求人 NEW

波が来たら乗ってみる
東京の離島
新島の観光案内所で働く

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

東京の離島、新島。

竹芝桟橋から夜行船で9時間、高速船なら2時間半。調布飛行場から飛行機に乗れば40分。都内からも近いこの島で、地域おこし協力隊として観光案内所で働く人を募集します。

真っ白な砂浜に、ミルキーブルーの海。

サーフィンも盛んで、大会も開かれるほど。

くさやなどの独特の食文化に、夕焼けを眺める温泉もあるし、島で産出される「抗火石(こうがせき)」でできた建築群も美しい。

抗火石と言えば、渋谷にあるモヤイ像の材料としても有名だ。イースター島のモアイ像と、島の方言で「協力する・助け合う」という意味の「モヤイ」をかけて、モヤイ像が生まれた。

こんな新島に自分も15年ほど通っています。

一番好きなのは、集落にある砂浜の真正面に沈んでいく夕日を眺めること。

新島には「夕浜(ゆうばま)」という言葉があります。日没の時間になると、自然と砂浜に人が集まって一緒に過ごすという意味。

頬を照らす太陽の光。足に感じる温かい砂の感触。

だんだんと空がオレンジ色に染まっていき、暗くなったら家に帰る。

圧倒的な自然を前にすれば、みんな目の前のことを受け入れる。おのずと人が集まり、島の営みとなっていく。

この仕事も、まずは島の人たち、観光客、美しい自然に向き合っていく仕事です。

 

深夜23時。

竹芝桟橋を出た船は、すぐにレインボーブリッジの下をくぐり抜ける。キラキラと光る東京の夜景を甲板で眺める。

夏になると、足の踏み場もないくらい、たくさんの乗船客でごった返す。視線を外に向ければ、真っ赤な東京タワー、コンテナが積み上がる大井埠頭。

羽田空港の光が見えるころには、いつも眠くなる。

すっかり明るくなった朝8時前には新島に到着。船を降りて、まず見えてくるのが船客待合所。今回の求人の職場となるところだ。

まずお話を聞いたのが、新島村役場の産業観光課、観光商工係長の富田さん。

「高校卒業まで新島で育ちました。サーフィンが好きで、プロサーファーを目指して湘南や房総に住んでいたこともあって。25歳のときに結婚して、島に戻ってきたんです。子どもを育てるなら、新島だなと思って」

建設会社で働いたあと、役場に入って15年。一昨年の9月に産業観光課に配属となって、地域おこし協力隊の募集を担当することになった。

どんな募集なんですか?

「一昨年の6月に観光協会が解散することが決まりました。でも観光地なので、新島村として観光案内窓口をやろうということになり、昨年4月より新島村観光案内所としてスタートました」

仕事は船客待合所内にある観光案内所での対応。ほかにはキャンプ場の受付やBBQ施設の管理、それに観光情報の発信など。

「気負わなくていいと思いますよ。仕事はちゃんとしていただきたい、というのはあるんですけど、何よりも新島を好きになってもらいたいです。まあ、この仕事をやるにしても、新島が好きじゃないと続かないと思うので」

島の好きなところって、どういうところでしょう?

「そうですね、自分が生まれ育った場所なので知り合いも多くて気が楽ですね。あとサーフィンも好きだし、海も好きなので」

「湘南にいたときは海が濁っていたから、海中で目を開けようとは思わなかったんですよね。新島では当たり前に目を開けていたことを思い出して、やっぱり良いところだったんだなって」

新島の海は透明度が高く、砂浜も真っ白で美しい。

この砂は、新島で産出される抗火石などが砕けて堆積したもので、よく見てみると透明なことがわかる。石英の結晶でできていて、ほぼガラスと同じ。

羽伏浦海岸に行けば、真っ白な砂浜が南北に約7km続く。背後には真っ白な白ママ断崖。

東京都だとは思えない。

「ぼくはここで生まれ育っているので当たり前なんですけど、協力隊の人には客観的な目で島を見てほしいですね」

 

島で生まれながらも、客観的な目線をもっているのが小澤さん。

みんなから「さとさん」と呼ばれている。

「私は新島で生まれて、小3から神津島、小5で式根島、中2で大島、高校でまた新島に戻ってきました」

京都の大学に進学して、卒業後に1年ほど新島に戻るものの、その後は兵庫県、秋田県、埼玉県、そして東京・浅草へ。

「浅草に住んでいたときに、父が難病にかかってしまいました。介護が必要になったので、新島と二拠点生活をはじめて」

「そのあと父が亡くなって、浅草に戻るか新島に残るか迷っていました。そんなときに日本仕事百貨の『しごとをつくる合宿』に参加したことが大きなきっかけになりました」

もともと和太鼓奏者だったさとさん。新島では演奏者から指導者に専念。和太鼓を高校生に教えながら、島での仕事を模索する。

「たとえば、新島には面白いものがたくさんあるけど、当たり前すぎて見逃してしまうことも多い気がして」

その例として挙げてもらったのが「抗火石」。

新島の天然石で、世界でも珍しいもの。その石で建造された家が並ぶ風景は、新島でしか見ることができない。

「こういう独特の文化や風土が残っていても、地元の人たちには特別なものではなく、日常に溶け込んでいます。それはとても面白いことだし、伝えていきたいと思うんです」

2019年には一般社団法人新島OIGIE(オイギー)を立ち上げる。

誰もが新島をオイギー(=私の家)と感じられるような居心地のよい島にすることを基本理念とし、メンバーそれぞれの特技を持ち寄って事業を展開。

たとえば、カルチャーマガジン「にいじまぐ」の発行をはじめ、コミュニティスペースの運営や移住定住の相談窓口などをしている。

行政と連携して移住定住をテーマにしたサイト「FlowLife」も運営しており、島の仕事や空き家情報なども提供している。

このサイト名には「流れる、たゆたう」という意味がある。移住するのは大きな決断だけれど、肩の力を抜いて流れに身を委ねるのもどうですか、という思いが込められている。

受け身になったり、人に委ねてみたりするからこそ、動きはじめることもある。

新島でよく聞くのが「受け入れる」とか、「集まる」というニュアンスの言葉。たとえば、夕浜は「夕方になったら砂浜に集まって過ごす」という意味だし、モヤイは「協力する・助け合う」というもの。

大きな自然を目の前にすれば、まず足元に目を向けて助け合いながら生きていくしかない。

そんな話の中で、さとさんが次のように話してくれた。

「何かを頑張らなくちゃ!と焦るよりも、島の大事にしていることを大切にして、やってはいけないことを守れば、しっかり受け入れてくれると思います」

 

島では自分一人で何かを立ち上げようとするよりも、まずは目の前のことを受け入れるタイプが合っていると思う。

そんなことを考えて思い浮かぶのが斉木さん。居酒屋「サンシャイン」を営みながら、塩工場を立ち上げようとしている。

新島に移住したきっかけは、都内でアルバイトしていた居酒屋の店長が、新島でお店をはじめようとしたから。

「ニューヨークに住んでいてそろそろ帰国しようと思っていたときに、新島で一緒に働かないかと誘われて。そのとき、初めて新島のことを知ったんですよ」

「島というだけでワクワクしたし、メールに添付されていた新島の写真もきれいだった。『行けばわかる!』が二人の合言葉。ほかはまったくわからなかったんですけど、そういうノリが好きなので、二つ返事で行くことにしました」

2014年の夏の終わりに帰国して、4日後には新島へ。

船客待合所の2階で飲食店をはじめたり、観光客のいないオフシーズンは工事現場の飯場を担当したり、都内に戻って出稼ぎしたり。工夫しながら2人で頑張ってきた。

島の方のご厚意で空き物件を紹介してもらい、2015年7月に居酒屋「サンシャイン」をオープン。けれども、その3年後、店長は家庭の事情で島を離れることに。

「ほとんど島に友だちがいなかったし、飲み歩くこともなくて。島の人たちからは『あいつ、誰なんだろう?』って思われていたと思います。リゾートバイトに来て、いずれいなくなってしまう人、という感じかな」

こんなに新島にいるとは思っていなかった?

「そうですね。思っていなかったですね。振り返ってみても、本当に何も考えていなかったです」

でも店長から「この店を引き継いでくれたらうれしい」と言われて、急に考えるようになった。

「自分は逆らわないですね。薄情といえばそうなんですけど、まずお店を継ぐことを受け入れる。どんなことでも面白がれるタイプかもしれません」

「悲しさというよりは、すぐに前向きに考えました。船客待合所のお店をやっていたときはいろいろなことを任されていて、数字のことも考えたり、経営をかじったりして楽しかったんですよね」

まずやってみる。ダメだったら仕方ない。

そんな思いから、居酒屋サンシャインを引き継いだ。ところがすぐにコロナ禍になってしまう。

「緊急事態宣言で、ずっとゲームしていました。でもこれじゃまずいと冷静に考えたんです。何かないかなと考えて思いついたのが塩作りだった」

「思い立ったら、その日に海水を汲んでつくってみました。でもすぐにこれじゃ難しいと思って、2週間後には修行に行きました」

日本仕事百貨でも、以前紹介した山口・長門の百姓庵へ。塩づくりを軸に様々な事業を展開している。

この経験をもとに、新島の自宅の横に塩小屋を建てた。

「最初は掘っ建て小屋をつくろうと思ったら、諸先輩方がいっぱい見に来てくれて、大工さんからもアドバイスいただいて立派なのができました」

「塩をつくれば、飲食店でも活用できる。いろいろなアイデアが浮かんで楽しいです。ほかにも宿をやりたいと思っていますよ」

 

新島に移住して、観光案内所で働く。まずは気負わず、島に慣れていく。目の前の仕事はしっかりしながら、島を楽しんで。

サーフィンと同じように波が来るまで待てばいいと思います。良い波が来たら乗ればいい。

僭越ながら、自分もサポートさせていただこうと思います。島でご一緒できることを楽しみにしています。

(2023/1/5 取材 ナカムラケンタ、2024/1/23 更新 槌谷はるか)

※取材時はマスクを外していただきました。

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