※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
小さなまちであればあるほど、そのまちの仕事ってとても大きな存在だ。地元の人の生業になったり、住民どうしの会話のきっかけになったり。
どんなに小さな仕事でも、たとえ大きなお金は生まなくても、その仕事があることがまちの人の生きがいになることだってある。
一つの仕事に町中の人が関わるようになれば、そのまち全体が一つの企業のようになっていく可能性だってあるかもしれない。
今回募集するのは、そんなまちの仕事をつくっていく人。
舞台は熊本県の離島、天草市の南にある魚貫崎(おにきざき)集落。
周囲から隔絶された独特の地域で、夏は美しい海を求めて人が集まる穴場スポットです。

受け入れ先となるのは、“天草レストハウス結乃里”。
この宿をつくったのは、大好きな海のそばに移住し、気づいたら地域の仕事をつくっていたという2人組。
大好きな場所で生きていくために2人が行き着いた目標が“集落を企業にする”というものでした。
起業をしてみたい、海のそばに移住をしてみたい。挑戦するきっかけは何でも構いません。
小さな海辺の集落でどのように生き続けていくのか。2人のお話のなかに地域の仕事をつくる手がかりがあるように思います。
天草空港から車を走らせること1時間。
山道をしばらく進むと突然道がひらけて、目の前に青い海が広がった。透き通った水面はまるでゼリーのようにきらきらとしていて、思わず車を停めてしまうほど。
今日の目的地、“レストハウス結乃里”はそんな海岸沿いにある。

結乃里の代表、高廣さんだ。
ちょうど今は宿は閑散期。海の見える食堂でお話を伺うことに。

宿のほかにもマリンスポーツのガイドをしたり、魚貫崎のフィールドを活かしたさまざまなアクティビティの開発をしている。
魚貫崎に住みはじめたきっかけは「たまたま」だったそうだ。
「海が大好きなもんだからダイビングを趣味でやりよって、なんとか海のそばで生活できんもんかなと考えとったんです」
熊本市街に住んでいた高廣さんは、週末になると海にもぐるため魚貫崎のある南天草、牛深へと車を走らせる生活を20年近く続けていた。ちなみに片道3時間、これを毎週末欠かさず続けていたというのだからおどろきだ。
定年後は南天草に移住しようと考えていたとき、研修所として放置されていたこの施設が売りに出されたことを知り、早めに計画を実行することに。
「ここでダイビング専門の旅館でもするかって、軽い考えで始めたんです」
ひとまずダイビング客の宿としてはじまった結乃里。
魚貫崎の人たちからは「いつまで続くかな」と遠巻きに見られていたそうだ。
それもそのはず。小さな漁村の魚貫崎では、若者は仕事を求めてよその地域に出ていってしまい、残ったお爺ちゃんお婆ちゃんが漁や家庭菜園をするばかり。よそから人が住み着くようなことはめったにない。
今も携帯電話の電波が届かないところはあるし、最近までテレビのデジタル放送も映らなかったほど。買い物をするところもないから人に会うきっかけもない。
「はじめはダイビングガイド一本でやっていこうとしたけど、それだけじゃ継続できなくて。一般旅館に変えていったり、アクティビティを増やしたり、生きていくためにサービスのカテゴリを増やしてきました」

ただ、そのころはまだ閉鎖的なまち、という印象だった。
それがだんだんと「誤解だった」と気づくようになる。
「一緒にいるうちに、料理が得意な婆ちゃんにはここの目玉になる御膳を考えてもらえないかな。漁師さんだったら魚釣りができるから、その技術で観光体験をしてもらえないかなって考えるようになって」
つかずはなれずの交流を続けていた近所のお爺ちゃんお婆ちゃんを、自分たちの活動に巻き込むことに。
すると、おどろくことに地域のお年寄りたちはよろこんで参加してくれた。
地場の食材をつかった魚貫崎御膳を考案したり、クリスマスキャンプと銘打って開かれた子どもたちの魚つり体験のお手伝いをしてもらったり。
「こっちから一歩入ってお願いできれば、受け入れる側も受け入れやすいんだと思いましたね。ここの人たちは、毎日同じ顔ぶれのなかでやることを見つけられないだけ。やることがあるとみんな本当にいきいきとするんです」
とはいえ、お小遣い程度でも対価をもらうことを遠慮する人が少なくないんだとか。
「ダイビング中の船の見張りを漁師さんに頼むんだけど、『船に乗っとっただけでお金をもらってええんか』と言われるわけです」
そういうときはどうするんですか?
「会話しかないです。私からしたら、船に乗ってくれているだけでものすごい心強いんだと。漁師たちには、『魚を釣って組合にあげる時代じゃない。魚を釣る技術を商品にする時代だ』とずいぶん言ってきました」
高廣さんは、知識や技術を活かせる仕事があれば、歳をとったお年寄りたちにも生きがいを与えられる。そう確信しているそう。
うまくまわりはじめた天草レストハウス結乃里。
それは高廣さんと一緒にこの場所をつくってきた武田さんもいたから。海の男の厳しさを見せる高廣さんに対して、武田さんはおだやかな海を思わせる女性です。
「魚貫崎で私がおもしろいと思うのは、『これ絶対いい!』とひらめいたことが何でもできること。企画したことが一つひとつ実現していくのが楽しくて仕方ない」

武田さんがはじめたビーチコーミングも、だんだんと芽を出しようやく花を咲かせようとしています。
ビーチコーミングというのは、浜に流れ着いた漂着物をあつめたり、それらを使って工作すること。
武田さんは結乃里の一つのアクティビティとしてビーチコーミング体験を提供するようになり、啓発活動を続けてきた。その結果、なんと全国漂着物学会の2017年大会が天草市で開かれるまでになったそう。
観光客のためにつくった散策コースにある畑の看板も、お婆ちゃんたちとビーチコーミングでつくったもの。天草=ビーチコーミングというイメージが定着すれば、また違う層の人たちが魚貫崎に来てくれるかもしれない。
実際この日もビーチコーミングの展示のお手伝いに、県外から大学生がやってきていた。

地域を歩く観光客のために、畑の脇にきれいにお花を植えはじめたお婆ちゃんもいる。
地場の高菜をつかったキムチづくりは、地元で開かれるマルシェでの出品に向けて準備しているところ。地元のお母さんたちの活躍の場になればと考えているんだとか。
「高菜の話をしたら、育て方や収穫の時期のアドバイスをくれる。あるお婆ちゃんは自分で畑を耕せないくらい高齢だから、自分の畑を使えとおっしゃるんです。うれしい。ずいぶんとあったかくなりました」

結乃里が目指しているものも、ただの宿ではなく“地域の交流拠点”に変わってきたみたい。
ここで再び、高廣さんが話してくれます。
「この地域を活性化しても、正直言うと私らには一銭も入らんのですよ。でも魚貫崎の交流人口が増えたら、ここに人が泊まったり、何かを買ったりしてもらえるかもしれない。そのときはじめて報われるんじゃないかなって」
「地域のみんなが楽しく続けられる。それが地域おこしだって思う」
夏のうちの収入だけで、1年間は暮らしていけるという魚貫崎の暮らし。1年間は結乃里の胸を借りて、自分なりにお金を稼ぐ方法をつくりながら活動してほしい。
マリンスポーツでもよし、よそから人が来るようなイベントを考えるのもいい。6次産業品をつくって全国に営業するとか、実験はいくらでもできます。
「地域との橋渡し役はまかせてもらって問題ないよ。みんなこねくりまわすでしょう。可愛がってもらえるだろうね」
お爺ちゃんお婆ちゃんはとっても大事にしてくれるだろうとのこと。だからこそ、地域の活性につながるような働き方が求められる。
「みんな人はいいし居心地もいいと思うけど、研修生として年間いくらかお金をもらっているのであれば、地域のために率先して動いてくれるような人じゃないと」
結乃里は、最近では天草市の観光協会にも呼ばれるようになってきている。きっと新しく入る人も会合で話す機会があると思う。そのときに胸を張って、魚貫崎で行っている活動を紹介できなければいけません。
そして、宿の仕事も業務のうちです。宿はだいたい7月から9月がメイン。掃除や料理もできるようになってもらいます。

ここで何ができるだろう。
親方になるお二人が、最後にこんなふうにお話してくれました。
「私も未だにここで続けていけるか怖くなるときはあります。でも今の結果は、数年前にしてきたことの結果だと思うんです。3年先、5年先が大事だから今一生懸命頑張れる」
「最初の目的は何もなくてもいいけど、ここに来て目的を見つけて一生懸命になれる子。そういった子に来てもらいたいね」
挑戦する人には、結乃里の2人も地域のお爺ちゃんお婆ちゃんも一生懸命になって協力してくれます。
それがこの集落の元気をつくる循環になっていけば、幸せなこと。

ちょうどこれからベストシーズンの、うつくしい海が迎えてくれると思います。
(2017/4/28 遠藤沙紀)