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こんなにいいモノ、いい風景がある。地域のPRというと、これらの視点が中心だったように思います。
それが観光や購買を促進したり、移住につながることもあるけれど、表層的な情報はすでに世のなかにあふれています。いくら地域に資源が眠っているといっても、そこだけに目を向けていてはいつか限界がくる。
そんな時代にあって求められているのは、見過ごされるような地域の当たり前や、人々の何気ない日常なのかもしれません。

ライターや広報の経験は必ずしも必要ありません。むしろ、スキルや先入観を持たずにありのままを伝えるという意味では、経験はないほうがいいかもしれないです。
また、最初の半年間は地元のケーブルテレビ局「中讃テレビ」に出向し、取材や映像の撮影、編集などを身につけていくこともできます。
任期の3年を終えた後、どう生きていくか。ここでの経験が未来へとつながる仕事だと思います。
香川・まんのう町。
近隣の丸亀市や高松市、こんぴらさんで有名な琴平町に比べると、知名度では劣るこのまち。昨年に一度取材で訪れるまでは、ぼくも正直まったく知らなかった。
羽田空港から高松空港まで、飛行機で1時間半ほど。さらに高速バスで40分ほど行くと、まんのう町役場前に到着する。
ちょうどお昼の時間帯ということで、まずは役場のみなさんと腹ごしらえを。
役場からほど近いうどん屋さんでは、この日はじめて試作したという竹炭うどんをいただいた。

地元の方にとっても珍しいようで、「これ、なかなかええんちゃう?」と楽しげに写真を撮るみなさん。同じ食卓を囲んでから取材に入るのもありかもしれない。
聞くと、昨年のまんのう町地域おこし協力隊募集の際も、個人面接の前に食卓を囲む時間をとったという。
「そのほうが雰囲気的にも話しやすくなるでしょうし、食事の場面から何かみえるものがあるんじゃないかということで、そんな形をとってみました」
教えてくれたのは、まんのう町役場企画観光課の阿宅(あたく)さん。
マルシェを手伝ったり、自らコンサートを企画したりと、プライベートでも地域を楽しくする活動に取り組んでいる方だ。

「たとえば、お昼に食べたうどんをSNSで発信しても、『平日の昼間から仕事もせんで何しとるんや』と誤解が生まれやすい。どうしても気軽な発信は難しい場面もあります」
根底にあるのは地域を盛り上げたいという気持ち。けれども、公的な仕事のイメージが邪魔することもある。
「行政にいながらタブーかもしれないですけど」と話してくれたのは、合併に関する話。
「まんのう町は、2006年に旧琴南(ことなみ)町、旧仲南(ちゅうなん)町、旧満濃町が合併してできたまちなんですけど、それによって端の地域は疲弊する速度が早まったと思うんです。それはひしひしと感じるんですね」
旧3町はそれぞれ、気候や天然資源、環境などが大きく異なる土地だった。
垣根は取り払いつつも、互いに尊重し、残していくべきものもある。
「すべて効率重視にするのがいいとは限りません。その土地ごとの風土や文化がありますから。それをお互いに理解した上で、町全体を盛り上げていきたいんです」

現在、旧琴南地区で活動する協力隊の福本さんは、東京生まれ東京育ち。
幼いころから、自然とともに生きる生活に憧れがあったそう。

「ここに来てみて、みなさん生きていく力がものすごいんですよ。高齢の方々もびっくりするほどパワフルで。この暮らしをちゃんと受け継いでいかないともったいないし、結局自分がやるかやらないかだな、と思いました」
まんのう町を知ったのは、東京のカフェバーで働いていたとき。同僚がオーストラリアを訪ね、道中で車が故障したときに日本人に助けられた話を聞いていた。
話によると、その人は草履を一からすべて手作業でつくっており、田んぼなどを手入れしながら暮らしているという。

今はその人のもとで草履づくりの修行をしながら、地域の方とおそばの振興会を立ち上げて畑を開墾したり、道の駅でのイベントの企画運営などを行なっている。
また、廃校となった中学校を活用し、地域内外の人たちの交流拠点をつくる計画も進行中だそう。
昨年、その廃校を使って開催したイベントでは、移住者のプロミュージシャンを招いたインド音楽ライブのほか、チャイやカレーといった食事も提供。おとなりの徳島県からも、噂を聞きつけたお客さんが何人か来てくれたという。

福本さんにとって、まんのう町の魅力ってなんでしょう。
「まんのう町は、選択肢があるまちだと思います」
選択肢?
「役場周辺のエリアなら何不自由ないまちの生活ができますし、離れていけば農業を主体にした生活や、山手にいけば里山のような生活、本気を出せば山奥にこもって生活することもできます。それぞれのビジョンに合わせた暮らし方ができるんです」

高松や徳島へは車で約50分、高知までは1時間半ほど。近年移住者を増やしている四国のまちとも近い関係にあるため、視察に訪ねたり、ネットワークを形成して連携した打ち出し方をすることも考えられる。
香川県内ではすでに「さぬきの輪Web」というメディアができていて、各自治体の協力隊の活動報告やインタビューなど、現場の生の情報に触れられる体制が整いつつある。また、協力隊同士の活動報告会「さぬきの輪の集い」も定期的に開かれている。
あとは、いかに外に向けて発信していくか。
「田舎暮らしのレジャー体験のようなつもりで来たら、その人自身がきっといろいろ悩むだろうと思いますね」
そんなふうに話すのは、仲南地区で活動する協力隊の富山(とみやま)さん。昨年、日本仕事百貨の記事を読んでこのまちにやってきた。

レジャー気分でいられないのは、地域の人の本気を感じるから。
「特に、岩倉さんには驚かされっぱなしですよ」と富山さん。
ひまわり農家の岩倉さんは、もともと大工の棟梁だった方。ほかにもさまざまな作物を育てていたり、自治会長を務めていたりと、そのパワフルさで仲南地区を引っ張ってきた。
約半年間その背中を見てきた富山さんは、忘れられないやりとりがある。
「県内では岩倉さんしかつくっていないマコモダケっていう作物があるんですよ。料亭や高級な八百屋さんが買いにきて、値段をまけてくれって言うんですね。でも岩倉さんは、絶対に値段は下げないんです」
それはなぜですか?
「『今は自分しかつくっていないけど、今後ほかの人がつくるときに相場を下げると迷惑がかかるから』って」
「ただ、おまけは10%ぐらいつけるんですよ。結果的に1割引にはなってる(笑)。ぼくはずっと公務員でそういう発想がなかったので、そのバランス感覚が粋だなと思いました」

豪快で、クレバーで、誰よりも自らが動くので、みんなついていかざるをえなくなるそうだ。
「現状、ひまわり油の販売は町内に限られていて、物産展やアンテナショップにすら置けてないんです。今年中には東京や大阪でも売れるような格好にしていきたいと思っています」
従来のパッケージも残しつつ、デザイナーや料理研究家の方を巻き込んだブランディングも進行中。そういった役割は今回入る協力隊が担える部分も出てくるだろうし、富山さんや福本さんらほかの協力隊との一歩踏み込んだ連携がかなり大切になってくると思う。
最後に話を聞いたのは、地元のケーブルテレビ局「中讃テレビ」の山路さん。

「これからは人口減少の時代ですから、視聴者のパイが減りますよね。当然、町内の情報を町内に放送する従来のケーブルテレビのようなビジネスモデルはシュリンクしていくだろうと思います」
「町内のことを外に発信していくことで新たな価値やビジネスの機会が生まれるでしょうし、海外への展開だって可能なはずです」
そのために必要なのは、アウトプットのスキルよりも、目の前の人と会話のキャッチボールをする力だという。
「100%聞ける人は、アウトプット能力が50%でも50%は伝えられるじゃないですか。でも50%聞く人のアウトプット能力が50%だったら25%しか伝わらない」
「意欲さえあれば、アウトプットは繰り返すことでいくらでもできるようになりますから。ちゃんと目を見て話を聞き、会話のキャッチボールができる人であれば大丈夫ですよ」
その点まんのう町は、役場のみなさんや地元のキーマンたちも話に耳を傾けてくれる人が多いから、いい関係を築きやすいと思う。

軽い気持ちで来てくださいとは言えないけれど、経験は必要ないし、迎える態勢も整ってきているので、間口は広いと思います。
自分の力が発揮できそうだと思ったら、このまちに飛び込んでいってください。
(2017/3/10 中川晃輔)