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「うちの会社の良いところは、自分の仕事は自分でつくるところです」「たとえば、照明部門は前社長が立ち上げて、僕はぽち袋や金封などの紙小物部門を立ち上げた。一人ひとりが自分のテリトリーをもって責任ある仕事をしていて、少人数だけど田舎なりに面白い会社です」
美濃和紙の産地問屋として、岐阜県美濃市に事務所をかまえる株式会社シイング。
あつかう製品や社名を変化させながら、明治元年から現在まで150年の歴史を刻んできました。
問屋とはいえメーカーでもあり、時代によって扱うものに変化もあり、シイングの仕事を一概に説明するのは簡単ではありません。
お話をうかがった社長の鷲見(すみ)さんは、その理由を「自分の仕事は自分で見つける会社だから」と話します。
今回募集しているのはシイングの企画営業職。現在シイングでつくっている紙小物を小売店などに売る仕事です。
社長が鷲見さんになって6年。常に新たな領域を模索するシイングでは、営業とはいえ、売るだけではない仕事ができるように思います。
どんな働きかたができるのか、どんな仕事をつくっていけるのか、想像しながら読んでみてください。
名古屋駅から電車で20分。
待ち合わせした岐阜駅へ案外はやく到着すると、改札で鷲見さんが待っていてくれた。
まずはお昼ご飯をということで、駅前の商店街から少し中にはいったお店で中華そばをいただく。ラーメンのようで、かけ蕎麦のような、不思議な味わい。地元の人気店だそう。
「このどっちつかずな感じが岐阜っぽいよね!」
よく通る声で笑うと鷲見さんは一気にたいらげてしまう。快活で楽しい人だ。
そのあとは鷲見さんの運転する車で岐阜市から美濃市へ移動する。にぎやかな岐阜駅前を過ぎると、かつて織田信長の居城だった金華山・岐阜城が見えてきた。
戦国時代に天下分け目の舞台となったといわれるこの地域は、長良川や木曽川、揖斐川に囲まれた水の街。川を利用した流通が盛んだったことから、美濃和紙は全国に広まったと鷲見さんが教えてくれる。
古くて整然とした城下町を過ぎると、うつくしい長良川沿いをすすむ。美濃市街へは30分ほどで到着。車さえあれば住むのに苦労はなさそうなところ。
立ち寄った喫茶店で、あらためて鷲見さんについてうかがってみた。
岐阜の実家が家具屋だったこともあり、大学卒業後は愛知の家具屋で小売営業の仕事に就いた鷲見さん。営業をやることに抵抗はなかったけれど、その会社は一年ほどで辞めてしまったと言います。
「ブライダル部門で新婚さんに家具を売っていました。6畳のアパートを洋服タンスでパンパンにしてしまう婚礼家具を『大丈夫!』と言って無理やり売るような営業をしていて。これって間違っているなって思ったんです」
退職後は母校である芸術大学で、講義助手を3年。そのあと就活をしたけれど、本命だった愛知のテレビ局はほぼ全滅。
地元である岐阜県でも探しておこうと、インターネットで検索をしたときに見つけたのがシイングだったそう。
「1990年代当時、会社のホームページをつくっている会社は本当に少なくて。美濃市ではうちともう一社だけでした」
「こんな田舎でホームページをつくっているんだから、面白いかもしれないなって思ったんです」
たまたま親戚と当時の社長が顔見知りであったことから口利きをしてもらい、入社することに。
「そのころは和紙の”わ”の字も知りませんでした。美濃のことも全然わからなかったね」
鷲見さんが入社したのはちょうどバブル経済がはじけたころ。前社長が開発した和風シェードで大手家電メーカーと契約をしており、社員の数も今より多く十数人いたそうです。
入ってからはどんな仕事をされたのですか。
「営業です。高山の古い町並みにあるお土産物屋さんなど、既存のお客さんに紙を売っていました。」
鷲見さんが最初にした仕事は、和紙や紙製品を小売店に売るという営業職。営業の経験を活かして小売店をまわった。
そんな中、営業先の小売店で和紙のイベントをやらせてもらえることに。
「そこで、和紙を1枚づつ巻いた状態にして売ってみたんです」
当時和紙は100枚を1束として、問屋が1束以下で売るということは考えられなかった。
まだ入社したばかりの鷲見さんのアイディアは、周囲には面倒がられたけれど、これが大当たり。結果ものすごく売れたそう。
入社してすぐにアイディアが通るのは少人数の会社ならでは。こうやって行動を起こせたのには、入社時に社長から言われた言葉が後押しとなったと言います。
「何をやっても良いって言われていたんです」
売り方も、仕事自体も。
もちろんルーティンでしなければならない業務はあるけれど、アイディアを出せば取り入れることができる。
”営業”は自分の仕事を見つけるための手段だったと鷲見さんはいいます。
それは鷲見さんの経験からくる実感だそう。
現在シイングの主軸製品にしようとしている紙小物を最初につくったのも、営業のときの出会いがきっかけでした。
「東京の陶器屋さんに挨拶回りをしていたときに、ディスプレイにすばらしい字が飾ってあったんです。聞いてみたら、その会社の秦野店の◯◯さんがつくったと言われて。営業のついでに会いに行きました」
「その人は美大出身で趣味で筆をやっていて。この字で何かつくりたいという話を引き受けてくれました。それからは打ち合わせで神奈川県の秦野まで通って」
「ぽち袋で文字のものって無いから、インパクトのあるぽち袋をつくりたいね!ってことになったんです」
最初はすでに卸していた商品のついでに置かせてもらったり。そのうち問屋からぽち袋だけの注文が入るようになって、ぽち袋の仕事が増えていった。
ぽち袋の自由さと、アーティストとの出会いに可能性を感じて、鷲見さんはその後、どんどんアートイベントに出向くようになったそう。
これが入社して1年を過ぎたころの話。新しい企画がすぐ形にできる会社はめずらしいと思う。
苦労はなかったのでしょうか。
「それが上手くいったんだよね(笑)」
「一つの商品を売りつづけるというのは限界があるんですよ。もう少し売り物がないと今後困ると思う、という話をしたら社内でも許可をだしてもらえました」
90年代バブルがはじける前のシイングは、漉き元がつくった原紙を折り紙や型紙を取扱う業者に販売する昔ながらの仕事と、掛け軸の表装紙や箱をつくる仕事の2つを主な商いとしていた。
バブルがはじけた途端、掛け軸の仕事も和紙自体の需要も減っていく。鷲見さんが入社したとき、新たに照明部門を立ち上がってはいたけれど、それだけでは心もとないと感じたそう。
真剣に営業をしていると、販路や世のなかの需要、何をしたら売れるかは自然と見えてくる。そのとき会社に必要なアイディアもきっと湧いてくるんだと思います。
紙小物づくりに少しだけ自信をもった鷲見さんは、現在は岐阜県主導のデザインプロジェクトで出会ったデザイナーたちと紙のブランドを立ち上げることに注力していると話してくれました。
「デザイナーさんがデザインしたものを僕が形にして、それをみんなで売るような仕組みをつくって。セレクトショップに置いてもらっています」
「デザイン関係の知り合いが増えましたね。産地とつながることを面白そうだなって思ってくれる方も増えてきているように感じます」
取材場所を会社へと移すと、鷲見さんはデザイナーとつくったという紙製品をテーブルに並べてくれた。
「これ面倒くさいんですよ」
「大変なんですよ」
そうやって見せてくれる紙小物は、信頼するデザイナーたちとまるで「部活」のようなノリで楽しんでつくっている様子を想像させるものばかり。
説明に愛情と熱がはいるのを感じます。
営業する人が積極的に商品づくりのハンドリングをすることは、すごく意味があることだそう。
「自分が好きでつくっているものだから、どんなことでも説明ができる。商品づくりの話をするとバイヤーさんに響くんです」
「売るまでのプロセスが大事な気がしています。もちろん、あるものを売ることが営業だけど、営業するなかでこういうの欲しいなって思ったらつくれば良いんです」
商品を売ることがつくることに繋がって、つくることは売ることに繋がるということ。
だから、シイングで、ただ売るということだけをしていたら勿体ない。
「みんなでつくったものがもし売れなかったら、伝えられなかった自分が悪いという感覚で仕事をしています。ノルマはないけど志のハードルは結構高いのかもしれないね」
新しくはいる人は具体的にどんな仕事をすることになるのか聞いてみた。
「お客さんの電話対応。営業のツールが必要なら制作をして、出られるときは出張したり。あとはいっしょに仕事をする中で、僕が託したいことがあれば託しますよ」
「最初はいっしょに産地巡りをしますね。このメーカーさんがこういうのをつくっているんだっていうのを知ってもらう。あとは卸し先のお店をまわります」
まずはじめは、あるものを売るところから。
紙小物の企画営業をしている人は鷲見さんしかいないので、なんでも鷲見さんが相談にのってくれるそうです。
「営業をするなかで、やりたくないこともあるだろうけど、お金を頂ける場所をわかっていないといけないから。その中で生まれてくるものってそんなに否定するようなアイデアってないと思うんだよね」
時代のながれや震災の影響で、時代に取り残された商品や商売がシイングからなくなろうとしている
そんな状況下で社長に就任した鷲見さん、今はシイングの転換期と言っています。
「もしかしたら僕がやっていることは将来正解じゃなくなるかもしれないし、岐阜県の美濃という地域の中で会社がどう生きていくか、まちづくりにも興味があります」
「和紙自体は大好きだけれど、和紙そのものを使える人が少なくなるから将来的にはそんなに売れなくなる気がしていて。時代にアジャストしていかないと」
つくるものは紙をつかったモノでもコトでもなんでもいいそう。
求めているのは営業先で得たニーズを噛みくだいて、時代にあう自分の仕事をつくれる人。
それが決まったら、「やってみなよ」という環境がシイングにはあるように思います。
鷲見さんといっしょに自分の仕事を探してみたいと思えた人は、ぜひ応募してみてください。
(2016/2/8 遠藤沙紀)