※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
地域に移住して暮らそうと思うとき、どんな基準で場所を選ぶだろう。単に仕事があればいいというわけでもない。そこに暮らす人との相性だって大切なはず。
山形県・新庄市で出会ったのは、人と交わりながら思い思いに動きはじめた人たち。
「自分にもなにかできるかも」
そんなふうに、背中を押されるような気持ちになりました。
ここで、地域おこし協力隊として活動する人を募集します。
コミュニティカフェやゲストハウスの運営を通して都市と新庄をつなぐ人、イメージキャラクターのブランディングに関わる人、そしてこの地に残る歴史や文化を掘り起こし発信していく人の3職種です。
東京駅からは山形新幹線に乗って3時間半ほどで新庄駅に着いた。新幹線が停まることもあって、思っていたよりも街並みは古くない。
山形県の北東に位置し、人口は3万7千人ほど。山々に囲まれた盆地であり、寒暖差の激しい豪雪地帯。だからこそ育まれた食文化や技術がある。
市役所で有名なものを尋ねると「新庄まつりが生き甲斐な人がすごく多い」と教えてくれた。
毎年夏のおわりに開催される新庄まつりは260年以上の歴史を持ち、2016年にユネスコの無形文化遺産にも登録されました。
20台の山車が夜にはライトアップされ、町内を練り歩く。その様は、毎年見ている地元の人でも感動するのだとか。なんと毎年50万人もの人が訪れます。
「でもまつりが終わると、なんだかまち全体が燃え尽きちゃう感じです」
新たな賑わいを生むことが求められている。まちには、すでに活動をはじめている人たちがいるのだそう。
お話を聞きに、市役所から車で10分ほどの「エコロジーガーデン」に向かいました。
昭和初期に養蚕の研究を行うためにつくられた建物のレトロな雰囲気と、木々に囲まれた空間はなんだか心地いい。
このなかのコミュニティカフェ「Commune Aomushi(コミューンアオムシ)」で、お話を伺ったのが吉野さんです。
吉野さんは、エコロジーガーデンで行われている「kitokitoマルシェ」の発起人だ。
キトキトとはこちらの方言で「ゆっくり」という意味。生産者と買い物をする人たちが、ゆっくりと触れ合う時間を大切にしている。
「僕はUターンで。東京ではデザインの仕事をしていました」
実家は農家。デザインの仕事を続けながら、農家の息子・娘が実家の作物を販売するプロジェクト「倅(せがれ)」にも所属し、東京のマルシェで実家米の販売をするようになった。
「そのうちに父親に連絡をしたり、新庄最上地方のことを調べるようになって。なんか地元もいいじゃんみたいな」
地元もいいじゃん。
「地元も捨てたもんじゃないなと興味を持ちはじめて、帰ることにしました」
「地域をまわってみると、いい人やいいお店がいっぱいあるじゃないかって。ただ、市内に広く点在しているから1日でまわることはできない。マルシェなら、魅力がぎゅっと集まっているところを知ってもらえる場になると思ったんです」
kitokitoマルシェは、地域の人たちや市との協働で運営を開始。市の職員や地域の高校生が手伝いにきてくれたり、家に眠っている古道具が建物の雰囲気に合うからと持ってきてくれる人もいるそうだ。
今年で6年目になるkitokitoマルシェは次第に地元に馴染み、今では2000人もの来場者が訪れる人気の催しになっている。
「帰ってきたときは結構気張ってたんですよ。よし!ゼロから切り開いていくぞって。でも私が戻って来る前に、すでにそういう思いでやっている人がいっぱいいたんです」
「自分たちで楽しみながらもっと地域をよくしようとしている人がいる。それを知れたのが、すごくよかったなって」
カウンター越しに吉野さんの話を聞いていたのが、地域おこし協力隊の歩さんです。
東京でイタリアンのシェフをしていた方。地元新庄で事業をはじめるためのステップになればと、協力隊への応募を決めた。
1年目からマルシェの運営に参加し、2年目からは料理をつくってきた経験を生かして、主にコミューンアオムシで活動している。
カフェで使っている食材の生産者さんに取材に行き、聞いてきたことを料理と一緒にカフェで発信。2階では、本をシェアして人とつながる交換図書館がオープンし、冬の間は誰もが楽しく学べる場「kitokito大学」も開講しているそうだ。
本当に様々な取り組みが行われているんですね。
ここで、再び吉野さん。
「やることを用意して、ここに入ってくださいっていうのはあんまりやりたくないんです」
「なんとなくいいなって思ってきてくれた人にやりたいことがあれば、僕らも協力していく。いい感じじゃん、やろうよって。そういう感じがいいですね」
吉野さんたちの存在は、この土地で何かをはじめたい人にとって心強い存在になると思います。
そこに自分の想いやエネルギーを重ねることができたら、きっと毎日楽しいだろうな。
コミューンアオムシをあとにして、次は新庄ふるさと歴史センターへ。
おだやかな口調で、わかりやすく説明をしてくれる歴史センター主事の川田さんと、館内をまわらせてもらうことに。
聞けば、川田さんは新庄の出身なのだそう。
「昔からまわりの大人に『新庄には何もないから、東京や仙台に出て行きなさい』と言われていましたね」
「新庄には誇るべきものがたくさんあるんだよっていうことを、協力隊の人と一緒に再発見して伝えていきたいなと思います」
歴史センターには、まだまだ知られていない価値がたくさん眠っている。
たとえば、と紹介してくれたのは松田甚次郎という人物の展示。宮沢賢治の影響を受けて、今でいう村おこしにあたる活動を実践し、当時は知名度が高くなかった宮沢賢治の名と作品を広く世の中に伝えた人でもある。
ほかにも、地下には市民の皆さんから寄贈された、1万点もの民具が所狭しと並ぶ。
映画の小道具として貸し出すこともあるという品々は、消防団の制服や和菓子をつくるときに使う型、一目では使い道のわからないものも。時代の変化や暮らしぶりが感じられて、眺めているだけでおもしろい。
「整理に手をかけられなくて、今は並べているだけというような感じなんですよ。若い世代や、外国人のお客さまにも伝えていけるように、改良していかなくてはと思っています」
協力隊としてくる人には、川田さんと一緒に歴史センターの中をもっと見やすく、伝え残されてきたものを発信していけるよう、工夫してもらいたい。
たとえば当時の暮らしを絵で再現したり、POPをつけたり。新庄ゆかりの偉人を調べて冊子にまとめるのもいいと思う。
地域の人たちも、新庄の文化を教えてくれます。今回はわら民具作家の伊藤佐吉さんにお会いしました。
「おれは今年90歳だ。藁細工は小学5年生から、兄弟にもいっぱいつくったもんだよ」
新庄では、佐吉さんよりたくさんの種類の藁細工をつくれる人はいないのだとか。伝承者を育てようと、藁細工の講座も開いている。
「これは蓑(みの)。雨風をしのぐんだ。スゲっていう草でな。藁は濡れると重くなるけど、スゲは水を含まないんだ。さーっと落ちてな。こっちはたまご苞(つと)」
“つと”ってなんですか?
「これでたまごを包むんだ。昔は貴重だったから、風邪ひいたと聞いたら持っていってお見舞いしたもんだよ」
この前はハンガリーの人が、佐吉さんに藁細工を習いにきたそうだ。
海外からの旅行者も増えている今、佐吉さんが教えてくれることはその技術以上に、日本の暮らしや文化を残し伝えていくための、足がかりになると思います。
最後にコワーキングスペースGOSALOn(ゴサロ)に、今協力隊として活動するみなさんを訪ねました。
ゴサロは空き店舗を活用し、観光案内や情報発信の拠点として、協力隊がオープンさせた場所。
左から、悠樹さん、優美さん、大森さん、そしてアオムシでもお話を伺った歩さん。
まずは率直に、新庄で暮らしてみてどうですか。
「意外と都会ですよね。スーパーもたくさんあるし、新鮮な野菜がある。日用品は手に入るけど、多様性というかおもしろいものは少ないかも」
「雪かきとか、祭のしきたりとか、暗黙の了解みたいな見えないルールがある。来たばかりの頃はわからなくて戸惑ったな」
やはり都会と比べると、不便なこともあるし田舎独特のコミュニケーションに苦労している様子。
「でもないから自分たちでつくろうっていう感覚が、当たり前にある人が多いなと思って。相談すると前向きにとらえてくれる人がいる。ここだったら、自分もなにかできるかもって思えたんです」
そう話す優美さんは、東京でイベント企画や広告業の仕事をしていた。将来は、新庄でシェアハウスをやりたいという。
「同世代の協力隊と話せたのはすごく助かりました。生きるって仕事するだけじゃないですよね。人と悩み相談をするとか美味しいご飯を食べるとか、そういう拠り所になる場所をつくりたいなと思ってて。ここに来てからのほうが、より想いが強くなりましたね」
「僕は逆にそんなにやりたいことがなくて」と話し出したのは悠樹さん。
新庄へ来たきっかけは、奥さんの出身地だったから。今は農家さんと農業を盛り上げていくための団体を立ち上げ、農業体験ツアーなどを実施している。
ちなみに、前職はお肉屋さんだったというからちょっと驚いた。
「ここにくる前はざっくりと農業に興味があったくらい。これまで団体を立ち上げたような経験は全然なくて。でもまわりから求められていることをやるのも楽しいですよ」
「自分ができることからやってみる。そんな入り方もあるんじゃないかな」
ゴサロを毎日開けていると、いろんな人がやってくる。
たとえば古民家を買ったおじいさんから場所の活用方法を、養蜂をやっている人から蜜蝋を何かに使えないかと相談を受けたり。
ならば女性向けの蜜蝋クリームをつくってみようと、試作をはじめているそうだ。
問題や課題は、どれも見方を変えれば宝に変わる。すでに活かせそうな人や場所、アイディアはあるから、それらの魅力を編み直していくことが求められています。
活動は充実しているように見えるし、もうすぐ任期を終える2人は新庄に定住するそう。
「新庄にきてくれたら、もちろん僕らもサポートします。でも、みんな暮らしていると一度は不具合にぶつかる。そこから、自分はどうしていくかだと思います」
新庄に暮らす人たちは、みんな自分や、自分のまわりの人々の人生、この地域での暮らしを少しでもいいものにしようと動き出している。
まわりの人たちと接する中で、新しい思いが芽生えたり、やりたいことの輪郭がはっきりしてきたり。話していると、仕事をつくることは決して特別なことではないんだと感じられました。
まずは、そこにいる人と会うところから。
少しでも心が動いたら、ぜひ新庄市を訪れてみてください。
(2017/1/19 並木仁美)