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「僕たちのことを、キャリアを捨ててNPOに入った、と思っている人もいるんです。でも、本当は違うんですよね。みんな自分の次のステップのためにここへ来ているんです。」ここで働いている人たちは、社会のためになにかしたいというだけではなくて、まず自分の実現したいことがあって、それが結果的に社会のためにつながっている。そんな働き方の人が多いように思いました。

「コラボ・スクール」は、東日本大震災による津波の被害で家や塾が流されてしまったり、狭くて壁の薄い仮設住宅で暮らしているなど、落ち着いて学ぶ場所を失ってしまった子どもたちの、学習指導や心のケアをする場所。
「コラボ・スクール」という名前には、生徒とスタッフだけの関係ではなく、ボランティアや、親御さん、地域の人、地域の学校、みんなを巻き込んで、コラボレーションしながら子どもの成長を考えていきたい、という意味が込められている。
そんな場づくりは他の地域にはなかなかないものだし、復興支援を越えて、地域のなかに全く新しい教育のかたちをつくっていく取り組みだと思う。

「大槌臨学舎(おおつちりんがくしゃ)」は、2011年12月に開校した、宮城県女川町にある「女川向学館(おながわこうがくかん)」に次ぐ2校目のコラボ・スクール。
今は、大槌町内にある小鎚神社や、その隣にある地域施設「上町ふれあいセンター」のなかに教室や事務局を構えながら、毎日17時から地元の中・高校生向けに授業を開いている。
先生たちもここから車で10分もかからない一軒家で生活をシェアしながら、ここに通って授業を行う。
実はここへ伺うのは2度目なのだけど、プレハブの校舎が新たに増えていて、さらに学習の環境が整ってきているように感じた。
まずは、コラボ・スクールに立ち上げから関わり、今は「大槌臨学舎」全体の統括をしている菅野さんに話を伺った。
菅野さんはもともと転職支援企業のリクルートエージェントに勤め、震災をきっかけに会社を辞めて、コラボ・スクールの立ち上げに参加することになったそうだ。

「2011年3月11日は、僕は27階の会社のオフィスで普通に仕事をしていました。ミーティングで使う資料がまだできていなくて、揺れがきても机の下に隠れる暇もなくPCに向かっていました。ようやく資料ができた!と思っていたら、『避難してください』とアナウンスが入って、『え?会議ないの?』って。そのときはまだ、どんな重大なことが起こっているのか全く分からなかったんです。」
帰宅すると、家のなかは棚が倒れてぐちゃぐちゃだった。テレビをつけると、東北で津波による大きな被害があったことが分かった。
菅野さんの祖父母の家は陸前高田にあり、幼い頃よく遊んだ町がなくなってしまった様子を見て、人間がつくったものがこんなに簡単に壊されてしまうものなんだな、と感じた。
今自分がしていることにどんな意味があるんだろう?
改めて働き方を見つめ直したとき、たまたま知人を介して、NPOカタリバが東北で新しい教育事業をはじめようとしているから一緒にやらないか、という誘いを受ける。

菅野さんは、カタリバ代表の今村久美さんとともに現地に入り、コラボ・スクールの立ち上げにあたって教育委員会をはじめとした地域機関へ協力を呼びかけていった。
「教育委員会も難しいと言っているし、場所も寄付先も決まっていない。生徒も来るか分からない。当時僕は24歳で、初めての状況にとても不安でした。でも、子どもたちや町の未来のために何かしたいという気持ちだけが自分を突き動かしていたと思います。」
その後すぐに会社に辞表を出したそうだ。
周りの方から反対されませんでしたか?
「『会社辞めます』って言ったら、上司には強く反対されましたね(笑)。『ここにいた方がお前は絶対に成長できる。今の感情だけで動くのではなく10年後まで考えて判断しろ』と言われました。その言葉はすごく印象に残っていますね。だから、今でも常に『あの時の自分よりも成長できているのか』ということは自問しながら、とにかくチャレンジし続けるスタンスを意識しています。」

「前職は、何もないところから事業をつくることが賞賛される文化があって、その中でお前は何がしたいんだ、どんなふうに働きたいんだ、ってひたすら問われる環境だったんですね。カタリバはけっこうベンチャー気質なので、ここに来てからの思考のパターンは前と全く変わらないです。」
今、菅野さんがしているのは、地域のなかに全く新しいものを生み出すこと。
「前例のないことを始めるときって、まだ言葉も存在しないところから自分たちでつくっていきますよね。僕たちは、学校とか塾とかそういう言葉では表現できない場所をつくって、それを『コラボ・スクール』と名付けました。そして、周りの人達から説明を求められたり問いかけられたりしながら、『コラボ・スクール』という名前に込めた想いを固めてきました。まだまだこの地域に新しい価値を生んでいけると思っています。」
こんな質問をしてみた。
もしも前職の後輩が「会社を辞めてコラボ・スクールで働きたい」と相談してきたら、菅野さんはどう答えますか?
「まず、やめろと反対するでしょうね。自分のいる環境がどれだけ恵まれているかに気づけと。僕は、もし今の環境に不満があるんだったら来ないほうがいいと思ってます。自分で現状を変える努力ができるはずなのにまだしてないだろうって。でも、もしも現状から逃げてくるのではなく、よりチャレンジするために来るという奇特な奴だったとしたら、じゃあ一緒にやろうぜ、と言うと思います。」

菅野さんと同じように、そんな風にコラボ・スクールにやってきた人がいます。
臨学舎で教務責任者として教務スタッフをとりまとめながら、英語を教えている加賀さんです。

英語の授業を見学させてもらったのだけど、穴埋め問題があったり対話練習の時間があったり、眠くなる暇もないような授業だったので、聞いていて楽しかった。
話を聞くと、加賀さんはもともと、2年間東京の中学校で英語の教師をしていた経験があるそうだ。
教師になって2年目の時に1度教師を辞める決断をして、オーストラリアに1年間留学する。日本に戻ってきたタイミングで、Facebookを介してコラボ・スクールが教育支援ボランティアを募集していることを知り、そのまま東北へやってきた。
当初はそのあとすぐに教員に戻るつもりだったけれど、ボランティアがいつの間にか正職員になり、今はここに勤めて2年目を迎えたそうだ。

「もしかしたら、教科を教えることのプロフェッショナルになりたいのなら、学校の方がいいのかもしれません。でも、今までの教科書にないような、対話を重視したり、意見を汲み取る力を重視したり、子どもをエンパワーメントするような教育をしていきたいと感じるならば、それはここだからこそできることなんじゃないかな、と感じます。カタリバには、教員免許を持っていないスタッフもいます。しかし、そういう人たちやボランティアの学生と一緒に授業をつくっていけるのは、とても刺激になるし面白いです。」
加賀さんは、いつかここでの活動に納得感を得ることができたら、また学校現場で教員として働くことを決めているそうだ。

とはいえ、大変なこともあると思う。
「正解がない、というのは難しいですね。よそから入ってきた立場で、何が子どもたちにとっていいのだろう、地域にとっていいのだろうって、とにかく考えなきゃいけない。耳を傾けなければいけない。耳を傾けた先の情報が正しいのかも見極めなければいけない。日々大変なことはありますが、結局は全てのことが子どもたちが喜んでくれることにつながっています。だから、大変さは帳消しにされてしまいます。」

「これは僕も日頃から意識しているのですが、生徒のことをしっかり考えられる人ですね。『生徒のために』という言葉は、だれでも簡単に使うことができます。でも、それを自分のエゴのために使ってしまってはダメだと思います。生徒は求めていないのに、自分ができることだからと当てはめてやってしまうのは、本当に生徒のためだとは言えないですよね。」
「この生徒はこんな夢を持っているから、じゃあ今何を教えるべきなのか、または教えないべきなのか。未来から逆算するような視点で生徒のことを考えることができる人だったらいいなと思います。」

もちろん、そのための日々の業務は、教育委員会に足繁く通ったり、地元の方々に理解いただけるように話をしたりと、地味なものも多い。
だけど、その一歩一歩が「生徒のため」、それから「地域のため」「町のため」という大きなところまで、少しずつつながりはじめているようです。
もしもここに、今よりさらにチャレンジできる環境があると感じたら、コラボ・スクールと一緒に成長していけると思います。
最後に、菅野さんの言葉を紹介して終わります。
「今の場所を離れるときに泣ける人に来てほしい、というのが僕の考え方です。僕、前の会社を辞めるとき、すごく泣いたんですよ。最後にカードキーを返すとき涙で前が見えなかったくらい(笑)。辞めなきゃ良かったと後悔するほど今の環境が好きだけど、それでもそこを離れてここでチャレンジしたいと思えるような、そんな人だったら、きっとここでの環境も楽しめるんじゃないかな。」
(2013/8/12up 笠原ナナコ)