やモニュメントに用いられることが多いけれど、この特徴を好む建築家や彫刻家からも仕事がくる。
明治時代から採石をしていたこの場所の転機になったのは、1970年代に芸術家のイサム・ノグチが訪れたことだった。
「彼の弟子だった方が、ここにおもしろい石があるからと連れてきてくれたんです。彼が伊達冠石でつくる彫刻は、この石の表情を教えてくれました。作品をみた人がだんだん集まってくるようになって。」
ここからは、社長の山田政博さんに話を伺う。
「集まる彫刻家から、学校を出ると制作の場がなくなるという話を聞いたんです。ここには石があるから、プレハブ小屋を建てて住みながら制作ができる場を提供しました。」
数名の彫刻家がシェアアトリエとして使っていたそうだ。この出会いが政博さんの価値観を変えていくことになる。
「それまでは石屋の感覚で、掘ればお金になる、ぐらいに思ってたんですね。けれど掘りっぱなしではなくて植林をしたらどうだとか、周りからどう見られているだろうかとか。客観的な意見をもらったんです。」
採石場なので掘った場所はけずられていく。以前は里山として使われていた山が、なにもない土の平野になってしまう。
「いろいろな視点をもらい、採石場だったこの場所の復元作業を創作的に取り組むことによって、新たな景色をつくっていこうと夢が膨らみました。」
それから1991年に行ったのは「ワークキャンプ」。彫刻家が集って作品をつくったり、地域の生活技術を活かしたワークショップを開催した。その後も演奏会など、地域の方にも大蔵山に親しんでもらえるようなイベントを開催していった。
「このイベントをつくることが、『山にいのちを返す』というテーマのもとに山をどのように考えてくか、という方向づけになりました。山からの恵みで我々は仕事をしているという感覚も、このときに生み出されたんです。」
政博さんたちの気づきは、敷地内でどんどん具体化されていった。
能資さんに全体を案内してもらう。
雪の残る中、長靴をかしてもらい、ぬかるんだ道を登っていく。
最初のワークキャンプでつくられた石舞台野外劇場を横目に見ながら、たどり着いたのは山堂サロン。中に入ると、とても大きな石が立てられている。
ここでは先日インドの楽器、シタールの演奏会をしたそうだ。
「この山で採れた1番、2番をあらそう巨大な石です。大きな石をどこかに出してしまうのではなくてこの山に残そう、という考えからこの施設ができました。」
通常ならまず建物があって、その中に収める彫刻を後から考える。けれどここは石を立てるところからはじまった。巨石が中央に祀られると、それを護るように木材や石で建物が建てられていったそうだ。なるべく大蔵山の大地で育ったものを用いようと、石はもちろん木材も大蔵山の木を、壁の土は山の麓のものを使った。
ところで能資さんは、どういう経緯で今働いているんだろう。
「子どものころから、周りに作家さんがいる環境はとてもおもしろいと感じていました。石が身近にある環境もあって。ロンドンの美術学校に留学していたのですが、その頃から『将来は石屋になる』と答えていましたね。」
イギリスのストーンヘンジやフランスのカルナックなど、古代人が残した巨石の数々を見て回った。
山堂サロンの横にある書庫には、芸術や民族信仰など、石にまつわる本が約2000冊も収められている。「僕にすごく影響を与えた本があって」と一冊を手にとり、イギリスのエイヴベリーという場所を紹介してくれた。
「石に囲まれた村なんです。どうしてできたかはわかっていないのだけど、石の1つ1つがとても特徴を持っているんですね。とても感度の高い人たちが立てたんじゃないかと感じました。まるで巨石の野外展示会のようで。」
石の話をするときの能資さんは、とてもたのしそう。自他ともに認める石マニアだ。
書庫の隣にある事務棟は、石の魅力を発信するスタジオになる予定。
「山の魅力やイベント、石の使われ方をまとめたカルチャー誌をつくり、世界に発信していきたいんです。」
石の情報が集まる書庫に、石のことを発信していくスタジオ。採石場にこんな施設があるなんて、思ってもいなかった。知れば知るほど石への愛情が伝わってくる。現在建設中の「現代イワクラ」も、大きな石が掘り出されたことをきっかけに、つくりはじめた施設。
大きな石が、円形に立てられた塀の真ん中に立っている。なにも知らずに見たら遺跡を発見したと勘違いしそう。
「職人さんが、神様みたいな石が出たって言っていて。神様に手を加えるのではなく、そのままの姿で山にお返ししよう。そう思い、この2本の石をどのように祀るか、建築家に相談しました。この施設は春分の日、秋分の日に石の影がまっすぐ石と石の間を通り抜けるような設計になっています。」
巨石が出たから、まず祀る。
まだ用途は決まっていない。音が反響することを活かして、コンテンポラリーダンスなどの舞台として使ってもいいかもしれない。
実は最近、会社名が「山田石材計画」から「大蔵山スタジオ」に変わったばかり。春にはロゴやウェブサイトも一新する予定だ。
広報担当の方の入社が決まり、音楽会や昼食会など、今まで以上に施設を活かしたイベントを行っていく。こうした催しを通して、多様な表情を見せる伊達冠石や大蔵山を、より多くの方に知って欲しいと考えている。
今回募集する営業・渉外の役割を担う人には、この石の新しい使いかたを積極的に提案していってほしい。インテリアとしての伊達冠石の提案はもちろん、レストランやホテルで使うなど、建材としての可能性も掘り起こしていきたい。
「石のことを知らない人のほうがいいかもしれないですね。旅行するのが好きだったり、芸術に触れるのが好きだったり。感受性の高い人が来てくれると嬉しいですね。」
今までは会社に直接問い合わせてきた方を中心に石や山を紹介してきたけれど、自分たちから積極的に外に出ていくことで、可能性は広がっていくと思う。
「人との出会いを大切にして、しっかり提案していく人。大蔵山や伊達冠石、イベントなど話題は豊富にそろっているので、出会った人たちにストーリーをしっかりと伝えていって欲しいです。」
「うちはスタッフがおもしろい人が多いんですよ。石屋と聞いて想像されるような頭の固い人たちではないです。やってることは固いんですけどね。笑」
本社から坂を下ったところに、石を加工する工場がある。ここでは7名ほどの職人が、それぞれの役割を担って作業をしている。
作業の手を少しとめてもらって、柳谷さんと清水さんにお話を伺った。
柳谷さんは石を磨く作業を担当している。建設業だった前職の先輩が誘ってくれたのがきっかけだったそうだ。
「こんな仕事があるなんて思ってもいませんでした。石の知識もゼロで。でも毎日楽しいんですよね。気づけば8年も経っていました。」
楽しいんですね。
「手を加えたら加えたなりに仕上がっていくから、とても達成感があるんです。少人数で取り組む流れ作業で、順々に形ができて、仕上がっていく。目の前で自分のやったことが跳ね返ってくるというか。」
美大出身という清水さん。石工という、丸い曲面を手作業でつくっていく部門を担当している。最近は石塔のデザインなども行っている。
「大学で石彫を専攻したんですけど、消化不良で終わったんです。石って木のように基本的な形がないから、自由すぎる感覚があって。」
卒業後しばらくしてから石垣の修復工事に関わった。そこで政博さんと出会い、ここで働くことになり移住してきた。
「学校卒業と同時に石への想いは諦めていたんです。だから営業で入社したんですけど、代替わりのタイミングで石工の仕事をやらせてもらうことになりました。」
大変なことはないですか。
「石は固いし痛い。手も荒れます。機械も使いますが人の感覚でやっている仕事なので、失敗すれば怪我をすることもあります。気を抜けない仕事です。」
「一緒にいる時間も長いし、1つの家族みたいなもんだとみんな言ってますよ。」
緊張していると言っていた2人だけれど、話をしているうちに出てくる笑顔で、なんだか仲のよさが伝わってきたような気がした。
「これから取り組むことも、柔軟に考えていきたいですね。生活空間の中に伊達冠石を取り入れるような提案にも、しっかり応えられるように。」
お2人にとって、石ってなんですか。
「けっこう持つと安心したりする効果はあるのかなって思うんです。」
「礎って言うじゃないですか。はじまりに石が置かれたり。お墓も石。石で始まって石で終わる。人間には必要なものなのかもしれませんね。これで生きていくんだって、覚悟してます。」
敷地内にアーティスト・イン・レジデンスの施設をつくる構想も進んでいる。
「木にもない、金属でも表現できない、石という存在。ただ石を置くだけではなくて、いろいろなことを仕掛けて、石の存在を少しでも感じてもらえたら。」
ここでは伝えきれないくらい、みなさんから石の魅力をお話いただきました。聞けば聞くほど、のめりこんでしまいそうです。
新しい石の価値をつくるチャレンジがはじまります。まずは大蔵山で、伊達冠石に会ってみてください。
(2015/3/21 中嶋希実)