※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
人が自分の力を最も発揮できるのは、どんな環境だろう?ひとつ言えるとしたら、その人のことをよく見ている人の存在は大きいと思う。
「自分のやりたいようにやってごらん」
そうやって裁量を委ね、うれしいことがあれば自分のことのように喜び、ときには厳しい言葉もかける。遠からず、近からず。適度な距離感から、温かくも厳しい目で見守ってくれる。
それぞれのスタイルはあるけれど、人の成長を見届けてきた人にはそんな共通点があるような気がします。
新潟・三条。
このまちの下田という地域に、廃校となった旧荒沢小学校を拠点に活動する「NPO法人ソーシャルファームさんじょう」があります。
行政と連携し、地域おこし協力隊とともに「下田ひとづくり学校」の看板を掲げ、子どもたちに向けたサッカー教室や自然体験合宿、棚田の再生プロジェクトやWebを通じた情報発信など、人づくりを軸に活動を展開しています。

「一番大事なのは、外から企業や何かを持ってくるんじゃなくて、ここにいる人たちを育てること。自分たちが影も形もなくなった100年後の下田を見据え、力を入れるべきは人づくりだと思う」
そんな柴山さんとともに、自分のなりわいをつくっていく地域おこし協力隊を募集します。
現在活動中の協力隊は6名。スポーツコーチや農業を営む人、デザインや行政との間でマルチな働きを見せる人まで、みなさん個性豊かな方ばかりです。
既存の枠組みにとらわれる必要はありません。副業も可能。
下田のまちと人を知るところからはじめてもらえたらと思います。
東京駅から新潟の燕三条駅までは、新幹線でおよそ2時間。思っていたよりも早く到着することにまず驚いた。
駅まで迎えに来てくれたのは、三条市役所の山屋さん。移動の車内で話を聞く。

燕市はキッチン用品やタンブラー、三条市は刃物を中心としたものづくりにそれぞれ強みがあるという。
今回の取材先は、三条市の下田地域だ。
道のりを進むほどに、窓の外の雪景色が深まってきた。
「市街地と下田では気温も1〜2度違いますし、雪の降り方も違います。慣れない人には大変かもしれません」
畑や川沿いには白鳥の姿が。かつてロシアからやってきた一羽にエサをやったところ、仲間を連れて渡ってくるようになったそう。今では冬の風物詩として、地域住民にも親しまれている。
下田出身の山屋さんとともに、車を走らせること30分。旧荒沢小学校に到着した。

広々とした体育館や音楽室、電気窯を備えた工芸室や保健室など。小学校に備わった設備は、ワークショップやイベントで活用することもあるという。
事務所として使っている教務室に入ると、NPO代表の柴山さんが迎えてくれた。

「それもたしかに目指すところではあるけど、軸にあるのは人づくり。人を育てないと、これからは中山間地域を含めた日本全体がもたないと思っていて」
「大上段に振りかぶって地域おこしやります!って形ではないよね。生き生きと人が動くことで、地域の人も刺激を受けて動き出す。そこに交流が生まれて、化学反応が起きていく。実は、それが地域への一番大きな貢献かもしれない」
スポーツや情報発信、食など。それぞれの適性や想いによって取り組む仕事は異なるし、下田にやってきた経緯もさまざま。
協力隊のみなさんのバラバラな名刺にも、その個性が表れている。

「農産物をつくるだけが農業じゃないんだよね」
どういう意味でしょう?
「棚田のオーナー制度を設けて、たとえばここは日本仕事百貨の田んぼですよと。そしたら、社員のみなさんで田植えをしましょう。夏は雑草刈りです。秋は稲刈りをして、とれたお米を炊いて収穫祭をしましょうと。普段の仕事をちょっと離れて、共同作業することが大事でさ」
協力隊も、担当ごとの役割を持ちつつ、それぞれ何らかの形で農業に関わっている。
荒れてしまった放棄地はみんなで草を刈って耕したり、収穫の時期は総出で作業したり。
「農家さんの考え方に気づかされることも多い。収穫前に作物が全滅してしまったとき、農家の人はどう考えるかというと、また次の日から種を蒔こうってなるんです。それってすごい前向きな考え方だよね」

「農業を絡めた仕組みを考えてくれる人でもいい。その意味で、彼なんかはいい化学反応を起こしていると思うな」
そう紹介されたのは、一昨年の7月に三条市の隣の長岡市からやってきた大滝さん。

「ああ、芋主プロジェクトですかね」
芋主プロジェクト?
「サツマイモをいろんな人に育ててもらって、それを焼酎にして返すんです。九州から苗を取り寄せて。試験栽培してくれる方を公募したら、農業ははじめてという方からサツマイモのプロまで、幅広い24人の方が集まりました」
できたサツマイモは、質の高いものから小粒なものまでさまざま。それでも全員分をタンクに入れて、焼酎にする。

「新しい名物をつくろうってことで、地域の人たちも自分ごととして取り組んでくれているのがうれしいですね」
できあがった焼酎は、「五輪峠」という名前をつけて販売もすることになった。

「この1年半でいろいろ変わったよね」と柴山さん。
「まだ地域の人とも関係が築けてないときにさ、自己紹介のチラシ持って、このあたりの全戸をひとりで回って。そうやって大滝が築いてきた土台があるから、その後の協力隊はだいぶ動きやすくなってると思うよ」
地域の見る目が変わるし、何より自分自身が大きく変わった。
その変化を、大滝さんはこんなふうに話す。
「友だちの幅がぐっと広がりましたね。お祭りとかを中心になって進める男たちの集団があるんですけど、こっちに来て3日目ぐらいでその飲み会に誘われて」
「最年少のぼくから上は50代までいて。言葉遣いの上下関係はあっても、すごくフランクなんですよ。それは何て言い方になるのか…。でもまあ、友だちって呼び方が一番しっくりきますね」

当初ほど意識せずとも、地域に馴染めるような関係性は築けているかもしれない。
その上でさらに信頼関係を深めていくことによって、協力隊に任せてもらえることやその可能性はより広がっていくと思う。だからこそ、この縁を大切につないでもらいたい。
スポーツ関連担当の会津さん(写真左)と永井さん(写真右)にも話を聞いた。

「それこそ半農半Xで、農業をしながら地方でサッカーを教えるとか。サッカーコーチだけで生きていくのは大変なので、引退後のアスリートが二つの収入源を得ながら生活していくような仕組みをつくりたかったんです」
知り合いづてに柴山さんを紹介され、会って3日後に下田へ行くことを決めたという。
「お会いして共感できる部分も多かったですし、社会にダイレクトに貢献できる仕事がしたいなと思っていたので」
下田に来て、驚いたことがある。
「柴山さんがグラウンドを天然芝にしちゃったんですよ。『芝生にするぞ』って言った翌日には芝生が届いて、植えはじめて。あれは衝撃的でした」
「でもそのおかげで、今ぼくらは子どもたちにサッカーを教えられたり、スポーツできる環境にある。うまくいくかいかないかじゃなくて、やるかやらないかが大事なんですよね」

「兄貴もプロのサッカー選手で、会津さんと仲がよかったんです。会津さんが人を探してるってときに、『お前新潟行ってこい』って言われて」
そんなきっかけで(笑)。
「日帰りの予定だったのに、着替えもないまま下田のシェアハウスに一泊して(笑)。柴山さんの話を聞いてみて、まあやってみるかというつもりで来ました」
福岡でサッカーを学び、プロ時代の多くを山形で過ごした永井さんは、この環境に来てみて思うことがあるという。
「福岡や山形には教える人もいるし、地域のサッカー文化もあって恵まれている。ここは教える人もいなければ、場所もなかった。雪も降るので、いつでも外で練習できるわけじゃない。子どもたちに思いきりサッカーをさせてやりたいと思ってます」
「ただ、それを言い訳にしちゃいけないなとも思うし、1年中できない分、ほかにやれることあるだろうって」
むしろ、都市部よりも未成熟な環境にこそ可能性が眠っていると永井さんは話す。
「上には上がいるから、都会だと埋もれちゃうんですよ。眠っている才能があっても、それで潰されちゃったり。地方だったら、それを見つけやすい。将来の日本代表、世界で戦える選手を下田から育てていきたいですね」
種目はサッカーに限らない。大滝さんはラクロスの教室をはじめるし、ラフティングやBMXといったアウトドアスポーツの需要も高い地域だ。もちろん、まったく違うジャンルのコーチもありだと思う。
最後に、柴山さんから一言。
「迷ってるのなら、まずは人を手伝いながら行き先を考えればいい。今の自分を変えたいとか、ここで何かを見つけたいという気持ちがあれば十分だと思うよ」

下田ひとづくり学校、これからますます面白くなっていきそうです。
(2017/3/2 取材 中川晃輔)