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過疎の先進地の行く末

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「人が減るのがはやいか、人が移り住んできて地域を支えられるか。これだけ人が去って行く場所がいつまでどう続くのか、興味があるんです。どうにもならんのに、どうにかなったらおもしろいなって」

日本中で過疎化が課題になっている。きっとこれからもそういう場所はどんどん増えていくんだと思う。「コンパクトシティ」というプランも効率的な対策かもしれないけれど、それがしあわせな答えなんだろうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA そんなことを考えながら、大分県日田市の中津江村という地域を訪れました。かつて金鉱山の村としてにぎわい、杉の産地として栄えた場所。10年後、今いる人たちがこの先どう暮らしていくのか。ここはどんな場所になるのか。それはまだ誰にもわかりません。

今回は取材に伺った中津江村に隣接する大山地区、天瀬地区、そして日田市全域で活動する地域おこし協力隊を募集します。

地域おこし協力隊は、田舎に都会の人を受け入れるしくみのこと。最長3年間、受け入れる自治体が隊員の報償費や、居住の手当てなどを負担し、活動を行います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 日田市は地図で見ると、福岡県、大分県、熊本県のちょうど境目に位置する場所。電車も通っているけれど、福岡空港から車で1時間ほどかけていくのが近い。市の中心地には小京都と呼ばれる町並みに小さな雑貨屋などがならぶ豆田町がある。

さらに筑後川に沿って山を50分ほど登っていく。ダムを2つほど通過して、中津江の郵便局の横にある「つえ絆くらぶ」の事務所へ向かった。

今回は、すでに地域おこし協力隊が活動をしている中津江村を中心にご紹介します。

待っていてくれたのは、中津江振興局の遠坂さんと、地域おこし協力隊として活動した後、集落支援員としてこの場所に暮らし続ける河井さん。

ここが地元でもあるという遠坂さんに、この場所のことを教えてもらう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「中津江村は宝くじを当てたような村なんですよ」

宝くじですか。

「明治時代に金が見つかって、鯛生金山で働く人たちを中心に栄えました。旅館や飲食店、劇場なんかもあって博多より繁華街だったって言います。私が小学生の時に金山が閉山して。夏休みがあけたら、同級生が半分になっていました。みんな引っ越してしまったんです」

高度成長期には林業が盛り上がり、たくさんの人が暮らすこともあった。今でも杉を積んだトラックは見かけるけれど、輸入木材には勝つことは難しい。

「あとは2002年のワールドカップでカメルーンのキャンプ地になって。村をあげて応援していたことが、ワイドショーに出たりしていましたね」

何千人も人がいた場所だったが、今は900人ほど。中学生以下の子どもは100人をきった。この地区には高校がないから、子どもが高校生になるタイミングで街のほうに引っ越しをする家族が多い。人口はどんどん減っていく。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA そんな中津江村に3年半前にやってきた河井さん。どうしてこの場所にたどり着いたんだろう。

「新婚旅行で九州を訪れてとても気に入りました。田舎暮らしもしたかったし引っ越し先を探しているうちに、友だちの友だちが地域おこし協力隊として活動していて制度を知って。当時募集していた3ヶ所のうち、いちばん山奥な感じがした中津江にしました」

それまで日田市には縁もゆかりも、来たこともなかったそうだ。

「受けることを決めたときから、絶対にここに行くんだ!って思ってましたね。なぜか自信があったんです」

面接にきたときには、すでに前の職場に辞める話をしていたらしい。

「けっこう思い立ったら、後先考えずにやるタイプですね。大やけどしたこともあるけど」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 大きな声でハキハキと話してくれる河井さん。はじめは中津江のことを調べたり、村史を読んだりしていたけれど、1週間ほどで飽きてしまった。

「1人で集落を1軒1軒まわりはじめました。どんな人たちがいる場所なのか、とにかく話を聞いてみようと思って」

ちょうどその時期、農機具の盗難事件や押し売りの訪問販売の被害が多発。河井さんも怪しまれてしまった。

「2周、3周とするとすっかり慣れてきて。昔はこういうことしてたとか、どんな人がいたとか。1日で4、5件のコタツをはしごして、話を聞いてまわるだけなんですけどね。地域の面影を感じることができて、とてもおもしろいんですよ」

この2年半、話をきくことにほとんどの時間を使った。途中、一緒に住んでいた奥さんは「寒すぎる」と大阪に帰ってしまった。それからは、お互いに大阪と日田を行ったり来たりしているそうだ。

話を聞く活動と平行して、いち住人として関わる「つえ絆くらぶ」という活動がはじまった。10名ほどの有償ボランティアで組織したグループで、困りごとを頼むことができるサービスだ。

「将来自分たちが安心して暮らせる地域かどうか考えて。今住んでいる人たち、そして自分たちが高齢者になったときのことを見据えてこの会をつくったんです」


つえ絆くらぶによく頼みごとをするという、安岡さんのお宅にお邪魔して、話をきかせてもらえることになった。安岡さんは今1人暮らしで、街のほうに息子さんが住んでいる。食糧や日用品は生協に頼んだり、息子さんに買ってきてもらう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 台風のときに雨戸を出したら固くて戻らなくなったときは、河井さんがかけつけて、難なく雨戸は元の位置に戻ったそうだ。

「誰でもできることだけれど、高齢の女性だと難しいことがあったりします。草刈りの依頼も多いです。あとは夏祭りで民謡を歌う人をマッチングしたこともありましたね」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 話をきいているうちに、安岡さんはお茶、お菓子、コーヒー、甘く煮た黒豆など、どんどんもてなしをしてくれる。

「この地域の人たちは、お礼を2倍、3倍にして返すことが多いんです。だからお返しを気にせず頼めるように、最初から有料にしました」

つえ絆くらぶは会員になると30分300円で困りごとをきいてくれる。体調を悪くしたときもあったから、安岡さんはとても助かったそうだ。

息子さんと一緒に、街で暮らそうとは思わないんだろうか。安岡さんに聞いてみる。

「車やめたときは便利が悪かったけど、もう慣れました。視野が狭いけれど、住めば都でね。ここを出たこともないし。隣の人も知らんくらいなら、とてもじゃないけど生きられんですもん」

「ここじゃないと生きられない」という言葉が、とても印象的だった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 河井さんは地域おこし協力隊の任期が終わった後も、ここに残ることを決めた。

「本当になにもないし、人も減るし、高齢化が著しい。ここに将来、未来があるのかって言うと、一般的にはそんなにないと思うんです。けれどマイナス要素が多すぎて、私にはとてもおもしろい場所なんですよ。ここがほかから注目されるくらい元気になったら、すごく気持ちいいやろうなって」

地域おこし協力隊になる人のこともきっと応援してくれると思う。ただ、河井さんと同じように、なにをやるかは特に決まっていない。自分で探して、動いてほしい。

「なにをしてるんだと聞かれると、はっきりと答えられるものがあるわけじゃないんですけど。とにかく気の向くまま。だから肩肘はらずに、まずはこの場所、人を知るところからはじめてみたらいいんじゃないですかね」


事務所を出たあと、この地区のキーマンだと紹介してもらったのが中津江公民館の笠原館長。この場所の歴史や現状などを伺おうと思ってお会いしたら、想像もしていなかった計画をたくさん知ることになった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA もともと中津江村がご出身ですか。

「館長になるまで、中津江のことはぜんぜん知らなかった。転職を繰り返しながら日田市にたどり着いて。公民館館長の募集を見かけて、たまたま配属されたのが中津江だったの」

河井さんと同じように、公民館をどう思っているのか、なにをして欲しいか話を聞くところからはじめた。

「公民館で生涯学習もいいけれど、その前に地域が元気になることを望んでるんだっていう声を聞くことがあって。地域全体の問題を優先しないと前に進まないと思ったわけ」

いろいろな仕事をしてきた経験をいかし、いくつものプロジェクトを考えた。ハーブの栽培をすること、樹木葬の墓地をつくること。

「具体的に進んでいるのが、原生林をつかった自然体験活動。7キロぐらいの道を、市の林業管理所に通って整備してもらって。試しに日田の小学生を呼んで、森林インストラクターさんと一緒に環境学習をしてもらったり、小さなコンサートなんかもした。最初はめんどくさそうだった子どもたちが、森の中で元気になっちゃうんだよね」

キャンプや山村留学もできる場所にしていく計画が練られている。アドバイスをもらいながら目標としているのは、日本仕事百貨でも以前ご紹介した長野にあるグリーンウッドの活動だ。

hitashi - 1 これは「津江元気byプロジェクト」と名付けられた3カ年計画の1部。他にも山の中でマラソンなどをして1日をたのしむイベントや、健康増進プログラムの3本柱でプロジェクトが進んでいる。

「山道が多いからか、高齢の方の足腰が強い。定年退職後、時間のある方に民泊などでここでの暮らしを体験してもらいながら、地域の人との交流を深めてもらえたら」

笠原館長からはたくさんの計画が具体的に出てくる。これを1人でやっているんですか。

「河井くんや、地域の人たちも入ってきてくれて。新しく入ってくれる地域おこし協力隊の人も、やりたいと言ってくれたらがっつり関わって欲しいね。公民館の仕事もあるから、目が回りそうで」

とにかくエネルギッシュな笠原さん。今進めているプロジェクトを継続するために、法人化することも視野に入れている。自分で動かしていくのは、今までやってきたどの仕事よりもやりがいがあるそうだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 「地域の中には、平穏な生活が変わることを望まない人もいる。けれどそれは、試したことがうまくいかなかったことから来る閉塞感もあると思う」

「自然は豊かだし、自分たちでエネルギーもつくれるかもしれない。まだまだやることはいっぱいあるからね。まずは知ってもらうところから。少しずつ人口が増えることが目的です」


最後に河井さんから、新しくやってくる人にメッセージがあります。

「雑誌でみるような理想的な田舎暮らしはないです。人口減少とか、仕事がないとか。究極の過疎、いわゆる限界集落の姿です。日本の田舎の将来像がここにはある。ある意味先進地ですよ。けれどお金がなくても豊かな暮らしができる。都会では絶対に味わえない贅沢な生活があります。そこを体験したい人はきてください」

10年後、この場所にはどんな人が住んで、どんな暮らしをしているんだろう。まずはこの場所を訪れるところから、はじめてみてください。

(2015/12/22 中嶋希実)