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『隠岐×IT』幸福論

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

都会を離れ、地方で暮らす。

そんな人生に憧れたり、移住に興味があっても、やっぱり現実的なことが頭に浮かぶ。

仕事はどうなるだろう。収入は。家族は。子育ては。

すべての条件を完璧に満たすことは難しいかもしれません。

ただ、隠岐諸島へIターンした人はこう話していました。

「お金って自分がしたことに対しての対価でしかないんです。それが東京ではちょっと多めのお金だったかもしれない。けどこの島では、生活に必要なくらいのお金をもらいながら、目の前の人の役に立つことができる。自分にとってどちらが幸せを感じるかといったら、たぶん僕は、島の人たちに『ありがとう』と言ってもらえるほうが幸せです」

it-shimane01 自分は何に幸せを感じ、どんな人生を送りたいのか。

今回募集する移住体験ツアーは、そんなことを考えるきっかけにもなるかもしれません。

先日はじまった島根県本土でのIT関連事業者向けの移住体験ツアー募集に引き続き、日本海に浮かぶ隠岐諸島でもツアー参加者を募集します。

一足先に現地を訪ね、島で仕事をするU・Iターン者の方々にお会いしてきました。

 
今回の舞台となる隠岐諸島は、島根県本土から北に約50㎞に位置し、人の住む4つの大きな島と約180の小島からなる諸島です。

離島ならではの自然豊かな環境から、4つの町それぞれに独自の文化が育まれてきました。

この日、最初に訪れたのは隠岐の島町。この町には『牛突き』という800年以上も続く伝統文化があります。

その昔、隠岐へ流刑となった後鳥羽上皇を慰めるために島の人々がはじめたのが起源といわれ、毎年牛突きが行われる連日は島中が熱気に包まれるのだとか。

it-shimane02 隠岐といえば、まちづくりの先進地として知られる海士町をよく知っている人がいるかもしれませんが、隠岐の島町にも近年多くの若い人たちが移住をしています。

2012年には、東京の世田谷ものづくり学校が廃校の指定管理に入り、隠岐の島ものづくり学校を開設。創業支援施設として運営され、U・Iターン者が利用しています。

it-shimane03 この中で、西村さんは映像やCGを制作しています。

ビジネスプランコンテストに入賞し、助成を受けて隠岐の島ものづくり学校に入りました。

it-shimane04 西村さんはもともと隠岐の島町出身の方。

2年前に創業する以前は、建設会社で土木作業員として働いていました。

長年趣味で映像制作をしていて、独学でやってきたのだそう。

「子どものころにエンターテイメントにすごく魅了されて。いつかは映像の仕事をやりたいと、ずっと思っていたんです」

都市部ではなく隠岐の島を拠点にしたのは、島の若い人たちが外へ出て行く現況を変えたいという思いがあったから。

この島には就職先が少なく、若い人がやりたいと思えるような仕事もあまりなかった。自分が夢に向かって起業する姿を見せることで、若い人が後に続くきっかけになれたら、と考えたといいます。

「もちろん最初は不安もあって。厳しいかなと思っていた。けど、どうしても映像の仕事がやりたかったんです」

最初に営業をかけたのは小学校や保育所。子どもたちを1年間撮影してまとめた映像を、保護者に向けて販売しました。

知り合いの結婚式を撮影したのをきっかけに、こんどは漁業会社から依頼され、新しい漁船の造船から進水式までをドキュメンタリー形式で追ったこともあったそう。

ものづくり学校に入ったことがきっかけで受けた仕事もあり、様々なつながりから、仕事を受ける機会が増えている。

「人とのつながりが強い地域なので、ちょっとした行動も目立ったりしちゃうけど、いざというときお互い様で助け合うというか。話すと気さくな人が多くて、よそ者だからって小さくなることはない島ですね」

it-shimane05 ただ、島内だけで映像の仕事をするのは難しいといいます。

西村さんは映像の仕事とは別に、アルバイトをしながら生活費を稼いでいる。

ゆくゆくは本土の仕事を受けたり、ときには出張へ行くことも考えています。

「ITも映像も、場所を選ばない仕事だと思うんです。都会でも田舎でも仕事はできる。だけど自分は都会の環境に慣れてしまうと、その枠の中だけで終わってしまうんじゃないかと思っていて」

「小さいこの島だからこそ、頭が働いてアイディアも興味もわいてくる。見えない部分は大きいし、やってみないと分からないことはかなりあるけれど、自分の手で探りながら仕事をしていくほうが面白いんです。人より時間はかかるんですけどね(笑)」

 
次に訪ねたのは、隠岐の島ものづくり学校からほど近い場所にあるゲストハウス『佃屋』

家主の古川さんに話をうかがいます。

it-shimane06 古川さんはIターンで隠岐の島へやってきました。

きっかけは島にあるホテルでの短期アルバイト。Web制作会社を辞めるタイミングで、リフレッシュのために住み込みの仕事を探していたといいます。

「そこのホテルは最上階で食事をとるようになっていて、大きなガラス張りから見える海がすごく綺麗なんです。朝日や夕日を見ながら働いて、まかないはその季節の旬のものがたくさん出てきて、すごくおいしい」

「この島の人たちは四季とともに、自然とともに生きている。これまで都会で仕事をしてきたけど、生活的にはこっちのほうが合ってるなと思うようになって」

山登り、釣り、素潜り、シーカヤック… 島ではいろんな遊びができた。けど、ホテルには若い観光客の姿が見えなかった。

隠岐の島をPRする拠点として、そして若者が集まる場として古川さんはゲストハウスをはじめます。

港で釣ったり素潜りで突いた魚を、泊まりに来たお客さんみんなで一緒に料理したり、地元の人たちとも触れ合いながらここでの暮らしを体験できる佃屋。

親子連れを中心に、県外だけでなく海外からもお客さんがやってくるそう。

it-shimane07 古川さんは、夏場はゲストハウスの運営を中心に、冬場は前職の経験を活かしてWeb制作の仕事をしています。

「Webは二度とやるまいと思ってたんですけどね(笑)。けど、お客さんが隠岐の人なので、いいものをつくりたいなと自然に思えて。都会でやってたときよりいい仕事ができるんです」

いまはゲストハウスとWebの仕事が半々くらい。収入面でも1年目から順調だといいます。

「隠岐の島町はほかの島に比べて人口が多い割に、足りないものが結構あるんです。飲食店はどんどんなくなっているから、そういうところに目をつければやっていける商売は多いんじゃないかな。チャンスはいっぱいあると思いますよ」

古川さんは、どんな人に島へ来てほしいですか?

「仕事だけじゃなくて生活も楽しみたい人。人とのつながりを大事にしたい人。あと、同世代だとうれしいな。子どもが秋に生まれるんですけど、同級生がこの地域にいないんです。子育てにもいい地域だと思うので、そういう人にも来てもらえたらいいですね」

 
移住した先で新たに仕事をつくるには、それなりの力が必要かもしれません。

そこで島根県はIT関連事業者の移住や起業の支援に力を入れています。スタートアップにかかる事務所の家賃や通信費、都市部への出張費、事業を拡大してスタッフを雇用するときの経費にも補助を受けることができます。

こうした制度を利用して、西村さんのように好きなことで起業するのにチャレンジしてもいいだろうし、古川さんのように半Web半ゲストハウス的な暮らしをはじめてもいいかもしれない。

そして隠岐の島町にはテレワークという働き方がだんだんと広がってきています。もしITの仕事に馴染みがなく、でも隠岐の島でやりたいことがあれば、半テレワーク半Xでの暮らしを目指すこともできるといいます。

松江市に本社を置く(有)Willさんいんが運営している隠岐の島町のサテライトオフィスも、テレワーカーをサポートする施設のひとつです。

it-shimane08 今回のツアー参加条件の“IT関連事業者”という枠も幅広く、エンジニアやWebデザイナーのほかにも、ライティングや写真、編集などWebを使う仕事であれば参加することができます。

 
隠岐の島町をあとにして、最後はフェリーで海士町へ向かいます。

海士町は一次産業・観光業・教育など、幅広い分野でIターンでやってきた多くの若い人が活躍していることで知られています。

そんな海士町に、南さんは昨年移住しました。

it-shimane09 もともとは地方移住に興味はなく、他人事だと思っていたそう。海士町のことも観光に来るまで全く知らなかったそうです。

出身は東京・渋谷。前職では大手広告代理店でデザインの仕事をしていました。

「幅広く東京以外での独立も考えていたんです。将来的には海外もいいのかなとか。でも現実的には人脈もあったりする東京がいいと思っていた」

「そんななか知り合いを訪ねて海士町に来てみたら、すごいなと。ここで道を切り拓いている人たちがいて、毎日楽しそうに生活していて。こういう人たちと毎日過ごすことができたらきっと楽しいだろうなってピンときたんですね」

it-shimane10 南さんは個人の仕事以外にも海士町観光協会のアドバイザーを務め、いまでは島のブランド米づくりなどにも携わっています。

はじめは東京の仕事も継続するつもりだったそう。けれど、島での暮らしを送るうちに、優先したい楽しみが増えていったといいます。

「家をゲストハウスにしたり、カフェとかやってみたいなって。つまり東京の仕事にエネルギーを消費するんじゃなく、海士町で新しいことをすることに費やそうと。だから、いま東京の仕事は0なんですよ。収入の額はそれなりに下がったけど、生活に関しては問題ないんです」

何にエネルギーを使うか、なんですね。

「東京での広告の仕事は、自分の成果物が街に貼られてたり多くの人の目に止まったりしたけど、実感としてリアリティに欠けるというか。誰のためにやってるんだろうっていう気持ちが漠然とあった」

「だけどこっちに来て、地域のお祭りのポスターとかTシャツをつくるんです。それで地域の人たちが、このポスター見て来たよとか、Tシャツいいねって言ってくれる。それがすごくやりがいになっているのは間違いなくて。東京では仕事の対価がすべてお金という形で支払われているけど、こっちではお金をもらいつつ、実感としてのよろこびも得ることができるんです」

やるんだったら、楽しいことのために人生のエネルギーを使ったほうがいい。もちろんお金は必要だけど、そればかりに縛られずに、すべてフラットに考えて本当に大切なことを優先する。

これまでの取材を振り返ると、どの人もそんなふうに考えて人生を送っている人たちなのかもしれません。

it-shimane11 取材の最後に、南さんはこんなことも話していました。

「東京にいる友達にもよく伝えているんですよ。こっちのほうが楽しい仕事ができるよって」

もちろん人によって差はあるだろうし、きっとすべてが順風満帆ではなかったと思う。大変なことも嫌なことも、少なからずあったはず。

でも、ここで出会った人たちはみんな、とてもいい顔をしていたのは確かです。

(2016/8/30 森田曜光)