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宮崎県都農町。日向灘に面した温暖な町で、世界が評価するワインづくりが行われています。
頻繁に台風もやってくる、多雨で温暖な土地でワイン?しかも第3セクターのワイナリーだなんてうまくいくのだろうか?
正直に言えば、最初はそんなことを思っていました。
一般的にはワインは雨が少なく、夜間の気温が低く、それでいて日照量の多い地域が適地とされています。
ただ、当たり前を疑わずに定石に従えば、誰かの後追いしかできない。話を聞いていて、その場所だからこそ、その人だからこそできることがあると思いました。
南国の醸造家たちの思いを継いで、これから先もぶどうを育て、ワインを醸造していく人を募集します。
飛行機から出ると、暖かい空気が身体を包み込む。冬なのに上着を脱ぎたくなる。
空港の近くでレンタカーを借りて北に向かう。右手には日向灘、左手にはなだらかな山々。
宮崎市内から1時間ほどで都農町に入った。
都農ワイナリーは町を見下ろす高台にあり、太平洋へと続く日向灘が見える。まわりにはぶどう畑が取り囲んでいて気持ちよい。
まず話を聞いたのが小畑さん。5年前に工場長から社長になった方だ。
「戦後間もないころ、永友百二さんって方がぶどう栽培を始めました。田んぼに木を植ゆるバカがおるげなと揶揄されながら、ぶどう畑が徐々に広がって」
「一時は2000トンぐらい生産して、ぶどう農家も200軒ぐらいに。今は残念ながら50軒ぐらいになりましたけど、それでも都農町の農業を支えている基幹の作物です」
南国宮崎のぶどう栽培は、ほかの産地と比べて1ヶ月早く進んでいく。夏から秋にかけての果物というイメージもあるぶどうを、早い時期に出荷できるのが強み。
ただ、お盆を過ぎるとほかの産地のぶどうも出回るので値段が落ちてしまう。
その対策として、ぶどうをワインにするアイデアが生まれた。
「付加価値をつけて、ワイナリーをつくりましょう、っていうのがスタートだったんですね。たまたま当時の町長さんがぶどう農家だったこともあって」
「ただ、怖さを知らないからプロジェクトが進んでいったんじゃないかと思います。無謀な計画というかですね、もしかしたらワイナリーができていなかったんじゃないか」
世界のワイン銘醸地は、年間降雨量が500〜700ミリほどで雨が少ない特徴があるのに、都農町は年間降雨量4,000ミリ以上。しかも、収穫期は台風シーズンと重なる。
さらにワインの専用品種ではなく、生食用のキャンベル・アーリーでワインをつくろうと考えた。
1年目に集まったぶどうを見てみれば、傷んだものやカビの生えたものがたくさん混ざっている。傷んだぶどうを農家に返せば「生意気な!」ということになった。
はじめは困難なことばかりだった。
それらを乗り越えて、1996年に最初のワインが完成した。2004年には国内のワインコンクールで受賞し、「ワインレポート2004」のアジアランキングで新進気鋭のワイナリー第1位となった。
逆境にも負けることなく、ワインづくりができたのは、やはり小畑さんの存在が大きいと感じる。
もともと醸造家を目指していたわけではなかった。醸造学科出身者が多い業界の中で、大学では生化学を専攻していた。
転機となったのは、大学院終了後に青年海外協力隊員として南米のボリビアに行ったこと。
「僕が住んでいたところは標高500~1000メートルぐらいなんですけど、コカの葉っぱの原産地だったんですね。コカインを撲滅させるっていう国連のプロジェクトがありまして、そこで僕はコツコツ、ジャムづくりをやってたんです」
奥地で道も悪いので、果物を輸送しても途中でダメになってしまう。そこでジャムに加工して売ることを考えた。
「農民たちは農協つくってジャムを売り出すんです。僕はそこで日本に帰っちゃうんですけど、とてもいい思いをした。それが忘れられなくて、また南米で働きたいなと思ったんですね」
日本に帰国してから、ブラジルのワイン工場で働く仕事を見つけた。
1991年から1995年までブラジルの関連会社で、ワイナリーの工場の責任者になる。
「今思うとですね、ワインの技術屋で食っていくことが腑に落ちた4年間だった」
しかし、ワインを盗んで飲んでいる従業員を発見。大男相手に殴り合いになってしまった。過剰防衛ということで訴訟を起こされて、日本に帰国。メーカーの品質管理部門に配属される。
「品質管理はとっても大事です。これから自分の人生を考えたときに勉強しようと思ったんですけど、やっぱり合わなかった」
そんなときに都農ワイナリーの立ち上げの話を聞き、働きはじめることになる。
すでに書いたとおり、苦労の連続だった。小畑さんは諦めることなく、ワインづくりを進めていく。
「生食用ぶどうのワインって、ラブラスカと言って、ワインでも欠点と言われる甘ったるい香りがするんですね。そういうのを抑えて飲みやすいワインをつくったっていうのが僕らの実績じゃないかなと思いますね」
ワイナリーがオープンして1ヶ月で売り切れてしまった。
そこで当時の町の幹部から「海外からでも山梨、北海道からでもぶどう取ってきてワインをつくれ」という指示があった。
「ワインづくりっていうのは地元のぶどうを使うことだと思っているんです。地酒ですね。ここになぜワイナリーがあるかっていうと、ここのぶどうを使うからなんですね。それが大切なんです」
小畑さんは税務署がワイナリー設立を許可した条件として「地場産業の振興」があったことを見つけ出して、域外のぶどうを使えば地域振興にならないとして、幹部の命令に真っ向から反対した。
「ブラジルで学んだことはですね、ワイナリーの近くに1000ヘクタールのぶどう畑が延々と広がってるわけです。ぶどう栽培のリズムの中で、ワインをつくっていくことなんだなって」
「ワインづくりは農業なんです」
何かおかしいと思うことがあったら、徹底的に議論した。常識も疑った。
たとえば、ワイン用のぶどう栽培の場合、垣根にして枝を上に伸ばしていくのが基本となる。ところが生食用のぶどう畑のように棚をつくって栽培したほうが良いことを発見した。
「棚栽培をしていた畑があって、そこの成績がいいんですよ」
「フランスのやり方を見ていると、ぶどう栽培は密植で垣根じゃないとだめだって固定観念があるんですけど、実際はそうじゃないっていうところですよね。地域によっていろんな栽培方法があるんです」
もう1つは畑に堆肥をいれること。
一般的にはぶどう栽培は痩せた土地でよくできると言われている。堆肥をいれるのはセオリーから外れていた。
「世界的にぶどうができるところはですね、穀物とかには向いてないかもしれないんですけど、ミネラル分が豊富な美味しい果物が獲れる地域なんですよ。豊かな土壌なんです」
ところが都農の土壌は、火山灰でミネラル分が少ない。
「僕らは堆肥を入れてミネラル分を補給するような栽培体系にして、ぶどう栽培を始めました」
ワインづくりは農業。それを今、最前線で実践しているのが、工場長の赤尾さん。
ステンレスタンクの並んでいる場所で話を聞いた。
「僕は宮崎県の川南町っていう隣町出身ですね。18歳でワインづくりを始めました」
「動機が特にないんですよ。ただ手に職をつけるってことに憧れがあったんで、ぶどうを育てるってことには、違和感なく飛び込めたってのはありますね」
まだ18歳でお酒も飲めない。たまたまワインに出会った赤尾さん。
情熱的な先輩方に影響されて、次第にワインづくりにのめり込んでいく。
「周りの大人たちの情熱がすごかったんで、自然に引っ張られていくんです」
「生まれて初めての経験って楽しいんですよね。それがワイン業界にいるとたくさんあるんです。例えば今年取れるぶどうって今年しか味わえない。毎年、知識とか経験が深まっていって、それが楽しいところですかね」
25年、ワインづくりを続けている赤尾さん。まだまだおいしくなると考えていて、達成感はないのだとか。
たとえば、どんな品種が都農に合っているか模索することもチャレンジしていることの1つ。
「宮崎は夜の温度があったかいので、酸味が抜けやすいんですよ。酸味が崩れると味のバランスが崩れ、病気にもなりやすい。もともと酸っぱい品種を育てたり、色々考え方があります」
「都農に自生してるヤマブドウがあって、その花粉を使った交配もやってみたい。都農でしかない品種もつくりたい」
月の満ち欠けとぶどうの関係性についても相関があるのではないかということで研究している。
南国でのワインづくり。
はじめから常識とかけ離れているからこそ、コツコツ試行錯誤できたのかもしれない。
「ただ、研究者と一番違うところは、お客さんの声を聞いてお金に変えないといけないってところ」
「あとワインというと華やかなイメージがあるかもしれませんが、決してきらびやかな作業は一つもないんですよね」
びしょ濡れになったり、泥んこまみれになったりすることは当たり前。
赤尾さんの日課は畑に行くことだ。
「誰に見られなくとも畑に行く。人から評価されたいわけじゃなくて、醸造家としての仕事なんですよね。大変と思えば大変なんですけど、楽しいからやっていて、それが楽しいと思える人は、すぐにやりがいのある仕事になるんじゃないかなと思います」
「自由な視点でワインを見てくれる人がいい。ワインはこうだ、みたいな固定観念は全部崩しちゃう。ニュートラルで、独自の視点が育める会社だと思います」
小畑さんや赤尾さんに続いて、ワイナリーを継いでいく人を募集しています。2人のおかげで、チャレンジしやすい環境も整っています。
経験なども不問だそうです。まずはこの環境に飛び込んで、ワインづくりやぶどう栽培にどっぷりつかってください。
まずはこれまでのやり方を吸収して、この場所だからこそ、あなただからこそ、つくれるワインを生み出してください。
(2021/3/1 取材 ナカムラケンタ)