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料理人を目指したいと思ったら、どんなふうに腕を磨くだろう。たとえばお店に入って修行をしたり、調理の専門学校に通ったり。いろいろな方法があるけれど、こんな選択もいいかもしれません。
訪れたのは、島根県海士(あま)町。島根の北に浮かぶ離島のひとつです。

その名も「島食の寺子屋」。
生徒たちは、漁師と漁に出たり、山のなかへ入って旬の山菜をさがしたり。
農家さんと「来週はどの野菜が食べごろかな」なんて話をしたりする。
離島という独特のフィールドを活かして、食材さがしから調理、提供までを実践しながら学びます。
1年間の研修期間を過ぎたあとは、島にある提携のレストランや、全国の宿の料理人として活動することもできるし、独立することもできる。
料理人として、自分の感性や技術に磨きをかけたいという人には、またとない機会だと思います。
一体どんなプロジェクトになるのか、お話を聞きにひと足先に海士町へ行ってきました。
海士町へは、飛行機とフェリーを乗り継いで東京から5時間ほど。
島の夏は、海も山も色が濃くて日差しが突き刺すようだ。港で待っていると、今回のプロジェクトを取りまとめている町役場職員の恒光さんが現れた。

そんな挨拶からはじまりました。
「このプロジェクトは、食の現場を理解している和食の料理人を増やそうというお話からスタートしているんですけど、それは同時に地域の魅力を高められる人を育てることにつながると思っています」
食で地域の魅力を高める。
「たとえば島の漁師さんだからこそ知っているこの地域の魚の旬とか食べ方って、普通は観光客にむけて発信する場がないですよね」
「でもそういった生産現場の人の知識や想いを料理人が知って、その上でお客さんに料理として提供する。そうすると料理を通して地域の知恵や想いを伝えられると思うんです」
食で地域を盛り上げられるかもしれない。
寺子屋はまず島の生産現場に入り、食材を集めるところからはじまる。
そのあとにその食材をどう提供したらいいか考え、調理して、週末は島のレストラン「離島キッチン海士」で実際のお客さんに食べてもらう。
毎週この一連の流れを繰り返し、知識と技術を高めていくのだそう。
恒光さんは、悩みごとがあったら静かに聞いてくれそうなおだやかな人。プロジェクトがはじまったら、生徒の受け入れや寮生活のサポートなどをしてくれる予定。研修後の進路サポートもしてくれるそう。
「卒業生が生まれたら、島内のレストラン“離島キッチン海士”や民宿に派遣をしていくつもりです。最初はできれば海士で活躍してほしいんですけど、いずれは全国にも人材を輩出していけたらと考えています」

今回は1期生と2期生の同時募集です。1期生は特別に研修費が免除されるという特典があるのだそう。家賃と車両のリース費と研修費は、寺子屋卒業後に働きながら返済していくこともできます。
話を聞いたあと、寺子屋と同じように、島内の食材の生産現場に連れて行ってもらうことになった。
恒光さんからカリキュラムの話を聞きながら、車はプロジェクトに協力してくれている農家、山中ファームへ到着。
海士町では豊かな湧き水を利用した、米づくりや野菜づくりが盛んなのだそう。トマト・きゅうり・さつまいもにスイカなどなど…山中ファームもたくさんの野菜を育てている。
生徒たちはこのような農家から、食材をいただくことになる。
ここから合流したのは、寺子屋の講師となる佐藤さん。今年の春、このプロジェクトのために移住してきた。

そういって農園のなかで育ったトマトをもいで渡してくれた。ひと口かじってみると口いっぱいにみずみずしい味が広がる。「美味しいです」と素直に伝えたら、「だろう?」となんともうれしそうな顔をする。
まだ移住したばかりだというのに、この人懐こさで地元の生産者さんともすでに仲良くなっていると聞いて納得した。
佐藤さんは、東京の八重洲に10年近く自分のお店を持っていた和食の料理人。東北の震災を機に店をたたんだあとは、なんとサウジアラビアの日本領事館で公邸料理人をしていた。
任期が終わり東京に戻ってきたタイミングで恒光さんから声がかかり、流れるようにこの島にやってくる。
「来たばかりのころは3日に1回は食材さがしに山に入ってたんだ。で、来週あの山菜採ろうと思ってもう一回行ってみると、もう旬が終わっていたりする。自然ってあっという間に変わっていくんだなって思ったね」
「『いまが旬ですから』なんて言ってるけど、都会の料理人ってはっきり言って本当の旬がいつかなんて分かってないんだよ。俺もここに来るまで分かっていなかった」
東京のお店で、旬は1ヶ月なんてうたわれている食材でも、海士町のように小さな地域だと、だいたい10日で旬は過ぎてしまうのだそう。
この島に来て、気づいたことはほかにもたくさんある。
「料理人の本質に気づいたんだ」
料理人の本質?
「何かをつくろうと決めて、そのための買い物をしておいしい食材をそろえる。俺たちの仕事はそこじゃないんだなって」
もう少しくわしく知りたいです。
「島の漁師も農家のおっちゃんも、みんなすごいいい人たちばっかり。料理人の使命は、その人たちが自然を相手に命がけで獲ってきた、育てたものを預かって一番おいしく料理するということ」
「島には都会みたいにいろんな食材がいつもそろっているというわけじゃないけど、その日あるもので最高の料理をつくって、人に『おいしい』と言ってもらうって幸せなことなんだ。これは生徒になる子たちにも経験させてあげたいこと」

隔絶した島だからこそ、料理人に必要な工夫や努力が身につくのかもしれない。
取材している間も、佐藤さんは農家の山中さんから肥料の話や、次に食べごろを迎える野菜の話を真剣に聞いている。

佐藤さんからは、生産者たちへの尊敬や感謝の気持ちがにじみ出ているように感じます。
「この島には生産者の人がたくさんいる。一見荒っぽい人もいるけど、食材について相談にのってもらえるし、みんな教えてくれる」
すでに、佐藤さんは離島キッチン海士で、観光客向けに食事を提供しています。移住して、さらに料理の腕が上がったと感じているそうです。
農園をあとにして、お2人と寺子屋の建物がある大敷地区へと向かう。
途中、海に寄ってニイナという貝を獲ったり、林のなかで三つ葉をつんだりした。

昔保育園だった建物をリノベーションした校舎は、無垢の木が特徴的で明るく広々としている。ここから坂道を歩いてくだると、地元の人しか使わないような小さな漁港に出る。

「今回の話を打診されたとき、ふたつ返事で行くことを決めたのは、じつは人を育てるということに対しても興味があったからなんだよ」

すごい?
「みんな気づいていないけど、四季のなかで何がきれいで何がうまいかを感じられるってすごいことなんだ。日本人はその感性や感覚をもともと持ってる民族だと海外に出てみて思ったんだよね」
味だけでなく色彩や器の使い方にも季節を感じさせる和食を、当たり前のように食してきている私たち。
夏にかけて濃くなっていく緑や、秋にかけて金色になっていく田んぼを美しいと感じる感覚。そういえば、お花見なども日本人ならではの楽しみかもしれない。
和食って、いったい何なんでしょうね。
「俺もよく考えるんだけど…四季に対しての感性や感覚をもった人が日本の食材を料理することなのかな」
佐藤さんは料理を完成させる前に、いつも散歩に出るといいます。それは、お皿を飾るあしらいをさがすためでもあるし、五感で四季を感じるためでもあるんだとか。
「もしサウジアラビアから東京に戻っていたら、こんなふうには思わなかっただろうな。ここって自然、四季が近いじゃん。この小さな島でなら和食に必要な感性を磨くことができると思うんだよね」
佐藤さんは、講師としてどんな場所にしていきたいですか?
「技術の習得というより、和食の表現の仕方や料理への向き合い方を磨きあげるような場所になるといいな。調理経験はあったほうが納得感は大きいと思います」

この日、佐藤さんが用意してくれたのは、地元で獲れたものでできたスペシャル懐石。

どれも自然と生産者が見えるおいしい食卓。こんな和食がつくれるってとても贅沢な体験だと思います。
最後に佐藤さんからこんな言葉をもらいました。
「俺は今は講師だけど、まだまだ現場の料理人でありたいと思ってて。だからこそ教えられることって全然違ってくると思うんだ」
「独立したいけどどうしようとか、料理人としてどうなりたいとか、その子が思う“なりたい”に近づくサポートを精一杯させてもらう。この寺子屋で、どこでも活躍できる料理人になってくれるといいな」
(2017/08/29 遠藤沙紀)