コラム

第8回
「その後、どうですか?」

「働きはじめた人は、その後どうしているんですか?」

日本仕事百貨を読んでいただいている方から、そんな声をよく聞きます。

私たちは、仕事のよいところだけでなく、大変なところもありのままに伝えるように心がけています。

というのも、仕事を見つけてもらうのではなく、よりよい生き方・働き方をしてほしいと思うから。

今回は、コラム「その後、どうですか?」の第8回目です。

その後どうですか?8

第8回目は、瀬戸内海に浮かぶ豊島という島に移住して働く宮本啓示さんです。

京都府出身、24歳の宮本さん。瀬戸内海の島々で、文化や芸術によって地域の活性化を目指す「公益財団法人 福武財団」に今年の4月に入り、豊島の棚田で働くことになりました。豊島では、耕作放棄地だった棚田を島の人とともに復活させ、その景観をアート活動の一部として発信しています。宮本さんは今、何を感じ、どんな展望を描きながら働いているのか。豊島を訪ねて聞いてきました。

(聞き手:インターン生 増永愛子)

 

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―宮本さん、24歳ということは、新卒でここに入られたんですか?

それがちょっと違うんですよ。大学4年生のときに就活をしてたんですけど、どの仕事もあまりピンとこなくて、仕事を決めないまま卒業してしまったんです。これはまずいなと思ってるときに、この仕事の募集を日本仕事百貨の記事で見つけました。

それがたぶん4月の初めごろやったんですけど、採用がその次の年の4月だったので、卒業から1年のブランクが空いてるんです。その1年は熊本で震災復興の仕事をしていました。

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―そうだったんですね。もともと農業がしたかったんですか?

ずっと興味はありました。あとは僕、ちょっとひねくれてるところがあって(笑)。反骨精神じゃないですけど、何となく都会に対して嫌悪感みたいなものを持ってたんですよ。都会と田舎、どっちが好きかって考えたときに、自然に近いほうが僕は好きだったんです。

でも、農業みたいな一つの土地に根ざした仕事に興味がある反面、海外と関わりを持ち続けたい気持ちもあって。

―海外との関わり、というのは?

大学時代、1年間休学して、アジアやアフリカ、南米などをまわったんですよ。その旅を通して感化された部分はありますね。

ブータン

―感化された。

世界との距離がすごい近くなったというか。

日本だけの感覚では物事を見なくなったんですよね。だから海外と田舎、その2つをとれる仕事ないかなってずっと思ってたんです。それで日本仕事百貨を見てたら、たまたまここの記事を見つけたんですよ。

瀬戸内国際芸術祭、あ、なんか聞いたことある。海外からの評価も高くて、外国人も多いと。それで募集要項を見たら、棚田のプロジェクトに関わるスタッフ募集って書いてあって、これはもう間違いないなと思いました。

―求めてたもの、両方実現できる仕事だったんですね。

この場所、都会とはだいぶ離れてるじゃないですか。たぶん豊島美術館がなかったら、なかなか海外のゲストも来ないと思うんです。そういう場所に島の外から人が来るっていうのが、すごい面白いコントラストやと思うんですよ。そこに身を置いて、いろいろ勉強したいなと思って。

―それでも、移住して働くことに不安はありませんでしたか。

ちょっとはありました。でも不安って絶対ついてくるもんなんで。僕はそれよりも、最初に求人を目にしたときの直感のほうが大きかったです。それに実際働いている人も、関東や関西出身の人が多くて、なじみやすかったですね。やっぱりいきなり地元の企業に飛び込むっていうのはエネルギーがいると思うんで。

―今は具体的に、どんな仕事をされているんですか。

実際に棚田で作業をしています。ちょうど午前中に、田植え前の代掻き(しろかき)っていう作業をしました。土を細かく砕いて、水とかき混ぜてならす作業です。今日ようやくその作業が終わって、明日から田植えが始まります。

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―もともと農作業の経験は?

全然ないですよ。だから毎日が新しいことだらけです。まだここに入って3ヶ月なんですけど、美術館運営の研修が2ヶ月あったので、棚田での仕事はまだ1ヶ月くらい。

研修のときは、棚田に入りたくてうずうずしてました。でもいざ入ると、最初の3週間くらいは死んでましたね(笑)。仕事内容が変わりすぎて。

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―全然違う仕事ですもんね。

一人で作業する時間が長いんです。僕、一人は好きなんですけど、一人ぼっちは好きじゃないんですよ(笑)。

はじめのうちはよくても、だんだん誰かとしゃべりたくなってくる。そんなときにフラッと来てしゃべりかけてくれる島の人がいると、それが救いになったりします。やっぱり話してたら作業の話にもなるし、細かい部分を教えてもらえたりもするんで。ありがたいですね。

とここで、宮本さんの師匠である曽我晴治さんと出会った。

―今日は、宮本さんがどんなふうに働かれているのか、お話を聞いています。

曽我
いっぱいこき使われとるって言いよるやろ?(笑)

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―いや、すごくお世話になってるって聞きましたよ。師匠から見て、宮本さんはどうですか?

曽我
うん、ようしてるよ。物覚えがええもんな。これからもこんな人にいっぱい来てほしい。あっ、あんまり本人の前で言うたらいかんわ(笑)。

宮本
ありがとうございます(笑)。

その後もしばらく世間話を続けるおふたり。宮本さんは、曽我さんの前だと少し背筋が伸びて見える。

曽我
それじゃあ、また。はーい。

そう言って仕事に戻っていく曽我さんの背中を見送り、再び宮本さんの話を聞く。

―棚田の仕事は島の人との関わりが深まる仕事なんですね。

そうですね。最近すごい考えているのは、単純に豊島の一人になりたいんです。

―今はまだ、豊島の人ではない?

なんですかね。やっぱり、まだよそ者感が抜けないですね。自分のなかで。

―自分のなかで。

そう。豊島住民になりきれてない感覚がありますね。それを徐々に壊していきたいです。そのためにも、棚田の仕事はいいと思っています。美術館に入るよりも、棚田で作業してるほうが島との関わりも強くなるし、より自分がここで生活してるっていう自覚を持ちやすい。

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―3ヶ月ここで生活してみて、驚いたことってありますか。

うーん、船の時間とか。船少な!って(笑)。豊島に帰ってくるには、夜7時半岡山の宇野発が最終なんですよ。島外に飲みに行こうと思ったら、基本泊まるしかないですね。それか海上タクシーをチャーターするか。とんでもない値段になりますけどね(笑)。

でも、都会よりも月明かりがめっちゃ明るかったりするんですよ。それが結構好きです。原付で帰ってるときに、あっ今日星きれいやなって思ったら、原付を降りて、空が見えるところまで行ってしばらく眺めたりして。そのままエンジンをかけずに帰るっていうのを密かにしてます(笑)。そんなのが面白いですね。

―いいですね。

いろんな意味で居心地が良いです。島にはスーパーもコンビニもないので、休みの日になると島の外まで買い物に行かないといけないんですよ。

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―大変ですね。

いや、それが僕にとっては気分転換になってるんです。別に毎日行きたいわけでもないし。

―なるほど。都会と田舎の、良い距離感なんですね。

そうですね。僕にとってはすごいちょうどいいバランスです。

―この景観も、なんだか落ち着きます。

日本で、棚田の景観のなかに海が見える場所ってあんまりないんですよ。棚田は通常、山間部の地形に沿ってつくられるものですし、海水では田んぼはできないんで。その点、豊島には湧水が湧いていて、稲作にも向いているんです。

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―こういう景色はなかなか見られないんですね。

そうなんです。でも、こんなにキレイな景観なのに、こっちの棚田まで見に来る人はまだまだ少ないんです。せっかく美術館にいろんなゲストが来てくれてるんやから、その人たちにいかに棚田まで来てもらえるかっていうのが、今一番のポイントやと思うんですよね。

豊島美術館に来るっていう目的を果たすだけじゃなくて、そこに向かう道中とか、棚田を歩いてる時間も充実すれば、その人にとってよりいい旅になる。そしたら島の印象も良くなって、帰ってからも豊島を思い出してくれるかもしれない。そういう関わりがすごい大事やなと思いますね。

―印象的な出会いとか、ありました?

ヨーロッパ系の方だったんですけど、その人も家庭菜園をやってたみたいで。そのとき僕は、かぼちゃを植えて雑草を防ぐために藁を敷く作業をしてたんですよ。それを見て、何でこんなに藁敷いてるんやって、ニコニコしながら聞いてきて(笑)。

僕らも、言われて初めて、この人にとっては当たり前じゃないんやって気付けるじゃないですか。そこにお互いの文化の違いを感じることもできるし、新たな発見が多い。普通に農業やってたら、たぶん外からのゲストとの関わりってあんまりないと思うんですよ。それができるのが、この仕事の大きい強みじゃないかなって思いますね。

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―最後に、宮本さんは今後何を目指していきたいですか。

僕がここで働こうと思った決め手の一つは、日本仕事百貨の記事に書かれていた「ここでの経験を次のステップアップにしてほしい」という言葉でした。働き続けなければいけない、みたいな強迫観念がなくていいなって思って。

なので、ここでの数年間を自分の方向性を考える時間にしたいと思っています。農業を極めたいって思ったら農業をやるし、海外とのつながりのなかで何か見つかれば、そっちの道もある。

あと僕のなかに残ってるのが、去年一年間行っていた熊本なんです。離れてからもなんか気になってて。まだ復興途中やし、むしろ僕が帰ってきたタイミングは、ようやくこれからっていうときやったんで、心残りみたいなものがあるんですよね。なのでもしかしたら、熊本に行こうと思うかもしれないです。それはまだわからないですけど、とりあえず今はここで、豊島に関わることをたくさんやりたいですね。

―数年後がますます楽しみですね。またお話を聞かせてください。ありがとうございました。

宮本さんが移住するきっかけとなった記事はこちら。
「それぞれの『よく生きる』」