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さとに集えば

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「やっぱり地域の人が楽しめることが必要だと思うんです。みんなが楽しんでくれれば、それについてくる人も現れるかもしれない。みんなでやることが楽しいというふうにならないといけないと思うんですよ」

これは和歌山県那智勝浦町の太田地区に誕生した「交流センター太田の郷」の管理人、石田さんの言葉です。

太田の郷は廃校になっていた旧太田中学校を改装して、今年の3月に完成した場所。

たとえば一人暮らしの高齢者や若者がごはんを食べられる。地元のお母さんたちが習いごとをしにやってくる。週末には、外から訪れた人が地の食事を楽しんだり、校庭でキャンプをして星空を眺める。

nachi_ota01 場の使い方はさまざま考えられるけれど、まずは“食”を通して人が集える場をつくろうと、4月18日からランチバイキングの提供をはじめました。

ほかのことはまだこれから。どんなふうに運営していくのか、たくさんの可能性が広がっています。

今回は地域おこし協力隊として、太田の郷の場づくりに関わってくれる人を募集します。

地元の人が気づいていないような地域の価値を、掘り起こしてくれたらうれしい。でもここで出会ったみなさんは、すべてを協力隊に任せきりにしようとは考えていません。

自分たちでできることはやってみようと、行動を起こしている人たちばかりでした。

この人たちと一緒ならどんなことができるのか。想像しながら、続きを読んでみてほしいです。


羽田空港から1時間半ほど飛行機に乗ると、南紀白浜空港に到着。白浜駅から電車に乗り換え、特急で那智勝浦町を目指す。

nachi_ota02 山あいを抜け、きれいな海を眺めていると、いつのまにか紀伊勝浦駅だった。東京では散ってしまった桜がちょうど満開で気持ちのいい陽気。

駅から歩いてすぐの役場で迎えてくれたのが、企画係の小谷さん。

カメラをむけると、素敵な笑顔を見せてくれた。「遠くから大変だったでしょ」と気づかってくれて、気さくで話しやすい人でもある。

nachi_ota03 太田地区にむかう車の中で、まちのことを教えてもらった。

那智勝浦町は紀伊半島の南東端に位置する。

世界遺産に登録された熊野古道や那智大社には海外からも多くの観光客が訪れています。

ほかにも勝浦漁港はマグロの水揚げ量が日本一。温泉の泉源数は和歌山県一。

nachi_ota04 こうして聞いていると海にも山にも恵まれて、観光資源も多くある印象だけどまだまだ情報発信が足りず、活かしきれていないのが現状なのだそう。

話をしているうちに、太田の郷に到着。中で待っていてくれたのが、太田寄合会の会長である大江さんです。

いただいた名刺には、ほかにも太田区長連合会長などいろいろな肩書きが並んでいる。それだけまわりの人たちに頼られているということなのだろうな。

nachi_ota05 太田地区はどんなところですか。

「太田は人がええと思うわ。ここを作っているときも、掃除や準備のためにボランティアでのべ300日をこえるくらい、みんな参加してくれたんでな。なかなかできるもんじゃあない」

まちに流れる太田川のきれいな水を引き込み、米どころとしても知られる場所です。一方で、かつて3000人ほどいた人口は1300人に減少。高齢化率はまもなく50%を超えようとしている。

nachi_ota06 「きっかけは、ひとりで住んでいる高齢者も増える中で気軽に集まれる場所がないなと。このままでは地区全体が消沈していく。それをなんとかしたいというのが一番大きかったですね」

太田の郷以外にも体験農園や農産物のブランド化など、さまざまな事業をあわせて国から2000万円の補助金を受けた大規模な活性化プロジェクトが始動することに。

寄合会の想いに賛同してくれたのが、「太田のめぐみ」という名で活動していた地域のお母さんたち。

店舗は持たず、町内でイベントがあるときに太田の米をつかったライスコロッケやパエリアをふるまってくれていたそう。いつでも調理ができて、拠点になる場所を探していた。

nachi_ota07 「めぐみの人たちはやる気あるし強いよ。800円のバイキング以外にも、にっころがしとか、からだに優しい500円くらいの和定食もつくれたらと言ってくれてるからね」

新しいメニューやお店で行うイベントを、これから入る人にも一緒に考えていってほしい。

管理人として、一緒にこの場所を盛り立てていく石田さんも話に加わる。

東京の大手企業で、定年間近まで経理の仕事をしていた方。退職後、奥様の実家がある太田地区に移住してきた。

nachi_ota08 「農業女子」という言葉や「田んぼの一坪オーナー制度」などの先進的な取組みもご存知で、常にアンテナを張っているという印象だ。

「昨日もランチでパンを出してみたいと試作にきた方がいて。健康のために、体操を教えている先生とか絵手紙の書き方を教えられる人もいる。地域の人たちの協力を得られたら、いろんなことができると思うんです」

自家用車で高齢者の方を送ってきてくれる人もいる。地域の人たちが交流することで、新しいビジネスも生まれるかもしれない。

ぽつりぽつりと生まれている芽をうまく仕組み化して、将来は自立した地域づくりにつなげていきたいと考えている。

住みたいと言ってくれる人がいるなら、紹介できそうな住まいもいくつか目処がついているそう。

nachi_ota09 大江さんと石田さんの挑戦は、どんどん進んでいる。

「自由な発想で知恵を出してもらえたらありがたいし、一緒に情報を探りにいってほしいんです。ここから太田ってええとこや、第二のふるさとやと思ってくれる人が一人でも増えたらええと思っています」


続いて「この人がいなかったら太田の郷は実現できなかったと思う」と小谷さんが紹介してくれたのが、太田地区の集落支援員をしている畑下さん。

もともと建設会社で働いていた経験を活かして、太田の郷改修の設計図を描いた方。

nachi_ota10 ほかにも、一人暮らしの高齢者のお宅をまわったり、広報誌を作成したり。地区全体に目を配る集落支援員の仕事は、多岐にわたる。

このまちの出身とはいえ、集落支援員になったばかりのころは、まちの中をまわることからはじめたといいます。

「人の顔を覚えたり、いろいろなことを知っていきました。まちへの要望を聞いたりもしていましたね。そうしているうちに、おじいちゃんおばあちゃんと仲良くなっていったと思います」

新しく地域おこし協力隊になる人も、きっとこんなふうにまちの人たちにじっくり話を聞いて、顔を覚えてもらうところからはじめることになると思う。

地域に暮らす人たちの意見を引き出していく。そうすることで太田の郷を使う人の感覚も、より鮮明に想像できるようになっていくんじゃないかな。

どんな人が向いていると思いますか。

「あの場所をどうしていくのか、アイディアはたくさん出ているんです。でも限られた費用とスペースの中で、どう落とし込んでいくか」

「どんな届け出が必要なのかとか、知識を持っていたり調べて進めていける人がいたらよりいいですね。実行力がある人かな。私も、軌道に乗るようにサポートしていきます」


畑下さんと別れて、太田地区から車で20分ほどの色川地区へ。最後に、地域おこし協力隊として活動する米川さんに会いにいきました。

nachi_ota11 那智勝浦町に地域おこし協力隊としてやってきたのは、米川さんで4人目。それぞれ町内で起業したり、任期を終えてまちを離れたりして、今活動しているのは米川さんひとりです。

大学のときに北海道から東京に出てきて、8年ほど生協のカタログを制作する会社で働いていたそう。

どうして地域おこし協力隊になろうと思ったんですか。

「生協や農家の人と話していくうちに、生き方がすごい地に足がついていて、ちゃんと生活しているなぁと感じるようになったんです。それに比べて俺なにやってるんだよ、と思って」

なにやってるんだよ、とは。

「たとえば『夏場、暑い中作業するのは大変なんだよ』と農家の人から電話で聞いて、それを伝える記事を書いているのに、自分はクーラーの効いた部屋でのうのうとやっている。それでいいのかってずっと疑問に思っていました」

「自分の言葉にもうちょっと責任を持ちたいし、農家の人たちから聞いた話や暮らしがすごく腑に落ちているから、もっと自分で体現したいと思ったんです」

特に場所は決めずに、自分の考えや今までやってきたことを活かしながら働ける場所を探しはじめた。そんなときに、日本仕事百貨で色川地区の募集に出会ったといいます。

実際に面接で色川地区を訪れたのは、一昨年の9月ごろ。

はじめて訪れたときはどうでしたか。

「ほかの地域の協力隊やNPOも受けていたんですけど、形式的な面接が多かったんです。でもここは、地域の人たちが7人も来てくれて雑談みたいな感じでした」

nachi_ota12 「彼女いるのとか、こっちに来たらなにするのとか。こんなところ来るもんじゃねぇよって言う人もいて(笑) はじめて会った気がしないというか、すごく親近感がわいたんですよ。この人たちとだったら仕事ができるっていうつながりが感じられたので、ここに決めたんです」

今は住んでいる人たちや、色川で活動している団体のサポートと情報発信が主な仕事だという。

たとえば、農家の暮らしを体験できる農家民泊をはじめるという人にFacebookのページの作り方を教えたり、地域行事に参加したり。毎月一回発行する、ホット色川という地域新聞の編集も行っている。

最近では田んぼの手伝いもはじめたとうれしそうに話してくれる様子から、本当に地域にとけ込みつつあるんだと感じる。

よそからきたからこそ、大変なことはないですか。

「ネットよりも高速で話が広まるので。ちょっと前まで普通に話をしていた人が、どこかで僕のあんまりよくない噂話を聞いて、関係性が変わっちゃったりするんですよね」

「一回一回の対応で、すべてが決まる。距離感が近いからこそ、ごまかしがきかない感じはします」

なにか壁にぶつかったときに相談できるように、米川さんは地区をこえて集落支援員と地域おこし協力隊が話し合える場をつくろうとしている。

nachi_ota13 「悩みも含めて共有して、お互いに協力できる体制をつくりたいですね。高齢化や耕作放棄地など、どこの地域でも問題はあると思うんです。でもまだまだやれることもあるし、それが自分の生きていく術につながっていく。つなげられるといいなと思っています」

自分で暮らしをつくっている米川さんの言葉は、とても頼もしい。


地域の人たちとの関係性をつくっていくことや、場づくりをすすめていくことは口で言うほど簡単ではなく、きっと1人だけではできないことでしょう。

ときにはまわりの人たちと一緒に知恵をしぼったり、熱意をわけてもらいながら。そうして生まれていくものは、地域だけでなく自分にとっても大きな糧になるように思います。

心強い仲間たちが、ここで新たなはじまりを待っています。

(2016/5/23 並木仁美)