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鶴は千年、亀は万年

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「不器用な人はひとつのことを突きつめて、そこに丁寧さを生み出す。器用な人は一点に絞らず手広く取り組む。成長の仕方は異なれど、どっちも一流になる可能性はあんねん。何年かかってもええから極めてほしい。突きつめたら魅力的な仕事だと思うねん」

担い手不足と日本文化が色濃くのこる仕事では、若手の挑戦をみんなで応援したくなるもの。

若手側にしてみても、自分を認めてくれている人に囲まれて仕事ができる環境は、何にも代えがたい喜びを感じると思う。

家族のような小さな共同体で生きていくには、即戦力や技術よりも、人間性や信頼関係といった姿勢のほうがはるかに大事になってきたりする。

亀寿司大将の山田昌宏さんの話を聞いて、そんなことを考えていた。

今回の募集は、大阪にある「亀寿司」で働く寿司職人。

 
梅田駅から歩くこと数分、商店街の一角に亀寿司が見えてきた。

02 総本店の向かいには本店が建ち、すべて合わせると100席ほどある大きなつくり。

それでも休日には、お昼からお客さんの列が途切れないとか。

時刻は11時。さっそく総本店に入ると、まだ開店まで時間があるのに働いている人の姿が目に入った。

「昼の営業は12時からだけど、若手は早く入って仕込みをしたり、自分の腕を磨く練習をしたり。やっぱり続けるということが結果を生む仕事だからね」

そう話すのは大将の昌宏さん。

職人という言葉から勝手に頑固なイメージを持っていたけれど、話を聞けば聞くほど柔軟な視点で働いてきたことが想像できる。

06 「親父がお店をはじめた時代からお寿司は高級っていうイメージがあったけど、当時はお米が配給でしか手に入らなかった。そこで、親父はお客さんが持ってきたお米でお寿司を握っていた。それが亀寿司のはじまりやね」

今も昔も変わらないのは、大衆のためのご馳走を握るということ。

ところが、90年代はじめに回転寿司が普及したことで、大衆の定義は大きく変わる。

「1皿100円の寿司が大衆化したことで、回転寿司と高級寿司の間に位置する寿司屋が苦しくなってな。大阪市内の寿司屋も、半年で4分の1が潰れたんだ」

一方で昌宏さんはそうした現状に可能性を感じていた。

なぜなら、回転寿司のおかげで寿司屋に対する敷居は低くなり、小さな子どもたちもお寿司屋に来るようになったから。

「その子らが社会人になったとき、『今日は特別な日やし亀寿司に行こう』っていう人が増えはったんよ。そのときに、やっぱり回転寿司とはひと味違うね、ってうならせるのが僕ら職人の仕事ちゃうかな」

職人の仕事。

「つまり、一人前の職人として一通りできるかどうかやねん」

04 『安さ』がひとつの売りになったことで、中にはかんぴょうやシャリを自前で仕込まず、卸で仕入れるところもあるという。

「買ったかんぴょうには防腐剤が入っているし、甘くて濃い。昔は各店ごとの味付けと理由があったんだよ」

亀寿司ではザラメで煮詰めることで、甘さにさっぱり感をだす。冷えても、ベタ付かずに巻寿司にいれられるといった工夫も。

「買ってきたシャリでネタを握るって、どこにアイデンティティがあんねんって。シャリの炊き方から魚のさばき方まで1からできるよう育ててやらんと、職人でもなんでもないと思うね」

変わらない姿勢を徹底して続けるからこそ、亀寿司が提供する『大衆』は特別なものに感じる。

05 とはいえ、何事も極めるのは簡単ではない。

「まずは大根の桂剥き。厚くてもええからひとつながりで切れるように。そこからだんだん薄くしていき、幅も大きくしていく。刻むこととさばくことが完ぺきでないと、魚はさばけないからね」

魚によって骨と身の硬さが異なるので、基礎をおろそかにするとサーモンなんかは骨まで切ってしまうことが多い。

「魚を見て、骨がどう付いているかを見極める。そういう技術は数年働いてできるようになる」

実際にマグロをさばいているところを見せてもらうと、なんだか包丁の先まで自分の神経が通っているように見える。

_MG_9843 のコピー 「でも今は包丁じゃなくて、カッターで冷凍パックを開けて提供する店もあって。近い将来そういった誰でもできる仕事が増えるんとちゃうかな」

「そのなかでも、『師』のつく職業はなくならないと思うねん」

調理師や医師、美容師など、人に直接さわったり、互いの顔を合わせて関わったり。

そうした職業は、熱量やぬくもりが際立って伝わるんだと思う。

 
人と言葉を交わすところから仕事がはじまると実感したのは、次の亀寿司の看板を担っていく山田紘之(ひろゆき)さんの話を聞いたときのこと。

07 「お客さんに対してもスタッフに対しても、間に立って架け橋的な存在にならんとあかんと思っていて」

「寿司屋に限らず、飲食業自体がしんどいっていうレッテルを貼られているから、どうやって打開するかは僕らの課題やね。次のステップアップとして僕ら若い世代がどう動くか。女性の板前もありやと思うな」

紘之さんが寿司屋を目指すきっかけとなったのは、高校生のころに経験した亀寿司でのアルバイト。

「『オヤジ』という姿しか知らんかったけど、働く姿がすごいかっこよくて。こういうふうに働いて、僕らを育ててくれたんやっていうのを自分で確かめられたことがいちばん大きかったかな」

もちろん、実際に働いてみると厳しいことも多かった。

「体力やスキルが身につくまでは大変やった。だけど、それ以上に同じ場所で働く人同士がどれだけ心地よく働けるかやねん」

これからの亀寿司を引っ張っていく立場になるにつれて、その意識は大きくなっていった。

「職人気質の環境が合う人もいれば、回転寿司のような環境が合う人もいる。だからこそ、結局は人が大事になってくると思うねん。ぼくみたいに何くそって思ってやる子もいるし、怒られたらしゅんとなる子もいる。ちゃんと人を見極めて、教え方から考えないといけない」

08 何がうれしくて、何に対して辛いと思うかは、人によって異なるもの。

それでも人間関係がうまくいっていれば、働くことも楽しいよなって思う。

だから、それぞれが心地よく働くにはどうしたらいいか考える。

「アルバイトの子が味噌汁こぼしたとか、お客さんにお茶ぶっかけたら、そりゃ怒るよ。でもそういうことも含めて、成長の糧になったらええんちゃうかな」

馴染みのお客さんが前に座り、自分が握ったお寿司を食べる。美味しかったと言ってお店から出て行き、営業が終われば仲間同士でくだらないことを話しながら片付けをする。そんな日常が見えてくる。

「そもそも営業中ずっと握っていられるのって、お客さんが入ってきてくれるからやねん。今この場があることがすごいことで。そうした場所があり続けていることが良いことなんよ」

k09 「ただ、当然しんどいことはしんどいですよ」

開店は12時だけど、ほとんどの人が自分のスキルを見極めて朝早くお店に入り、技術を磨く。

「もちろん1年で握れるようになればそれでええと思う。でもただ握れたらいいわけではなくて、10年後も同じクオリティを維持でできるかだと思うねん」

「わさび抜き注文されても入れちゃうときがあんねん。それはもう体に染み付いているからで、すいませんって謝りますわ。その期間はほんま人それぞれやで。1年の人もおれば5年かかる人もおるね」

 
最後に話を聞いたのは、亀寿司に入って3年目の吉村久仁彦さん。

10 高校を卒業してから23年間、焼き鳥屋におでん屋、それに焼肉屋などさまざまな飲食店を経験してきた。

「いろんな店で働きましたけど、技術がなくても調理できるんです。だからこそ、1から技術を学びたい気持ちは常にありました」

「焼き鳥屋で働いたときも、鳥さばけるの?って聞かれたら中途半端な技術しかなくて。そういう葛藤が常にありましたね。魚をさばくにしてもいろんなやり方がありますが、寿司屋だったらすべて学べると思いました」

実際に働いてみて驚いたのが、お店のスピード感。

「ぼくはおっとりしている性格なもんで、握るスピードもお客さんの注文も、回転が速いのには驚きました」

11 「あとは自分も長いこと飲食店いるんですけど、すべての工程をやらせてもらえるのは自分のためになりますね」

これまで寿司を握った経験がなかった吉村さん。

けれども、この3年間ひとつひとつ目の前の仕事を丁寧にこなしてきたからこそ、現在は板前として寿司を握るまでに。

「知識や経験がなくても真面目さが評価されるといいますか。ぼくは畑違いの人でもいいと思います。結局どんな仕事でもしんどい場面はあるので」

「3年はすぐに過ぎましたが、それだけ居心地の良さは大きかったと思いますわ。飲食店だとどこも同じような時間の流れで働いてきましたが、亀寿司はかなり楽なほうですよ」

休憩時間は2、3時間とれるし、週に2回は遅番といって午後から働ける制度もある。

「握れないまま働きはじめましたが、今は握った寿司をお客さんが美味しいって言ってくれる。今までいろんなお店を経験してきたなかでここにたどり着きましたが、いちばん働き続けたいと思いましたね」

12 先代から変わらない、『大衆のためのご馳走を握ること』を忘れずに、看板や技術、変わらない日々を今後へとつなげていく。

そうした働き方は、当たり前のようでいて意外と忘れられがちな、大切なことだと思う。

 
最後に、印象的だった大将の話を。

「昔、東京に有名な落語家がおってん。彼は子供のころから言葉に詰まることがあるからいうて、親が落語家に弟子入りさせたねんて。ところが、名人になっても治らなかった」

そこで、彼はこれは危ないと思ったら話の途中でも言葉をピタッと止めた。

「すると客は拍手喝采、それが彼の味になってんやな。不器用さを自分のものにするっていうのは、そういうことやと思うねん。ハンディキャップがあってもやれる人はやれる。それに対して僕らは絶対に評価しないといけない」

「吉村君も最初は俺の横でずっと修行させて、気を使うから握れるまでの3年はしんどかったと思うわ。でも俺のやり方を真似て、みるみる成長していって。今では向かいの本店で握ってますわ。彼はもう変な失敗はせんよ。そこまで変わるのに3年かかったけど、そこを耐えられるかどうかやね」

13 亀寿司の板前を名乗るには、男女関わらず根気強さは必要だと思う。

それでも万年続けられる生業を体に馴染ませたい。そんな人からのご連絡をお待ちしています。

(2017/03/21 浦川彰太)