本を出版します
仕事百貨で就職された方、
探しております

あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。

日本仕事百貨は今年、創業14周年を迎えることができそうです。みなさんへの感謝の気持ちとともに迎えることができることに、とても喜びを感じています。ありがとうございます。

私たちはいろいろな生き方働き方を正直に伝えていきたいと思います。そして日本仕事百貨を通して就職された方たちが、みなさん幸せに働いていただけることを願っています。

就職・転職しないときも楽しめ、応募しても安心できるようなメディアでありたい。そのためにいろいろなことに取り組んでいこうと思います。

その一つとして、日本仕事百貨を通じて(もしくはちょっと変わった経緯で)就職・転職された方の、その後を訪ねるインタビューに力を入れていこうと思っています。そして、それらをまとめた本も出版予定です。

今年の年賀状はそのプロトタイプを作成しました。本は通常16ページが最小単位となっており、それを1折と呼びます。これを束ねて本はできており、今回は32ページ1折だけを印刷し、年賀状といたしました。

これからもたくさんの方のお話を伺いたいです。

異分野から転職されて見事に活躍されている方。後継者になられた方。辞めてしまったけれども、独立・転職されて、今も良いお付き合いがある方。新天地に移住して、すっかり土地に溶け込んだ方。考え方やライフスタイルががらりと変わってしまった方。

ぜひご存知でしたらお知らせください。自薦他薦問いません。

>>思い浮かぶ方がいましたら、こちらのフォームからご連絡いただけると幸いです。

今年の年賀状でインタビューをご紹介させていただいたのは、株式会社旅する温泉道場の代表取締役・宮本 昌樹さんです。

終わりに宮本さんのインタビュー「裁量権が欲しかった 転職して、社長になった」をご紹介させていただきますので、ぜひご覧ください。

それでは今年も、世の中にはいろいろな生き方・働き方があることを伝えてまいります。

どうぞよろしくお願いいたします。

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裁量権が欲しかった
転職して、社長になった
株式会社旅する温泉道場 代表取締役・宮本昌樹(みやもと まさき)

株式会社温泉道場は日帰り温泉の運営を通じて地域社会との連携を行い、温泉を核とした地域活性化を実現する会社です。2011年に山﨑寿樹さんが創業し、全国で10ヶ所の温浴施設を運営/プロデュースしています。そんな温泉道場に2014年に入社したのが宮本昌樹さんです。1986年生まれ、和歌山県出身。支配人を2年間経験したあと、店舗リニューアルや、コーポレートブランディング、フランチャイズ事業を担当し、その後はHR部門に注力。2019年より、温泉道場グループ人目の社長として、三重県の株式会社旅する温泉道場の社長を兼任しています。

自分の人生について考えはじめたのが高校生のときだったんです。めちゃくちゃ和歌山の田舎に住んでいて。

将来、どうやって生きてくのだろうと考えていました。親父は農協の勤め上げ。毎日、19時とかには帰ってくる。母親は専業主婦。それを見ていて、自分はそうじゃないなっていうことをなんとなく思っていて。何か社会を良くするようなことをやりたいと漠然と思っていたんです。

今からすると全然関係ないんですけど、ファッションデザイナーになろうって思ったんですよね。

2000年代って、世の中を変えるチャレンジをするベンチャー企業が一般的になりつつあったんです。ホリエモンが話題になったり、三木谷さんが球団買うみたいな話になったり。僕も世の中を変える側になりたいって、すごく思っていて。それで日本の強みを仕事にできたらと思って、和服でなにかできないか考えました。服飾大学を調べて、さっそく見学に行ったんです。

オープンキャンパスで大学の先生に自分の考えを伝えました。そしたら「入らないほうが良いよ」って言われたんですよ。入学したいと言っているのに。

それで、その先生がこんな話をしてくれたんです。

世の中のことを何も知らずにデザインスキルを身につけたところで、つくりたいものはきっと浮かばない。なんとなく流行っているものをつくるだけになってしまう。単にファッションデザイナーになりたいのだったら入ってもいいけど、世の中を変えるようなファッションデザイナーになりたいんだったら、まずは普通の大学に通いなさい。そちらで学べる学力があるんだから。

たしかに、と思ったんですよ。それで社会課題を学べるところに行こうと考えて、立命館大学に進学しました。和歌山を出て、京都での一人暮らしがはじまります。

僕は学生自治会に入ったんですけど、立命館大学には、いわゆる左派系の学生運動とかが残っていて。学生一人ひとりから税金のように学友会費を集めて、2億円とか予算をかけて、部活の費用とか学園祭費用とか、学生だけで運営を決められたんです。

そういう経験があったので、働きながらボランティア活動とか市民運動をしている人たちもいるのかなと思って。一度休学して、派遣の仕事をしながら市民運動にチャレンジしたんです。そういう世の中の変え方もあるのかなと。

コンビニに深夜、お弁当とかお茶を運ぶカートみたいなものあるの、わかります?トラックから降ろして、「失礼しまーす」って、コンビニに入ってくるの。あれを物流倉庫で積み込む仕事をしていました。100ケースとか入れて、ビニールテープでぐるぐる巻きにして。拘束時間8時間で手取り6000円とかでした。

結果、きついなという結論になりました。この生活をずっとやるのはしんどいなって。

それでちゃんと就職活動しようと思ったんです。学園祭みたいな感覚で、世の中を良くする仕事がしたい。大手企業でやるのは多分向いてない。ベンチャーで社会貢献しているところを探していたら、老人ホームなどで洋服の販売会をする会社に出会って就職しました。

結構、ニーズがあるんですよ。一生懸命、老人ホームへ営業していたら、事業部長にもなりました。

ただ、社長の考え方と合わなくて。会社のPLもわからなくて、売上をあげる目標だけ与えられて。このままここにいても、自分で経営ができるようになったり、全体を知ったりすることもできないんだと思いました。給与はすごくよかったんですけどね。都内で飲んで、タクシーで帰って、でも家は狭くて、家賃は高い。このままやっていて、人生に良い影響があるのかなって、不安になったんですよ。

そんなときに日本仕事百貨を知ったんです。何か見ているときに引っかかって。そして転職しようとしたときに温泉道場の求人があって、これは運命だと思いました。

「正解はないです。日々探していく仕事なんです」

「お客さまと共に過ごせる場を考えてほしいんです。これをやったら楽しいということを探して、表現していってほしい。とは言え、空間づくりの経験は問いませんし、その人の感性で進めていってもらえたらと思います。未完成のutataneを一緒につくっていきたいんです」

『求む、温浴プロデューサー 』より

今の仕事は裁量権があるわけじゃない。営業するしかない。そんなときに「一緒につくっていきましょう」というスタンスだったので、すごく印象に残っていて。ピンときたわけです。

こういうことでモヤモヤしていると面談で話したら、代表の山がしっかり聞いてくれて。「それってこういうこと?」と言い当ててくれました。

2014年7月から働きはじめました。ギャップもなく、想像した通りでした。ただ、入社初日に担当の先輩がなかなか来ないからずっと待っていたんです。事務所の真ん中で、ひとり丸椅子に座って。みなさん、まわりで働いている中で。我慢できなくなって「なにか手伝いますよ」って話しました。それで手伝いながら待っていたんです。それでも来ないから、入社初日なのに風呂にも入らせてもらって。

夜になって来てくれて、「うちの会社、このレベルだから一緒につくっていこうね」と言われました。確かに一緒につくろうと書かれていたけど、ここからつくるのか、とは思いましたね。

最初は売上も少なかったので、集客していこうということになりました。お客さんを呼ばなきゃいけない。そのためには地元の人にとにかく来てもらおうって、割引券を配ることになりました。

居酒屋を日3軒くらいハシゴして、1500円くらい飲んで、店長さんに「実はこういう店をやっているので覚えてくださいね」って割引券を渡しました。美容室も毎回、別の場所を予約したり、コワーキングスペースに顔を出してFacebookで友達をたくさんつくったり。そういうことを地道にやっていましたね。

それでお客さんが増えてくるんですけど、そうするとシフトも増やさなきゃいけないし、スタッフのレベルもあげなきゃいけない。学生のアルバイトやパートさんをマネジメントしなきゃいけない。営業しかしてこなかったので、マネジメントの難しさを感じました。2年目はチームをちゃんとつくらなきゃいけないんだなと思いましたね。組織論の本を読んだり、会議のあり方を考えたり。組織全体で戦おうっていうふうに変わっていって、だんだんコツを掴んでいきました。

ほかにもやることはあって、2年目3年目って、あんまり記憶にないんですよね。心が折れたということはなかったんですけど、毎日走り続けて。施設を運営していると、なにかしらトラブルがあるんです。設備が壊れるとか、お客さまがお風呂で倒れたりだとか。でも、店ってこういうもんだよなって思いながら、前向きに納得して進んでいました。

それで3年目くらいに執行役員という役職になって、見えちゃったんです。このままここでやっていけるだろうな、そこそこのポジションを得ながら働き続けていけるだろうな。でも、それで良いのかなって。居心地が良くなってきちゃったんでしょうね。業務にも慣れて。良いことではあるし、自分の将来がある程度固まってしまった寂しさもあったのかもしれません。

そんなときに山さんと話したんです。そしたら山さんも同じことを思っていたみたいで「飽きちゃった」とも言っていたんです。これ、言っていいのかわからないんですけど。

売上もあがって、利益も出て、従業員満足度も高くて、福利厚生もしっかりできて、それなりに満足できる会社になった。で、次の目標として、2025年までに5人の社長を生み出そうという話をしました。そこから数年間、店舗開発やコンサルティングを担当したり、フランチャイズ事業を立ち上げたり、店舗運営以外のことも取り組ませてもらいました。

2019年くらいになって、2025年には社長を5人出さなきゃいけないのに、まだ誰も社長になっていない、って話になったんですよね。そろそろ人目を誰かがやらないといけない。就職説明会でもよく話していたんですよ。5人の社長の話。そうすると、大抵「もう社長は生まれたんですか?」って聞かれるんですよね。それで「今はまだ一人もいない」って答えるんですけど、僕もなんだか恥ずかしくなってきて。それで自分が社長やります、って話したんです。

ちょうどその時、おふろcafé湯守座を運営している「旅する温泉道場」という子会社の経営に力をいれようと話していました。

2019年、自分が32歳のときでした。「やる?」と聞かれたので、「やってみます」と答えました。今思うと、社長が何をするべきかもわかってないまま、なることになりました。

すると、もともと施設で働いていた方に「温泉道場グループに入ったら、もっと給料があがると思っていた」とか「あまり幸せになれていない」とか言われて。はじめは埼玉に住んでいて、出張で四日市まで来ていたんです。やっぱり出張しながら働くのでは難しいなと思って、山さんとも相談して引っ越してきました。初めは反対されたんですけどね。ちょうどコロナ禍でしたし。

社長と言っても、最初は取締役社長だったんですけど、代表権ももらって。ただ、代表取締役だと、銀行の融資などに対して個人保証もしなくてはいけない。山さんも、そこまで責任を負わせるのはどうなんだろう、と悩まれたと思うんですけど。ただ、まだ32歳。これが50歳だったら迷っていたかもしれないですけども、まだ若い。仮にうまくいなかくても、いい経験だったなってきっと思える。

コロナで一番怖かったのは、スタッフが辞めていくことですね。どうしてもシフトを減らすしかないから、正社員だった人も「ほかで働きます」って辞めていく。

最初は気を遣いながら社長をやっていたんです。社長になったけれど、代表権はなかったし、借り入れの個人保証も山さんのままだった。でもコロナ禍でそういうことが一気に解消して、自分の責任で経営していいんだ!やりたいことをやっていこう!と思って。大変だったけれど、そういう変化も起きたわけです。コロナ禍で、メンバーも変わらなきゃいけない、っていうムードが生まれたことも重なって。

コロナと言えば、湯守座では大衆演劇の公演もしているんですけど、なかなか開催できなくなってしまって。彼らって、旅芸人なんで、家がない人もいるんですよ。今月はここ、来月はここ、というように転々としているんですけど、開催できなくなると仕事がなくなるだけでなく、住む場所もなくなってしまうんですね。

それで劇団をマネジメントしている会社があって、そこに電話して「うちも厳しいですけど、公演は続けていきたい」と話したんです。お客さんは入らないかもしれないから、ギャラは相談させていただいて。それがきっかけでマネジメント会社とも仲良くさせていただきました。そんなことを話す人は、当時ぼくしかいなかったみたいで。

回復の兆しが見えてきました。頑張っていたからなのか、新しい案件の相談も増えています。和歌山出身なので、紀伊半島を代表する会社にしていきたいです。

2021年11月4日 三重県四日市市おふろcafé湯守座にて
聞き手 ナカムラケンタ