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「まぁ、やりたいことがあればやったらいいのよ。馬も、鶏も、飼ったらいいわ。」
道も、石垣も、棚田を潤す水路も、自分たちでつくってきました。
ここで暮らし、カフェなどをつくって働く人を募集します。
100万都市の北九州市。
そのお隣、苅田(かんだ)町の市街地から山を15分進んだ等覚寺には、桃源郷のような時間が流れています。
14坊(ぼう)29人が暮らす小さないなかです。
家を一戸ではなく一坊と数えるのは、約100年前まで山伏の修行の地だったことに由来している。
耕作放棄地の目立ちつつある田畑、130万haの町有林、よそではつくることのできない松会(まつえ)味噌、静かな夜。
ここにあるものを活かす仕事です。
北九州空港では、町役場の大中さんと神田さんが迎えてくれました。
二人とも、苅田町の出身。

北九州の空港を出ると、沿岸の工場群が見える。

苅田町は、福岡県内でも有数の豊かな自治体。
空路にくわえて、東九州自動車道のインターチェンジ、国際貿易を行う苅田港。陸海空すべての交通を備えています。
一人当たりの工業製品出荷額は、全国第3位。
豊かな法人税の収入に支えられ、少人数学級の採用など、先進的な取組みも行っている。
町の人口は30年間で2割ほど増え、現在36 ,000人。
等覚寺地区は世帯数こそ変わらないものの、この30年間で、人口は50人から29人に。高齢化率は、46.7%。典型的な限界集落といえる。
「でも、悲観的な空気はなくて。もっと盛り上がったらいい、人に来てほしい、子どもが帰ってこれるといい… 漠然とした思いはありますよ。けれど地域の人たちも具体的にどう進めたらよいかわからない。そんな折、地域おこし協力隊の制度を知ったんです。」
神田さんと大中さんは、地区の人と一年間話し合いを重ね、協力隊に来てもらうことを決めたという。
ここでトンネルを抜けると、景色はがらりと変わる。
目の前には農村風景が広がる。車は、さら�ノ山を上っていきます。
役場の大中さんは、市街地の出身。
「等覚寺という名前は知っていても、訪れたことはありませんでした。こんな場所があったんだ。うれしい驚きだったんです。」

水晶山のふもとには、寄り添うように家々が並ぶ。
車を降りると、梅の花の香り。湧き水が通る音。そして人の手で切り拓かれてきた棚田。五感がわっと開くような場所だ。
暮らす人からもこんな声が聞こえる。
「静かさがたまらなく好きです。夜は、シーンという音が耳につくぐらいです。たまに音がすれば『イノシシがトタンにぶつかったわ』と(笑)。」
「朝はスズメが目覚ましです。ちゅちゅちゅちゅちゅ、はよ起きい、って。」
そんな等覚寺は、山伏たちの住む土地とされてきた。
かつて日本全国の修験道で行われ、いまは等覚寺で唯一続くのが春の祭礼「松会(まつえ)」。1200年以上の歴史を持つ。
その名をもじったのが松会(まつえ)味噌。
古くは、山伏が修行の際、腰につけて山に入ったという。
加工場を訪ねました。
建物に入ると、大豆と麹のまじった匂いが鼻をくすぐります。

「“等覚寺応援団”というグループがあります。はじめは等覚寺の名前も知らなかった人たちでした。訪れることでファンになり、いまでは地区のイベントをサポートしているんです。」
そう話すのは中野さん。高校生の娘さん2人のお母さん。
お母さんたちの中でもとびきりの笑顔を見せてくれたのは、苅田町から通う山田さん。働きはじめて1年半。
「みんな優しいし、味噌づくりは楽しい。冬は自然と体が暖まってくるんです。」
続けてリーダーの内川さん。
「昔は家々で仕込んでいました。30年前に、婦人会でつくりはじめたんですよ。」
「最初はほとんど売れなかったんですけどね。面白いから続けていくと、お客さんがお客さんを呼ぶようになって。やっとこのごろ、給料が出るようになったんです。」
松会味噌の特徴は、甘み。
「麹(こうじ)が甘いのよ。昔からこの味です。」

「湿度と温度次第で、思うようにいかないときもありますよ。わたしたちは『花がつきすぎる』というんですが、麹が熱を出しすぎて、べちょーっとなるんです。だから窓を開け閉めして、換気扇を回して調整しています。なんもしよらんみたいで、実は手を加えてるんです(笑)。」
寒味噌という言葉もある。味噌づくりは、一般的に冬に行うものとされるけれど。
「注文が増えてきたこともあって、いまでは九月の二十日から八月いっぱいまでつくっています。夏の味噌も意外と味は変わらないんですよ。」
でもね、と内川さん。
「梅雨を過ぎると一番おいしくなるんですよ。飴色で、まろやかな味噌ができるんです。」
お客さんは苅田町、行橋市、北九州市、福岡市… 県外では京都から注文をするお客さんもいるとか。

家庭用につくられた無農薬、無化学肥料の野菜を味噌に漬け込んだのが「松会漬け」。一パックが250円とかなり安い。
苅田町には「これ」といったお土産がないそうだ。パッケージを変えるだけで特産品の候補になるかもしれません。

みなさんは、どんな暮らしをしているのでしょう。
「山の中の何もないところです。お店がないので、買いものは下まで降りて。子ども通学には送り迎えも必要。嫁入りしたときは、ここで長年辛抱できるだろうか、と思ったんです。でも、いまではここに住みたいんです。」
地区行事は、四季を通して色々あるという。
棚田の草刈り。田植えの後のお宮参り。そして、みんなで弁当を食べる“おこもり”。参加をして、通じ合うこともあると思います。
それから、等覚寺の家庭にはクーラーがない。夏は窓を開けておけば、さわやか。標高は300m。冬は雪も降れば“ちょっと”寒いとのこと。
「けれど、そんなに雪が積むことはないですよ。」
これからやってくる人は、どんな仕事をするのでしょう。
「加工場には、味噌を求めてものすごい人が来るんですよ。訪れたついでに、軽食をとれるカフェがあったらいいと思いますよ。時間があれば、わたしたちがやりたいぐらい。」

「味噌汁に棚田米のおにぎり。食べたらきっと住みたくなる猪肉。野菜の味は、同じ苅田町でも全然違うのよ。きゅうり、トマト、根っこのものは里芋、山芋。ごぼうはたまらない。それから、こんにゃく芋は自生よ。」
生産量は多くないけれど、“いぐり”と呼ばれるスモモやゆずなどの果樹もある。
棚田には、四季折々の花が咲くという。春は桜、秋には彼岸花やコスモス。そうした風景を眺めて帰るのもよい。
次に、これからやってくる人の住まいを訪ねました。

6年前に、山菜料理をふるまう小料理屋として建てたため、カフェとしても使えるとのこと。
厨房は、2口コンロ。最低限の施設は揃っている。足りないものについては、地域おこし協力隊の活動費も活用しつつ、揃えることもできる。
また住居スペースは、6畳の寝室とお風呂、汲み取り式のトイレからなる。
一番の魅力は、その眺め。
「天気がいいと京都(みやこ)平野、“豊後の富士”と言われる由布岳が一望できます。夜景は最高だと思うよ。自動販売機がないし、街灯も3本だけ。星空もきれいに見える。ここには夜があるんだね。」

「美しい村100選」にも選ばれた棚田。月に一度草刈りを行うのは、TOYOTA自動車九州のみなさん。
暮らしは充実している一方、収入を得る手段は限られるという。
農業、味噌づくり、ツアー、宿泊のどれか一つで食べていくことは難しい。けれど、色々な仕事を組み合わせることで、等覚寺だからできる仕事もあると思います。
再び内川さん。
「わたしたちは、日々のことで手一杯です。人が寄ってくるイベントもしたいけれど、はじめ方がわからない。むしろ、企画を立てて『一緒にしませんか』と声をかけてくれたら、色々できると思います。」
経験や人となりは問わないという。
「興味があれば、味噌づくりも一緒にやりましょう。あとは、畑も田んぼもいくらでもありますよ。鶏を飼いたかったら飼えばいい。場所はナンボでもあるしね。やりたいことがあれば、もう全部していい。」

8月までは味噌づくりに追われ、9月は棚田米の刈入れがはじまります。
そして10月には、棚田祭り。
「昨年からはじまった1週間のイベントです。中心メンバーになってもらえたら、地域との関係もグンと近づくと思います。」
地域の仕事は色々とある様子なので、どんどん任されるかもしれません。
一方で、協力隊としての任期は3年。指示を仰ぐよりも、自分でやりたいことがあれば、どんどん形にしていけるとよいと思う。
自分次第で、等覚寺のフィールドをいかした事業展開も考えられると思う。
等覚寺に軸足を置きつつ、近隣町村の協力隊との情報共有や、福岡の人とつながりを生むことも大切。
その過程では、住民の方たちにはない提案をすることも出てくると思う。お互いに戸惑い、ぶつかることだってあるかもしれない。
大家である照本さんはこんなアドバイスをくれました。
「細かいことを気にするよりも、少し図太いぐらいでちょうどいいと思うよ。」

パーマカルチャーとは、1970年代にタスマニアで生まれた言葉。パーマネント(permanent)とアグリカルチャー(agriculture)を組み合わせ、永続的な農業を意味します。
等覚寺の「ふつう」は、ちょっとすごいかもしれません。
最後にお母さんたちを代表して、内川さんから。
「わたしたちお母さんが、面接官になるんですよ。話しあいながら、お互いに決められたらと思います。」
(2015/3/30 大越元)