コラム

第12回
「その後、どうですか?」

日本仕事百貨の記事をきっかけに、新しい環境で仕事をスタートさせた人たちに会いに行くコラム『その後、どうですか?』。

今回は、東京・東村山にある車いす工房輪(りん)を訪ねました。

車いす工房輪は、その名の通り車いすをつくる工房。なかでも電動車いすのカスタムメイド・オーダーメイドを得意としていて、利用する人にぴったり合う電動車いすをつくっています。

話を聞いたのは、今年3月に入所した椋本元(むくもとはじめ)さん。

静岡・浜松出身の27歳で、以前は一部上場の大企業に勤めていたそう。なぜ小さな工房に転職したのか、今どんなことを感じているのか、東村山の工房を訪ねました。

(聞き手:森田曜光)

—椋本さん、はじめまして。代表の浅見さんから「いい人が決まった!」と聞いていたので、お会いできてとても嬉しいです。

こちらこそ、日本仕事百貨さんと森田さんには本当に感謝していまして…インタビューって恥ずかしいですね(笑)

—椋本さんは前の会社でもエンジニアの仕事をしていたと聞きました。昔から機械が好きだったのですか?

ええ。親父が電子機器の仕事を自営でやっていて、僕は小さいころから作業場を見て育ったので、将来は機械関係の仕事をしたいと思ってました。

それで中学校を卒業したあとは、高専に通って。けど、勉強してみたら、ガチガチな機械があまり好きじゃなくなったんです。

—ガチガチな機械?

車とかエンジンとか、メカメカしいもの。そういうのに興味が持てなくなって、大学は人間機械コースっていうところで学びました。スポーツ工学みたいに人と密接に関わるものについて勉強したんですね。

—そして卒業後は大手企業に就職された。

はい。ドバイやアメリカにも拠点がある会社で、海外で活躍できるのがいいなと思ったのと、知り合いの紹介もあって。職種はサービスエンジニアといって、お客さんが使用している自社製品を修理しに行く仕事です。

でも、働くうちにだんだん何のために仕事をしているのか分からなくなって。

—何があったのですか?

お客さんは製品が使えなくて仕事がストップしている状態なので、「早く直せ」と怒鳴られたり、プレッシャーがすごいんです。土日もお客さんから電話が掛かってくるのでは、という恐怖がありました。直すのが当たり前なので、感謝されることもない。

本当に辛くて、隠れて泣いてました。我慢して続けていれば海外へ行くこともできたかもしれないけど、ちょっときついなと思って。それで仕事を辞めました。

浜松の実家に帰ってから、進路をいろいろ考えました。少しボーっとしているときに、たまたま車いす工房輪の記事を読んで。日本仕事百貨さんのことは前から知っていたんですよ。

—記事では、どんなところに惹かれたのですか?

「人の人生を変えられる力のある仕事」っていう一文。人の人生に関われるほどお客さんとの距離が近いところですね。障がいのある方にとって、電動車いすは自分の手足と一緒。本当に誰かの人生を変えられるんじゃないかなっていうのが、あの記事から想像できました。

それに今まで障がいのある方と知り合ったことがなかったので、知らない世界だからこそ飛び込んでみようって。昔からそういう性格なんです。

それで応募したときに、工房を見学させてくださいとお願いして、一度見に来ました。職人的な雰囲気がすごくて、憧れていたものに近いというか。極めたら面白そうだなと思いました。

—仕事はどんなことから教わったのですか?

今もそうなんですけど、代表の浅見さんについて行って、いろんなお客さんとお会いするようにしています。お客さんに僕を知ってもらうのも大事で、そこからなんだなって思いましたね。ただ単につくればいいんじゃない。

自分は口下手なので会ったばかりはうまく喋れないんですけど、浅見さんが話を振ってくれたりしながら、少しずつお客さんとの距離を縮めている感じです。

作業に関しては、はじめは機械の使い方を一から教わりました。今は浅見さんの手伝いをしたり、一部分を任されたりしています。この車いすは僕が組み上げたんですよ。

これは既製品をカスタムした車いすで、椅子が後ろに傾いたりリクライニングできるようになっています。浅見さんが考えて設計して、組み立てを任されました。

—もともと機械には慣れていたから、飲み込みは早かったんですね。

そうですね。けど、やっぱり電動車いすならではの難しさがあります。お客さん一人ひとりによって身体も症状もまったく違っていて、そこに合わせながらつくらなくちゃいけない。身体の動きとか障がいのこととか、いろんな知識がいるんですよね。奥が深いです。

—以前、浅見さんから「お客さんが納得しない限り完成しない」と聞いて衝撃を受けました。

そうなんですよ。僕もこの前、ジョイスティックっていう車いすを操作する部分をつくりまして。最高傑作ができた!と思って調子に乗っていたら、お客さんが「うーん…ダメだね」って。全然運転できなかったんです。

そのお客さんは腕の可動域が少なくて、数ミリずれるだけで操作できなくなってしまいます。その日の体調でも変わってくるので、慎重につくったんですけど、全然ダメで。そこではじめて、お客さんが使えなきゃ意味ないんだなって思いました。

—どんなに一生懸命つくったとしても。

そう、やっぱり使えないと意味がない。それからですね、お客さんのことをちゃんと意識してつくるようになったのは。

結局、そのお客さんにもう一回つくり直したのを見てもらったら、すごく喜んでもらえたんです。どうやってこの形にしたの?とか聞いてくれて、すごく嬉しかった。運転している姿を見ると、ああ、いいなって。やっぱり笑顔が見られるとうれしいです。今まで苦労したことが報われるというか。

—椋本さんにぴったりの仕事だったみたいですね。

ええ。マニュアルはないし、つくるものは毎回違って大変ですけど、それがこの仕事のいいところでもあって。いつも新鮮な気持ちで打ち込めるので、すごく面白いです。

—ここへ来て約半年。いま思い描いている目標はありますか?

1人で1台丸ごと任されるのを目標に頑張っていこうかなと思ってます。今は言ってしまえば守ってもらっている状態なんですよね。すべての責任が自分に乗っかった状態で車いすをつくるのって全然違うだろうし、見えるものとか仕事に対する思いも変わってくると思うので。早くそこに行きたいですね。

—1人前になるまで数年かかると聞きました。

自分はまだまだ。日々なんとかついていってる感じです。やっぱり浅見さんはすごいんですよ。お客さんは浅見さんに対してなんでも話すんです。信頼関係がすごく成り立っていて。

車いすをつくって悩んでいるときも、こうしたらいいじゃんって一瞬でアイディアを出される。それがすごく悔しくて。知識も技術も浅見さんが上なので当たり前なんですけど、本当に悔しい。その悔しさをバネにやっていきたいです。

—いつか浅見さんに、これどうやって考えたの?と言ってもらえるようになりたいですね。

本人には恥ずかしくて言えないですけど、そう思ってやっています。本当にリスペクトしているんで。ただどうしてか、僕に対してのいじり方が荒いんですよ(笑)

—そうなんですか(笑)

お客さんの前で無茶振りしたりするし。浅見さんは親父ギャグとか結構言うんです。もちろん僕はちゃんと拾ってますよ。けど、ほかのスタッフはみんなスルーしてて、僕も最近は拾いきれなくなってきました(笑)

—きっと椋本さんが来てくれてうれしいんだろうな。

浅見さんは、僕をお客さんに紹介するたびに「わざわざ静岡から来てくれて」って言うんです。いやいや、けっこう近いですからね(笑)けどまあ、喜んでもらえているなら僕もうれしいです。期待に応えられるように頑張ります。

*車いす工房輪は過去に求人をしています。その記事もぜひご覧ください。
「人を信じるということ」