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稼働率96%なのに改革?
新しい複合文化施設を
ホテルがたちあげる理由

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道後温泉。どういうイメージがあるだろう。

日本三古湯の1つであり、夏目漱石の『坊つちやん』にも描かれている。

近年、しまなみ海道を渡って松山・道後温泉を訪れる人も多い。瀬戸内海全体も盛り上がっており、松山にも国内外から旅行者が集まっている。

路面電車である市電を降りて、道後温泉商店街を進んでいく。両側には新旧、魅力的なお土産物店などが軒を連ねており、多くの観光客で賑わっている。商店街の終わりには、道後温泉本館が現れる。この場所のシンボルだ。

今回、求人するホテル「茶玻瑠」の人気も高い。あまりに稼働率が高くて、リニューアルの時期を延期してしまうほど。

こうやっていくつか書いてみるだけでも、非の打ちどころがなさそうに思える。

けれども、茶玻瑠の代表、川本さんは「恵まれているからこそ、街にも温泉にもチャレンジする気運が少ない」と話す。たしかに上手くいっているからこそ、守りに入ることもあるかもしれない。

茶玻瑠では、次の時代をつくっていく、新しいプロジェクトを立ち上げようとしています。

カフェやギャラリー、スタジオ、コワーキングスペースなどの複合文化施設、新しいウェディング事業、そしてホテルなどを企画・運営し、新しいビジネスに共に挑戦する人を募集します。

 

松山の中心部から市電に乗って10分ほど。まだ残暑が残る道後温泉には、多くの観光客が訪れている。

昔ながらのお土産物店から、今治タオルを販売する新しいお店まで。思わず足を止めてしまう。

商店街の出口には道後温泉本館。まだ改修中ということだったけど営業していた。取材が終わったら入ってみよう。

そんな道後温泉本館のすぐ裏手、道路を渡ったところにあるのがホテル「茶玻瑠」だ。

これまで何度となく道後温泉を訪れてきたものの、市電の駅と道後温泉本館の間を行き来するばかり。さらに奥に宿泊施設が立ち並んでいることは認識していたものの、そちらまで歩いたことはほとんどなかった。

ホテルの中に入ると冷房が涼しい。ソファで代表の川本さんと副社長の草宮さんが待っていた。

3階に上がって、宴会場をリニューアルしたダイニングスペースで話を伺うことに。外にはモダンな庭園が広がっていて気持ち良い。

 

まずは代表の川本さんに、茶玻瑠についてお話しいただく。

「もともと生まれは山口県なんです。両親は山口で小さな旅館をやっていました」

旅行好きな両親が出会ったのが、この旅館だった。すっかり気にいって自分たちで経営することに。

そんなとき息子の川本さんは、イギリスに行く機会もあって「自分は世界でホテルビジネスに挑戦するんだ」と意気込んでいた。

けれども、たまたま日本に帰ったときに、父親から「家業の旅館を継いでくれないか」と言われた。

「そのとき22か23歳。それで26歳のときに社長になった」

 

その後、35歳のときに地域に愛されるホテルをつくろうと考えて、名前を「茶玻瑠」に変えた。

「もともと『茶春』だったんですよ。明治時代から続いていて、春先にお遍路が来られていたから、玄関先でお接待のお茶を出す。そういうことで茶春となった、と聞いているんです」

「音は同じにして、玻璃という宝石を、皆で磨き上げるという意味も込めて、この文字にしました。それが昭和62年でしたね」

川本さんが35歳だった33年前に「茶玻瑠」になった。そして、今、横文字の「CHAHAL」をつくっていこうと考えている。

 

そんなタイミングで入社したのが草宮さんだ。奇しくも草宮さんも現在35歳。

もともと銀行で働いていた方。話していると、丁寧に話を聞いていただける方だと感じた。思いのほか、柔らかな印象。

なぜ転職することになったのか聞いてみる。

「5年くらい営業をやったあとに悩んだことがあって。金融の世界って、営業で実績をしっかり出せば評価されていくんですけど、そこまでガッツもなくて。一方で組織をつくっていくのは面白そうだなと」

30歳のときに組織改革を担当することになり、営業戦略の見直しや報酬制度の改革を行った。

「バリバリ営業していくよりも、組織のカルチャーを変えていくのが面白くて。ただ、銀行って長いマラソンで。本当にやりたい改革をするには時間がかかる」

「そんなときにもともと地方出身ということもあったので、地方で働く仕事とかも面白そうだなと考えたんです」

川本さんの第1印象はどうでしたか?

「今年の1月くらいですかね。東京にて初めて会いました。そしたら自己紹介もそこそこに社長がずっと喋り倒してですね(笑)。僕は全然自分のこと話せなかった。もう次はないなと思っていたんですよ」

すると今度は愛媛で会おう、という連絡をもらった。力を尽くして、銀行の中期計画をつくりあげたばかりのときだった。

「そのときは、やっぱり銀行でがんばろう、と考えていたんです。いいオファーをいただいたけど、お断りしようと思っていました。やりきって疲れていたし、旅費を出していただけるからご褒美旅行な気分で(笑)すごい不純な動機でした」

「食事しながら話していると、どんどん熱い思いが溢れてきて。従業員のみなさんも前向きで意識がとても高くて」

川本さんの思いに突き動かされて入社することを決める。

「コロナ禍ということもあり、観光産業これから苦しいぞって言われていた時期でした。でもだからこそ時間もあるし、V字回復を図るには丁度いいと思いました」

入社してからどうでしたか?

「ホテルのエントランスに入ったときに、すごい笑顔でお出迎えしてもらえて。フロント以外の方も皆さん生き生きとした感じがあって。それに私みたいな門外漢が入ってきても、話を聞いてもらえるし」

ここは意外だったというところはありますか?

「そうですね。今はまだハード面で古さを感じる、というところは置いといても、意外と組織構造も昭和型なんですよ」

たとえば、と説明していただいたのが「組織の縦割り」。

会社全体で考えるのではなく、どうしても部署単位での「貸し借り」のような動き方になってしまうこともあるようだ。

それに社内の業務システムや会議の進め方についても、まだまだ改善の余地があった。

ただ、問題を認識しているものの、稼働率は相変わらず高いので、なかなか危機感を浸透させることが難しい。まずは丁寧にコミュニケーションしながら進めていこうとしている。

「96%の稼働率というところから、なかなか動き出せないままで。本来うちのホテルってどうあるべきなんだろうっていうところが、固まってないんです。でもみなさんプロ意識も高いし、サービス精神も豊富。それがまだ、組織としてしっかり噛み合っていないんです」

 

これからどんなことをやっていくのか。

まずは目の前に大きなプロジェクトが2つある。

1つは道後温泉を活性化させる複合文化施設。茶玻瑠の奥、上人坂というゆるやかな坂道に敷地がある。今はまだ駐車場だ。

人通りが少ないけれど、街全体の回遊性を高めるために最も期待されているエリア。

きっかけとなったのが、マリメッコ社のテキスタイルデザイナー、石本藤雄さんとの出会いだった。

そのときのことを川本さんに話していただく。

「世界的に知られている愛媛県出身の石本さんとご一緒することがあって。石本さんの個展を地元愛媛で開こうとなり、2013年のアートイベント『オンセナート』にもつながっていくんです。石本さんは長らくヘルシンキに住まれていたのだけど日本に帰られることになり、石本さんのためにスタジオを用意したいと思った」

すでに茶玻瑠の9階は、石本さんが担当したフロアになっている。

床の間に見立てた一角には、石本さんの陶芸作品が置いてあり、部屋の中はマリメッコや北欧インテリアに囲まれている。柔らかい愛媛県産の床材を使用していて、初めて訪れたのになんだか落ち着く空間。

新しい施設の1階はカフェやショップ、ギャラリー。2階にはコワーキングスペースやアーティストインレジデンス。そして3階の一番奥に石本さんのスタジオが入る。茶玻瑠の本社機能もここに移転する。これまでは一階の奥にある薄暗い事務所だったから、草宮さんも楽しみらしい。

設計は武松幸治さん。建築の構造材としても使用される、特殊な木材CLTを活用した建築を得意とする方。この複合文化施設もまたCLTを活用する予定だ。

こちらの企画・運営責任者を募集する。

町歩きが楽しくなるような場所をつくり、アトリエやギャラリーと連動した企画展や広報、イベント企画などを一手に担当することになりそうだ。

なかなか大変だけれど、チャンスだと思える人に合っていると思う。

さらにもう1つできるのが松山の中心市街地、大街道にある三越のリノベーション。なんと上階にホテルをつくるのだそうだ。

2つのフロアに10部屋前後ということで、一つひとつの部屋が広々としている。

この場所について、川本さんは次のように説明する。

「松山市の宿泊施設は、松山市の中心部と道後温泉に集中しているんですが、市街地はビジネスホテルが中心でハイクラスの宿泊施設が少ないんです。それと、市街地と道後温泉の連動性をもっと高めたい。ここは1部屋60平米以上のジュニアスイートからスイートばかりのスモールラグジュアリーホテルにしようと考えています」

これらの新しいプロジェクトに加えて、近い将来に茶玻瑠もリニューアルが予定されている。そこでウェディング事業の担当者とホテルの支配人候補者も募集する。

「変革していきたい。すごい冒険だと思う。なぜなら今まで培ってきたものも捨てなくては新しい文化はつくれないから。魂のような部分は残るかもしれないけど、それ以外は新しくしていきたいと考えています」

「温泉地の旅館だったから、どうしても古い体質が残っている。そういうものを変えていきたい。そのためにはホテルが健康でなければいけない。そして長年がんばってくれている人の独立もサポートしたい」

子会社が増えていくような感じですか。

「松山からしまなみ海道を通って、瀬戸内全体、そして京都まで、小粒だけど魅力あるオーベルジュのようなものが生まれていったらいいんじゃないかと思っています」

まずはこの数年間。もしかしたらもう少しかかるかもしれない。

地道な仕事も多いと思うけれど、ここからチャレンジして、足腰がしっかりした経営をつくりあげていけば、次につながっていくはず。

それは茶玻瑠としても、働く一人ひとりにとっても。

(2020/9/15 取材 ナカムラケンタ)

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