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ずっと未来に残る家具

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家具が好きなら見たことがあるかもしれない、こちらのアームチェア。

HIROSHIMAと言います。

洗練されたデザインはもちろん、どこを触ってもすべすべと手触りがよく、個人的にいつか手に入れたいもののひとつです。

この椅子をつくっているのは、広島に創業し今年で90周年を迎える株式会社マルニ木工

プロダクトデザイナーの深澤直人さん、ジャスパー・モリソンさんとともに新ブランド「MARUNI COLLECTION」を立ち上げたり、ファッションブランドのminä perhonenとコラボレーションしたり。老舗の看板を持つ一方で、常に挑戦を続けている家具メーカーです。
今回はマルニ木工の東京支店で国内営業に関わるスタッフと、会社や家具のことを世の中に伝えていく企画担当者を募集します。

海外でも高い評価を得ているマルニ木工のものづくり。このものづくりを広めていった先に、叶えたい大きな夢があるようです。



地下鉄の馬喰横山駅から地上に出る。レトロなビル街の一角にあるのがマルニ木工のショップ兼ショールーム。事務所は同じビルの上の階にある。

マルニ木工の前身となる「昭和曲木工場」は1928年に設立された。創業当時から「工芸の工業化」というモットーを掲げて、革新的な技術を次々と取り入れてきた。

60年代には彫刻入りの家具の工業化に成功し、大ヒット商品も誕生。洋家具史上空前のベストセラーとなり、日本を代表する家具メーカーとなっていく。

この日お話してくれた常務取締役の山中洋さんは、創業者である山中武夫さんのお孫さんにあたる方。

「僕が入社したのはバブルが終わって、家具業界全体が縮小をはじめていたころでした。製造を3年経験したあと営業になったんだけど、当時は新しいものをつくってもなかなか売れなくて」

全盛期は飛ぶように売れていた家具が、何をしても売れなくなってしまった。取引先にさえ「マルニはもう潰れるんだろう?」と言われてしまうことがあったのだとか。

会社を去る人も後を絶たず「もう駄目なんじゃないか」という不安が会社中に蔓延していた。

そんな絶望的な状況で、洋さんたち経営陣は新たな挑戦をすることに決める。

「外部のデザイナー何人かに、椅子をデザインしてもらうプロジェクトをはじめたんです。藁にもすがる思いでした」

“nextmaruni”と名付けられたプロジェクトには、国内外で活躍するデザイナーや建築家たちが参加することに。イタリアで開かれる家具の展示会ミラノサローネに出展することも決まり、注目を集めた。

ところが、やはり椅子は売れない。工場や営業の苦しい現場を知るスタッフたちからは大反発を受けた。

「今考えると、コンセプトとデザインを重視したプロジェクトでした。マルニ木工が得意な技術や特性、コストは二の次だったんです」

「現場の人とあらためて話をしてみたら、『ちゃんとマルニ木工を理解してくれる人と、深いものづくりをしたい』という声があがって。深澤直人さんとの仕事をみんなが希望したんですよね」

nextmaruniプロジェクトにも参加していたデザイナーの深澤さんは、プロジェクトがはじまって一番に工場を見に来てくれた一人だった。

深澤さんは従来の何度も塗装を重ねるクラシックな家具づくりを見て、「せっかく優れた木工加工の技術があるのに、木の良さをころしてしまうようでとても残念だ」と言ったそう。

当時、それこそが付加価値だと信じていたマルニ木工にとっては衝撃的な出来事だった。製造現場の人たちはそれを見ていた。

そんな深澤さんがデザインを担当し、10年ほど前につくりあげた椅子がHIROSHIMA。

木の素材感を活かした最低限の塗装で木のカーブが美しく、何より手触りのよい椅子だった。マルニ木工の加工技術が光る、コストも完璧に計算された製品だ。

このHIROSHIMAはマルニ木工の代表作として、誕生から10年以上経った今でも人気は衰えていない。

さらにHIROSHIMAをきっかけに、深澤さんともう一人のデザイナー、ジャスパーさんをパートナーに据えたMARUNI COLLECTIONというシリーズを広げ、マルニ木工はひとつの大きな目標を掲げることにした。

「それは『100年経っても世界の定番として認められる木工家具をつくり続ける』というもの」

「そのためにものづくりはどうあるべきか。営業、広報活動はどうあるべきか、すべてがリンクするようになって。MARUNI COLLECTIONをきっかけにガラリと会社は変わりました」

日本の家具メーカーが、世界でブランドを確立できたことは未だにない。でも、静かにその挑戦ははじまった。

「日本の家具が世界の定番になれる日が来るなら、俺たちが最初でありたいんです」

「90年の歴史のなかで、何度も業界初と言われる家具や手法を打ち出してきました。世代が変わっても、チャレンジ精神とかパイオニアになってやろうという気概が残っているんだと思います」

その技術を武器に、家具の本場であるヨーロッパでもトップクラスと呼ばれるディーラーとパートナーシップを組み、この10年で29カ国50店舗まで取引を拡げてきた。

今ではミラノサローネの常連となり、カーサブルータスやエルデコといったアート・デザインの情報誌にも取り上げられる機会が増えている。



変わっていく会社の中で、現場のスタッフはどう感じていたのだろう。洋さんと同じ年に入社した営業担当の千葉さんにもお話を聞いた。

「以前は、みんながバラバラな方向を向いていて苦しいときもありましたね。そんなときにHIROSHIMAが現れた。会社全体が本当に同じ方向を歩きはじめたように思います」

「みんなずっと家具を見てきた人たちだから、直感でドキっとしたと思う。『これはすごい椅子だ!』ってね」

国内の百貨店や専門店、ハウスメーカーや設計事務所などに製品を卸すのが営業の仕事。東京支店では、いくつかに分かれた販売チャネルを10名のスタッフが担当している。

千葉さんは、インテリアショップや設計事務所関係のコントラクトなどの担当だ。

「商品が変わると、家具を使われるお客さまも変わります。営業先で話す内容も変わりました」

営業先ではどんな話をするんですか?

「まずマルニ木工という会社を知ってもらうことからはじまります。なぜMARUNI COLLECTIONができたのか。何を目指していて、今はどういう状況なのか。以前は想いよりも、納期や価格の話をすることが多かったんですけど」

想いを共有できていないと感じるときは、取引を断ることもあるのだとか。

取引先と信頼関係を持って長いつき合いをしていくことが、定番をつくっていくことだと考えている。

「そういうスタンスでビジネスができるというのは贅沢な環境だと思います。きれいごとでしょって言われるけど、本当に半分くらい断ってる。それでも売上は上がっているんです」

「スタンスはきちっと大事にしながら、営業として数字があがるようしていくのが僕たちの仕事です」

それって具体的にはどのような働き方なのでしょうか。

「決まったやり方はそんなにないんですよ。老舗だけど自由度が高くて居心地がいいですね」

担当を持ったら、家具を納めるまでのスケジュール管理はすべて個人に任される。取引先に合わせて自分のカレンダーをつくっていくので、自由でいながら調整していく大変さはありそうだ。

ときには取引先の担当者を広島に招いてマルニ木工の工場を案内したり、創業者の生まれ育った宮島を案内したり、お酒を飲んだりすることもあるそう。

新しく入る人は、本社での研修を終えたら先輩について学び、数ヶ月で担当を持てるようになるとのこと。



そんな営業担当の仕事を事務方として支えるのが、営業事務の仕事。

石井さんは、ハウスメーカー担当の営業事務をしている。4年前に転職してきた。

「営業って作業量がものすごく多いんです。私が見積もりや販促用の資料をつくることで、営業さんたちが本来するべき営業活動をできるようにする。それが私の仕事です」

営業事務の仕事は、販売チャネルによってまったく異なるそうだ。アシスタントのように思う人もいるかもしれないけれど、営業と事務でコンビを組み、そのプロフェッショナルを目指すというイメージだという。

「今、東京支店のなかで営業事務は私だけ。新しく入る方は手探りしながらだと思うので、最初は大変だと思います。覚悟したほうがいいです」

石井さんは、営業担当の方のフォローから仕事をはじめ、自分の仕事をつくってきた。最初のころは訳も分からず無駄な作業をしてしまっていたこともあったという。

それでも続けてこられた理由って何なのでしょう。

「うちは老舗なのに整っていないところがあって、それが面白いんです。家具メーカーは沢山あるなか、自由に仕事をつくれるのはうちだけだと思います」



営業が目の前の人に向き合いながら、会社や家具のことを知ってもらう仕事なら、企画担当はより広く知ってもらう機会をつくることが役割。

企画担当の仕事について、ふたたび洋さんにお話してもらった。

「企画部は会社のメディア的な位置づけで。世の中に対してどのようにマルニ木工をプロモーションしていくかを考える軸となっています。ここはブランドをつくっていく上で、今後さらに強化したいところです」

企画部の仕事のうち、大きなものに展示会の企画がある。たとえば、春に開かれるミラノサローネ、そのあとの国内の展示会。どのような人を対象に、どのようなコンセプトで見せていくかを考えていく。

ときには、セミナーやワークショップを企画することもあるそうだ。2013年から不定期で行われているイベントに「ふしとカケラ」というものがある。

これは、家具を製作するなかではじかれてしまう節やシミのある木材と、ファブリックを裁断するときに出る端切れを組み合わせて個性的な家具をつくり、数量限定で販売するという特別展。

木と最後まで向き合い、素材の欠点さえ個性ととらえてインテリアを楽しもうとする姿勢に大きな話題が集まった。

こういった大掛かりなものは百貨店やデザイナーと組むこともある。その窓口や運営をするのも企画部の仕事だ。

「産休に入ってる者もいて、企画部は実質4人。全国でイベントはありますから、ぜひとも人がほしいんです」

展示会や「ふしとカケラ」などの大きなイベントは企画部が主導するものの、一般のお客さま向けのワークショップや各ショールームのイベントなど小さなものは、現場のスタッフに任せている。

その際に、軌道修正やブラッシュアップに企画部が関わることも。

明確な役割分担はなく、より良いブランディングとは何か考えてベストを尽くしていく。

お話を伺っていると、スタッフ一人ひとりが考え、会社を任されているという意識で働けているのだなと感じます。



取材が終わるころ、洋さんがこんなお話をしてくれた。

「僕たちが目指しているのは世界の定番をつくること。そのために見せ方や売り方を一人ひとりが考えていかなきゃいけません」

「いつか日本人である僕らの手でつくったものが、世界中の一般家庭であたり前のように使ってもらえる日が来るといいな。かなり壮大な夢ですけどね(笑)」

マルニ木工の家具を世界の定番に。大きな夢を信じ、日々行動していける人をお待ちしています。

(2017/12/14 取材 遠藤沙紀)

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