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アジアに飛び込む

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

“留職”という言葉を知っていますか。

まるで留学のように一定期間海外へ飛び込み、現地で働いてみることなんだそうです。

現地の人とのコミュニケーションはもちろん、生活や文化に触れ、自分自身も耕すことができる機会。

今回募集するプログラムは、そんな留職に興味がある人にぴったりかもしれません。

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独立行政法人 国際交流基金の主催する“日本語パートナーズ”は、アジアの中学・高校などの日本語教師や生徒のパートナーとして、授業のアシスタントや、日本文化を紹介する人を派遣しています。

今回は、ミャンマー、ラオス、タイ、インドネシアなどの国で約6~10か月の間、日本を伝える人の募集です。日本語教育の資格や経験はなくても構いません。

海をまたいで、一人の人間として関わってみたい。

そんな思いで現地へ行ってきた人たちに、お話を聞いてきました。

国際交流基金というのは、外務省所轄の独立行政法人。芸術、言語、対話を通して、日本の文化を海外に伝える国際交流を行っています。

そのなかでも、日本とASEANの首脳が集まり、これから文化交流事業をもっと盛り立てていこうという流れで3年前に新設された部署が、国際交流基金アジアセンター。

“日本語パートナーズ”は、このアジアセンターのなかで日本語教育支援の一つとして運営され、2020年までに3000人を東南アジアに派遣するというプログラム。

はじめに、日本語事業第2チーム長の鈴木勉(べん)さんに、事業について聞いてみます。

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「今、日本語教育って全世界で本当に盛んに行われてまして。なぜかというと、若い人がアニメや漫画など日本のポップカルチャーにすごく関心がある。加えて、東南アジアのほうでは発展したテクノロジーへの憧れもあるんですね」

日本語学習者はどんどん増えているものの、教えられる先生が少ないまま。他の教科と日本語指導を兼ねている先生もいるそう。

「そこで、現地で日本語を教える先生や日本語を学ぶ生徒をサポートするのが、日本語パートナーズの役割です。日本でいうところの中学や高校の英語の授業にいたALT(Assistant Language Teacher)のような感じです」

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日本語パートナーズは、国際交流基金という公的な機関がバックアップするため、万全の体制で派遣される。旅費や滞在費の支給はもちろん、現地の事務所には調整員がいて、セキュリティの確かな住居の用意など、細かくサポートしてくれる。

応募条件として日常的な英会話ができることが求められるけれど、東南アジアの田舎のほうでは英語がまったく通じない地域も。現地の情勢や言葉を学ぶため、渡航前に約1ヶ月間の研修も用意されている。

「海外で働いてみたいと思っていた人にとっては、非常に一歩を踏み出しやすい制度になっていると思います」

日本語パートナーズに求められているのは、日本とアジアの架け橋になること。

日本語学習のアシスタントとしてサポートするほかに、現地で自分なりに日本文化を紹介したり、現地のことを学んでほしいといいます。

「アジアでのリアルな経験を持ち帰ってもらって、たとえば、周りの方々にシェアしてもらったり、地元のボランティアで外国人観光客の対応をするとか。あるいは、就活や就業に活かしていただくのもいいですよね」

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「いま日本に来ている人たちって、観光でも労働者でも、アジアの人たちがとても多いですよね。そうすると、東南アジアが好きとか、タイ語ができるという人材がもっともっと増えたほうが、人をお迎えしやすい社会になるんじゃないかなって。そういう意味も込めて働いています」

この取り組みは、相手国政府からも日本政府内でも、かなり高い評価を受けているそうだ。

とはいえ、日本語を教えたことがある人は少ないと思う。経験のない自分がアジアの国でできることって、何だろう。

ここで、活動を終えて日本に帰ってきた日本語パートナーズの方にもお会いしました。

まずは、インドネシアで7か月間活動した長屋七恵さん。

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大学を卒業後、大手の家具会社に勤めていた。

「扱う量も売り上げも大きいところにやりがいを感じていたんですけれど、だんだん、自分が何の役に立っているのかわかりづらくなってしまって。もっと、自分がいて相手がいて、深く関わっていくような仕事がしたいと思ったんです」

そんなとき、たまたま友人が教えてくれたのが日本語パートナーズだった。

「そんなに長い期間でもないし、挑戦するにはいい機会なんじゃないかって。やってみようという気持ちだけで応募しました」

派遣先は、インドネシアの古都ジョグジャカルタの高校。

「行ってみると、あたりまえですけど、日本と全然違うんです。物価も違うし、食べ物も違う。気温は常に30度近くあって水は必需品だし、人はとっても世話焼きです」

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授業風景も、もちろん日本とは違う。

「そんななかで、どうやってわたしが役に立てるかなって考えた部分が多かったです。考えてもできないことはできない。それなら自分ができることを100%でやろうって」

自分ができること。

「たとえば、最初はせっかく来てるからしっかりしたこと教えなきゃって思いがちです。でも、インドネシアの人がわたしたちにやってもらいたいことって、たとえば文法の助詞の違いを教えてほしいんじゃなくて、ふつうの日本語を聞きたいということもあって。ほかにも今、流行っている日本の歌とか」

「正直、教室の教壇に一人で立って、うまくもない歌を大きな声で披露するって気恥ずかしいですよ。それでも、そういう小さなことが求められているから、歌もうたうし、授業中はきちんとした日本語を大きな声で話すことを心がけていました」

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教室内はものすごい暑さで、クーラーも扇風機もない。そんな環境で40人全員が聞こえるような大きい声で話すのは、相当体力のいること。

できることをするためにも、自分の体調をしっかり管理することも大切になるそう。

「それと、わたしは教師にとどまらない関わり方をしたいなと思っていたので、自分のパーソナルスペースにもどんどん入ってもらうように心がけていました」

「たとえば、放課後にはほとんど毎日生徒たちがうちへ来て、一緒に日本食をつくったり。わたしはお料理をつくることが好きだし、彼らも日本食に興味を持っていたので、一緒に楽しめるなって考えたんです」

そんなふうにそのままの自分で関わってみると、見えてくるものもあった。

とくに長屋さんが一番感動したのは、インドネシア人の価値観。

「日本人にとって待ち合わせの時間を守ることやスケジュール管理をきちんとすることはあたりまえですけど、彼らにとってはあたりまえではない。その感覚に戸惑う人もいるかもしれませんが、わたしはとてもおおらかに感じて」

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「むしろ、なんでわたしはこんなに凝り固まってたんだろうって気づいたんですよね。そういうおおらかな見方は彼らから学んだことで、これからの人生に生かしていきたい姿勢です」

インドネシアの人の関係の持ちかたや文化を、もっと自分のなかに体得したい。彼らに恩返しがしたい。そんな思いから、帰国してからは、技能実習生として日本に滞在するインドネシア人をサポートする仕事に就いた。

「日本語パートナーズでの体験を生かそうっていう前のめりな姿勢がないと、7か月間はあっという間だと思います。ありきたりだけど、行って何がしたいかを考えてからいくのが大事なのかな」

どんな国でも飛び込んでみたいという長屋さんと対照的に、ミャンマーという一つの国を深く知りたいと応募したのが、鈴木聡さん。

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旧首都ヤンゴンに派遣された当時は大学生。今は大手家電メーカーに勤めている。

大学ではビルマ語を専攻し、ミャンマーへの旅行、留学を経験して、日本語パートナーズのプログラムを知ったという。

「旅行や留学での滞在は、いわばお客さん的な立ち位置ですよね。でも、パートナーズって、生のコミュニティのなかに単身ぽんっと送り込まれる。本当に、留学でもインターンシップでもできないローカルな体験だったと思います」

ミャンマーは仏教が深く浸透している国で、先生は両親、お坊さんと並んで徳の高い人と認識されている。

「生徒たちにとって、先生は畏れ多いし萎縮しちゃう存在なんです。ぼくもはじめは『先生』としてみられていて、とてもうやうやしく接されてしまって。けど、せっかくなら向こうの先生みたいに染まらずに、ちょっと距離の近い日本人という感じでいこうと思いました」

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授業風景は、まるで寺子屋。ミャンマーの伝統的な教授法で、生徒たちは先生が教えることを一言一句間違えずに記すことが正解となる。

テスト前になると、生徒たちはみんな外に向かって大声で暗唱していて、当日は声ががらがらなのだとか。

「そんな厳しさもあってか、ミャンマーの男の子たちは基本遊び好きで授業に来ない子が大半です」

「授業を面白くするために、iPadを持っていってぼくの地元のお祭りや花火を動画で見せてあげたり、授業のはじめに伝言ゲームをしたり。言語って、その国を好きになるとやる気がでませんか?勉強よりも、まずは日本を好きになってもらうような工夫をしていました」

生徒たちと仲良くなったころ、こんなことがあったそう。

「シュエダゴン・パゴタっていう仏塔に、生徒たちがつれていってくれたんです。その下では禅問答のような話し合いをしていて。彼ら17歳とかなんですけど、仏教の知識が半端じゃないんですよ」

なぜ今人間という身で生まれてきたのか。死んだらどうなるのか。

拙い日本語ながら、いくらでも話すことができた。

「それって、話したいことがしっかり心にあるからなんです。ぼくは言語を学ぶことが好きでビルマ語も上手に話せたけど、それだけではビルマ語が流暢な日本人としか思われないんだろうなって。会話って心から話すことが大事なんだって、気持ちを入れ替えましたね」

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いろんな違いが、お互いの糧になるんですね。

「そうですね。日本との違いは文化以外にもたくさんありますよ。気候でいえば昼間は40度を超える暑さで、雨期はバケツをひっくり返したようなスコールです。料理も、スパイスや油がたくさん使われた物が多く、ヘルシーな日本食とは違います」

どうしても合わなくて、日本に帰りたいという人も少なからずいたという。

「見方を変えれば『ミャンマーってこういう国なんだ』と、あたらしい発見にもなる。違うことが面白いと思えたら、なんでも楽しめると思います」

経験は、心の肥やしになる。

忘れたころに芽を出して、思いがけないつながりを生むような気がします。

自分だったらどんなことに挑戦したいだろう。わくわくしたらぜひ、応募してください。

(2017/9/1 倉島友香)