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「技術を継承し、伝統を守る」それはとても大切なことだと思う一方で、時代に合わず廃れていくものをただ残すだけのような気もしてしまう。
ましてや自分が担い手となるならば、継承するだけでなく、何か新しい可能性を感じたい。
新潟県長岡市与板町(よいたまち)に、戦国時代の刀匠から脈々と受け継がれてきた打刃物の技術があります。
日本一の切れ味を生むこの技術は、どんな刃物にも転用可能。鑿(ノミ)や鉋(カンナ)といったひとつの道具を専門にする職人としてはじめても、経験を積めば様々な刃物づくりに挑戦できます。
伝統を守るというより、むしろ昇華させていくような。そんな次世代の鍛冶職人を募集します。
東京駅から長岡駅までは新幹線で1時間半ほど。
そこから車で30分かけて与板町へ向かいます。
長岡に訪れるたび、この大きな空と一面の田んぼの景色に見惚れてしまう。
お米はもちろん、おいしい日本酒や米菓がたくさんあり、昔から米どころのまちとして知られています。
そんな長岡のなかでも与板町は、昔から鍛冶町として栄えてきました。
起源は群雄割拠の戦国時代。直江兼続の義理の父、直江景綱が春日山から刀匠を連れてきたのがはじまりといわれています。
江戸時代に入って刀が必要なくなると、刀匠は鑿(ノミ)や鉋(カンナ)といった大工道具、鍬(クワ)などの農具をつくっていたそう。
「大工、木挽(コビキ)、葺き師(フキシ)、桶屋(オケヤ)… 鍛冶職人のほかにも、いろんな職人がこのまちに住んでいたという記録があります。その流れはずっと続いて、戦後は復興のために大工道具が最盛期を迎えて、与板には300軒もの鍛冶屋さんがいました」
「私たちも幼いころは、まち歩くと至る所から鉄を打つ鎚音(つちおと)が聞こえてきた思い出があるんですよ」
そう話すのは、越後与板打刃物匠会(以下、匠会)のおふたり。
写真左から、久住誠一さんと大平美恵子さんです。
ところで新潟で刃物といえば、三条を思い浮かべる人が多いかもしれません。
僕も取材をするまでそのイメージでした。与板のことも全く知らなかった。
けど実は、与板は三条のものづくりを支えてきた地域でもあります。昔から与板には販売業者が少なく、このまちでつくられたほとんどのものは三条の卸問屋へ流れ、三条金物として世に出ていたのだそう。
「与板の鍛冶は家内工業です。代々その家の長男が技術を継いで鍛冶屋となり、昔は一家総出で奥さんも鎚を持っていた。そして鑿は鑿鍛冶、鉋は鉋鍛冶、研ぎは研ぎ屋と、いろんな職人の手を渡ってひとつの道具が完成した。地域全体での分業組織だったんです」
「三条はそのあたりが統合されて企業になったり、ブランドとして大きくなったけど、職人ばかりの与板にはそこまでの力がなかった。それぞれが自宅の裏にある鍛冶場で仕事をしてきました」
それは結果として、その家代々の貴重な技術を残すことになった。
鑿、鉋、鉞(マサカリ)、釿(チョウナ)。いずれも戦国時代の刀鍛冶から脈々と受け継がれてきた技法でつくられています。
「与板の打刃物はなんといっても切れ味がいい。鍛接・鍛造(たんせつ・たんぞう)でつくられているんですよ」
鍛接とは鉄と鋼をくっつける工程のこと。そこから何度も打って鍛え上げるのが鍛造です。
これは日本刀と全く同じつくり方。
「鋼は鍛えれば鍛えるほど切れ味が増す。ステンレスや複合材を打ち抜いて大量生産したような安価で便利なものもあるけれど、そういったものよりはるかに切れ味がよく、研ぎ直せば一生使える。見た目が綺麗なだけでなく、使っても素晴らしい刃物です」
しかし時代は移り変わり、生活様式の変化から大工道具の需要は大きく減少。江戸や明治の時代には全国に名を知られていた与板の鑿や鉋も、それをつくるだけでは食べていけなくなってしまいました。
継ぐ人は減り、残された職人の高齢化が進んでいます。
「このままでは与板の打刃物が消えてしまう」
当時、市議会議員を務めていた大平さんが長岡市に訴えかけ、行政と協働で動き出すことに。そして与板刃物を全国各地の職人に今も供給する卸問屋の久住さんと9人の打刃物職人が集い、2011年に匠会を設立しました。
越後与板打刃物のブランドを確立させ、国内外へのPR活動や販売を行っています。
もともと日本でも指折りの技術を持ち、特殊な鑿や鉋などもつくっていた。釿(チョウナ)をつくる鍛冶職人は日本全国でも与板にしかいない。
そういった情報を積極的に打ち出していくことで、全国からさまざまな相談事がやってくるようになった。
「たとえば大手洋酒メーカーさん。木樽をつくるために、樽の内側を削る鉋とタガを回すために跡をつける三角鉋が必要なのだけど、その道具をつくる人はもういなくなっているし、どこに頼んでもできなかった。それでうちらに依頼が来て、与板でつくったものを納めたんです」
「九州の豪華寝台列車『ななつ星』もそうです。あの豪華な内装に使われた組子細工。それをつくるための組子鉋も一度消えた道具で、もうつくれないと言われていたけど、与板の職人が復活させました」
伝統的重要文化財の修復にも、古来から続く特殊な道具が欠かせません。
日本全国で道具をつくる職人が減っているなか、日本刀づくりの技術を活かしてさまざまな刃物をつくることのできる与板の存在はとても大きくなっています。
「ただ、仕事の数は多くない。宮大工さんが使うような特殊な道具は使う人がいる限りつくり続けなきゃいけないけど、それだけでは食べていけない。技術は昔のまま、少しずついまの時代に合わせたものを職人が各々に開拓しはじめています」
渡辺泰啓さんという職人さんは、明治時代から活躍している鑿鍛冶の3代目。彫刻刀や木彫鑿のほかにもアウトドア用品などもつくっている。
バイオリン用に特殊仕様でつくった鑿はドイツのバイオリン職人に使われ、海外にはない切れ味で大評判なんだとか。
「いまはもう残念ながら亡くなってしまったけど、包丁を一生懸命つくった人もいて。もともとは鉞(マサカリ)の鍛冶屋さん。父親から受け継いだ技術を持っていたけど、時代に合わないということで包丁をつくりはじめた」
「彼はドイツへ行って評価されたり、雑誌にも載ったりして。客がつくまで頑張ってやり続けて、包丁の世界で自分の名前が出るところまでいきましたね」
また匠会でも新商品を開発。女性向けの大工道具セットです。
DIYをする人や女性の大工・木工職人が増えていることから、切れ味はそのままに女性に合わせたサイズの鑿や鉋を制作。大手住宅メーカーから注文も入りました。
「日本一の切れ味を追求する。それは与板の譲れないところ。その得意分野を活かしていろんな刃物づくりへ広げていけると思う」
「ただ私たち高齢の人たちでは、なかなか今まで以上のものは思い浮かばない。これからは若い人に技術を受け継いでいただいて、新たに開拓していってもらえたらいいなという気持ちがあるんです」
今回募集する人は地域おこし協力隊として雇用され、任期は最大3年間となります。
はじめの1年間は鑿鍛冶や鉋鍛冶などいろんな職人さんを巡り、自分がつくりたいものや教えを請いたい師匠を決める。
2年目以降はその師匠のもと、ひたすら刃物をつくる修行に入ります。
「ただ正直、悩むところもあって」と話すのは大平さん。
「いままでも何人か若い方が来られたことがあるんですね。けど長く続かないことが多くて。だから、こうすれば必ず立派になれるって保証はないわけです。協力隊の雇用期間が切れたあともどうするのか。非常にそこが悩ましい」
「けど、いつまでもそう言っていられない。自立していくためにこれだけはという技術を早く身につけてもらったりして。来てくれたからには匠会みんなでサポートし、応援していきます」
大平さんの言うように、たしかにここにくれば立派な職人になれるとは限らない。技術を習得するために何年も必要です。
一生懸命に下積みを経験した先にどんな未来があるのか。不安も多いけれど、川野稔さんにお話を伺うと一気に開けた気がしました。
川野さんは明治時代から続く鑿鍛冶の3代目。与板の職人さんのなかでも群を抜いてたくさんの刃物づくりに挑戦しています。
自身で開いた販売店「与板刃物工芸館」には宮大工が使う槍鉋があったり、魚を突くモリのようなものがあったり。用途が全くわからない見たこともないような刃物もずらりと並んでいる。
「自分でも何に使うものなのか分かっとらん(笑)何でもやるんだ」
オーダーメイドを受注している川野さんのもとには日々さまざまな問い合わせがやってくるそう。
伊勢神宮の屋根に葺く杉皮を切るための鉈(ナタ)も川野さんがつくりました。京都でつくっていた人が辞めてしまい、どうにか再現できないかという依頼だったといいます。
「鉄扇っていってさ、新築祝いに送る美術品をつくることもあったよ」
刃物じゃないものもつくられるんですね。
「何でもやるんだ。何だか分からんのも多いけど(笑)」
それでも、つくれてしまうのがすごいです。
「まあ、人がつくったんだから、つくれないことねえと思って」
「そんで人が感激してくれるんだから、うれしいのよ。つくってさ、『いやー良かった!』って」
川野さんほどいろんなものがつくれるようになるには、一体どれだけの年数がかかるのでしょう。
「何十年って話じゃないよ。10年。そのくらい経てばこれくらいできるのよ。5年経てば基本的な刃物はみんなできる」
もっと長くかかるものかと思っていました。
「できる。大丈夫。ただ根性ある人に来てほしいね」
「俺もあと10年すれば、ここにある品物も店も全部捨てることになる。本当に継いでくれる気があれば俺がしっかり教えて、品物も店も使ってもらえるようにしようって。そういう考えなんだ」
刀匠から現代へと受け継がれてきた打刃物の技術を習得し、個性を活かしてさまざまなものへ転用する。
それは単に継承することより、自由度も未来性もあって楽しいことだと思います。
少しでも興味があれば、まずは匠会の職人の方々に会ってみてほしいです。
(2016/12/9 森田曜光)