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「最近は、寝ていても走ってるような感じです。苦しいんじゃなくて、やりがいがあって楽しいんですけど。走り回るから、きっとスタッフは困ってるでしょうね(笑)」そう言いながら、藤田さんは笑う。

日本有数の家具産地、北海道・旭川を長年リードしてきたこの家具メーカーは、来年50周年を迎える。
それでもなお、三代目社長の藤田さんは走ることをやめない。いや、むしろ加速しているという声も聞いた。
そんな社長とともに、旭川からカンディハウスを発信していくスタッフを募集します。
募集職種はセールスプロモーションスタッフとWeb専任スタッフ。兼任できる人がいれば大歓迎です。
窓の外にちらつく雪を眺めながら、旭川の本社でお話ししました。

藤田さんは、自身のキャリアを「叩き上げ」と語りはじめる。
「学生時代のアルバイトからはじまり、家具をお客さまのお宅へ納品・設置するお手伝いをしていました。バイトをしてなければ入社できなかっただろうと思うぐらい、出来が悪かったですね。デザインは好きでしたけど、基礎科目は得意じゃなかった」
入社後、札幌支店で営業担当に。
横浜の営業所長を経て、36歳で横浜に販売会社を立ち上げた。
本社の社長就任は4年前のこと。
「グループ含めて300人以上の会社ですが、この規模にしては随分と細かい指示もしているなと、自分でも思います。ディスプレイの観葉植物ひとつとっても、こうしたほうがいいとかね」
「単純に、好きなんですよ」

東へ西へ、スケジュールはびっしりと埋まっていた。
「今週末も東京に出張です。4月から東京ショップが南青山に移転するんです。来年の創業50周年に向けた大きなステップアップになりますし、これからどうブランドを発信していこうか、とてもワクワクしています」
常に動き続ける原動力は、どうやら創業者から受け継いだものらしい。
「創業者の長原は、マグロのようだと言われていました。泳ぎ続けないと死んでしまう。自分もそういう感じがしていて」
その長原さんは、一昨年の10月に亡くなった。職人、デザイナー、経営者、指導者、思想家の5つの顔を持つと言われ、12人でスタートしたカンディハウスをここまで引き上げてきたカリスマ的な存在だった。
「長原が残した言葉に、『創造無限』という言葉があります。とにかくいろんな発想をし、いろんな想いを経験していくことが無限の可能性を生む、という意味です。長原自身、誰よりもその実践者でした」
「5階のヒストリールームは、長原の書斎をイメージした部屋です。そこに行けば、今でも会えますよ(笑)」

「現会長の渡辺も含め、これまでの経営者はカリスマ的に引っ張り、ここまでベースをつくってきてくれました。わたしはそのなかで育ってますからね」
「これからは、組織としてもっと強みを出せるはずだと思っていて。指示はしますけど、どう思ってる?とか、どうしたい?というのは積極的に聞きますね」
社長就任後に大きく変えたのが、毎週月曜に行う15分間の全体朝礼。
以前は社訓の唱和など、言葉でのコミュニケーションが主だった。
「ただ、東京に行ったことのない製造部門の人にとっては、『東京ビッグサイトで家具のイベントがありました』と言われてもイメージが湧かないですよね」
そこで藤田さんは、スクリーンとプロジェクターを一新。前の週にあったイベントや展示会について、担当者から全社員向けに情報共有する時間をつくった。

「つまりインナーブランディングですよね。営業だけでなく、ものづくりの現場のひとりひとりまでイメージを共有できないと、にじみ出るようなブランドにはならない」
逆もまた然り。製造現場について、マーケットに近い立場の人たちも知っていなければならない。

具体的には、藤田さんも含めた全社員のスケジュールを共有したり、白黒だった社内報の色やレイアウトを読みたくなるものに変更したり。社内の壁を取り払い、自由にコミュニケーションが生まれる環境づくりを進めてきた。
それは、カンディハウスの軸であるものづくりの理念にも表れている。
「良質な材料から、自分たちの技術で、世界に通じるデザインの家具をつくる。そして自分たちで市場を拓いていく」
メーカーでありながら、原木の買い付けからデザインや販売、修理や植樹活動まで自社で行っている企業はなかなかない。
そうすることによって、確かな品質の製品を生み出すことができているそうだ。

「一方で、どれだけ広がっても根本は旭川の工場にあります」
どういう意味でしょう?
「この工場以外でつくっていないんです。長原の遺志を継いで、絶対にここでつくろうと決めているんですね」
ここから、世界に発信する。
その想いだけは、創業当時から揺らぐことなく、脈々と受け継がれているという。
「家具に対する想いはもちろんあるんですけど、それだけに突出しているわけではなくて。やっぱりこの土地だからという部分は、わたしのなかで大きいんです」
そう話すのは、マーケティング本部マネージャーの岡口さん。
今回募集するセールスプロモーション担当の先輩にあたる方だ。

「このあたりは山に囲まれていて、常に緑が視界に入ってきます。身近なんですよ。木製品を扱っているなかで、自然と共存しているという感覚は強く持っています」

「地域の中小企業を集めてデザインイベントを開いたり、まとまって海外研修に行ったり。旭川デザインウィークというイベントでは、旭川空港が協力してくれたり。それって、地方都市だからできるつながりかなと思うんです」
創立20周年のタイミングでは、旭川市開基100年を記念して「IFDA(国際家具デザインフェア旭川)」を開催。メインとなる木製家具コンペでは、40ヶ国以上から1000点を超える応募があった。以来、3年に一度開催している国際コンペは、今年で10回目を迎える。
応募者は作品を持ち込むか、もしくは旭川のメーカーと共同でプロトタイプを作成。これによって地域メーカーの技術開発が進んだり、デザイナーと契約して実際の商品化につながるケースも出てくるようになった。

これらの自社製品を紹介するカタログの作成も、岡口さんの大きな仕事のひとつ。
「そのカタログが社内のベースになるんですね。さまざまな人が関わってやっと生み出したものを最終的にプロモーションで出していくので、責任も重い。全体の仕事を把握しながら、文言や見せ方を一個一個決めていく難しさがあります」
その際に心がけていることってありますか。
「わからないことはその場ですぐに聞くようにしていますね。事務所も基本的にオープンなので、行ったり来たりしやすいんです」
「何か作業しているときでも、近くで話していることは耳に入れておくとか。どんなに集中していても、ある程度は常に意識を張りめぐらせているかもしれませんね」

「細かい作業も多く、最後は根気だと思います。Webについては社内に教えられる人がいないので、スキルを持った即戦力となれる方を求めていますね。とはいえ、凝り固まっていない、柔軟な人がいいと思っていて」
「Webって技術の更新がすごく早いので、現時点の知識はせいぜい1〜2年の財産でしかない。技術的な素養はもとより、自分の技術を伸ばしたり、新しいことに興味を持てるかという意識的な素養が大事かなと思っています」
定番化した事柄をいかに更新するか。受け身ではなく、自分からこうしない?と提案できることが大事だという。
実は、社内報のレイアウトや色の変更を提案したのは、入社4年目の渡辺さん。
メディアへのプレスリリースやSNSまわりなど、主に広報を担当している。

「WebサイトやSNSの運用についても、もっと工夫ができると思います。あとは海外へのタイムリーな情報発信。内部の人間でないと、細かいニュアンスを汲み取って伝えられないので、英語のスキルがある方だとうれしいですね」
多岐にわたる仕事をさらりとやっているように見える渡辺さん。もともとは家具職人志望だったそう。
「はじめて来たとき、この旭川の風景と工場の雰囲気、それから人のあたたかさに惚れ込んでしまって」
「みなさんオープンで、包み隠さず話してくれたんです。そこがフランクでいい会社だなと思いました」

製造のほうに行きたくなりませんでしたか?
「最初は戸惑いましたが、製造だけでなく、営業や経営まで含めた会社全体のことを把握していないと、広報の仕事はできないので。いろんな分野に触れられるところが面白いと思っています」
たしかに。立場は違っても、おふたりとも経営者としての藤田さんの観点で考える場面が多い仕事なのかもしれない。
現実に対面する課題と向き合いつつも、同じ視線で目指す未来を見つめる。
お話を聞きながら、すごくいろいろなものごとが“見えている”みなさんなのだな、ということを感じました。
それも、眺めているだけではなく行動する。チャレンジし続ける人たちだと思います。
同じ視線を共有したいと思った方は、ぜひどうぞ。
(2017/2/24 中川晃輔)