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「ちょっと保守的なんだけど、わたし、このまちはこのままの感じが好きなんですよ。隣町と比べることもあるし、新しいこともしなきゃいけないと思うんですけど、まちの雰囲気はずっとこのままであってほしいな、と思うところもあって」やさしく、力強い言葉。
そんな言葉に出会って、ますますこのまちのことを知りたいと思いました。
岐阜県飛騨市。
2004年、古川町・神岡町・河合村・宮川村の4町村が合併して生まれた県最北端の市。
近隣には城下町の風情を残す飛騨高山や、温泉で有名な下呂、世界遺産の白川郷など、多くの観光客が訪れる場所があり、その影に隠れてしまうことも少なくないといいます。
たしかに知名度では劣るかもしれません。メジャーな観光スポットがあるわけでもありません。
それでもこのまちからあふれるやさしさと穏やかさは、訪れる人の心に響くものがあると思います。
今回は、地域おこし協力隊として飛騨のまちで暮らし、人や場、伝統や革新を結んでいく人を募集します。
ここにない全く新しい価値をもたらすというよりも、今ある魅力をどう活かしていけるかを考える仕事です。
まずは飛騨のまちと人を少しでも知ってもらえたらうれしいです。
北陸新幹線で東京から富山へ。窓の大きなワイドビューひだに乗り換えて、景色を楽しみながら進んでゆく。
谷や川を通り抜けると、古いまちなみが見えてきた。飛騨古川駅だ。
改札を出ると、飛騨市役所企画課の竹田さんが迎えてくれた。
さっそくまちを歩きながら案内してもらうことに。
まずは市役所の向かいにある広場から。
「この広場は古川祭のスタート地点です。裸男たちがやぐらに乗った大太鼓を叩いて、夜中の0時半ぐらいまで町内を練り歩くんです。お祭りモードになると、役所も会議どころではなくなります(笑)」
広場のすぐそばには、「飛騨の匠文化館」という立派な建物がある。なんと、釘を一本も使わずに建っているという。
「飛騨の匠」の高い技術と丁寧な仕事ぶりは、古くは平城京の時代から高い評価を得てきたそうだ。
通り沿いの屋根を指差す竹田さん。
「軒下にある白い模様、わかりますか?あれは『雲』といって、飛騨の匠の遊び心で模様を入れたのがはじまりだそうです。大工によって模様が違うので、あれを見れば誰が建てた家かが分かるんですよ」
丸々と育った鯉の泳ぐ瀬戸川と白壁土蔵に沿って、細い路地を歩く。こちらは裏通りで、表には造り酒屋が2軒あるそうだ。
「この川のゴミを引き上げるのも、近所の方が持ち回りで、家の前の道まで含めて掃除してくださっています。行政がお金を出して掃除しているわけではないんですね」
まちの景観や訪れる人への心くばりが暮らし手の側から芽生える地域って、素敵だなあ。
「古川の市街地には、昔から『相場崩しを嫌う』という気質があるんです」
「この古いまちなみのなかには、新築にもかかわらず古い造りの家もあります。見方によっては“人と違うことをよしとしない閉鎖的な風潮”かもしれませんが、その考え方があるからこそ、このまちなみが守られてきたとも言えます」
古川町生まれ古川町育ちという竹田さん。一緒に歩いていると、至るところに散りばめられた想いや歴史が浮かび上がってきて、まちの見え方が変わっていくのを感じる。
「飛騨市には、価値のあるもの、残したいものが点で存在しています。ただ、それを観光パンフレットに載せても、伝わらないことが多いんです」
「魅力を線でつなげ、面的な体験を通して伝える。そこで取り入れていきたいのが、『オンパク』の手法です」
オンパクは「温泉泊覧会」の略称。
もともとは、観光客の減少に伴い、活気を失いつつあった大分・別府で2001年にはじまった取り組みだそう。
たとえば、地元をよく知るガイドの案内でまち歩きをしたり、地場の食材を使った料理をみんなで楽しんだり。
さまざまな体験交流型のイベントを一定期間にいくつも行うことで、まちに活気を生み出すことを目指したプログラム、またその手法のことを言う。
今回募集する2名の協力隊のうち、1名はこのオンパクの企画運営から関わることになる。
市役所を訪ねて、担当の土田さんにもお話を伺った。
「オンパクには観光とまちづくりのふたつの側面があると思っています。市外の方々に向けて広めていくのか、市民がまちの魅力をあらためて見つめ直す機会にするのか。どちらの方向性でいくかも含めて、新しい協力隊の方と考えていきたいんです」
市としては、オンパクを通じた地域の活性化が目標のひとつ。
とはいえ、外にばかり目を向けずに、まず市民の気持ちに寄り添うことが大事だという。
「行政が主導すると、結局消えてしまう活動もこれまでにはありました。こちらの一存だけで進めないよう、距離感を見極めながら、深く関わるときは一歩踏み込む。そうやってどんどん火をつけるようなことをしてもらいたいですね」
「飛騨の人は基本的にシャイなんです」と土田さん。
けれども、何かきっかけがあれば「やってみよう」と思ってくれる方も多いそうだ。
「たとえば『薬草で飛騨市を元気にする会』というNPO法人が立ち上がって、薬草の商品を開発・販売する仕組みができてきたところです。飛騨市は93%が山なので、そこらじゅうに薬草が生えているんですよ(笑)」
市でも通常業務とは別にプロジェクトチームを結成し、薬草の専門家を招いての講演会や、葛の花を使った商品開発を進めるなど、行政と市民の有志チームが活発に動いている。
「野草茶の会では薬草を入れた野草茶を商品化していますし、そばをつくっている団体があるので、そこと薬草を組み合わせるとか。ぱっと見てつながらないことも、一緒に話し合えば面白いアイデアが生まれるかもしれません」
ユニークな活動をしている団体は、ほかにもたくさんある。
ニュートリノ観測装置「スーパーカミオカンデ」の見学ツアーを運営する「GSA」。メンバーのほとんどが花火師の資格を取り、協賛金も自ら募って花火を打ち上げる「こいこい会」。廃線となった鉄道の線路上を走る「レールマウンテンバイク」を運営している「神岡・町づくりネットワーク」など。
里山サイクリングが外国人観光客から高い評価を受けている「美ら地球」や、かまど炊き体験などができる「旅ジョブ」など、UIターンで事業を立ち上げた人たちの存在も大きい。
「まずはいろんな団体の声を聞いて、つなげる。そこから少しずつオンパクの体験メニューにつながっていくのかなと思います」
続いて訪ねたのは、染めと呉服の「大洞」。大洞優子さんにお話を伺う。
大学卒業後は京都の呉服問屋で勉強し、この場所に帰ってきた優子さん。
家業を継いで10年ほど経つという。
「以前は『10年ひと昔』と言っていたけれど、今は5年でもすごく昔ぐらいの感覚で、いろんなことが変わっていきますよね。この10年の間にも、着物と人の関係はずいぶん変わってきたと思うんです」
小さいころから着物に慣れ親しんでいた分、着物離れが進んでいくのは悲しかった。
「少しでも興味を持ってもらいたい」
そう考えた優子さんは、着物の貸し出しや着付けをはじめた。
「地元の方だけでなく、観光客の方にも着てほしいです。地元に戻っても、『花火にはやっぱり浴衣で行きたいな』と思ってもらえれば。外国の方も喜ばれて、たまに購入されていく方もみえますね」
最近では、縁日やワークショップ、浴衣のファッションショーなどを行うイベント「色和衣(いろわい)」を開催。
着物を通した交流が生まれることで、あらためてまちの良さが見えてくるという。
「着付けした観光客の方が『すごくきれいなまちなみだけど、これって整備してるの?』とおっしゃるんです。でも実際は、それぞれのお家の前を自分たちで掃除していることを知っているから、うれしくなりますよね。まちの見た目もそうですけど、人のやさしさがあるなって」
「そういうところも含めて、古川の根本にあるものは変わってほしくないんです。新しい角度で『ここもいいじゃん』と言いつつ、今ある良さを守っていってくれるような人がいいかなと思います」
「大洞」をあとにし、古川でモノづくりをしている堅田さんのもとへ。
表には「飛騨職人生活」と書かれた看板がかかっている。倉庫のような見た目の建物に入ると、なかは広々としたカフェになっていた。
「自分たちで10年かけて改装しました。カフェというより、この空間をつくりたくて(笑)」
飛騨の家具メーカーで設計を9年経験し、独立。現在はカフェを営みながら、奥にある工房で奥さんとともに制作に励んでいる。
今回の募集のふたつめの軸となるのが、堅田さんのような職人さんと協力しながら、飛騨の広葉樹を使ったモノづくりを推進していく協力隊だ。
面積の93%を森林が占め、そのうちの約7割が広葉樹という環境は、全国的に見ても珍しい。
「基本的に家具は硬い広葉樹でつくられています。ただ、広葉樹を活かせるような流通の体制やモノづくりの環境が日本にはほとんどない。それをこの飛騨市からつくっていこうというところですね」
第三セクターの株式会社飛騨の森でクマは踊る(通称、ヒダクマ)が昨年設立されたことで県外からの木製品製作の依頼が来るようになったり、FabCafe Hidaも今年からオープンするなど、土壌は少しずつできあがってきた。
あとは、職人さんをいかに巻き込むかだという。
「たしかな腕を持った職人さんはいるんですが、こだわりが強い分、それを新しい技術と組み合わせることに抵抗があるみたいなんですね」
「たしかに面倒なことも多いですけど、その代わりわたしみたいなおっちゃんを混ぜてくれるので、新しい情報も入ってくるし、若い人の考え方も知れる。そういう意味では、みなさん交流したほうがいい方向へ行けると思うんです」
そう言って堅田さんは、山中和紙を使った提灯型の照明を見せてくれた。
「この提灯は、一本のワイヤーが螺旋状に巻いてあるんです。まず骨組みをつくり、ワイヤーを巻いて、紙を貼る。骨組みを手作業でつくるのは難しいですが、パソコンで設計してレーザーカットすれば2分で済みます。時にはデジタルと組み合わせることで、開発がスムーズに進められることもあるんですよね」
今後新しくシェア工房をつくって、外から職人を誘致したり、職人同士のネットワークを構築したり、共同で広葉樹を使ったモノづくりを企画していく構想もある。
まずはこのシェア工房の土台づくりから、協力隊の一歩がはじまるかもしれない。
まちの人を、場を、伝統を、革新を。やさしく結ぶ人、お待ちしています。
(2016/8/25 中川晃輔)