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漂着油を回収する

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

いろいろな場所を訪れる仕事なので、よく「1番印象的だった場所はどこですか?」と聞かれることがあります。

「どこも素敵だったな」と答えながら、心の中に強く残っている場所がいくつかあります

その一つがトカラ列島の宝島。

日本の中でもこれ以上の僻地はないという場所にあり、人工物が一切見えないような景色が広がっている。140人ほどの島の方々はとても親切で温かく、みんなで協力しながら暮らしている。

ただただ、人も風景も美しい島。もうこんな場所、日本にないんじゃないかと思う。

そんな島に1月27日、油が漂着しました。

今回は漂着油の回収ボランティアを募集します。

ボランティアが難しくても、まずはこの求人記事を読んで、島のことを知ってほしいです。



2月になったばかりのころ、Facebookでオイルタンカーの事故が起きたことを知る。テレビではほとんど報道されていないけれど、Facebookではその深刻さを伝える情報がタイムラインに並んでいることに気がついた。

石油タンカーと貨物船が衝突したのは1月6日。タンカーは炎上・爆発し、海上を漂流。そして1月14日、奄美大島の西およそ315㎞沖で沈没する。

そして、宝島に油が漂着したのが1月27日。それから2月になって、だんだん事故の様子が明らかになっていった。

自分に何ができるか考えていたら、漂着油の回収ボランティアの求人募集があることを知った。それを教えてくれたのが、日本仕事百貨の求人を見て宝島に移住した人たち。

求人記事の取材のため宝島に向かうことにした。成田空港から飛行機に乗って奄美大島へ。深夜1時に名瀬港へ。

宝島にアクセスする方法は1つ。週2回、鹿児島・奄美大島間を往復するフェリーに乗ること。鹿児島港から向かうと、13時間ほどの船旅になる。奄美大島からだと3時間ほど。

暗い船内にはすでに寝ている人たちがちらほら。2等客室に案内されて横になったら、いつの間にか眠りについた。

朝の5時。船内に明かりが着いて目が覚める。寝足りないけど、宝島に到着だ。まだ真っ暗な港に上陸すると、荷役作業をしている竹内功さんと本名一竹さんに再会。2人とも日本仕事百貨の求人を見て、この島に移住した方々だ。

しばらく港で様子を眺めていたら、ちょうど中学生が高校進学に伴って、島を巣立つ瞬間に立ち会った。

島に残る人たちは交代で拡声器を使いながら、一人ひとり思いを伝えている。

荷役作業も終わって、フェリーは再び出航する。色鮮やかな紙テープがスルスルと伸びていく。気がついたら、空が白んできた。

民宿で少しだけ休んでから、漂着油を回収している海岸に向かった。

港の横から海岸に降りると、美しい景色が広がった。一見しただけでは、油が漂着しているなんてわからない。

ただ、ヘルメットに真っ白な作業着の人たちが海岸で動いているのが、少し異様に見える。

朝、港で会った功さんに合流する。ちょうど休憩時間だったので、砂浜に座りながら話を伺った。

移住して8年目。島での生活はどうなのだろう。

「らっきょうの栽培、うまくいっているよ。東京の福島屋さんに卸している。つくりはじめた翌年から卸しているから、もう6年ほどのお付き合いになるかな」

「あとはトビウオを取って、水産加工品もつくってる。港にたくさん入ってくるの。でっかい水中ライトで照らせば、集まってくるので、もう取り放題」

そんななか起きた事故。

はじめはどうだったのだろう。

「僕が第1報したんですよ。消防団長だし、役場の補助員も出張中だったので、その代理もしていて」

1月26日、いつものように荷役作業をしていた功さん。すると港の奥のほうに茶色の物体が浮かんでいることに気づく。

「みんな、そのことを確認していたんですよ。ただ、この季節は藻が大量に入ってくる時期なので、全員が藻だと思っていたかな」

「そしたら風向きが変わって、朝行ったら岸壁のほうに来ていて。それで、また藻かよ、と思って」

大量に藻があると、フェリーが入港できない。

藻を引き揚げようとしたら、いつもと様子が違って全然引っかからない。

前日に釣り人が油を引っかけた、という話も聞いていたけど、このときは油が漂着しているなんて想像できなかった。

「タンカーの事故が起きたときも、まさか油が流れてくるなんて想像していなかったくらいだから。目の前に見えていても、はじめはオイルタンカー事故のものだとすぐに想像できなくて」

「海水浴場のほうにも上がっている、って聞いたから見に行ったの。そしたら、すごいんですよ。そのまま周辺も歩いてみたら、真っ黒で。それで通報したんです」

そしたらどうなったんですか?

「宝島が最初の通報だったんで、すごい反響でした。ビビりましたよ。2、3時間したら飛行機が来て、翌日の朝には海保の船が来ましたし」

「まずは港の油をどうにかしないと、となって。でもこれが全然うまくいかない。頑張ってドラム缶2つほどしか集められなかった。そのあとは消防団で島を一周して状況を確認。役場の対応も早かったですね」

2月2日には調査により、有害物質が含まれていないことを確認。本格的な除去作業がはじまることになる。

休憩時間が終わったので、回収作業に同行させてもらうことになった。歩いていても、どれが漂着油なのかわからない。ただ、よく見ると所々に黒い塊がこびりついているのがわかった。どうやら、これが漂着油らしい。

すでに回収のボランティアのみなさんも作業している。15人ほどで、全員女性。話を聞いてみると、もともと功さんの農業を学びに来た人たちだった。今後も女性の参加の予定が多いらしいけど、男性ももちろん歓迎とのこと。

作業現場に歩いて行く途中で、その1人に声をかける。

歩きながら話を聞かせてもらった。

「わたしは埼玉からやって来ました。宝島は初めて。大学で農業を勉強していて、もっと掘り下げたいと思って」

宝島に出発する日に、報道でこの事故を知る。今は農業の手伝いもしながら、漂着油の回収をしている。

「鹿児島から船で来て、少し船酔いしていたんですけど、早速回収に参加しました。ぼんやりしていたこともあるんですけど、驚きと戸惑いを感じました」

「これから来る人も、きっと宝島のことが好きになると思いますよ。そこはぜひ期待してほしいですね。わたしは海を見ているのが好きで。ぼーっとしながら、ずっと見ていたいです」

港のあたりから500メートルほど歩いたところから作業がスタートした。ここまで作業が進んでいるようだけど、全周14キロの島。ほかの場所でも作業が進んでいるとはいえ、まだまだ途方もない感じがする。

漂着油の回収には、まずは油で汚れたゴミを拾うところからスタート。それぞれ小さなビニール袋を持って、ペットボトルなどのゴミを拾う。袋がいっぱいになったら、大きなゴミ袋に移して、また同じ作業に戻る。

振り返ると、大きなゴミ袋が等間隔で並んでいた。それをショベルカーが運んでいく。

ゴミを拾い終えたら、次は岩などにこびりついた油を取り除く作業。ワイヤーブラシなどで油を掻き落として、小さなバケツに貯めていく。これを繰り返していく。

さらに作業が進んでいくと、最後はウェスで拭きあげることも予定しているのだとか。

これらの作業は役割分担していて、ボランティアの人たちは、この日はゴミ拾いを担当していた。別の日は、油を掻き落とすこともあるそう。

もう数百メートルほど進んでいくと、最前線にたどり着く。まだここは何も作業をしていない場所。

すべて真っ黒な漂着油で覆われているのかと思ったら、そんなことはない。ただ、入江の奥のほうに行くと、所々に真っ黒な塊がこびり付いている。

まだまだ作業はこれから。サルベージ会社の人たちも除去作業に参加しているものの、ボランティアの力が必要だと感じた。



夜になって、本名さんにも会うことができた。本名さんは今回の事故のことをFacebookで教えてくれた人。もしそれがなかったら、こうして島を訪れていなかったかもしれない。

ただ、本名さん自身は、他にもやることがあって、なかなか回収作業に参加できないことを気にされていた。でも話を聞いていくと、本名さんは大きな打撃を受けた被害者の1人であることがわかる。

本名さんが島に移り住んだのは7年前。そこから功さんたちと、いろいろな商品開発を進めてきた。ドレッシングやバナナの繊維を使った芭蕉布、そして水産加工品にも。

「ちょうど水産加工品をどんどん販売していこう、というときだったんです。加工場もできたし。でもこんなことになってしまったから、すべて作業はストップしています。事故後のものが混ざったらいけないですから」

今は冷凍庫に残っている商品を出荷している。ただ、その電気代が無視できない。

加工したカツオの炙り刺しをいただいた。とても美味しかった。

冷凍だというのに新鮮だし、炙り加減もちょうどいい。民宿の夕飯で、オカワリしてしまったことを悔やむ。

こちらの魚は日本仕事百貨でもお馴染みの「離島キッチン」さんが大量に購入したそう。もし気になる方は、ぜひ離島キッチンに。

「いいものだから販売しているんです。美味しいという自信だけでやっているし、正直に言えば、そんなに儲かるものではないんです。きっと僕なんかは鹿児島県の最低時給以下で働いている(笑)」

「だからこそ、今回の事故には傷つくわけです。きれいな海になってほしいだけなんですよ。自信を持って販売できるところまできれいになってほしいです」



小規模多機能ホームたからにボラバイトで来ていた方の送迎会があるとのことで、コミュニティセンターへ。みんながカラオケで別れの歌を贈っている。とても賑やかで、いい島だとしみじみ感じた。

島の人たちの性格なのだろうか、今回の事故でそこまで悲壮感が広がっているわけじゃない。目の前に漂着油があって、それをどうしたらいいか考えて行動している。そして、自然の自浄能力を強く信頼している。



翌日、島をランニングして1周した。こんなに気持ちのいいランニングはない。人工物が一切見えない風景。原始のままの森。真っ白な砂浜。

ただ、よく目を凝らせば、確かに黒い塊が所々にある。

こんな美しい島はないと思う。

島を後にしてから、役場と海上保安庁の検査結果で水質に問題がないことがわかった。今後は水産加工再開に向けて動いていくとのこと。

もしボランティアに参加していただける方は、ぜひ応募してください。ただ、功さんたちは、その返信などに手一杯なところがあるので、自分でできることは自分でしてくださいね。

そして参加できない人もできることはたくさんあると思います。もちろん、旅行で宝島を訪れることもおすすめです。

(2018/3/19 取材 ナカムラケンタ)