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「子や孫の世代に本物の木桶仕込みの醤油を残すのが、この会社の存在意義なんです。醤油は蔵の菌がつくってくれて、私はその手伝いをちょっとしているだけ。私の仕事は菌を守って、生態系を次の世代に渡すこと。誰かが今やらないと、木桶でつくった醤油はなくなってしまうんです」醤油、味噌、みりん、酢、酒。これらは日本の食文化、特に和食を支える基本調味料です。かつては木桶を使って、長い時間をかけて発酵・熟成し丁寧につくられていました。
今では、木桶でつくられる味噌や醤油の生産量は全体の1%以下しかないとご存知でしたか?
100年後には、木桶でつくった調味料が日本からなくなるかもしれません。
木桶でつくる本物の醤油を、この先も残したいと行動を起こしているのがヤマロク醤油の5代目、山本康夫さんです。
舞台は、香川県・小豆島。
今回は、ここで山本さんと一緒に醤油をつくるゼネラリストを募集します。
仕事内容は醤油の製造、販売や木桶の製作など。ただ醤油づくりだけを行うのではなく、醤油を取り巻くさまざまなことに関わることになります。
子や孫の世代、未来のことを考えながらいま自分たちにできることをする。それはきっと口で言うほど簡単なことではないけれど、日本に伝わる食文化の未来をつなぐ仕事です。
高松港からフェリーに乗って、小豆島に到着。草壁港から車で10分ほどのところにヤマロク醤油があります。
時間があったので歩いて向かう。敷地のそばまで来ると、あたりには香ばしいお醤油の香りが漂っていました。
キョロキョロしていたら、山本さんが「こんにちは」と声をかけてくれた。
「まずは蔵をみてもらわないと、わからないと思うから」と、醤油をつくっている蔵の中を案内してもらうことに。
創業は江戸時代の終わりごろ。体についたほこりを落として中に入ると、150年以上使われてきた木桶が静かに並んでいました。なんだか迫力を感じて、思わず見入ってしまう。
ヤマロク醤油では杉の木でできた木桶を64本使っている。一見、ボロボロに見えるこの木桶や蔵の土壁に100~200種類もの菌たちが暮らしていて、醤油づくりをしてくれるそう。
「冬場に仕込んで、春から夏に発酵していくんです。発酵すると、プチプチ音がしてくるんですよ。色の濃いのが熟成中で、去年とか一昨年に発酵したもの。これを絞ってお醤油にするんです」
「年間2万人くらいの方が見学にくるんですけど、人がくると発酵の音が大きくなる。たぶんうちの菌は、人に見られたら頑張るタイプなんじゃないかな」
これは冗談ではなく、本当の話。木桶も生きているから、毎回おいしい醤油ができるエースの桶や香りが特別いい桶など、桶ごとの癖があるそう。桶癖や熟成具合、気候のことも考えながら今は山本さんが一人で醤油をつくっている。
常に変化を気にしながら、手間をいとわず育てていく。なんだか子育てみたいですね。
「うん。菌には伝わっているんですよ。たとえば発酵時に混ぜるんですよね。美味しくなるようにと考えながら混ぜるのと、やる気なく『今日はどこに飲みにいこうかな』と思って混ぜるのとでは、絶対味が変わるんです」
仕込みの日は朝の5時ごろから仕事をはじめ、大豆と小麦でつくった6トンものもろみを手作業で桶に入れていく。夏には40℃を超える蔵の中で混ぜ続ける。でも食べてみると違いは明らかだそう。新しく加わる人にも、気持ちを込めて働いてほしいといいます。
昔は各土地に根付く菌で発酵することで、その土地独特の味や風味を持つ発酵食品が生まれていた。
今では効率や生産性を重視して、タンクで短時間のうちに大量生産する醤油が増えているけど、本来醤油づくりはとても手間と時間がかかるもの。ヤマロク醤油では、約2年かけて醤油をつくっている。
「昔の日本人ってみんなそうだったと思うんですよ。たとえば自分たちが食べられなくても、子どもの代に甘いものを食べられるよう庭に柿の木を植えたり。次の世代のことを考えていた。今はちょっと目先のことばかり考えすぎているような気がします」
確かに「見返りなしで行動することは損だ」と考えてしまうことが増えたように感じる。損得を計算し、少ない努力でいかに成果を出すか。そんなことばかりを考えるようになったら、あとに残るものはなんだろう。
それで本当に幸せなのか。山本さんのお話を聞きながら、そんなことを考えました。
蔵を出て、山本さんと一緒に働く皿田さんにもお話を伺う。
ずっと東京で編集の仕事をしていたそうで、3年ほど前に旦那さんと小豆島に移住してきた。
「100年先のために、今動いてる人がいるんだなと。話をきいて、実際に木桶をみてすごく感動したんです。自分にもできることがあるなら、ぜひやらせてもらいたいなと思いました」
仕事は醤油瓶にラベルを貼ったり、見学にきた方を案内したり。桶をつくるときに箍(タガ)として使う竹を、康夫さんと取りに行くこともあるそう。どれも楽しいと教えてくれる。
「島での暮らしも、思っているより不便ではないと思います。スーパーも近いし。地域行事が頻繁にあったり、玄関に野菜を置いていってくれる人がいたり、田舎特有の距離の近さはありますけど。私は全然嫌じゃないので、それも楽しんでいますね」
一方で、一人前になるまでには苦労したといいます。
「たとえばラベル貼り。1ミリ単位のズレも許されないくらい。今ならわかるけど、最初はどこが歪んでいるのかわからなかったです」
できるようになるまで、いくら失敗しても構わない。でもラベルがずれているような会社は信用されないからと、品質については絶対に妥協しない。
「なぜその細かさが問われるのか、一つひとつの大切さが理解できないとただ辛いだけだと思いますね」
隣で聞いていた、佐英さんも話に加わる。山本さんの妹さんと幼馴染で、ここで7年働いている。みんなを見守るお姉さんのような、あたたかい方。
「疑問が出たら聞いてくれれば、もちろん教えます。でも島の穏やかなイメージとは裏腹に、自分で試行錯誤することになるので、そこは覚悟が必要かもしれないです」
現在ここで働いているのは7人。仕事は基本的に“習うよりも慣れろ”というスタイル。たとえば皿田さんも、山本さんたちが見学にきた方をご案内している様子をみて、少しずつ内容を覚えていったそうです。
守るべきところは守る一方で、おもしろいと思ったことは柔軟にやってみるという気風もある。
たとえば毎年冬に行われる“ヤマロク祭り”。日頃の感謝を込めて、お店の2階からお菓子や野菜を投げたり、なんとバンドのライブが行われることも。子どもから大人まで、地域の人たちがお店の前を埋めつくすほど集まります。
それはヤマロク醤油が地域の人たちに愛されて、この地に根付いている証だと思う。
ここであらためて、山本さんに醤油をつくることになった経緯を伺う。
「大学卒業後に、醤油屋を継ごうと思ったら親父に『こんな儲からんことやらんでええわ』と言われてしまったんです」
小豆島が好きで地元に残りたかった山本さん。地元の佃煮メーカーに就職したのに、思惑が外れ入社後すぐに大阪転勤となり、その後は東京勤務になってしまった。
営業に行った都会のスーパーで、中身よりも値段や見た目重視の商売を目の当たりにする。
「無添加のいい佃煮を持っていっても、値段が高いと言われて安く買い叩かれてしまう。スーパーに売っているものは、大半が添加物だらけだったんです」
もっと品質の良いものが適正な価格で評価され、売れるような仕組みをつくりたいという想いから、実家に戻り醤油づくりをすることを決意する。
とはいえ当時の売り上げは今の1/8程度。累積の赤字もあり、とても食べていける状況ではなかったという。
醤油の価値を高めるために業務用に安く販売することをやめ、そのぶん空いた桶により良いものを仕込む。個人でも使いやすいように小瓶をつくり、木桶を見せてくれると口コミで全国から人がやってくるようになった。ようやく利益が出るようになったのは、5年ほど前のこと。
ところが山本さんは、さらなる壁にぶつかる。
醸造用の木桶を製造できる、日本唯一の桶屋さんが2020年には廃業してしまうことになったのだ。このままでは、今使っている桶がだめになったら木桶仕込みの調味料が消えてしまう。
「誰もやらないなら、自分がやるしかないと。島の大工2人と、桶の作り方を習いにいったんです」
それが木桶職人復活プロジェクト。たった2日半の修行日程で、3本の桶を発注し3人それぞれが違う工程を見せてもらい、つなげると一連の工程がわかるようにした。
とはいえ、その一度の修行で桶づくりのすべてを教えてもらったわけではない。
「自分たちでつくりながら、困ったら師匠に電話して。FAXで送ってもらった資料をみながら3人で話しても、ここの角度はどうなんだとか意見が割れるんですよね」
「ああでもないこうでもないって延々議論して。結局1本目は材料が用意されている状態で、完成まで3週間かかりました。円形脱毛症ができるくらい苦労したけど、それくらい真剣にやらないとできないんです」
醤油を守るために、桶までつくる。山本さんをそこまで動かすものは一体なんだろう?
代々つながってきたものを、止めるわけにはいかないという使命感ももちろんあると思う。でもきっと誰かが考えた結果に従って生きるんじゃなくて、自分で決めたことにまっすぐに取り組んでいるから、目先に結果が見えなくても前に進めるんじゃないだろうか。
自分たちだけでなく、ほかの醤油屋さんも売れる仕組みをつくり市場を広げたいと、新桶をつくるときには全国の醤油屋さんに声をかけているそう。
「1%しかない需要を取り合うんじゃなく、みんなで桶をPRして2%にしようよって。桶の構造を知る人が増えれば、桶づくりの技術も残っていく。それは未来の醤油づくりに必要なことなんです。品質は競争していきますけどね」
最後に山本さんが話してくれたことが、とても印象的でした。
「単純にね、木桶でつくる醤油って本当においしいんですよ。熱々のごはんに味噌汁と漬物があって、焼き魚にちょっと醤油かけたら最高に幸せでしょ。日本人にとってそれだけおいしい醤油って、なくしたらだめだと思いませんか」
ヤマロク醤油で、実際に伝え残されてきたものを身近に感じながら、その価値を知ることは自分と食べ物の関係を見つめ直すきっかけにもなると思います。
山本さんの考えに共感して、自分にもできることをはじめてみようと思ったら、ぜひ応募してみてください。
小豆島にも足を運んで、蔵を自分の目で見てもらえたらと思います。
(2016/12/28 並木仁美)