コラム

フランスで働くひと
まずは生きる、
そして書いてみる

これは日本仕事百貨の「文章で生きるゼミ」に参加した内野紀惠さんのコラムです。内野さんはフランスにファッションとパッションを学びに留学中。フランスで出会った、仕事に情熱を注ぐパッショニスタの方々を紹介していきます。今回はフランス、トゥールーズ在住ライターのMarikoさんを紹介します。

現在はフリーランスライターとしてフランスで活動しています。大学では油絵を専攻していましたが、途中から絵を描くよりも文章を書くほうが好きだと気づきました。

当時はmixiが使われはじめたときで、みんなちょっとずつインターネット上に文章を書き始めていたころなんです。それで私も夏休みに日記などからつづり始めました。今思うとすごく痛々しいブログなんかもありました。私は家族関係でいろいろと葛藤を抱えていたので、大学で一人暮らしを始めたときに、それまで見て見ぬふりをしていたそういう部分が一気に出てきちゃったんですよね。周りの友人は絵を描くことでいろいろな気持ちを消化していたんですけど、私はそれが絵ではなかったので余計苦しくなっちゃって(笑)。

でも、書くことでスッと楽になるような浄化作用がありました。自分のバランスをとるために文章を書いていたのだと思います。

在学中は就活も一応しました。ただ、日本の「就活」というものに違和感があり、卒業後は2年間ワーホリでロンドンに行くことにしました。海外経験はほとんどゼロでしたが、それ以上待ってしまうと、海外に行きたいという気持ちも消えていってしまうような気がしたんです。

最初の2ヶ月は語学学校へ。友達もすぐできましたが、みんな最終的には母国に帰るわけなので、本当に短期間「わー」って楽しんでおしまい。ちょっと夢の世界って感じで。語学学校が終わり、自分が働かなければお金がないという状態にシュッと切り替わったときに、働き始めたのが日本食スーパー。そこは日本人だらけだし、スーパーのレジで8時間立っていると、「私何しているんだろ」って思えてくるんです。このままだとせっかく来たのに後悔するなと焦りました。

地下にすごく狭い控室があって、バイトの休憩時間、そこでみんな納豆ご飯とか食べるんですよ。ご飯だけは無料でくれるのでね。ある日そこで私も納豆ご飯を食べていたときに、手元にあったフリーペーパーに「ライター募集」っていうのを見つけて、これだ!と応募したんです。結局私はそこで採用してもらい、晴れてライターデビューを果たしました。

帰国後はいろんな仕事を転々としましたが、ライティングの仕事はずっとフリーランスという形で続けていました。でも最初は社会人としての経験もあまりない中で、フリーランスとしてどう仕事をしていけばいいのか定まっておらず、仕事を選べずに大変な案件を引き受けてしまったこともあります。

今考えると駆け出しのころは自分の力がどれくらいあるのかも分かっていませんでしたし、すごく甘い部分もありました。けれどあれから10年ほど経ち、フランスに来てからはフリーランスとしてライター一本でやっています。プロのライターとしての自覚を持ちつつ、「自分が本当にわくわくする仕事に取り組もう」という姿勢に変わりました。

 

私は娘を産んでから約2ヶ月で少しずつ仕事を再開しました。人によっては「早い」と感じる方もいるかもしれません。でも私は、子育てもすごく楽しい一方、子育てだけしている自分っていうのがしっくりこなくて。子育てと仕事のバランスが取れてきたのはごく最近のことなんですけどね。

フランス人は本当に切り替えが上手なんです。「土日に仕事している」と言うと驚かれます。フランス人たちと一緒にいると、自分も自然と「金曜中にこれやっちゃおう」というふうになります。

妊娠中は「子供ができたらなかなか仕事がしづらくなるのかな」という不安もありましたが、実際は子供がいることで自分に締め切りを課したりするので、そういう意味では逆にスケジュールがうまく組めるようになってきたかなと思います。日本にいるとずっと仕事みたいな感じでしたから、今ではちょっと想像できません。

今でこそ自分の直感に従って生きていますが、昔はそうではありませんでした。数年前、「あなたの余命は残り5年かもしれません」と突然医者に言われたんです。もともと筋腫などがあった子宮がラグビーボールくらいに膨れ上がり、癌の可能性が高いとのことでした。ちょうど29歳の誕生日でした。

当時は3、4年一緒に暮らしていた前のパートナーとの関係は終わりかけ、職場も変わったばかりでいろいろと不安定。病院のトイレで一人泣きましたね。でも結局その後は手術を受けて、パートナーとの別れや引越し、新しい仕事でバタバタしているうちに吹っ切れたんです。

私は20代の間、「こうした方がよかったかもしれない」「こっちを選べばよかったかもしれない」と、ずっとどこかで小さな後悔を重ねながら生きていました。でも、病気を機に「明日死ぬかもしれないんだな」と思ったら、それがきれいにさーっと無くなったんです。抑圧されていた自分が一気に開放されました。

一途な恋愛ばかりをしてきた私が毎週違う人とデートしてみたり、術後に「癌細胞が残っているかもしれない卵巣を取り除くかどうか」と選択を迫られたときも、「はい」ってその場でひとつ卵巣をとることを決めたり。だから今こうやって子供を授かったのもすごい奇跡だなと思いますし、人生何があるかわからないなって思うんです。

文章で生きるゼミは伝えるよりも伝わることを大切にしながら文章を書いていくためのゼミです

次回開催時は、また日本仕事百貨でお知らせします。