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エジプト文明はナイル川、中国文明は黄河…学校の教科書でそう教わったように、人は昔から水の流れるところに住み着き、それぞれに独自の文化を生み出してきました。
いま日本全国で取り組まれているまちづくりは市町村単位のものがほとんどだけれど、その地に息づく魅力的なモノ・コトは行政区分に関係なく存在するはず。
NPO法人ORGAN(オルガン)は長良川を舞台に魅力あるプロダクトや文化を発掘し、流域全体でまちづくりや体験観光を手がけてきました。

名古屋から電車で約20分。岐阜市は思ったよりも近い場所にある。
都市圏に近く、40万人以上の人が住む大きなまちではありながら、駅から少し歩けば緑豊かな小山や水のきれいな長良川が見えてくる。
長良川のすぐ近く、古い町屋が立ち並ぶまちの一角にORGANのオフィス兼店舗「長良川デパート湊町店」があります。

こだわりを持ってつくられたお菓子や日本酒のほかに、美濃和紙を使ったピアスや花酵母から作られた日本酒を使った化粧品など、伝統の技術や素材を活かした新しいプロダクトも置かれています。
なかでも一番の目玉商品が、岐阜和傘。
店長の河口郁美さんが開いて見せてくれました。

美濃和紙に描かれる模様はとても綺麗で、なんと言っても一番いいのが開く瞬間。竹で編まれた複雑な骨組みが開く様子は、まるで花が咲くようです。
「お客さまにお見せすると、思わず声をあげて喜ばれる方が多くて。いつも得意気に開くんですよ(笑)」
実は、日本の和傘の9割近くが岐阜市でつくられているのだとか。これまでずっと京都などに卸されていて、岐阜県内で販売しているお店は1軒もなかったという。
だから「岐阜の人でも知らないんですよね」と河口さん。
「ここは昔、材木問屋や紙問屋がひしめく問屋街だったんですね。このお店のすぐ近くが江戸時代から明治時代にかけて長良川最大の川湊(かわみなと)でした。上流の郡上からは木材や竹が、美濃からは和紙がここへ運ばれてきて、集まった材料を使って岐阜では提灯や和傘がつくられていました」
「ぜんぶ長良川があってこそ、なんです」

法人化したのは2011年。それ以前の2005年より、蒲さんがデザイン事務所を立ち上げたころから仲間と活動をはじめていた。
「岐阜なんて何もない」
そう嘆く同世代の思いを払拭させたかったという。
「僕は生まれが上流域の郡上ですけど、中流域の岐阜で育ちまして。結構この感覚をみんなが持っていて、高校を卒業すると大体が出て行くんですよ。だから、コンプレックスの解消みたいなのが初期の衝動としてあるんです。誇りの持てないこのまちを何とかしたいと」

そう考えた蒲さんはデザイナーとして仕事をする傍ら、フリーペーパーをつくる。
「このときORGANと名付けて、いろいろ発掘しました。たとえば岐阜市内にある長良川の水を汲み上げる旧ポンプ室。壁面はぜんぶ長良川の河原石で、昭和5年に岐阜市民と市役所の人が拾って埋め込んだものなんですね。背景もあってオシャレな建物。でも、まわりは雑草がボーボーに生えて放置されていたんですよ」
とある岐阜うちわ屋さんでは、見慣れない透明なうちわと出会った。

せっかくいいものなのに、いまはもうつくる人はいない。
ならば復活させようと、蒲さんは仲間とともにプロジェクトを立ち上げる。
ルーツを調べに香川県丸亀市に行ったり、美濃和紙の職人を訪ねたり。地元のうちわ屋さんや職人さんの協力も得て、2年をかけて水うちわを商品化させた。
瞬く間に注目され、NHKでも全国放送されるように。いまでは市内数社で水うちわがつくられるようになり、東京の百貨店でも販売されている。
「結果として僕がうれしかったのは、うちわの骨や手漉き和紙の若い同い年くらいの職人たちの仕事がつくれたことなんですね」
「正直、このプロジェクトで自分はほとんど儲かってないんですけど、これをきっかけに長良川流域のストーリーの入り口も掴めたんですよ」
上流から木材や和紙が集まり、岐阜で和傘や提灯といった高付加価値商品に生まれ変わる。江戸から明治にかけての時代は日本だけでなく海外にも輸出され、当時ヨーロッパで大流行したジャポニスムを牽引したのも、実は岐阜の和紙製品だった。
「こういうことを伝えたかったし、何もないと思っていた岐阜でこんなストーリーに出会えたというよろこびがあって。ストーリーのある商品を使った地域ブランディングが可能なんだって自信がついたし、すべて長良川につながっているんだよっていう新しい世界観を打ち出していけると思いました」

お座敷文化の根付く地元の舞妓さんと船の上で遊べるイベントや、事務所にしていた古い町屋での音楽ライブイベントなど。町屋情報バンクを立ち上げて古民家の保存活動をしたり、そのつながりで新たにお店をはじめたい人に物件のマッチングも行ったりした。
その間、うまくいかなかったこともたくさんあったそう。保守的な雰囲気のあるこのまちで、まずは顔を知ってもらうためにボランティアをすることもあったし、「この街の主たる人全員から一通り叱られ終わった」という蒲さん。
地道に活動を続けていくうちに各流域の人ともつながり、いろんな地域資源を見つけることができた。
そうして2011年にはじまったのが「長良川おんぱく」です。

地域の魅力をつくる生産者さんや職人さんが自主的にプログラムをつくって発信できる、プラットフォームのような場でもあります。
これまでの6年間毎年開催し、ファンクラブは約5000人。一般のお客さんもついてきている。
蓄積したノウハウを他地域に売り込み、伊賀市や豊田市、飛騨市で実際に話が進んでいます。
これからますます広がりを見せる流域型のまちづくり。ただ、これからさらに1歩を踏み出していくには大きな課題があるという。
「継続的にエリアブランドを発信していくためには、お客さんが文化に常時触れられる仕組みをつくらないといけないと思って、通年で楽しめる体験プログラムと地域マガジンを載せた『長良川STORY』を立ち上げました。だけど長良川おんぱくとの違いが分かりづらいし、実際にお客さんに伝わっていない。おんぱくは一瞬で4000人が集まるんですけど、長良川STORYはこれまでの半年で1400人にしか売れていない」
「これからはビジネスとしてやっていくための転換点です。この1年間いろいろやってみたら、マーケティングを戦略的にやる必要が出てきていて。うちは技術者もデザイナーもいるけど、webマーケティングやBtoCマーケティングといった、いかに客層に伝えていくかをできる人がいないんですね」

ECサイトの集客は弱く、いまはまったくケアできていない状況なのだそう。
「長良川STORYと長良川デパートのweb集客の戦略づくりと日々のオペレーションをする、マーケティングとwebがわかるディレクターがほしいです。それも県外出身で外の視点を持っている人」
長良川おんぱくで体験プログラムを企画して実際に当日も運営してもらったり、行政と一緒に長良川のポータルサイトをつくったり。人手が少ないこともあって、マーケティング以外のことでもいろんな仕事が舞い込んでくる。
だから地域やまちづくりへの興味・関心は必須条件。
「背景に積み重なっている見えないストーリーとか想いとか歴史とか、そういったことがあることを良いと思える人がいいですね。あと、うちは女性が多いんですけど、みんなサバサバしているから、カラッとしてる人がいい」
webやマーケティングのスキルを持ってU・Iターンする前に、ここで地域への入り方や巻き込み方を学びたい、という人も大歓迎だといいます。
ただ、やっぱり長く勤めてもらえる人のほうがいい。
たとえ岐阜に縁がない人でも、長良川の物語を知れば自然と好きになると思う。
和傘について熱く語ってくれた店長の河口さん。実は、名古屋からやってきた方です。

引っ越してきた場所がたまたまORGANと同じ町内で、その縁で知り合って働くようになったのだそう。
当時参画していたのは、食べ物に特化した体験プログラムイベントの運営。
昔、養蚕が盛んだったという山県市のとある地域に訪れることがあった。
「その地域では蚕のエサである桑の木がたくさんあって、いつしか養蚕されなくなって必要でなくなった丈夫な桑の木を利用して、豆を育てるようになった。それで『桑の木豆』と呼ばれている飛騨美濃伝統野菜にも登録されている珍しい豆があるんです。その豆がすごくホクホクでおいしくて、道の駅で調理しているおばちゃんたちに会いに行くといつも、よく来たねー!って言ってくれて」
「私は名古屋で生まれ育って、田舎がないんです。だから、田舎のおばあちゃんちに来た感じというか。あれもこれも出てきて、食べろ食べろっていうのがうれしかった。岐阜のいろんな地理も覚えたし、そこでの特産品も覚えたし、地域の人たちとも交流できた。来たばかりだったのに、いきなり岐阜愛が芽生えたんです」

ワクワクしながら話してくれる河口さんの様子に、ついつい僕もたくさん買い物をしてしまいました。
好きになって、夢中になれる。そんな環境がここにはあると思います。
(2017/4/3 森田曜光)