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出張取材が入るといつも楽しみにしているのが、各地のご飯です。その土地の料理を、つくった方の想いとともに味わう。
あとから振り返ったとき、出会った人や風景が頭に浮かぶこともあれば、その味から思い出せることもあるように思います。
食を通じ、183の可能性をむすんで花ひらかせる。
東京・神楽坂に今春オープンする「むらむすび」というお店で、ホールスタッフやキッチンスタッフ、事務や広報担当のスタッフを募集します。
まだお店はスケルトン状態のため、同じく神楽坂で関連会社の運営する「離島キッチン」を訪ねました。
なかにはいると、むらむすび代表の佐藤さんが迎えてくれた。
佐藤さんは離島キッチンの代表も務めていて、これまでに2度日本仕事百貨で取材をしている方。
「いきなりですけど、お腹空いてますか?」と佐藤さん。ちょうどまかないの時間だそうで、もしよければと誘ってくれた。
せっかくなので、お言葉に甘えていただくことに。
「今日のお茶は?」「加計呂麻島の月桃茶ですよ」
「うちだと納豆に砂糖入れますよ」「それってたしか新潟だよね」
「サヨリってどんなふうに餌を食べるんだろう?」
食べものを起点に延々と話が続く、愉快な食卓。実は、メニュー開発のための試食会も兼ねている。
残さず食べ終え、落ち着いたところでゆっくりと取材に入っていく。
以前は、東京でテレビの制作会社や広告会社に勤めていた佐藤さん。
いつかは地域に関わる仕事をしたいと考えていたそう。
あるとき、試しに転職サイトで求人のすべての検索項目を「その他」として検索してみると、島根県海士町観光協会の「行商人募集」だけがヒット。面接で島を訪ねた際の衝撃を、以前の取材で次のように話していた。
「パチンとスイッチが切り変わるみたいに、景色に色がついて見えたんです」
こうして島に魅せられた佐藤さんの「行商人」生活がはじまる。
ただ、「島のモノを売る」以外に決まりは何もなかった。数ヶ月悩んだ末、全国の離島の食材を伝える離島キッチンのアイデアをひらめいたという。
はじめはキッチンカーでの移動販売から。イベントへの出店などを繰り返すうちに、ご縁もあって浅草と水戸にそれぞれお店をオープンした。
「東日本大震災のとき、ぼくは海士町にいました。そこでたまたま、『日本で最も美しい村連合』のポスターが貼ってあるのを見つけて。そのなかに秋田県東成瀬村の写真があったんですね」
「ぼくは秋田生まれですけど、それまで訪れたことはなかったんです。でも、一連の震災の映像を観ていると、無性に東成瀬村に行きたくなって。いつか東京と地域を結ぶ仕事がしたい、と思っていたからかもしれません」
思い立ったらすぐに行動する佐藤さん。海士町観光協会に「二足のわらじをはかせてください」とお願いして、東成瀬村の地域おこし協力隊になった。
「平日は離島キッチンのお店に行き、週末は東成瀬村で過ごす。水戸のお店では、島のメニューが並ぶなか、東成瀬村定食も出していました」
東成瀬村には、味噌や麹などの発酵文化が根付いている。米や山菜、ヤマメにキノコ類などといった山川の幸も豊富で、食材に事欠かない。
一方で、東成瀬村は学力テストの成績が全国トップクラスという一面も。
「地元のお母さんたちのつくる朝ごはんが、まあおいしいんですよ。なんてことはないメニューなんだけど、裏で採った山菜や自分たちでつくった米を使っていて。あれを毎日食べてたら、子どもたちも頭良くなるよなって思いますよ(笑)」
そんな協力隊としての3年の任期を終え、一時は東成瀬村からの食材の仕入れも途絶えていたそう。
「離島キッチンは、食を通して東京と島、島と島をつなぐことを目指してやってきました。ざっくりと言えば、今回はその村版の『むらむすび』というお店になります」
むらむすびは、東成瀬村を中心に、全国各地のおいしい食材やお酒を扱うおにぎりと小料理のお店。運営元は離島キッチンと別で、佐藤さんが代表を務める株式会社スモールエレファントとなる。
「村の濃密なコミュニティって、住んでいる方のなかには大変に感じる人もいるかもしれませんが、都会ではそれを求めている人も多いですよね。都会に疲れた人がやってくる隠れ家のような、村独特の匂いを醸し出す場所にしたいと思っています」
ただ、それは容易なことではない。
ふるさと納税の普及などによって、最近では少しずつ村にもスポットが当たるようになってきたものの、島と村の認知度には差があるという。
たとえば島と村の数について。有人島の418に対し、村は183。なんとなく村のほうが多いイメージがあったので、2倍以上も違うことに驚いた。
「ぼく自身、まだ村に関しては知らないことも多いです。でもきっと面白いっていう予感がしますし、それを形にする機会をもらったので。まずはじめてみようと思います」
今はまだ、お店のデザインがはじまりつつあるところ。最初の一年は、今回入る方と一緒に立ち上げていく期間と考えているそうだ。
「離島キッチンのノウハウを活かしながらも、同じような場所にするつもりはありません。ただ、同じ神楽坂で場所も近いので、何らかの関わりは生まれるでしょうね。それもやってみないとわからないです」
「狭いお店だけれど、目は全国に向けていろんな人と関わっていけるのが面白さかな。村の人から話を聞いて、いろいろ食べて。五感で感じる仕事です」
離島キッチンと同じようなお店にはしないとのことだったけれど、むらむすびでも取り入れたいことがあるという。それは、毎月ひとつの村に焦点を当てて特集するというもの。
取材した月の離島キッチンでは、東京・伊豆大島のメニューが特集されていた。「べっこう丼」や「温野菜の椿油添え」など、伊豆大島ならではの料理が並ぶ。
「島を紹介する文章を書いたり、写真を撮ったり、メニューを考えたり。毎月ひとり担当を決めて、その人を中心にやってもらっています」
滞在期間は2、3日の場合もあれば、1週間のときも。交通アクセスや島の大きさによっても行程は変わってくる。
「行く人それぞれに別の目的を持っているかもしれませんね。ぼくは将来的に映画をつくりたいので、そのロケハンも兼ねて。もちろん食が優先ですけど、食の背景には絶対にその土地の風景があって、つくっている人がいる。この人にセリフしゃべってもらいたいなとか、想像しながら回ってます」
ほかのスタッフの方は、ここでの仕事をどう捉えているんだろう?
今回募集する人と一緒に働くわけではないものの、お話を聞いてみることにした。
こちらは小林さん。接客に加え、給与の管理やシフトの調整などを行なっている。
「島を訪ねて食材を探すのは楽しいですよ。食べるのが好きなスタッフばかりなので、試食会でもみんなであれこれ言いながらメニューを考えています」
「あとはひとりで島に行くと、勇気を出して普段やらないことをやりたくなったり。後から振り返ると、それが成長につながっていたりして面白いです」
プライベートで小笠原諸島を訪れたときのこと。宿泊先で知り合った人たちと仲良くなったのがきっかけで、1週間の延泊をその場で決めてしまったそう。
「特に印象的だったのがお見送りです。離れていくフェリーを漁船で追いかけて、海にダイブするのが小笠原流なんですけど、それを体験して。太平洋の真っ只中にライフジャケットで飛び込むって、なかなかできないですよ」
過去にプライベートで訪れた縁で、仕事につながったこともある。ほかにも、スタッフさんの知り合いが離島の地域おこし協力隊だったり、自治体から依頼を受ける場合もあるという。
「島出身だったり、詳しいお客さんも多いので、わからないことは逆に教わっています。『あの島のこれを出してほしい』とピンポイントでご要望をいただくこともあるんです。村の場合でも、そこの文化や人にも興味を持てる人のほうがいいと思います」
同じく接客のかたわら、仕入れや価格決めなどを行なっている菊池さん。ずっと飲食業界で働いていたけれど、マニュアル通りの接客に違和感を感じてきたそう。
「ここでは、自分なりに考えて動く機会が多くあります。島に行くときも、役場や島民の方がしっかりアテンドしてくださる場合もあれば、半分以上自由行動のときもあるので。柔軟な人がいいと思いますね」
「仕入れ相手が個人の生産者さんだと、請求書が来なかったり、お魚が届かずに電話したら『今日は漁に出てないよ』ということもあったり。きっちりしようと思いすぎるとストレスになってしまうから、ゆとりを持つことも必要かな」
村のことをあまり知らない人なら、感覚の違いに最初は戸惑うかもしれない。
けれども、ここのスタッフの方たちは、そんな困難も笑い話にして楽しんでいるように見える。
「その島ならではの食材やレシピを知るには、やっぱり地元のお母さんたちに話を聞くのが一番。でもみなさん日常的に食べてるものだから、これでいいの?っておっしゃるんですよ。それが知りたいんです!って、どんどん聞いて」
「そうやって探れば探るほど出てくる。新鮮な発見がいつもあります。今回むらむすびに加わる方も、ぜひ村の方との交流を楽しんでほしいですね」
おふたりと話し終えて、再び佐藤さんに話を聞く。
「絶対的にみんなに必要なスキルがあります」
それはなんでしょう。
「上手におにぎりをむすべること。おにぎりだけはふわっと、こう。ほどよい力加減できれいにむすぶのがミッションなので」
「シンプルだからこそ難しいと思いますよ。最初はうまくいかなくても、村のお母さんたちに教わったり、有名店のおにぎりを食べに行ったり。みんなで研究したいです」
佐藤さんをはじめ、みなさんどこかお茶目な方ばかり。むらむすびでも、こんな人たちが楽しそうに働いていてほしいなと思う。
最後に、まだ離島キッチンが立ち上がったばかりのころに出会った方とのエピソードについて話してくれた。
「愛媛県の岩城島って、今でこそレモンの島として有名なんですけど、そこを25年前に一から築き上げた脇さんという方がいて。いろいろとお話をした帰り際、目をしっかりと見ながら『よろしく頼む』って握手してくれたんです」
当時はまだキッチンカーで回っているころ。仕入れの量も微々たるものだった。
「そんなぼくに対しても真剣に接してくれた。そのときに、売れなかったらどうしようなんて不安は消えて、とにかくこの人に喜んでもらいたいっていう方向に気持ちがシフトしたんですよ」
「おいしくて安全なものをつくる方は、本当にいい方が多いんです。村でもそんな熱い方と出会えるのを楽しみにしています」
村と都市と人と。むすぶとひらく可能性を感じます。
佐藤さんと一緒に、おにぎりと日本をむすびたい方、お待ちしています。
(2017/2/4 中川晃輔)