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垣根を超える生き方が少しずつ一般的になってきました。たとえば、都市と地域を結ぶ仕組みが整って自由な交流が生まれたり、LGBTに対する正しい認識が広まったり。
同じく「働き方」においても、垣根を超えることの可能性や価値が認められてきているように感じます。
一般社団法人RCFのみなさんは、まさにそんな働き方をしている方ばかり。
彼らの社会事業コーディネーターという仕事を紹介します。
身近に何とかしたい課題を抱えている方や、垣根を超える働き方に興味がある方にはぜひ読んでほしいです。
東京・永田町。
地下鉄の永田町駅を地上に向かうと、高速道路に沿って走る大きな道路に出る。このあたりには国会議事堂や首相官邸、諸政党の本部など、国の政治中枢機能が集中しているイメージがある。
路地裏の落ち着いた通りを5分ほど歩くと、RCFのオフィスにたどり着いた。
まずは代表の藤沢さんに話を聞く。
もともと経営コンサルティングの個人事務所を構えていた藤沢さん。その仕事と並行して、ボランタリーベースでさまざまなNPO団体と関わっていたそう。
そこへ起きた、東日本大震災。
「NPOの仲間たちが、みな東北に向かったんです。自分も当然、何もしないという選択肢は0でした」
当初はNPOをサポートする任意団体として、持ち出しで活動を開始。
いざはじめてみると、大手企業や行政から次々と声がかかるようになった。
「震災前、あくまで間接的に地域をサポートしていた多くの企業が、直接貢献したいというスタンスに変わった瞬間だったと思うんです」
「『藤沢はNPOと関わりがあるし、企業との仕事も慣れているだろう』というありがたい口コミもあり。いただいた声に応えていたら、3ヶ月のつもりが5年経ってしまいました」
先日も、設立5周年の記念パーティーを開いたばかり。その場には100名以上の関係者が参加したという。
東北のためになりたい。けれども、何からすべきかわからない。
そんな想いを抱えた企業やNPO、行政や民間など、異なるセクターの人たちをつなげることで新たな価値を生み出してきた。
「復興といっても、本当にもとに戻せればいいのか?まちの状況は大きく変わってしまいましたし、震災前から東北の産業には厳しい側面がありました」
「であるならば、現状に寄り添いつつ、こうしていきませんか?と逆提案していくことが必要です。単に困りごとに応えるだけでなく、新たな提案をしていくためにも、セクターを超えてつなげることにこだわっています」
たとえばリアス式海岸で有名な岩手・宮城の沿岸部では、一つひとつの湾ごとに独自の文化が形成されてきたため、以前は横の連携がほとんどなかったという。
ただ、課題は増えるばかり。少子高齢化に伴う後継者不足や、魚食文化の衰退、そして東日本大震災。この危機を乗り切るためには、「三陸」が一体となって協力していく必要がある。
そうして生まれたのがフィッシャーマンズリーグという団体だ。
名産のカキとワカメを中心に、“SANRIKUブランド”を世界に向けて発信していくため、漁師さんや食品加工メーカー、非営利団体がタッグを組んで結成。商品開発や食育ツアーの開催など、精力的に活動を展開している。
ほかにも、Airbnb Japan社とともに進める民泊推進のプロジェクトや、被災地で働きたい人と人材ニーズをつなげる「日本財団 WORK FOR 東北」、キリン株式会社の食を通じた「復興応援 キリン絆プロジェクト」など。
こうしたプロジェクトがいくつも回っているという。
「ぼくらがコーディネーターと言っているのは、コンサルタントに対するアンチテーゼなんです」
「従来のコンサルタントの主な仕事は、企画を立てるところまででした。ただ、ぼくらは企画だけで終わらずに、プロジェクトを実行していくところまで責任を持ちたい。その想いでコーディネーターという言葉を使っています」
動きはじめたプロジェクトの現場に、事務局として何度も足を運び、現地メンバーと話し合いを重ねたり、イベントがあれば運営のサポートや広報を行ったり。
総務省に申請をかけ、RCFのスタッフが地域に常駐できる仕組みまでつくって取り組むプロジェクトもある。
「とはいえ、長い目で見れば、継続的に実行していくのは現地の人たちなので。セクターを超えてつなぎ、基盤をつくったら引き継いでいく。常に一歩先を歩きながら、一歩後ろから支えていくような仕事ですね」
震災復興の文脈ではじまった活動は、テーマも地域も徐々に広がってゆき、今では全国各地の社会課題を扱うようになった。
「昨年は熊本で大きな震災がありました。我々が東北の震災で経験したからこそ伝えられることもありますし、フィッシャーマンズリーグのメンバーが熊本を訪ねて、ノウハウや当時の体験を共有する動きも出てきています」
「さまざまな社会課題に関われる面白さはありますね。ただ裏を返せば、本当に勉強が必要。最先端のテーマでもあるので、0からつくっていく大変さはあります。何でも好奇心を持って、自分で調べてみたいという人はいいと思います」
今回募集する社会事業コーディネーターは、厳密には2つの担当に分かれる。
ひとつは、既存のプロジェクトに関わるコーディネーター。そしてもうひとつが、新規事業の立ち上げに関わるコーディネーターだ。
前者はこれまでのお話でイメージが湧いてきたけれど、後者はどんな違いがあるのだろうか。既存と新規、両方の担当を兼ねる大槻さんに聞いてみる。
「もっとも大きな違いは、既存の関係性がないことですね。コミュニケーションの対象もその都度異なるので、どういう文脈でどんな言葉を伝えるのがいいか、常に考えながら接していくことになります」
プロジェクトがある程度回りはじめれば、そこまで大きな差はない。それよりも、立ち上げの土台をつくるために、関わる人たちとの信頼関係をいかに築いていくかが重要だ。
外部との協働に慣れた企業が相手ならばスムーズに進むだろうけど、RCFが相手にする方々は本当にさまざま。こだわりが強く、協働に不慣れな地域の生産者さんもいるだろうし、行政には行政のルールがあったりもする。
「大事に思っていることが一個あって」と大槻さん。
「ぼくらの仕事って、うまくいかないことのほうが圧倒的に多いんですよ。いろんな年代やセクターの異なる人同士で、簡単に何かが決まることってまずないです」
「そのなかでも、諦めないことが重要で。どうすればうまくいくかを考え、絶えずやり続けること。メンタル的にも、さあ、次どうしよう?っていう発想に切り替えていけないと続かない仕事だろうなと思っています」
だからこそ、複数セクターの仕事を経験し、その難しさをよく知っている人。特に、チームやプロジェクトのマネジメント経験がある人に来てほしいそう。
「ぼくはもともとコンサルタントとして大手グローバル企業を担当していました。でもあるとき、彼らの利益を最大化していった先に、日本の社会にどんなメリットがあるのかなと思ってしまって。この仕事を続けていくなら、社会的な利益と経済的な利益の両立に挑戦する仕事を生涯かけてやりたいなと思ったんです」
「ここでの仕事は、世の中やほかのセクターにとってどんな意味があるかを考えながら取り組める実感があります。それに、社会課題を相手にするということは、結局ぼくらも受益者なんです。自分の生活につながっているから、自分ごととして取り組みやすいですよ」
この話に大きくうなずいていたのが、佐久(さきゅう)さん。
「同じトピックに向き合ううちに仲間が増えていく感じがして。真面目な話ができたり、触発されて何かやってみようと思えるのはいいなと思います」
たとえば、どんなことを?
「わたしが一番最初に担当したのが、民間企業で経験を積んだ企業人を、社会的活動を行う団体へとつなげるプロジェクトでした」
「企業やNPO勤めの人たちと関わるうちに、『なぜ今そこで働くのか?』や、『NPOで働くにはどんなサポートがあったらうれしいか?』など、ざっくばらんに話す飲み会を隔月ペースで開くようになり。スピンオフして、1週間の合宿をやってみたり(笑)」
社外に限らず、社内にもいろいろなバックグラウンドを持った人がいるから、日々の議論が楽しめる。
地域のプロジェクトを通じて、移住に対する考え方まで変わったという佐久さん。RCFで力をつけ、プロジェクト支援先の地域に移住したり、ほかの企業・団体で活躍している人も実際にいるそうだ。
「2年前、RCFの今後の方針を決めるタイミングがあって。何かひとつのテーマに絞ったほうがいいという意見も出ましたけど、そうせずに、日本全体の社会課題に取り組む方針を貫いたんですね」
「今振り返れば、だからこそここまで幅が広がっているなと。日本のいろんな側面を知って、解決するために誰とつながり、どう推進していくかまで考えて実行できる。日本に関することが詰まっているなと思います」
最後にもうひとり紹介したいのが、こちらの若田さん。
熊本の現場に入り、震災復興のプロジェクトなどに携わっている方だ。
以前はコンサルタントとして働いていた若田さん。週末には環境系のNPOの活動に参加していたという。
「根っこの問題意識は幼少のころからあって。自宅の目の前の山がいきなりブルドーザーに切り拓かれたんです。みんなで遊んだその山にはクワガタや植物がいっぱいいて、向こうには富士山が見えていました。けれども、その景色も新しく建った家に独り占めされてしまった」
どうにもできない力によって、大切な風景が崩れていくのを目の当たりにしてしまった。
コンサルティングの仕事をしていても、お客さんの成功はうれしいけれど、昔からの問題意識が解消していくことはなかったという。
「その点、この仕事はダイナミックですよね。国の制度から、都道府県、市町村と貫いて、地域の課題に直結している。中立的な立場で、一貫したイメージを持てる環境は珍しいと思います」
どの方の言葉にも共通しているのは、垣根を超えること。
そしてもうひとつ、若田さんが「重なる」強さについて話してくれました。
「自分は地域への想いに軸がありますけど、大槻のようにロジックで固める人もいる。そういう人は国にどんどん政策提言をしていけばいいし、自分みたいな人は地域に足を運び続ければいい」
「ここには同じ価値観を持ちながらも、得意分野もスタイルも異なる人がたくさんいるので。その重なり合いでプロジェクトができていくところこそ、この仕事の醍醐味かなと思っています」
越境して重なる。未来の価値をつくり出す。そんな働き方にビビッとくる方をお待ちしています。
(2017/1/12 中川晃輔)