※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
1000年以上の歴史を持つススキ畑。いざ目の前にすると、しばらく言葉が出てこなかった。

かつては行商人やハイカーだけが見ることのできた絶景で、地元の方々には「亀山」の名で親しまれてきたといいます。
「20年ほど前に、当時の村長が観光立村を打ち立てて。近鉄難波駅のでっかい電光掲示板にススキの映像を流したりと、いろいろな方法で曽爾高原をPRしたんです」
奈良県曽爾村(そにむら)役場地域建設課の木治千和(きじ ちかず)さんが教えてくれました。

「『曽爾高原』という名前は、もともと地図にも載っていなかったんです。それが今ではナビにも出ますし、曽爾高原ビールや曽爾高原力うどんというように、ブランドネームとして売り出されている」
「観光地としてはまだ20年ほどですけど、茅葺き屋根の材料の畑として、この景色は1000年以上も変わってません。ここには日本の原風景がそのまま残っているんですよ」
そんな原風景を求め、国内外から年間50万人が訪れる曽爾村。
この村の地域おこし協力隊を募集します。
実はすでに12名の協力隊が活動中。農業、林業、観光と役割が分かれるなかで、今回募集するのは観光に関わる協力隊です。
主に千和さんや観光協会のみなさんとともに、曽爾村の魅力を発信したり、深掘りしたり。自分の手足で、確かめながら伝えていく仕事になると思います。
引き続き千和さんに村を案内してもらいつつ、お話を聞きます。

曽爾高原のほか、300年ほど続く獅子舞が地域資源として認定され、「日本で最も美しい村連合」にも加盟している。
複雑な地形が特徴的で、突出した形の鎧岳や幅2kmにわたって切り立った屏風岩など、見所も多い。

維新派は、毎年全国あちこちを移動し、野外に舞台を組んで公演を打つ。一昨年の舞台となった曽爾村の健民運動場は、雄大な山々を背景に、夕暮れから夜へと移っていく時の流れがなんとも印象的で、一年以上経ってもその景色がずっと心に残っていた。
「維新派、よかったですよね。主宰の松本さんも無邪気な人でね」
千和さんは受け入れ担当として、裏方で関わっていたという。昨年亡くなった主宰の松本雄吉さんともよく話したそうだ。
「曽爾をすごく気に入ってくれたみたいで、何回も来てましたよ。公演後も『また曽爾でやりたいな』って。ぼくらはいつも見てる村やけど、何かを感じたんでしょうね」
まずは自分の足で、この土地を歩く。村の人と話す。
今回募集する協力隊も、そうやって自分の体で感じることからはじまるような気がする。
「これやってください、ということは明確にないので、まずは自分で探してほしい。そのためにも、春夏秋冬を通して曽爾村を知ってもらうのが大事かな」
その前提に立った上で、村に必要とされている仕事もあるという。
「参考までに」と千和さん。
「曽爾村には全部で5つのハイキングコースが整備されてて、ボランティアガイドさんがいてるんです。ただ、最近インバウンドの需要が増えてきて、英語でも対応できるプロの山岳ガイドがほしいっていうニーズが多いんですよ」
「タクシー会社も1社しかなくて、かなりの需要があるんですよね。あとは空き家が多いので、それを利用して農家民宿のオーナーをするとか。何をしたらいいかわからなければ、そういう方法もあるんじゃないかと考えています」
そんな話をしているうちに、車はファームガーデンに到着した。

ここで働いているのが、昨年4月から協力隊となった竹川さん。

「曽爾村に来た明確な理由はないんです。これをしたいんや!というのがあったわけでもなく。ただ、前職で人と関わるのは好きやなっていうのはあって。今は来てよかったと思ってます」
「村の人は、今のところすごく暖かく迎えてくれてますね。名前まで覚えてくれてる人はまだ少ないですけど、協力隊の子やなとか。いろいろ声をかけてもらえますし」
お祭りの練習にも、1ヶ月間参加したという。
「おっちゃんが『3年間は曽爾村のために一生懸命がんばってほしいけど、その先はまたお前が決めたらええことやし。祭りのときだけ、戻ってきてくれたらおっちゃんはかまへんけどな。はっはっは』って言ってくれたり。村全体として受け入れてくれる土壌を感じます」

秋以降の観光客数は減ったものの、最近はふるさと納税の事務的な調整や返礼品の梱包、発送手続きなどでバタバタする日もあるという。
「今協力隊が12人いますけど、積極的な人が多くて。前職を聞いたら、一般企業でバリバリやってきたような人たちばかりですし、誰としゃべってても『次こうしたいねん』っていう話が出てきますからね。ゆっくり、のんびりした田舎暮らしを想像してくると、たぶんしんどいですよ」
「その分、積極的に提案すれば取り入れてもらえることもあります。曽爾高原ビールのラベルを考えるときも、自分でつくって提案してみたら、そっちのほうがええなあって取り入れてくれはりましたし。まだ来て1年も経ってないのに耳を貸してもらえるのは、ありがたいことですよね」
毎月開く協力隊の報告会にも、村長と副村長が2ヶ月に1度参加していて、直接声を届けることもできる。
ほかの協力隊とも、良い意見交換の場になっているようだ。

「ふるさと納税額が去年を超えたのは、単純にうれしかったですね。ぼくは、お金は大事やと思っているので。赤字は誰も幸せにしないじゃないですか」
「いくらゆるやかなリズムがあるといっても、この村には子どももおるし、その下の孫の世代もおるわけですから。そこにつないでいくためには、金銭的な部分にしっかり目を向けていかないといけないんじゃないのかな、と思うんです」
そのためには、ふるさと納税でモノを送って終わり、ではあまり意味がない。
モノをきっかけに村を訪ねたり、口コミを通じて2回3回と旅したくなるサイクルをつくっていきたいと竹川さんは話す。
「新しく何かつくるというより、今曽爾にあるものをどう活かすか。素材はあるんですよ。あとは見せ方伝え方ですよね。たとえば、村のホームページは改善できる部分だと思うので、そのあたりが触れる人だとすごくいいんじゃないかと思います」
ファームガーデンを離れ、今度は民宿「木治屋」へ。
築百数十年の古民家を一部改築したこの宿は、観光協会会長の木治正人(まさひと)さんが生まれ育った実家でもある。

「おれはこの村が大好きやねん」
言葉の通り、曽爾村の話になればよどむことなく話し続ける。そのエネルギーに、時折圧倒されそうになる。
「今は第4次産業革命が起こりつつある。AI(人工知能)や。これまで連綿とつながってきたものが技術開発によって断絶すると言われとる。自動運転なんか、実現したらタクシー業界は困るわな」
「でもな、うちの村にはお金をなんぼ積んでもつくれない自然があるやんか。その地元の宝に光を当てることをせないかんと思う」
資源のひとつに、漆がある。
実は曽爾村は漆文化発祥の地とされ、古来より「漆部郷(ぬるべのさと)」と呼ばれてきた。かつては漆が豊富にとれ、漆芸職人も数多く存在したという。
ただ、今では名前だけが残り、漆文化は途絶えてしまっていたそうだ。
そんな漆文化を未来へつなげようと、一から漆を育てたり、わずかに残った村内の漆を活用し、工芸品を製作・販売する「漆部郷復活!プロジェクト」がスタートしている。

「どれも観光の要素を持っているし、誰でも取り組めるものだと思う。観光って、光観(み)んねんで。もっと言えば、感性の感やと思う」
感光、ということですか。
「うん。人が光を感じることはすべて観光やと思ってる」
「ただ、光を感じるにはそこに光が当たってないとあかん。地元の宝に光を当てて、見えるようにする。結局はそこにつながっていくと思う」

たとえば、SNSで曽爾村の日常を発信したり、千和さんの言っていた山岳ガイドツアーのような企画を実施することで、そこから情報を得たり体験した人が光を感じられるかもしれない。
その意味では、まず協力隊自身の光を感じる感性が大事になってくる。何にグッときて、それをどう伝えるか。
「ひとつ、コンセプトとしては“そぞろ歩きができる村”っていうのがええんちゃうかなと思ったんや。ぶらぶらっと歩くと、そこには花があったり、田んぼの景色があったり、木と木の間から見える景色があったり」
そぞろ歩き。良い響きですね。
「ピンポイントの景観をつなぐと風景になる。そこに人間の生き様や暮らしが積み重なると風土になる。まずは一つひとつの景観に光を当てていくことが大事やと思う」
「ノウハウを持ってるか、持ってないかやなくて。想いだけ持ってきてもろたらええよ」
帰り際、千和さんが屏風岩公苑まで連れていってくれた。
夕陽に照らされた屏風岩はピンクに光り、背後には一面の紀伊山脈が広がる。
「きれいですよね。何回来てもああ、ええよなあと思うぐらいやから」

観光を通じていろんな方にあの景色を味わってもらいたいですし、今回の募集が良いご縁につながればいいなと思います。
(2017/2/1 中川晃輔)