理想郷は、すぐそこに
腹を決めると見えてくるもの

(この取材は2019年12月8日に行いました)

海だ。

車を降りると、聴こえてくるのは波の音。少し強い潮風が吹いている。

砂浜のほうへ向かい、夕方の冷たい空気をゆっくりと吸いこむ。

こんな所があったんだ。知らなかった。

ここは茨城県の北のほう。日立市という工業都市。

高校生のとき、私はこの町に通っていました。

当時の私にとって、日立は何もない町。久しぶりに訪ねたのは、この海岸に佇む「うのしまヴィラ」のオーナーをインタビューするためです。

「日立にヴィラ…?」

失礼ながら、ここへ来る前はそんなふうに思っていました。

 

うのしまヴィラへは、日立駅から車でおよそ8分。

国道6号線から海側の道へ入り、しばらく行くと看板が見えてきます。あれ、こっちでいいのかなと、少し不安になりそうな細い道をくねくね曲がりながら進んでいくと、辿り着きます。

駐車場の目のまえに広がる太田尻海岸は、両サイドを岩で囲まれたきれいな砂浜です。少し離れたところに見える小さな岩場が裸島。中秋から早春にかけて、海鵜(ウミウ)が飛来することから別名“鵜の島”と呼ばれ、それがうのしまヴィラの由来にもなっているそうです。

振り返ると建物が3つとプールがあって、なんだろう、ここだけぽっかりとリゾート地みたい。

カメラを片手にうろうろしている私に、声をかけてくれたのがオーナーの原田実能(はらだ・みのう)さんでした。

「寒くなってきたし、中で話しましょうか」

広島県出身で、音楽の道へすすむため上京した原田さん。

うのしまヴィラはもともと、奥さんの家業の温泉旅館だったそう。

「広島に帰って音楽事務所を立ち上げようと思って、準備してたんですね。20年くらい好きなことをさせてもらってから、旅館を継ごうかなと思ってたんだけども。ある日電話がきたの、急に。彼女のお母さんが倒れたって」

「すぐに継がなければ、もう手放すしかない、と。それで3時間ぐらい考えたんです。自分のなかではね。でもあとから聞くと30秒ぐらいだったって。『よし、日立を終の住処にしよう』って、30秒で結論出しちゃった」

まったく、迷いはなかったんですか?

「走馬灯が巡るって言うじゃないですか。もう、すごいスピードでガーッと考えましたよ。でもきっと、悩んでも結論は一緒だし、決めたなら気持ちよく返事しようと思って。『はい、わかりました』って言ってこっちに来たんです。かっこいいでしょ(笑)?」

それが今から28年前のこと。

はじめの2ヶ月は、町中を車で回ることからはじめた。くまなく走っているうちに、だんだんと日立への愛着が湧いていった。

「何気ない坂道を登ってく先に見える山の景色とかね、遠くに見える海の景色とか。そういうのを見ながら、ああいい街だなーって思うような期間がありましたね」

その後は、魚のさばき方、掃除の仕方、料理の仕込み…。一つひとつ教えてもらいながら、身につけていった。

なかでも掃除が大好きで、包丁を扱えなかったころは、朝から晩まで海岸のごみを拾い続けたことも。そういえばさっき外で見たプールも、冬場は稼働していないはずなのにピカピカだった。

宿の仕事がすっかり体に染み付き、いつしか地元の人以上に日立のことに詳しくなっていた原田さん。終の住処での仕事は順調だった。

ところが、2011年の震災によって、旅館は大きな被害を受けてしまう。

「津波にやられて、建物の大部分はなくなって。それでも、やがてはもういっぺん再起するぞという気持ちがあったんです」

「怖かったのは、鵜の島温泉旅館が忘れられてしまうこと。建物はなくても、みなさんの記憶のなかに残っていられれば、いつかまた宿をやれると思っていました。だから震災後も、この場所で時々イベントをやったりしていましたね」

震災から3年ほどは、ほとんど稼ぎのない“プータロー”状態。でも、今思えば、その3年間は原田さんにとって宝物のような時間になっているという。

日立市のお隣、常陸太田市の里美地区にある「木の里農園」さんとの出会いも、宝物のひとつ。

イベントで知り合い、農園に行ってみたところ、野菜がものすごくおいしかった。今でも毎週金曜日に3、4箱の野菜を仕入れているそう。

「今から1,300年前の奈良時代に、風土や文化を書面にまとめて提出しろっていうことが全国で一斉に行われて。50以上あった風土記のなかで現存するのは全国で5冊。富士山からこっち側の地域では、この一帯の常陸国風土記(ひたちのくにふどき)1冊だけが残っているんですね」

「そこにはね、日立は理想郷だと書いてあるんです」

理想郷。

「目の前にあるものを、もぎって食えばおいしい。海に行けば、新鮮な魚介がとれる。うまいものがいっぱいあるんですよ」

「このあたりって、郷土料理とか独自の保存食はあまりなくて。要は、おいしいものがいつでも採れるから、素材を味わえばいいし、保存しなくていい。ほかの地域はいろんな料理があっていいなって、うらやましく思う反面、当たり前にあるものがうまいってことの豊かさを誇らなくちゃいけないって思うんです」

“この町には何もない”

自分の地元に対して、ついそんなふうに言ってしまいがちだけど、実はよく知らないだけなのかもしれない。

何気ない風景、身近な食材、その地で暮らす人の日常。

当たり前に思えるものの価値を、あらためて考えてみたいなと思った。

「私はね、毎朝4時に起きるんです。ここは朝の雰囲気が一番いいんですよ。静かーな時間が流れてね、いろいろ想いを巡らせたり、パソコンしたり、ストーリーが湧いてくる時間で」

「朝の4時からブラインドを開けて仕事してると、ふと、何か感じるんですよ。そこで『あっ』と手を止めて、外に出る。冬の季節、日の出の20分前くらいになると、空全体が緑色にばーっと染まる瞬間があるんですよね」

大気中に水蒸気を多く含む夏場は、日の光が乱反射して、一面が黄金色に輝く。

年に1、2回、運よく水平線からのぼる満月を見られることもある。

「こう、赤い月がね。のぼってきて」

服の袖に握りこぶしを入れて、楽しそうに赤い月の説明してくれる原田さん。

「これは見てみないことには伝わりませんねえ。もう、この世のものとは思えないぐらい癒されますよ」

そもそも日立という地名は、かつて水戸黄門が“日の立ち昇るところ領内一”と称えたという故事に由来しているそう。

そんな景色を間近に見れるって、すばらしいことですね。

「毎日違いますから。まあ飽きないですよ。曇ったら曇ったで、雲の形も位置も違っておもしろい。海からこの距離に暮らしているおかげで、そういう発見ができるんですね」

 

外に出てみると、日は沈んですっかり真っ暗に。

翌日、あらためてランチタイムにうのしまヴィラを訪ねることにした。

フロント棟に併設されたCAFE & DINING 海音(シーネ)には、オープン前からお客さんの列が。オープンから6年目を迎えて、人気店になっているみたいだ。

店内の大きな窓からは海が一望できて、落ち着くような、わくわくするような気持ちになる。もうすこし暖かくなったら、テラス席も気持ちよさそうだなあ。

原田さんは食事を運びながら、ときどき楽しそうにお客さんと話している。この仕事がまさに天職なんだろうな。

帰り際、これからのことを尋ねたら、こんなふうに返してくれた。

「あと5年ぐらいしたら、修行に出ている子どもたちが帰ってくる予定なんで、そしたら海のお掃除おじさんになりきって。厨房のほうは息子にまかせて、あとはバーベキューをね、1日5人限定とかで受け付けてね。そういう夢を今描いています」

なんとなく好き。だけど、どこが?と聞かれれば答えられなかった、この町のこと。

原田さんと話してみたら、もっと知りたくなりました。

(取材・撮影 小林あゆみ 編集 中川晃輔)