実家は建設業。20歳で家業を継いだ。結婚した。4人の親になった。27歳のとき、単身ニューヨークへ渡った。アート・建築・デザインを浴びるように見た。帰国後、30歳でギャラリーを立ち上げた。
これは安東孝一さんの話。
それから40年にわたって「目の職人」として、プロデュースを行っている。
手がけたのは明治製菓の「100%チョコレートカフェ」、Hareza池袋のアートワーク、慶應義塾大学のサイン計画、グッドデザイン金賞受賞のオリジナルプロダクト「アンドーズグラス」など。

2023年に清澄白河のギャラリーを閉廊したのちは、アンドースクールとアンドーマガジンも立ち上げた。
ギャラリー、プロダクト、スクール、マガジン。これらの活動を通じて安東さんが届けるのは自分の目を持ち、世界を素直に眼差し、生きていくことの豊かさ。
アンドーギャラリーで働くプロデューススタッフを募集します。
主な仕事内容は、オリジナルプロダクトの営業と管理業務全般。
また、プロデュース事業における安東さんのアシスタントとして、国内外の著名なアーティスト・建築家・デザイナーと関わる機会もあります。現在、ジャスパー・モリソンと進めているプレートの企画制作も手がけます。
学歴や職歴は問いません。現スタッフの木下さんの退職に伴い、2026年4月ごろから働きはじめられる方が望ましいです。デザインや建築に興味があり、自分もアートの世界に関わって生きたい。そんな人におすすめです。
アンドーギャラリーの事務所を訪ねる。東京・清澄白河駅から歩いて10分のところにあるビルの2階で、安東さんと木下さんが仕事をしている。

木下さんが梱包しているのは「アンドーギャラリーカレンダー」。
2003年の発売から長年にわたり愛用する人も多いプロダクト。毎年秋になると、ここから日本各地にある200店舗ほどの卸先へ送り届けられる。
きれいに梱包するためのルールは、前任から受け継いだものもある。封筒を止めるテープに指紋がつかないよう、手ではなくハサミで切るなど。

「宮崎県へ発送するときは『暖かいところへ行ってらっしゃい』。京都へ発送するときは『海外の方の目にも触れるかな』と想像が膨らみます」
「旅行に行くと、つい気になって取扱店さんを訪ねます。清澄白河で扱ってくださっているお店も多いんですよ。店頭に飾られているのを見つけると、うれしくなります。『それぞれの場所で輝いているな』と」
デザインは、アートディレクターの葛西薫さんによるもの。制作の話を聞くと、それだけで一冊の本が書けそうな情報量。
なかでも印象的だったのは文字の色。黒だと思われることが多いけれど、実は濃紺。

このカレンダーを「普遍的」という人も、「色気がある」という人もいる。
このプロダクトの出発点は「自分の使いたいカレンダーがないこと」だった。現在は税別1,400円と手頃な価格で販売されており、「プロダクトはもの半分、価格半分」と安東さん。
「紙にこだわって、印刷にこだわって、包装にこだわっていけば、理想のカレンダーが一部5,000円でつくれるかもしれない。でもそれじゃあ、買えないよね」
「つくりたいのは作品じゃなくて、商品。ふつうの人の日常を豊かにしたいんです」

第2のプロダクトとして販売されたアンドーズグラスは、安東さんがジャスパー・モリソンにデザインを熱望した。半年後に送られてきたドローイング。それをかたちにするのは、下町の職人さんの高度な技術。一つひとつ手吹きでつくるこのグラスは、入荷するとすぐに売り切れてしまう。
続いて木下さんが梱包するのは「アンドーギャラリーダイアリー」。2024年にリリースされたプロダクトだ。

「一冊から発送できるよう、印刷をしているGRAPHさんにオリジナルの梱包材をつくってもらったんです。梱包がていねいだと、うれしくなりませんか」と木下さん。
企画段階では「スマホでスケジュール管理を行える時代にどうして手帳をつくるのか」という声も上がった。葛西薫さんと検討を進めていくなかで浮かんできたのは、日記帳を意味する「DIARY(ダイアリー)」。
スケジュール管理だけでなく、日々のできごとや感情を綴ることで日常を豊かに。プロダクトは、どうやってかたちになるのか。そこには人と人のやりとりがある。
たとえばカバー。はじめに葛西さんは、利便性に優れたソフトカバーを提案した。しかし、ものとしての「美」を追求する安東さんの目は、頑としてハードカバーを曲げなかった。葛西さんもまた、カバーにロゴマークを入れることをけっして譲らなかった。

日本を代表するデザイナーと、目の職人。そして、20年にわたり印刷を手がけるプリンティングディレクター。三者が言葉を交わし、手を動かし、試作を重ねるなかで、ダイアリーが完成した。
けれど、どれだけ美しいプロダクトもかたちにして終わりではない。誰かの手元に届いてはじめて仕事になる。そして新しいプロダクトが世に知られるまでには、時間も必要だ。
安東さんの背中を見てきた木下さんは、ある提案をした。
「アンドーギャラリーのオンラインストアを開設して、カレンダーやダイアリーを販売しませんか」
これまで卸売という立場を超えることのなかった安東さんからは、即答で「NO」がかえってきた。安東さんは義理を重んじる人でもあるし、だから、ここまでやってこれた。
だけど、時代は大きく動いている。この先もアンドーギャラリーを続け、プロダクトを必要とする人へ届けていくには、しなやかに変化してもよいのでは。木下さんは1ヶ月後に再提案。すると今度は、前向きな返事がかえってきた。

GOサインは出たものの、木下さんにとっても、オンラインストア開設ははじめての経験。相方にChatGPTを迎え、制作を進めていった。
オンラインストアが完成すると、安東さんはおどろいた。「木下すごい」と連呼した。自分一人では見えない風景だった。開設した効果は大きかった。お客さんの顔がくっきり見えたからだ。
ここで2023年7月に転職した木下さんの話を聞いてみる。どうしてアンドーギャラリーではたらきはじめ、卒業していくのか。
「わたしは美大に通っていました。アトリエで制作に明け暮れるなか、アートがきわめて小さい世界で行われているように感じました。今思うと、作品を『つくる』ことはできていても、社会に『つなげる』ことができていなかったんです」
「だから、アンドーギャラリーがアート・建築・デザインと社会の接点をつくっていることに惹かれました」
アンドーギャラリーは、出社が10時30分で18時退社。休憩はしっかり1時間。つまり1 日の実働は6時間30分で残業はない。
今日に至るまで、木下さんは絵を描き続けている。
「中学ではじめてスマホを持ってから、社会が目まぐるしく変わっていくのを感じています。たくさんの情報に囲まれて生きるなかでも、人間として身体性を失いたくない。だから絵を描いています」
2025年にはじまったアンドーマガジンでは、制作現場にも立ち会う。
「アート、建築、デザインを生業とする人たちに動画インタビューする企画です。アートディレクターの葛西薫さん、写真家の上田義彦さんにファッションデザイナーの皆川明さん。今後に残る宝物のような出会いでした」

営業、梱包、発送、広報。いろいろな角度からアンドーギャラリーに関わる3年間のなかで、木下さんの目も変化していく。
「アートは『小さい世界のもの』ではなく『身近なもの』。視点が変わったことで、大きな可能性を感じるようになりました」
そして、自身であらたな挑戦に踏み出す。
木下さんの後任の方を募集するにあたり、ふたたび安東さんに聞いてみる。アンドーギャラリーではたらく上で、一番大切なことはなんでしょう。
「感性。木下さんとはたらいて気づいたことなんです」
美大を出ている人が望ましいということでしょうか。
「感性は、学校を出たからといって身につくものとは言い切れません」
安東さんの考える感性とは?
「自己表現する力だけではないと思うんです。自分の目で見ることじゃないかな」
安東さんがギャラリーをはじめようと決めたのは、27歳。おもしろい人間と生きていきたかったから。美大を目指す時間はない。
美の断崖絶壁に立ち尽くした27歳の安東さんは、どうやって「目の職人」になったのか。
「見たんです。ニューヨークでの1年間、目が開いているときはずっとアート・建築・デザインを見ました」

ニューヨーク行きにあたっては周りから反対され、笑われることもあった。「勉強は苦手だろう」「兄貴がおかしくなった」。それでも海を渡った。
空を1万キロ飛んだ先のニューヨークには、見たことのない世界が広がっていた。
はじめは何を見ているのかさえわからなかった。それでも、美術館に行き、ギャラリーを訪ね歩き、歩いている間は建築を眺めた。書店で画集を見た。
そして半年後。サイ・トゥオンブリーの展示を訪れた。
「あ、きれいだな」
素直にそう思えた。それでいいと思えた。そのときはじめて安東さんは「自分の目」で美に触れることができた。それから40年間、世界にものを送り出している。
「わたしだってできたんです。あなただってできる」

清澄白河のアンドーギャラリーでは、これまでに4人がはたらき、卒業している。作家として活動する人も、地方の文化施設で活躍する人も、みんなそれぞれの場所で輝いている。
ここで世界を眺め、手触りを知り、自分の目とともに、ふたたび新たな世界に飛び込んでいく。
「長くいてくれたらもちろんうれしいけれど、次にステップアップしてくれるのもまたうれしい。自分の人生だからね」
インタビューが終わると、安東さんは発注していたアンドーズグラスを受け取りに外出していった。事務所では、木下さんがダイアリーを梱包している。
(2026/1/23 取材 大越 元)