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これから建築家の仕事ってどうなるんだろう?日本の人口は減少して、2100年にはいまの半分になるとも言われる。それから住まい。空き家はすでに750万戸もあって、2060年には日本で約半分が空き家になるそうだ。
じっさいに日本全国を歩く中でも、肌で感じることは少なくない。いなかを訪ねると、集落ごとなくなったところも。東京だってそう。駅前をよく見ればオフィスにマンションも空きが目立つように。
けれど、悲観的になることもないかな、と思います。まちづくりを行政が中心に進める時代もあったけれど、一人ひとりがまちに関わりやすくなったとも言えます。自分の手でまちを面白くしていける。
「これからの建築家の職能って、建物を新たに、きれいにデザインすることだけではなくて。使われていない建物を人が再び使いたくなる。そんな仕組みづくりから考えることが重要になるんじゃないかな。」
そう話すのは、らいおん建築事務所の嶋田洋平さん。
著名な設計事務所で一級建築士として働いた後に独立。東京・雑司が谷で設計×カフェ×WEBを組み合わせてまちづくりを進めています。
ここで「これからの建築」をともに考え、つくっていく仲間を募集します。
都電荒川線の鬼子母神駅を降りる。事務所が見当たらずウロウロしていると「らいおんさん?」とおじさんに声をかけられる。
「事務所はここよ。今日は来てたかな… 電話するからちょっと待ってね。」
親切なこの人は一体誰なんだろう?そう思ってしばらくすると、おじさんとともに嶋田さんが現れた。
インタビューに入る前に、嶋田さんに聞いてみる。
「あの人は大和田さんと言って、事務所の物件を紹介してくれた人なんだよね。地域の祭りに誘ってくれたり、いろいろと面倒を見てくれて。」
なるほど、人と人の付き合いがちゃんとある町なんだな。
嶋田さんは北九州市の出身。大学進学とともに東京にやってくる。建築を勉強した後、設計事務所のみかんぐみに入社。
在籍中にらいおん建築事務所を立上げ、2010年に独立した。
「らいおんの名前は、祖父母が北九州で営んでいたライオン食堂から屋号をもらったんですよ。」
事務所を見渡せば、あちこちにらいおんの姿が見える。
嶋田さんの建築に対する姿勢がうかがえるのが、代表取締役を務める北九州家守舎の取組み。
北九州市は、政令指定都市のなかでもっとも人口減少・高齢化が進む、言ってみれば課題の先進地。
活動の中心となるエリアが、小倉駅近くの魚町(うおまち)。
「かつては「買い物をするなら魚町」「商売をやるなら魚町」と言われにぎわうまちだったけれど、次第に空き家や空きテナントが目立つようになってきたんですね。」
さびれてきた理由としては、大型店舗の進出がよく挙げられるけれど、嶋田さんはこう話す。
「商店街の魅力って、行きたくなるような店が集まっていることだと思います。そういう店が減ったことで、訪れる人が減っていったんじゃないかな。」
そこでこう考えた。
「魚町に必要なのは、これからエリアを担う若いクリエイターの存在。ここにしかない人、そして手づくりのものを届けたい。消費から創造のまちに変わろうと考えました。」
その拠点が「メルカート三番街」と「ポポラート三番街」だ。
隣接する2つの中屋ビルは、築50年以上が経ち、空きテナントとなっていた。リノベーションにより、アトリエとショップに生まれ変わった。
どんな風に仕事を進めたのだろう。
「つくり手たちに必要なスペースと家賃の予算を聞いて回ったんです。そうすると、家賃はあまり出せないけれど、数坪あれば十分なことがわかった。それでトータルの家賃収入に見込みをつけて、リノベーションにかけられる予算を逆算しました。」
そこからはじめるんですね。
「そうですよ。いくらかっこよくリノベーションしても、使われなきゃ意味がない。建物が活きることで、まちが再生していくことが大切で。」
予算も限られていたから、施工はペイントを中心としたものだった。けれど、仕組みから考えることで約100人もの入居があった。にぎわいが生まれつつある。
北九州家守舎は、実際の遊休ストックを対象にリノベーションの提案・実践までを行う「リノベーションスクール」も企画・運営している。魚町では遊休ストックのリノベーションが同時多発的に進んでいるところ。
「継続的に関わるからこそ、まちの変化が実感できる。時間を追うごとに新しい人が入ってきて… その姿を見られるのが面白いですね。」
実際に歩いてみると、メルカートのすぐ隣には、昭和な雰囲気の屋台のおでん屋さん。その中では旅芸人が即興演奏をしたり。
さまざまな時間が共存していることが見える。
ところで嶋田さんは、はじめからいまのような仕事をしてきたのだろうか?
「全然違いますね。ずっと建築ありきで考えてきたし、将来はアトリエを構えてどんどんつくっていきたいと思っていたぐらいです。」
転機となったのは、独立直前に手がけた鹿児島の商業施設「マルヤガーデンズ」の仕事だった。
入居テナントを工夫するだけでは商業施設としてもはや成立しない。そこでガーデンと呼ばれる地域コミュニティが活動するオープンスペースを設けた。人と人がつながり、新しい鹿児島をつくっていく拠点を生み出したプロジェクトだ。
「2008年に三越百貨店が閉店したんです。その空き物件のリノベーション依頼を受けて。同じ時期に、北九州でも中屋ビルが空き家になったんですね。地方都市で何が起きているんだろう?って。」
マルヤガーデンズでコミュニティデザインを担った山崎亮さんから、日本の今後について聞かされる。
「急激な人口減少に空き家問題… そういう話を一気に吸い込んで。それまでは目の前の案件に打ち込んでいて、社会の流れを意識することがなかったんですよ。」
「どうやら新築をどんどん建てていく時代じゃない。それよりも、すでにある建物の使い方を考えていくことが求められているんじゃないか、って。」
らいおんが雑司が谷にやってきたのは、いまから5年前のこと。
はじめはアクセスに魅力を感じて家を引っ越した。暮らしてみると、居心地がよかった。
「人の感じがよくて、知り合いも増えていきました。まちの人と顔の見える関係のなかで、暮らして働く。そういうのがいいな、って思うようになりました。」
やがて事務所を構える。
池袋の高層ビル群を望みながらも、古い家屋が建ち並ぶなかを都電が走る。路地にはところ狭しと鉢植えの花が置かれていて。住民もどこか人懐っこい。そんな雑司が谷にはゆっくりとした時間が流れている。東京のポケットのようなまちだと思う。
福井出身で学生時代はランドスケープを専攻していたのが、3年目の重矢(おもや)さん。
「はじめは横浜にいたんですけど、いまは雑司が谷に住んでいます。住んでみるとまた面白くて。」
地域の行事にも顔を出すことが多いという。
「町内では一番若手なので、いろいろ頼まれごとが来るんですね。祭り好きが多いんですよ。鬼子母神の夏市に御会式(おえしき)… 祭りの時期になると仕事が手につかなくて困る(笑)。これから一緒に働く仲間も、このまちに暮らした方が面白いんじゃないかな?」
今年のハロウィンには、らいおんをもっと地域に知ってもらおうと、事務所で子どもたちにお菓子をプレゼントした。
それからというもの、下校中の子どもがふらっと遊びに来て事務所がにぎやかだとか。
日々忙しくも楽しそうならいおんの姿は、周りにも影響を与えていく。
嶋田さんの奥さん、玲子さんは自動車デザインの仕事を退職。昨年の8月にカフェ「あぶくり」をオープンした。
「お祭りや行事を通して雑司が谷に知り合いが増えていくなかで、地域と関わる仕事をしたい、と思うようになって。カフェは公共空間。色々な人が利用して、ときに人がつながる場。もともとの興味もあってはじめました。」
店をはじめることで、まちの人が見えてきたという。
「年配の方が多いイメージがあったんです。けれど、午前中は赤ちゃん連れのパパ、ママ。昼はサラリーマンの方に、午後は若い人たち。実は色んな人がいたんですね。」
人が見えてきたからこそ、今後は雑司が谷のまちをより面白くしていきたいとイベントもはじめるようになった。
その一つが、仕事を通じてまちを面白くしている人をゲストに招いての「雑司が谷の夜学校」だ。
ゲストのトークを聞いたのちは、食事にドリンクを楽しみながらみんなでわいわい話し合う。客層も面白さの一つだと思う。建築やまちづくりを仕事にする人もいれば、地元の人もいる。ここから新しいことも生まれてくると思う。
また、雑司が谷を訪れるきっかけをつくろうと、WEBでのまち紹介「雑司が谷コンシエルジュ」もはじめた。
「まちが面白そうだから、あぶくりにも人が来てくれるんですね。雑司が谷に働く、暮らす。こういう生活のかたちもあるんですよ、って提案していきたいんです。」
一方、らいおんも雑司が谷で目立ちつつある空き家の活用を検討中。
そうして、地域に足場を持ちながら、メディアを通しての情報発信も行うことで雑司が谷のまちを面白くしようとしている。
これから働く人は、どんな仕事をするのだろう?
「そこから一緒に考えていきたい、ってアリかな?建築が変わりつつあるんだから、仕事のあり方も、働き方だって変わると思う。」
「設計をしつつ、あぶくりでワークショップを開く人もいてほしい。それから、あぶくりでカフェスタッフとして働きながら、地域と関わっていく人もいたらいいと思う。話合って決めていけたら。」
設計の仕事も幅広い。雑司が谷に九州、岩手… 全国で手がけるものもある。
念のために書いておくと、嶋田さんから設計について学ぶことはほんとうに多いと思います。施工事例からは、建築の力を信じていることが伝わってきます。
ただ、お施主さんの要望や、まちのあり方から建物の姿を考えていく姿勢が軸にある。結果として、施工自体はシンプルなこともある。
最後に、嶋田さんは一緒に働く人に伝えたいことがあるという。
「最近よく『これから、らいおんはどうしていこっか?』って話していて。僕らもまだまだ模索しているところ。思い切って、らいおん建築事務所から“建築”の文字を外してみようか?とかね。」
「面白い人がいいね。僕らと、世代も価値観のベースも違う人と一緒に考えていきたいです。」
3人とともに、「これからの建築」をつくっていきたいと思ったら人は、まずは雑司が谷のらいおんを訪ねてみてください。(2013/12/20 大越はじめup)