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都会と地方をつなぐ。それが、1997年に創業したココロマチのテーマです。現在の仕事にたどりつくまでには、さまざまな紆余曲折がありました。同じところにとどまらず、クネクネともがいて挑戦する。そんなまじめさが、この会社の魅力だと思います。
地域情報サイト「itot(アイトット)」と、移住交流マガジン「ココロココ」の制作ディレクターとデザイナーの募集にあたって、少しだけクネクネとした道のりを紹介します。
東京・虎ノ門。日本仕事百貨の「リトルトーキョー」が2年半お世話になったまちだから、なじみ深い。愛宕神社のふもとにココロマチのオフィスがある。
社長の吉山日出樹さんは、兵庫県西脇市の出身だ。
「神戸ほどの都市でなく、限界集落のような地方でもありません。15歳で家を出て寮生活に入りましたが、土地や人、地域に対する想いの原点になっているまちです」
高校時代、ぼんやりと「まち」に関心を持った吉山さんは、都市計画を学ぶため京大工学部へ。そこで最初の挫折を味わう。
「地理と物理が好きでしたが、僕の趣向は文系人間のもの。やりたかった研究のイメージと違い、完全に技術者としての勉強になっちゃって。道を見失ってしまいました」
卒業後はリクルートへ入社。神戸支社に配属後は求人媒体の広告営業からスタートした。
だが、思い入れを持って営業していた求人媒体が廃刊になる。ローカルの「兵庫県版」が「全国版」に吸収されてしまったのだ。
「いい媒体だと思っていたのに、残念でした。ローカルなものの良さが、経済合理性で切り捨てられるのを初めて体験しましたね」
まちへの興味が捨てきれない吉山さんは、入社5年目に希望を出して『住宅情報』の編集部へ異動。これまでのキャリアを捨て、新入社員と同じスタートラインに立った。
5年間、編集デスクまで勤めたところで大きなできごとが起こる。1995年1月の阪神淡路大震災だ。
「実家にも近い、自分が初めて社会人として働いたまちです。まさか、という思いで、衝動的に『神戸へ帰らなくては』と思って。まちが燃えてしまったので、家を建てられるビルダーになって帰ろうと」
震災の発生2週間後、退社願を提出する。その5日後に長女が誕生した。0歳の娘の父になったタイミングで、吉山さんは安定した会社を退職する決意をした。
2カ月の引き継ぎ期間を経て、神戸に向かう。これまで仕事でつちかった情報を武器に、自分だけの復興計画を携えて。
「低コストで資材を輸入して、家を安価に建てられる事業を考えたんですね。4月に行ったのですが、神戸の復興は早かったです。もう『なにしに来たの?』という感じで」
挫折を味わったが、事業計画で考えていたインターネットの活用が次のステップに生きた。編集者のキャリアを生かして、フリーのWebディレクター兼プロデューサーとしていろんな案件をこなすことになったからだ。
その1つがインターネットを使って北海道26市町村の「地域おこし」をするプロジェクト。まだWebメディアが産声を上げつつある時代、実験的なプロジェクトを成功に導いた。
「東京から来た外の人間が、広域の人々を調整してまとめるのにが意義があったと思います。でも『こういう地域の情報って、本来は地域の人が仕事として請けるべきなんじゃないか?』という問題意識も感じたんですね」
その発想が、税金に頼らない「地域情報サイト」の構想へと広がっていった。
立ち上げ当初から関わるのが、奈良織恵さんだ。
奈良さんは、就活を経験していない。
「大学で音楽サークルに入って、ブラジルの音楽が好きになりました。4年生の半年間、現地へ行っていたんです」
またフラジルへ渡ろうと思い、帰国後はいったん派遣会社に登録。紹介されたのは、単純作業が多くてキャリアの築けない仕事だった。そのとき、友人づてに吉山さんの会社を紹介されて入社する。
奈良さんが担当したのは、情報系企業から請け負ったヘルスケアや環境に関するプロジェクトだった。
「当時のうちの会社にしては大きいプロジェクトだったので、私がそれにずっと張りつきました。ただ、もともと『お金を貯めたらもう一回ブラジルへ行きます』と宣言して働き始めたんです。いまの自分の立場からすると、そんな社員もどうなのって思うんですけれど(笑)」
26歳のとき、休職して再びブラジルへ。半年後に帰国して会社へ復帰するかは決めていなかった。
「吉山さんから、『帰ってきたら好きなことをやっていい。そろそろ戻ってきたら?』っていうメールをもらったんです。で、戻ってきました(笑)。仕事について見つめ直せたせいか、帰国後は、経営の勉強なんかも始めて、以前より力を入れて働くようになりましたね」
その後、会社も順調に成長してスタッフも増えた。
受託の仕事だけではなく、自社によるコンテンツも育てていった。その中心が、住宅とまちをテーマにしたサイト「itot」だ。
「不動産会社や仲介会社をスポンサーに、まちや地域のプロモーションにつながるコンテンツを提供しています」
「マンションや戸建住宅のサイト内では、なかなか地域のことまでカバーできないですから、リンクを貼って利用してもらうんですね。累積でいうと、ホームページの数は2,000ぐらいになっています」
ページを見せてもらって特徴的だと感じたのは、都心と地方の魅力をとらえるスタンスが同じという編集方針。すべて等しく「まち」ととらえている。
「こうしたページを月に20~30エリアぐらいつくります。基本はWebですが、『モデルルームに置きたい』といった需要もあるので、情報を再編集して8ページとか20ページものの紙にする仕事も月に3~4エリアほどありますね」
写真や原稿は外部のカメラマンやライターに依頼するが、編集とデザインは自社内で行っている。地域の魅力を見せるのにデザインの力は絶対に必要、と奈良さんは強調する。
デザイナーのひとりが、6年前に入社した山本 潤さん。
「前職は小さなデザイン会社で、夜中の2時や3時まで仕事するのが当たり前でしたが、この会社に入ってからはそういうことはなくなりました」
「取材した街の写真や記事をどのようにWeb上で見せるか、営業担当のヒアリングをもとに編集担当と考え、クライアントにデザインを提案します。itotは自社のコンテンツなので、自社製品をデザインして販売する、という感覚です」
会社はどんな雰囲気ですか。
「新しく入ってきた人も古くからいる人も、みんながきたんなく課題について話しあえる会社だと思っています。今年に入って『ノー残業デー』制度が取り入れられたのですが、これは若い世代からの提案で始まりました」
ユニークな福利厚生や社内制度が多いのも、きっとそのためだ。
「まちをどう見せたらもっとよくなるか、一緒に考えてくれるデザイナーが仲間になってくれるとうれしいです」
山本さんの趣味は、まち歩き。好きなのは、谷根千エリアと神保町。ハイキングもするとのことで上高地もお気に入りだ。
「itotも、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんあります。いまのデザインにどんどんダメ出ししてくれる人だと、かえっていいかもしれません」
現在、ココロマチが力を入れているもう1つのサイトが、移住交流マガジン「ココロココ」だ。
スタートのきっかけは、4年前の東日本大震災だった。再び、吉山さんにオープンのいきさつを聞く。
「東北のまちがああいう状況になるなか、自分たちもなにかできないかと思ったんですね。神戸のときの経験から、ずっと私のなかでモヤモヤしていることがあって、とにかく行こうと」
奈良さんの父親が10年ほど前に岩手の遠野へ移住していたことから、現地のボランティア団体「遠野まごころネット」とつながりができた。
吉山さんと奈良さんは、何度か三陸へ足を運んだ。
「半年ほど経ったころ、現地の方に『物見遊山でもいいから来て、この現状を伝えてほしい』と言われました。それは『自分たちの窮状を知ってほしい、伝えてほしい』ということではない、というのが徐々にわかってきました」
「人が暮らしていた『まち』が消えてなくなるという、言葉を失うような状況です。そんななかで、これまで自分たちがテーマにしてきた『まちの魅力』って何なんだろう?と悩みました」
「でも、被災しても前を向いてがんばる人たちと話をするうちに、まちの中で人が未来を描くこと、それ自体が魅力なんだと気づいたんです」
まずは「東北へ行こう!」というサイトを、震災から1年後の2012年3月11日に立ち上げた。
「当初は、『何かしたい』『助けたい』『支えたい』という気持ちだったんですが、だんだん違和感を感じるようになって。どちらかというと『助けあいたい』『支えあいたい』『分かちあいたい』という心が、人間の深層心理に欲求としてあるんだと気づきました」
「それが『ココロココ』という名前にこめた価値観なんですね。心と心はつながっているという。まちのことを、将来のことも含め、人として伝える。そんな気持ちになったとき、そこで新しいものが生まれてくるんじゃないか」
事業としての採算性はこれからだが、ココロココの目指すものがビジネスになればいちばんいいと計画を練っているところだ。
「税金を使った地域おこしには無理がある、と以前から気づいていました。そういうスキームでは地方は幸せにできないし、自分たちも幸せになれないんですよね。ココロココをやりだして、改めてそれがわかりました」
地域や地方の課題をお金だけで解決することは根本的にはできない、と吉山さんは言う。
「まちというのは結局、人の集まりでしょう。むしろ、人と人との関係性にこそ、地域や地方の問題があったりする。これからの社会を豊かにするために、まちと人との関わりを考えることがキーポイントになると思うんです」
まちと人の関わりや、人と人との関係性を、なんらかのかたちで表現し、提供していくサービスをココロマチは目指しています。
そのために求めている人材は、単に地方に行く人ではなくて、まちに入っていける人、コミュニティーのなかで活動できる人材です。
どんどん未知の仕事にチャレンジしていく会社。都市と地方の魅力を等しくとらえ、二拠点居住など、新しい働き方の研究も積極的に進めています。
(2015/11/20 神吉弘邦)