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「叔母から聞いた家訓が『一番になるな』でした。一番は嬉野温泉。温泉が湧くからこそ、この土地で商売ができるし、大村屋旅館が成り立っていると。その言葉が鮮明に残っていて、今でも嬉野全体を盛り上げたいと思っています」そう話すのは旅館大村屋の代表、北川健太さん。
旅館大村屋は、佐賀と長崎の県境に位置する嬉野市で創業180年の歴史をもつ老舗旅館です。

しかし、バブル期以降は、町の賑わいが少しずつ遠のいている現実もありました。
そんな逆境から復活した背景には、嬉野にある資源を利用して、地域全体で豊かになろうとする旅館大村屋の姿がありました。

旅館スタッフは料理の配膳や案内等を担う仲居さんと、フロントや事務所等でチェックイン等の接客や簡単な事務仕事をするフロントスタッフの2部門があります。
さらに、嬉野でおこなわれる企画なども考えるポジションを担うとのこと。調理スタッフは食事のサービスをはじめ、町の名産を使用した商品開発やスイーツ開発などもおこないます。
どちらも経験は問いません。
コミュニティを形成し、人々の居場所をつくる。旅館という場所からでも、さまざまな思いを表現できる可能性があることが見えてきました。
長崎空港からバスに乗り変え、1時間ほどで嬉野温泉へ到着。道中、バスから見える嬉野茶の茶畑がちょうど旬を迎えており、緑豊かな景色が広がる。

数分ほど歩いて見えてきたのは大村屋旅館。天保元年(1830年)から続く老舗旅館だそう。
ロビーで迎えてくださったのは社長の北川健太さんと若女将の北川洋子さん。

「大学生のころは東京でバンドに夢中になってたので、時給が高いアルバイトを探していたんです。そんなときに見つけたのがホテルのベルボーイの仕事でした」
その後、接客のノウハウをさらに深く学ぶために、新しくオープンする旅館のオープニングスタッフに参加。旅館をゼロからつくるという経験を学びました。
「そこで、接客の仕方やコミュニケーション、旅館としてのあり方を考えるきっかけになりましたね」
「けれど、2年ほど働いていたあるとき、とつぜん母親に『帰ってきてほしい』と言われたんです」
宿泊もインターネットで予約する時代になり、若手の知恵や力も必要に。
「なにより母親が入院せざるを得ない状況になったので、僕がなんとかしようと思い嬉野に帰ってきました」
とはいえ、町からはかつての賑わいは消えていた。そこでこれまで通りの運営をしていても厳しいのが現状。
そこで行動を起こします。
「それまでの旅館には、『一人旅は受け付けない』『1泊2食以外は受けない』といった旧態依然な空気が漂っていました。そんな旅館の空気を変えなければいけないと思い、さまざまなプランや企画をつくりました」

「さまざまな人を受け入れられる環境をつくる」ということには、嬉野温泉の良さを体感して欲しいという思いがありました。
さらに、旅館を「泊まる」ということで完結させるのではなく、交流の場としても活用することに。
たとえば、嬉野温泉にある温泉旅館のスリッパをラケットに使っておこなう『スリッパ温泉卓球大会』や、旅館の数以上に立ち並ぶスナックを生かして、観光客にもスナック体験を提案する『スナックサミット』。
そして、旅館の宴会場にブースをつくって、ワンコインでいろんなマッサージ師を試せる『もみフェス』。
「エステやクイックマッサージといったさまざまなサービスが増えているからこそ、昔から嬉野にいる鍼灸師のマッサージを体験してもらおうと思いはじめた企画です」
「数あるイベントを企画しましたが、さすがにゆるすぎたかなと不安になることもありました。けれども、フタを開けたら300人もお客さんに訪れていただけて。利益も取ることができ、今年は倍の約40ブースをつくって開催しました」
手がけてきた企画は、どれも嬉野の町自体を楽しむということが共通している。

既存の枠組みにとらわれないことで、ふたたび注目されるようになった大村屋旅館。
そんな柔軟さは、スタッフの働き方にも反映されている。
「旅館やホテル業は、どうしても夜間も働く必要性がでてきますが、あたらしい旅館をつくる以上、『朝しか働けません』『土日は休みたい』といったスタッフの声にも耳を傾けたいと考えています」
今回は、旅館大村屋の調理スタッフも募集する。
「嬉野はお茶や温泉湯豆腐、佐賀牛といった食材が豊富です。今の料理長とは地元の食材をつかったメニュー開発なんかもおこなっています。最近では、近くの酒蔵の酒粕を使ったバーニャカウダをつくりました」

ゲストハウスや民宿の運営に興味があり、嬉野だからこそつくれるものを一緒に考えたい。そんなことに関心がある方だと向いているのかもしれませんね。
「そうですね。ホテルだと仕事が分業制になってしまうのですが、旅館では一通り仕事内容を経験できるので、いろいろなスキルも身に着くと思います。経営のことや企画のつくり方なんかも希望があれば教えられればと思いますね」
続いて若女将の北川洋子さん。
「以前はウェデイング業で働いていましたが、旅館業の働き方と共通することは、思い出をつくるという点だと思いました」
そんな思い出をつくる日々のなかでも、特に印象にのこっている話をしてくれました。
「ご年配の方に『いい着物ですね』と声をかけられたことがあったのですが、そのときに着ていた着物は何度も染め直して受け継がれてきた着物でした」
「声をかけてくださったお客さまは、大女将がその着物を着ていた姿を見ていたそうなんです。世代が変わっても、つながる思いがあることを感じましたね。新しいことからは得られない、『残していく』喜びを感じた一瞬でした」
新しいことに挑戦することで変わっていくことはある。けれども、変えないからこそ伝わることもある。
「旅館で働くことで、いろんな作法や心得を次の世代に渡したり、お客様にもてなす役割があることに気づきました」

大村屋旅館の規模も、お客様の声をしっかりと反映できる距離感をつくっている理由だと言います。
「旅館で働くということは自分のやったことに対してしっかり反応が返ってくること。そこにやりがいを感じるんです」
「だからこそ、基本的な挨拶や受け答えができて、悪いときにはごめんなさいを言えて。面白いことがあれば笑えるような、気持ちと行動が伴っている方に来て欲しいですね」
最後に、気になっていたきれいな着物について聞くと、ある話をしてくれました。
「実は、先ほどまで格式の高い松竹梅の柄を着ていたんです。けれども、これから応募される方々と同じ気持ちや目線で働きたいという思いを込めて、掲載される季節に合わせた初夏を感じさせる着物に着替えました」

旅館大村屋で18年働く江口さんにもお話を伺いました。

「そんなときに社長が戻ってこられて、私たちが考えない企画を次々に実行したんです」
すると、お客さんの数も徐々に増えはじめ、ふたたび嬉野の町に活気が戻った。
「旅館でも新しいサービスプランを次々と企画するので、大変なこともありますが、楽しみながらやっていますよ。社長が帰ってくるまではお客様がいなくて大変でしたので、そういう意味ではうれしい悲鳴ですね」
仕事内容は受付や売店、電話応対など幅広く対応するとのこと。基本的な1日の仕事内容を教えてもらう。
「フロントは、朝のチェックアウトをするお客様のお見送りからはじまります。そのあと部屋のチェックや納品関係、電話の応対などをおこないます。昼過ぎからは、チェックインしたお客様をお部屋までご案内したり、ラウンジで飲み物を提供したりします。夜になるにつれて忙しくなりますね」

そう思ったことを口にだしてみると、ここまで続けてこられた理由を話してくれました。
「女将や若女将、社長という肩書きを聞くと、立場も違うので思わずかしこまってしまうと思うのですが、ここではわたしたちスタッフにも『おつかれさま』『ありがとう』『気をつけて帰りなさいよ』って、かならず一つひとつの言葉を丁寧にかけてくれるんです」
「気持ちが落ち込んでいるときでも、働かないといけない日だってあります。でも、その一言で明日も頑張ろうって思えるんです。何気ない言葉ですけど、気持ちが本当に救われます」
仕事場で体力的には疲れるのかもしれない。けれど、気持ちはほっとする場所になっている。
何気ない一言や、 苦労やたのしみがつまった働き方だからこそ、大村旅館らしさを形成する理由のひとつだと思いました。
取材後、嬉野のまちを案内していただくことに。
嬉野にまつわる情報や魅力を紹介すスペース「嬉野交流センター」や、一面に広がる嬉野の茶畑。

観光地と聞くと、決められた場所や目的地へ訪れ、決まったことを楽しむイメージがあった。けれど、嬉野で感じたのは地域の人や日常に触れるということ自体が観光になるということ。
嬉野にある資源を最大限に生かしたからこそ、町の暮らしを豊かにする可能性があることを体感しました。

そんな働き方が、旅館大村屋にはありました。
(2016/05/16 浦川彰太)