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島根県、といえばなにを思い浮かべるだろう。私は縁結びで有名な出雲大社、日本仕事百貨で何度もご紹介している群言堂さんや最近メディアでも多く取り上げられている海士町を思い浮かべました。
どちらかというと、豊かな自然と歴史が残る地域という印象が強いように思います。

たとえば東京などから仕事を持って移住してきた人に、事業所の家賃や通信費、出張費など事業を続けていく上で必要な補助を行っています。
とはいえ、いきなり移住をするには不安も多いはず。
そんな人のために、各地域で交通費・宿泊費が無料の移住体験ツアーが開催されることになりました。今回はこのツアーの参加者を募集します。
広くITに関わる職業であれば、webデザイナーやプログラマーなど、どんな職種でも大歓迎。
これまで移住を選択肢に入れていなかった人も、ぜひ続きを読んでみてください。一足先に、ツアーが行われる3つの町を巡って、話を聞いてきました。
出雲空港から車で1時間半ほど走ると、山に囲まれた奥出雲町に入った。
古くから日本古来の製鉄法「たたら製鉄」で栄え、今でも世界で唯一「たたら操業」を行っている。原料となる砂鉄を採取した跡地に棚田をつくり、お米を育てるなど持続可能な暮らしを自分たちでつくってきた。
古民家を改装したコミュニティスペースで、お話を伺いました。
山田さんは、東京で起業し島根にUターンしてきた方。主にiOSアプリなどの受託開発を行っている。

働き方は変わりましたか。
「変わりましたね。地域の中でやることが多くて。たとえば、お祭りの幹事役が今年26年ぶりにまわってきました。以前とやり方が変わっていて調べたり、申請書類をつくったり。そんなドタバタが生活のメインです」
「夜遅くに本業の仕事をやらなくちゃいけなくなったり、疲れて予定通りにできないこともありますよ」
IT関連の仕事は大都市に集中している印象がある。仕事がなくなったら、と不安になることはないだろうか。
「もちろん課題ではあります。でもこっちに来て、発信力が増した部分があって」
発信力が増す?
「私は杉並区でwebをやっていたんですが、そんな会社何十とあります。でも島根では、今みたいに話を聞いてもらえる場ができたり、みなさんに声が届く機会が増えるわけです。自分から発信すれば、島根という付加価値をアピールできる可能性はあると思いますね」
現在はwebで連載記事を書いたり、島根にいるエンジニアと会ったりして、仕事につながりそうな芽がいくつも育ちはじめているといいます。
「注意しないと、米がうまいんで太りますよ。僕こっちにきて8キロ太りました」と笑うのは、5年前に東京から父親の故郷である島根に“孫ターン”してきた大塚さん。

日本橋にある島根県のアンテナショップで相談したら、次の日には奥出雲町につながった。翌月には奥出雲町を訪れ、対応の早さに驚きつつ移住を決めた。
デザイナーをしていた奥さんと、前職の経験を生かしてオリジナルのキャラクターやPR動画をつくり、自家栽培した野菜を販売している。

「たとえば嫁は、カメムシの6角形がおもしろいからデザインに使ってみようとか話していて。顧客は見つけにくいかもしれないけど、提案できるものの質は上がるんじゃないかな」
一方で大塚さんは、奥出雲UIターンの会の代表でもある。
「自分も苦労したけど、相談できなかったり友達ができなくて帰っちゃう人がいるんですよ。だからいろんな人がいることを知ってほしくてやってます」
会のメンバーは現在50人ほど。UIターンの人たちだけで集まるのではなく、必ず地元の人を交える。この前はみんなで町歩きをしたそうだ。
「移住者が何人来たかということばかり注目されがちですけど、来た後に続かないともったいない。地元には自分たちでイベントを企画するような元気な爺さんたちもいっぱいいます。つながるとおもしろいと思いますよ」
個人で事業をはじめるのではなく、企業に就職して島根で暮らすことを選んだ人もいる。
奥出雲町から1時間ほど山あいの道を進み、雲南市へ。目の前に大きな酒樽が見えてきた。

フランジア・ジャパンは、東京とアジアに複数拠点を持つシステム開発会社でありながら、なんと冬にはエンジニアたちが自由参加で酒造りもする、とてもユニークな会社。
「酒蔵の中の温度や湿度をセンサーで管理して、インターネット上で見れたらいいよねと好き勝手つくっています。やっぱり島根にきたからには、地場でやれることをやりたいですね」
そう話す林田さんは福岡の出身で、東京でエンジニアとして働いたのち、島根にIターンしてきた。

主な事業は、自社サービスの提供と受託開発。受託開発では、ベトナムのチームと一緒にラボをつくって開発を行う。
東京でシステムの要件を固めたあと、東京と島根、ベトナムをリモートでつなぎながらシステムを作り込んでいく。
困っていることはありませんか。
「一人でリモート作業をしていると、たぶんすごく孤独です。フリーの人はコワーキングスペースを利用したり、東京と島根を行き来しながらっていう働き方が現実的かもしれません」
「あとは田舎なので、大きい本屋さんがないし勉強会が少ないです。松江市でフリーのエンジニアさん4、5人とサークルをつくっていますが、そういうことが雲南市でもできると最高ですね。ここで働かなくても、この場所を使ってくれていいので」

その盛り上がりを、雲南市にも波及していきたいところ。
会社だけど個の集合体のような場所なので、フランジア・ジャパンで働き、その後独立するのもありだそう。自分らしい働き方を見つけられるんじゃないかな。
林田さんと別れたあと、雲南市内にあるコワーキングスペースを見せてもらった。
かつて鍛冶屋が営まれていた物件を、地域内外の人たちとリノベーションした「三日市ラボ」。

そうにこにこと教えてくれたのは、この場所を運営するNPO法人おっちラボの上野さん。

正直、思っていたよりも設備が整っていて驚いた。
ここなら地域にとけこみながら、気持ち良く仕事に集中できそうです。
最後に訪れたのは、津和野町。町を案内してくれたのは、つわの暮らし推進課の内谷さんです。
「この町の楽しみ方は、結構自信を持って教えられますよ!お金をかけなくても、楽しめることがたくさんあるんです」

とても気さくな方なので、暮らしのことや仕事のこと、いろいろと相談にのってくれると思います。
津和野は「山陰の小京都」とも呼ばれ、城下町の面影を残す町並みが広がっている。隣の山口県から津和野まで蒸気機関車が走っていて、それを見に来る方も多いのだとか。

到着したのは、バルトソフトウェア株式会社の津和野開発室。大阪や和歌山を拠点に、鉄道や高速道路など社会インフラ系の組み込みプログラム開発をメインに扱う会社だ。
代表の方が高校時代を津和野で過ごしていたことや、島根県は地震が少なく災害時に拠点が分散されていたほうが早く復旧できるというメリットもあって、昨年1月にこの町に開発室をひらいた。
「私は隣町から車で通っていますが、自然の中を突っ切ってくると気分もすっきりしますよ。前の会社では終電以降も働くなんてことが日常でしたが、ここでは日没とともに帰ります」
そう話してくれたのはエンジニアとして働く大庭さん。

「戻ってから3年くらいは農業やりながら株の運用をしていたんですが、家族は広島にいてひとりだし、なんだか寂しくなってきまして。そんなときに募集を見つけて、入社しました」
どんなところに、この暮らしの良さを感じていますか。
「自分でコントロールする自然みたいなものが身近にあるんですよね」
自分でコントロールする自然?
「たとえば都会の公園は、誰かに管理されている自然。こっちでは自分で家のまわりの草を刈って綺麗にしたり、なにか農作物を育てたりとか。自力で生きてるっていう感じがする」
「子どもたちが遊びにきたときは、芋掘りとかすると喜ぶんです。部屋でゲームしているなら、屋根の上にでも登ってこい!って言ったりして (笑) 田舎じゃないとできない遊び方ですよね」
ゆくゆくは、家族のいる広島と島根で2拠点の生活にしようと考えているそう。
不便なことは増えたのかもしれない。だけどなんだか生き生きと暮らしているようでした。

思い思いに暮らしをつくっている人たちは、自然体な感じがして話しているうちにこちらも心がゆるんでいく。
地域に暮らすということは、たぶんどこかに楽園があるわけではなくて、結局自分次第なところが大きいと思います。
そんなときに、同じく移住してきた人たちや地域の人たちと話をしながら暮らしや仕事をつくっていけたら、悩みながらもきっと健やかに生きていける気がする。
島根県は「人」も「環境」も、とてもいいところです。まずはぜひツアーに参加して、体感してください。
(2016/8/25 並木仁美)