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ガラス戸が風に揺れる音。橙の木がさざめき、ついばみにくる鳥たちの鳴き声。
台所からは味噌づくりの大豆をとぐザーザーという音が聞こえる。隣の民家からは子どもたちの笑い声。日が沈みはじめるころ、お寺の鐘が鳴った。
音も、匂いも、光も、風も。暮らしの周りには色々な感覚が溢れている。
紀寺の家で過ごした一日は、そんなことを気づかせてくれました。
日々の小さな気づきを大切に、暮らし働く人たちと町家で出会いました。
町家とは江戸から昭和初期にかけて建てられた後、時代に合わせた修復を重ねて、いまも人の住まう家のこと。
外観を変えつつも、受け継がれるものがあります。
たとえば陶磁器が割れたり欠けたりした場合、買い替えるのではなく、手を加えることで新しい美しさを見出す「金継ぎ(きんつぎ)」という技術があります。
陶器の欠けや割れを、漆で修復して、割れを模様として楽しみます。家の柱が傷んでくると、その部分だけ木を継ぎ足す。あるいは破れた障子を張り替える。
町家が育んできたのは、日々の暮らしを自分の手で育み、楽しむ心でした。
今回の舞台は奈良市・奈良町です。
世界遺産である元興寺の境内に位置し、古くより栄え、町家が軒を連ねたまちです。
奈良町では、ある頃から町家が取り壊されていきました。
「どうしてだろう?」
疑問に思ったのは奈良町の町家に育った設計士の藤岡俊平さん。
家主の方にたずねると、こんな葛藤が見えてきました。
日本の家屋が「代々受け継がれていくもの」から「一代限りのもの」へとシフトする時代にあって、町家は“遅れたもの”として見られるようになってきたこと。
家を貸そうにも、現在の不動産相場において二束三文にしかならない。むしろ設備面でのトラブルが発生しやすく、修繕費用も大きな負担となること。
鉄筋コンクリートのマンションに生まれ育った世代にとっては、なじみのないもの。
それならば、と学生向けのマンションに建て替えたり、コインパーキングにするところが目立ちはじめます。
どうしたら町家が残っていくのだろう。
そう考えた藤岡さんは、解体予定にあった築100年の町家を改修。2011年の秋に、町家暮らしを体験する「奈良町宿・紀寺の家」をはじめます。
「町家の暮らしが知られていなかったんですね。それならば、町家の暮らしを体験する場をつくろう。出会うことで、住まう人が増えたらと思ったんです。」
4年目に入り、藤岡さんの構想は実績も生みつつあります。
連携する設計事務所では昨年、奈良市内で2軒の町家改修を依頼されました。きっかけは、紀寺の家でした。
「従業員というよりは共同経営者のように、紀寺の家を一緒につくっていける仲間と出会いたいです。」
ここで、暮らすように働く人を募集します。
週末の奈良町を訪ねると、かつての商家が続く中心地は、外国人観光客に家族連れ、そして若いカップルと幅広い年齢層の人でにぎわう。
若草山を望みながら、さらに5分ほど歩くと紀寺の家はあります。
「お待ちしていました。」
紀寺の家の玄関先では、スタッフの方が水打ちをして迎えてくださった。
風の抜けるフロントで藤岡さんに話をうかがいました。
紀寺の家は、町家暮らしを体験してもらう場。
お客さんとの関係は、一般的な宿に見られる「おもてなし」とは違うようです。
「私たちがお茶を入れて差し上げるのではなく、お客さんがお茶を入れて楽しむ。私たちが岡持で運んだ朝食を、お客さん自ら配膳して食べる。そんな喜びを感じていただくように心がけています。」
紀寺の家は隣り合う5戸の町家を一戸貸ししている。
町家に入ってまず印象的だったのは、インテリア。
寝具は布団にこだわらずベッドを揃えている。冬の寒さに備え、土間には床暖房を入れる。水回りはIHヒーターやウォシュレットが設置されている。
「日々の暮らしの楽しみは受け継ぎつつ、時代に合わせた快適さも取り入れています。“いまの町家暮らし”を届けていきたいんです。」
3年目に入った頃から、ようやく紀寺の家の骨組みが見えてきたと話す藤岡さん。
宿をはじめたばかりの頃、藤岡さんには印象的だったことがある。
「町家のガラス戸は、風が吹くとカタカタと音が鳴るんです。はじめは直せないか、と考えていました。けれどあるお客さんから『わたしたちの住まいには、この音がないんです』って。とても喜ばれたんですね。」
お客さんに育てられながら、形づくられてきた。
立上げ当初から働く妹の志乃さんにも話をうかがいます。
働きはじめてから色々なことに興味を持つようになったそうだ。お茶、お花、習字などを習っているのだという。
一つひとつの所作がきれいな方でした。
紀寺の家の仕事は、町家暮らしをつくることにある。
「お皿一枚を選ぶところからはじまりました。」
「いまの町家暮らしを感じられる空間を、隅々まで自分たちでつくりあげていきたいんです。仕事を挙げると掃除、接客、食事、庭の手入れ。それからパンフレットやwebのデザインも。暮らしに関わることなので、とても幅広いのが大変でも、楽しみでもあります。」
この日も、事務所ではスタッフのみなさんがパンフレットづくりをしていた。デザインに編集、そして製本まで自分たちで手がけていくという。
志乃さんは、町家の暮らしを「四季のある暮らし」という。
たとえば食。
「奈良の地のもの、旬の野菜など、そのものの味を楽しんでもらえるようにお出ししています。」
「紀寺の家は、かつて田んぼや畑が広がり、奈良町中心部の商家に届けていた農村地帯です。お米づくりも自分たちではじめたんです。」
6月には仲間を招いての田植え。
年の瀬にはお餅をつき、鏡餅を床の間に飾る。稲わらでつくった正月飾りとともに新年を迎える。
2月の中旬には東大寺のお水取りが行われる。お水取りの終わりは、奈良に春の訪れを告げる。
奈良という土地には、暦を感じられる行事があるようです。
自分たちが暮らしを楽しむからこそ、伝えられることもある。
泊まった方からは「町家暮らしいいですよねぇ、でも自分がはじめるには手入れが大変そう。」と言われることも。
けれど志乃さんの姿を見ていると、大変さ以上に、魅力を感じるかもしれない。
きのうは庭の白梅の手入れをしたそうだ。
「見慣れないイボイボがついていたんです。庭師さんに相談すると、取った方がいいということでした。脚立に登って手入れをするうちにかわいく思えてきて。最後は水で洗ってあげたんです(笑)。」
暮らしの楽しみは、自分の手でつくることにあるのかもしれない。
チェックインの際に手渡される鍵のキーホルダーは、使われなくなった障子の桟(さん)を用いたもの。
また、部屋のカーテンや座布団も自作だという。
「探してもいいものがなかったんです。生地を見つけて、祖母に教わりながらつくりました。」
「働きはじめて、植えられた植物、町家にあるモノ。一つひとつを愛おしく思うようになったんです。仕事の幅は広いんですが、気持ちがすべてに入っているから楽しいです。」
ここで、一つ書き加えておきたいのがお金のことです。
紀寺の家の給与は、決して高くはないと思う。
紀寺の家は、TVや雑誌からの取材依頼も少なくありません。掲載をすることで、予約も増える。そんな時期もあったそうです。
けれど、紀寺の家が目指すのは、いまの町家暮らしを伝えること。その暮らしが見直されていくこと。
短期的な利益を追うよりも、地道にリピーターを増やそうと大切にしています。
これまでの4年間で紀寺の家が変わってきたように、今後もどんどん変わっていくと思います。
できれば、その過程を一緒につくっていける人と働きたい。
昨年の春には、仲間が一人増えました。
友美さんを紹介します。
大阪での営業職、服飾の仕事を経て、今後を考えていた友美さん。
昨年3月に、奈良県立図書情報館で日本仕事百貨が企画したフォーラム「シゴトとヒトの間にあるものを考える3日間」に参加します。
隣りの席に座っていたのが藤岡さん。意気投合して、翌日には紀寺の家を訪ねます。
暮らしと仕事をつなげていきたい。そう思っていた友美さんは、紀寺の家に感じるものがあったという。
「以前に縫製の学校に通ったことがあります。そこで一着の服をつくる手間や大変さを実感したんです。そんな服をポイポイ使い捨てていくのは違うな、もっと丁寧にしていきたいと思っていました。」
「衣食住、身の回りのことを一揃い自分でやれるようになりたいんです。ここには全部あったんです。」
志乃さんに習い、掃除を覚えることからはじめていきました。
「掃除をするところはたくさんあります。外壁も拭きますし、はけで障子の桟も掃きます。」
一見単純な作業にも、意味がある。
「次の100年家を持たせるための仕事です。志乃さんは一つひとつの意味をきちんと教えてくれます。建物が古いので丁寧に掃除していきます。」
家事は面倒なもので、いかにその手間を省くか。ここ50年ほど、時代はそうした方向に力が注がれてきたと思う。
友美さんが生まれ育ったのも、ごく普通の家。汚れはサッと掃除機で取り除いてきた。
「土壁もいぐさも、気持ちを込めて掃除をすると愛着がわいてきます。手入れをする分だけ思いが深まっていく。働きはじめて、『家を育てる感覚』が出てきたんです。季節に合わせて、家のしつらいを変えて楽しむ。町家には豊かな暮らしがありました。」
紀寺の家をつくることは、自分の暮らしにもつながります。
働く方は自分で服や身の回りのものをつくったり、買いものをするときは、長く使えるものを選ぶという。
最後に友美さんにたずねました。
飛び込むことに迷いはなかったのでしょうか。
「以前は平日に働いて、週末に色々なところへ出かけていました。いまは休みも短くなりましたよ。でも、仕事のなかで得られることが大きいです。仕事と暮らしとの重なりが大きいことで、これからがもっと楽しくなる。そんな気がしています。」
最後に、代表の藤岡さんから伝えたいことがあります。
「まずは一通り習ってください。その後は一人ひとりの色を出していってほしいです。接客が好きな仲間も、デザインや料理に特化した仲間もいてほしいんです。いままで培った経験や持っているものは活かせると思います。5年後、10年後は全く違った宿になっていると思います。暮らしと仕事を一緒に積み重ねていきませんか。」
(2015/6/15 大越はじめ)