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徳島県・神山町。緑豊かな山あいに川が流れ、人々の暮らしが息づくこの町は、ここ数年の間にさまざまな面で注目を集めるようになりました。
国内外3名のアーティストを招き、神山での創作活動を3ヶ月間支援するアーティストインレジデンス。IT企業を中心としたサテライトオフィスの進出。消費者庁の移転構想など。
これらの事例はどれも今の神山町を象徴するものです。
ただ、そこだけに目を奪われてしまうと、一方で見失ってしまうものもあるような気がします。
株式会社リレイションが主催する「神山塾」は、半年間この地域で暮らし、自分と向き合う学校のような場です。
人と自然の営みのなかで、その場に参加した意味を自ら見出していく。
そんな「神山塾」の8期生を募集します。
何か自分ではじめてみたい、少し立ち止まって自分を見つめ直してみたいという人は、ぜひ読んでみてください。
羽田空港から飛行機で約1時間。徳島空港に到着すると、さっそくリレイションの杉さんが車で迎えてくれた。
慣れたハンドルさばきで運転する杉さん。公共交通機関がないわけではないものの、車は運転できたほうがいいようだ。
「神山町ってけっこう広くて。端から端まで車で40分はかかります。それに、町内にはコンビニが1軒しかないんですよ」
阿波踊りのことや、徳島ラーメンのこと。ざっくばらんに話していると、20分ほどで徳島市内の事務所についた。
まずはここで、リレイションの取り組みについてうかがう。
杉さんの隣に座っているのが、プランナーの前田さん。
神山塾7期の卒業生で、今は8期生のプログラム内容を考えているそう。
「大きく分けて4つの事業で成り立っている会社です。神山塾は、そのうちの『地域人材育成事業』にあたります」
端的に言えば、地域で働き、生きていく人材を育てるのが神山塾。
企画の立て方や会計に関する知識などを座学で学ぶだけでなく、農林業のフィールドワークや地域行事にも参加し、最終的にはこれらの経験を経て個々人が地域でやりたいことを表現する「スモールプロジェクト」にも挑戦するという。
「専門的な技能や知識を学ぶよりも、半年間かけて“あり方”や“生き方”を学び、『これからの働き方・暮らし方を考えましょう』というのが神山塾のスタンス。卒業後に自分でお店を立ち上げる人もいれば、フリーでいろいろやりたいという人も出てきます」
リレイションは、こうした「人材育成」のほかにも、自治体の委託を受けて地域おこしに企画参入してゆく「地域マネジメント」や、ブランディングツールの起案や紹介冊子をつくる「デザイン編集」、“語る・くつろぐ・記録(LOG)する”情報発信媒体「KATALOG」などの事業を幅広く展開している。
今後、徳島市内に新たなコ・クリエーションスペースをつくったり、ゲストハウスの運営もしていくという。
一通りお話をうかがった後、おふたりと一緒に今度は「山姥」へと車を走らせる。
窓の外の田園風景にカメラを向けていると、「まだまだ、こんなもんじゃないですよ(笑)」と前田さん。
たしかに、だんだんと地形も険しくなってきた。
しばらくしてようやくたどり着いた「山姥」は、築190年の古民家を改装してつくられた場所。ここをゲストハウスとして使う予定だそう。
今はポートランドから神山へ移住予定のクリエイター夫婦とお子さんが一時的に住んでいる。
今夜はぼくもここに泊まらせてもらうことになった。
夕飯の席を囲みながら、おふたりになぜここにやって来たのかを聞いてみる。
杉さんがリレイション代表の祁答院(けどういん)さんと出会ったのは、およそ8年前。徳島市内の行きつけの洋食屋でマスターを介して知り合い、意気投合した。
その流れで神山の棚田再生プロジェクトに関わったことがきっかけとなり、この地域に“ハマった”そう。
「里山で暮らす人たちの知恵や想いに触れる機会ってなかなかないですよね。言葉で説明されたわけではないですけど、ぼくはそれを直に受け止めて、すごく大事だなって。もらったバトンを、次の世代に渡す必要があるんじゃないかと思ったんです」
そこで杉さんは、徳島市内の学生や若い経営者など50人を集め、5月の田植えと9月の稲刈りに参加するイベントを企画した。
「もう6年くらい前のことですけど、けっこうみんな覚えてくれているんですよね。今でもあのときの田植えの話をたまにするんです」
「毎年その地域には来られないとしても、『あのとき友達に連れられて田んぼ行ったなあ』という思い出があるかないかでは、違うと思うんですよ。子どもが生まれて『あの風景を子どもにも見せてやりたい』と思えば、それが未来につながるかもしれない。大きく揺さぶることはできないかもしれないけれど、波紋が広がっていくように同じ想いを共有できたら。そんなことを思っていましたね」
前田さんはというと、アパレル会社に勤めた後、行政書士の資格を取得。しかし、働き詰めで体調を崩し、半年間の入院を経験する。
その後沖縄の離島のホテルで働くようになり、“地域”に興味を持ちはじめたという。
「規則などに厳しい会社でしたし、ぼくはすごく理屈っぽいところがありました。それでも地元の人と関わっているうちに、損得勘定では測れない居心地のよさとか、外から来た人も受け入れてくれるスタンスを感じて。自分が再生されていくのを感じました」
再生されていく。
「神山塾でも、いろんな課題や言葉を投げかけられて気づくこともあれば、触れ合いのなかで自ずと再生されていくこともあると思うんです。人が再生して、熟成していく可能性をそこに見出しちゃったというか」
7期の終わりに、お世話になった神山の人たちに向けて「神山塾感謝祭」というイベントを「山姥」で開いたときのこと。
その準備段階で、朽ちたウッドデッキを張り替える作業があった。
「頭のなかではシャシャっと段取りができて、『これぐらいすぐにできるだろう』と思っていました。けれど実際に手を動かしてみると、ロープを結ぶにしろ、木材を固定するにしろ、やろうと思っていたことができないことに気づいてしまったんです」
そんなとき、一緒に作業していたほかの塾生が力を貸してくれた。
普段はコミュニケーションの苦手な人が教えてくれたり、意外な人が素早いロープさばきを披露したり。
「指示したわけでもなく、一人ひとりが『あ、これやったことあるわ』って知恵を出して。その多様性や重なり合いがなければ、ひとつのものをつくり上げられないんだなと感じましたね」
神山塾には、年齢も経験もバラバラな人たちが「はじめまして」の状態で集まる。
多様でありつつフラットな環境だからこそ、みんなで力を合わせる面白さもあるし、チームワークのなかで自分の役割や好きなことを再認識する場にもなっているのだと感じた。
この日の夜は気持ちよく眠りにつき、翌朝は杉さんの話にも出てきた棚田を見に行くことに。
「地域おこしの一環で、10月ごろに菜の花の種を撒くんです。一面が黄色に染まる春の景色もきれいですよ」
棚田全体が一番よく見えるというポイントまで行くと、たまたま岩丸さんと出会った。
岩丸さんはNPO法人グリーンバレーの理事を務める方。自宅を神山塾生の下宿先として貸していて、みんなから「岩丸お父さん」と呼ばれているそう。
「授業終わってからがホンマの神山塾やな(笑)」と岩丸さん。
「うちは人の出入りが多いからな。気楽な出会いの場所やね。3日に1回ぐらいは、何人かで集まって食事してるかな」
「そこで話したりすることが、自分たちの新しい経験になるし、町の人にとっても新鮮やろうし。将来いろんな面でプラスになると思う」
「せっかく来てくれているから、一生懸命接するというか。正面切って、お世辞も言わないし、煽ったりもしない。年代は違ってもストレートに、同じ目線で付き合うことやな」
後でお家にお邪魔すると、壁にはたくさんの色紙が飾られていた。岩丸さんの存在があってこそ、安心してのびのびと動ける人もいるんじゃないかな。
「7期生の子は、2人うちに布団敷いたままや。どこ行ったかわからん。布団だけ敷いてある(笑)」
「期間が終われば、自分の判断で帰る人もおるし、残る人もおる。慌てんでもええんよ」
最後に向かったのは、オーダーメイドの革靴屋「LICHT LICHT KAMIYAMA」。
6期卒業生の金澤さんがはじめたお店だ。
オープンから1年3ヶ月。オーダーは今のところ8ヶ月待ちの状態だという。
「ピンポイントで来てくださる方が増えましたし、ぼく自身の仕事のやり方も効率的になってきたので、今は落ち着いて仕事ができているという感じです。あまり町内のイベントには関われていないですね(笑)」
「ただ、そのなかでも最近は商工会の方と関わるようになって。神山塾のときに出会った人だけじゃなくて、また新しく出会う人とでも、きっかけさえあればつながっていけるなと感じているところです」
この地に根を張りながら、お仕事の面でも順調に進んでいるような印象を受ける。
しかし、金澤さんは「いつもモヤモヤしながらやってますよ(笑)」とのこと。
「先にここで何かをはじめている移住者の姿を見て、ぼくらもそれに倣ってやっている。影響される部分が多いんですよ。『自分もやってみよう』と思えるのは、神山塾のすごくいいところですよね」
「でも、ぼくは確固たるものがあってここで仕事をはじめたわけではないから、まだ途上というか。試しながらやっているようなところもあるので、『あの人がちゃんとやってるのに、ぼくがこんなんじゃだめだな』とか、いつも刺激を受けつつ、モヤモヤしながらやってます。ははは(笑)」
先進事例地として見られることの多い神山町。
もしかしたら、神山塾の取り組みも“一事例”として見られるようになってきているかもしれません。
けれども、実際に足を運んで接してみれば、当然のように悩んだり、退屈したりしながら、等身大で暮らしている人たちがいました。
まずは一歩、この環境に入り込んでみるところからはじまることもあると思います。
(2016/7/21 中川晃輔)