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「はじめて訪ねたときに思ったんです。日本にこんなところ、あったんだ。そこで日々島の人と話して、島の自然が育んだ旬の食材に出会う。海のレストランでは、食と会話を通して、豊島を伝えていくんです」瀬戸内海に浮かぶ、豊島(てしま)。
一周が12㎞ほどの小さな島には、海から山まで日本の自然が、ぎゅっとつめこまれているようでした。
水に恵まれており、海を見下ろす棚田では稲作が行われています。野菜や無農薬レモンをはじめとする果樹栽培も盛ん。
豊かな海では、四季折々の魚介類がとれます。
豊島という名の通り、豊かな自然と暮らしてきた島です。
転機となったのは、2010年から3年に一度行われる「瀬戸内国際芸術祭」。お隣の小豆島や直島とともに会場となり、アートを目的に訪れる人が増えつつあります。
けれど、島のほんとうの豊かさに出会ってほしい。そうした思いから、移住した人たちを中心に、2013年に「海のレストラン」がはじまりました。
ここで、あらたな仲間を募集します。
豊島での営みを自らが体現し、訪れた人に伝えていく仕事です。具体的には、接客から、島の観光案内。調理補助。「海のガーデン」での畑仕事もあります。
この日は、LCCの飛行機に乗って高松空港へ。
空港からJRの高松駅までは、乗り合いバスでおよそ45分。駅前から5分ほど歩くと高松築港が見えてくる。ここからは、瀬戸内海の島々へ向かうフェリーが出ています。
豊島行きのフェリーは、小豆島や直島便に比べて、かなり小型。土曜日の午後の船内には、おばあさんから子ども、旅人らしき人までが乗り合わせている。
途中でおばあさんの携帯電話が鳴ると、着信音は「大阪で生まれた女」。船内は苦笑いに包まれる。
30分ほどで豊島の家浦港へ到着。
港から海のレストランまで歩いていると、バンに乗ったおじさんが、気さくに声をかけてくれました。
「どこまで行くの。乗ってく?」
お願いすることにした。
海のレストランへ到着したのは、17時ごろ。
テラス席からの夕焼けに目を奪われていると、
「夕焼けも季節や天気によって、変わるんです。越して一年経つけれど、毎日あきません」
昨年3月に夫婦で豊島へやってきた店長の門脇さん。前職は、東京のラジオ局でのディレクター。長く関東に暮らしてきた方。
現在、海のレストランのスタッフは、全員が県外出身だという。
そのまま門脇さんは、海のレストランのことを紹介してくれた。
「豊島には約900人が暮らしています。ゆるやかに人口は減り、一校ずつある小中学校も、来年には統合される見込みです。2010年に瀬戸内芸術祭が開催されると、豊島美術館と心臓音のアーカイブ、豊島横尾館。アートがきっかけとなり、島を訪れる人たちが増えてきたんです」
「けれど、ほんとうの豊島の豊かさは、自然と人の営みにある。そのことを、料理を通して伝えたい。そんな思いから、第2回目の瀬戸内芸術祭が開かれた2013年に、海のレストランが誕生しました」
今回の募集について、聞かせてください。
「いまは4人が働いています。来年に第3回の瀬戸内国際芸術祭が控える中、新たな仲間を募集したいと思ったんです」
どんな人に来てほしいですか?
「はじめてのことが起きたときに『え…』と戸惑うより『へー!』とわくわくできる人かな」
「職種はフロアスタッフとしているんですが、都会の飲食店とはずいぶん勝手が違うと思います。豊島に就職、といったほうが近いかも。調理補助、フロアでの接客はもちろん、畑にも出てもらいます。野菜をつくって、漁師さんと話して、台風が来ればテラスに土のうを運んだり。島での日々の営みを体現して、海のレストランで伝えていく仕事だと思います」
豊島って、どんなところなのだろう?
ここからは、夜営業の準備に取りかかるスタッフのみなさんに話をうかがう。
今年3月に東京からやってきた高倉さん。
「働きはじめる前に、一度行ってみたんですよ。テラス席に座って、瀬戸内海を一望したら『もうダメだな(笑)、ここだな』って思ったんです。しっかりハマったんですよ」
豊島に来て、驚いたことがあるそう。
「毎日魚三昧だと思っていたけれど、魚屋がどこにもなくて。買えないんです(笑)。魚を食べたかったら、まずは漁師さんと友だちになることから。ある朝、ドアをノックする音で目覚めたんです。仲良くなった漁師さんが立っていました。『鰆(さわら)買ってくれ』と。面白いですよ。」
高倉さんは、富山の出身。
大阪、東京と都会で働いてきました。
「もともと飲食が好きで。フレンチやイタリアンのダイナーで働いてきました。ただ、東京で働き続けて、この先どうなるのかな?残るものはあるのかな?と思いはじめたんですね。自分で店をはじめることも考えたんですが、過当競争に巻き込まれて、摩耗していく気がしました」
ゆったり島暮らしがしたかったんですか?
「ううん。むしろそういう人には、合わない仕事だと思うんです。島内を流れる時間はゆっくりしているし、そこに惹かれて移住する人も現れつつあります。けれど海のレストランで働くと、家と職場の行き来が生活の基本だと思うんです。」
一見、東京時代と変わらない?
「でも、違うんですよ。余計なものが削ぎ落とされている感じがします。コンビニで買い食いするとか、何となく飲みに行くとか、まぁ、飲みに行くところも限られているんですけれど。それよりも、豊島にいること自体がご馳走だと思います。」
高倉さんは、いまどんなことを思っているのでしょう。
「僕はもともと黙々と作業をしているのが好きなんです。けれどいまは島の人と話して、日々移り変わる旬の食に出会って。早く豊島に馴染んで、楽しみたい。だから、色々な人と話していきたいんです。」
高倉さんは、海のレストランで料理からホールまで幅広く手がけています。
お客さんとはどんなふうに関わるんですか?
「島内のお客さんも、島外から訪れるお客さんもいます。ここは豊島の広報係だと思うんです。料理を提供するときにも、豊島らしさを伝えていきたいです」
「そのあとで、観光案内をすることもあります。豊島の人は『どこから来たの?』『○○行った?』と、気軽に話しかけてくれるんですね。海のレストランは、豊島を伝えていく場だと思うんです」
最近では海外のお客さんも増えているそう。
「できれば、英語が話せる人に来てもらえるとうれしいです。アジアからヨーロッパまで色々な国のお客さんが多いんですが、フロアできちんと対応できる人がいないんですね」
続けて話をうかがったのが、シェフの女性、中野さん。
東京と千葉で育ち、暮らしてきた中野さん。豊島へ来る前は、海外で料理を学んできました。
「もともと、自然食のレストランでローフードをつくってきました。色々な国の料理に興味があって、スペイン・トルコへ行ったんです」
トルコ料理と豊島には、通じるところがあるそう。
「トルコ料理は、フランスやイタリア料理にも影響を与えています。いわば本家ですが、プロデュースが下手なんです。逆に言えば、未開拓の面白さがあって。豊島も似ていると思うんです。ほんとうに豊かなところだけれど、まだまだ知られていません。自由に創作していく余地があるんですね」
その後帰国。豊かな食のある土地に暮らし、料理したいと思ったときに、豊島を知ったという。
「自分の知っている日本じゃないと思ったんです。異国感すらあって。澄んだ空気に、人のあたたかさ。そうした田舎のよさと同時に、洗練された魅力もあるんですよ」
洗練された?
「日本全国のまちが、どこも同じような顔になっている感じがありました。豊島は商業性や惰性に振り回されていないんです。」
海のレストランのコンセプトは、ここでしか食べられない料理。
「豊島は、人も食材も“むきだし”なんです。たとえば、ディナーにお出しするアワビやサザエを素潜りで獲ってくれる漁師の浜中さん。どんな人生を歩んできたらこんな風になるの、という強烈な方です(笑)。ここに来たから会えた人たちがいます」
「豊島は、食材も力強いですよ。市場に並ぶ野菜は、形も色も整ってきれいです。一方島のにんじんは、にがみやえぐみもあって、一本一本の味が違います。豊島には、人や食材とじっくり向き合える時間があるんです」
中野さんが料理の道へ進んだのには、こんな思いがあったという。
「たとえ言葉はわからなくても、おいしい食卓を一緒に囲むと、昔からの友だちのように通じ合えることがあります」
今後は、レストランの中庭と隣接したエリアにつくった“海のガーデン”にも力を入れていきたいという。
きっかけは、店長である門脇さんの「土地が空いているから、畑やろうよ」という一言だったそう。
「ハーブ園と果樹園。そのとなりに農園があります。ガーデンの野菜ができたら、より海のレストランらしさが出てくると思います」
ここで再び、店長の門脇さん。
畑をはじめて気づいたことがあるそう。
「畑をやっていると、すごい島の人が集まってくれるの。良くも悪くも、色々教えてくれて… ぐっと関係が深まりました。豊島に暮らしてきた人たちは、みんな釣りや畑仕事をしています。豊島の暮らしをなぞることで、島の人との共通原語が生まれたんだと思う」
「訪れた人にも、畑で野菜をとってもらえたら。そこで、島の人と話すのもいいなって。これから見晴し台をつくるんです。島民の人たちが井戸端会議したり、訪れた人がサイクリングの合間に一休みしたり。この海のガーデンが、島のみんなが集まる“庭”になっていけばと思っています」
ハーブをつかって、新たな島の特産品をつくれるかもしれません。
「この場所で、自分がどこまで楽しめるか。どこまで好きになれるか。そのことが大切かな。その上で、訪れた人にも島の魅力を伝えていけると思います」
豊島に来て一年。この頃、思うことがあるという。
「腰掛けで通り過ぎる土地ではないですね。これから来てくれる人も、もちろん、いずれは別の土地に移るのもいいと思う。でもまずは、腰を据えることで、見えるものがあると思います」
(2015/7/14 大越元)