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自分にできることが増えると、会社のできることも広がる。そこから新たな展開が生まれて、自分にとってのチャンスの場も広がっていく。
そうやってお互いを高め合い、共に成長できる関係を会社と自分の間に築けたら。
明治18年創業以来、能登・和倉温泉で温泉宿を営んできた多田屋。
これからリニューアルを迎え、多田屋と一緒に成長していける人を募集します。

未経験でも大丈夫。経験や能力よりも、成長しようとする姿勢や人柄が重視されるそうです。
能登空港に降り立ち、空港前で待ってくれている乗合タクシーに乗って多田屋へ。
山間の道を抜けると、そこからは七尾湾を眺めるように海岸線沿いをずっと走っていきます。
半島に囲われた湾のためか、波はとても穏やか。堤防は低く、家や田んぼもびっくりするくらい海に近いです。

玄関から入っておどろくのは、ロビーから一望できる七尾湾の景色。
「わぁ!ここでよかったね」
チェックインを済ませたばかりの女性のお客さんの声も聞こえてきました。

能登の自然に囲まれた地で、多田屋は長年営まれてきました。
「自然も文化も、半島なだけに残っているものがすごく多い。お祭りにしろ人柄にしろ、昔から変わっていない部分があってすごくいいなっていうのは、外へ出てから感じたことですね」
6代目の多田健太郎さんです。

大学進学を機に上京し、20代の頃は東京でITベンチャーなどに勤め、多田屋へ帰ってきたのは10年前のことです。
「能登って京都のお寺のように分かりやすい文化や歴史的なものが少ない。でも、受け継がれているものをよく見ると、『すごくいいな』『日本っぽいな』と思えるものがたくさんあるんです」
教えてもらったのは『あえのこと』という能登に伝わる伝統的な農耕儀礼。
五穀豊穣を願い、家に田んぼの神様を招き入れる地域があるのだそう。

使う扇子やご馳走の種類は家によって異なるのだそう。家長だけがそれを知っていて、口伝で息子へと伝わっていく。
「当人にとっては、代々やっているだけのこと。けど、見る角度によってはとても価値がある文化です。こういったことひとつ取っても能登の魅力だと思うんです。ちゃんと光を当てて伝えたり、これからも続いていけるようにお手伝いしていくっていうのも、能登にある宿としてできることじゃないかって」
その取り組みひとつに、多田屋がホームページに載せている『のとつづり』があります。
能登の風景・文化・お店・人などを健太郎さんが取材し、能登のよさを発掘していこうというもの。
能登島にある火祭りのことや輪島塗の塗師さんのインタビューなどを、何枚もの写真と文章で伝えています。
「地元の人が『こんなの昔からある』と言って終わってしまっているのがもったいない。もっと能登のよさを伝えられるはず。そこに僕や多田屋の存在意義があるんじゃないかって思うんです」
「スタッフもどんどん能登のいろんなところへ連れて行って、能登を好きなってもらいたい。宿の中に置くものも、能登の素材や作家さんのものにしていきたいなと思っています」

まずは宿の仕事を覚えることからはじまり、5年かけて若い人が根付くような風土をつくっていったといいます。
そして新たな料理長を迎え、能登の魅力を料理で伝えていくこともはじめました。
「うちはなるべく地元で仕入れた素材に手をかけてお出ししています。それは先代から続くスタイルで、いまは能登の厳選された山や海の幸を使って、旬のお料理をお出ししています」

「フキノトウは全部この宿の近くで採れるんですよ。旬の魚や野菜を料理にちりばめてます」
5年前から多田屋で料理長を務めるのは、金沢や長野の料亭で料理人の腕を磨いてきた酒井さん。

酒井さんが料理長になってから、「あの料理が食べたい」とリピーターになるお客さんが増えているそう。
2ヶ月に1回のペースで来てくれるお客さんもいるのだとか。
「その方は滞在されるから、同じ季節でも日によって料理の献立を変えていくんです。もう勝負ですよね。そこまで来てくれるのなら満足させなきゃって」

アレルギーに対応するのはもちろん、松茸づくしの会席料理が食べたいという要望があれば献立を考えて料理したり、特別にブリの解体ショーをやることもあったのだとか。
「大変だけどね(笑)、楽しいですよ」
効率的ではないけれど、お客さんによろこんでもらうためにできるだけ応える。温泉宿といえども、料亭レベルの料理を通じてお客さんと向き合う姿勢が求められると思います。
とはいえ、今回募集する調理スタッフは未経験でも大丈夫。しっかり下積みを積んでいけばプロの料理人へと成長できるといいます。
同じく調理スタッフとして働いている人は現在6名。3名が50代の方で、残りは10代20代30代が1名ずつ。未経験からはじめ、料理人として活躍している人が何人かいるそうです。
昨年夏から調理スタッフとして働く関谷さんも話をうかがいます。

けど、料理学校を出たわけでもないから料理のことがよく分からない。将来は経営者になることを目指して、一度料理人の世界へ飛び込むことを決めたといいます。
多田屋で働くことにしたのは、たまたま旅行で宿泊した際、ほかの宿や旅館に比べて接客と料理がとてもよかったから。
「いま魚を捌いてますけど、経験の少ない1年目の人間がこれをできる環境ってあまりないと思う。普通だったら『お前にはまだ早い』といわれるかもしれない。たとえ失敗しても『次から頑張ります!』って姿勢と努力があれば、酒井料理長はやらせてくれますね」
怒鳴られたり物が飛んできたりすることは全くないそう。むしろみんな人柄がよく、仲がいいのだとか。それは多田屋全体で言えることかもしれない。
ほかにもどんな人が働いているのか聞いてみると、ご実家がお寿司屋さんの方がゆくゆくは継ぐために多田屋で経験を積んでいるのだとか。
本人のやる気と努力次第で早い段階から調理を任されるし、お客さんからの要望に応えて和洋さまざまな料理をつくる。ここで腕を磨き続けることができるだろうし、次のステップを考えている人にとってもいい環境だと思います。
「目標のある人のほうが、育てる側としても教えがいがありますね。包丁を持って、つくることは多いですよ。一般的なところより早く学べると思います」と、料理長の酒井さん。
もちろん下積みはあるし、料理だけでなく旅館の基礎をしっかりと学ばなければなりません。それも包丁を持って料理をつくるのと同じくらい大切なことだとか。
多田屋ではマニュアルに人を合わせるのではなく、入社した人に合わせてカリキュラムが組まれ、ステップアップできるようにしていくといいます。
それは「笑顔でみんなが前を向いて働ける職場をつくりたい」という代表の健太郎さんの想いから。
できなかったり合わない仕事を続けるよりも、できることからはじめて段々と成長してほしい。その結果、多田屋としてもできることの幅が広がっていく。
だから、料飲スタッフも経験がなくても大丈夫。
ただ、こちらはいろんな経験が活かせるようです。
料飲関係を担当している中村誠二さんに話をうかがいます。

そんな中村さんはフロントや多田屋の人事も担当しながら、料飲スタッフも務めています。
料飲スタッフとは、宿のレストランやバーラウンジで出すお酒や飲みものを管理したり、自分でも給仕する人のこと。お客さんの様子を見ながら仕入れるお酒を変えたり、料理に合う食前酒を料理長の酒井さんに提案することもあります。
これから多田屋の施設リニューアルがはじまり、レストランやバーラウンジが改装されるそう。けど、具体的にどんな空間にしていくかまだ決まっていなく、代表の健太郎さんと相談しながらつくりあげていくのも料飲スタッフの仕事になるといいます。
「能登にまつわるお酒を仕入れたり、メニューにそのお酒の説明書きを添えたり。すぐにやりたいことや、これから考えなくちゃいけないことはいっぱいあるんですけど、管理・企画をしているのは僕ひとり。日々の業務にも追われていて、なかなか手がつかないんです。これから来る人と一緒に企画して、お酒のことも勉強していきたいですね」
もともと日本酒・ワインなどが好きな人やインテリアデザイン・場づくりの経験がある人なら、早くから活躍できるかもしれません。

今年で27歳。この歳でこれだけ任されるのも、ほかの宿屋や旅館ではあまりないことだと思う。
「僕は将来、自分でバーのお店を持ちたくて。以前フロントだけやっていたときに、バーラウンジの担当者が退職されたのを機に施設自体がなくなる話があったんです。自分の夢に近づくために『やりたいです!』ってお願いしたら、本当にやらせてもらえるようになって」
「だから、いますごく楽しんですよね。好きなことをしてお金をいただいているというか。将来のための準備をしたらいいと、代表も言ってくれているんです」
中村さんはどんな人に来てほしいですか?
「前向きな方が一番ですね。宿の仕事って結構忙しいし、朝早かったりする。前向きに楽しく、面白いことを一緒に考えながら仕事がしたいです」
「できることはまだまだいっぱいあるし、同じ気持ちを持った若い子が入ってくれるようになったので。これから数年後が楽しみです」

ただ、1度や2度だけじゃなく、3年5年とリピートしてくれるかどうかは、宿本来の力が試されるこれからが重要だといいます。
「でも、ほかの宿や旅館には負けない自信があるんですよね」
中村さんの話を聞いていると、これからの多田屋がどうなっていくのかとても楽しみ。
多田屋と一緒に自分も成長していきたいと思った方は、ぜひ応募してみてください。
(2016/6/21 森田曜光)