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波佐見をつなげる

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

長い間、積み重ねるように仕事をしていると、それが強みになることもあれば、ズレてしまっていることにふと気づくことも。

大きな変化が生まれるときは、そのズレを直すときなのかもしれません。

しかし、ズレを直していくにつれて、だんだんと面白い縁につながっていきます。

東京西海のみなさんに話を聞いていると、そんなことが起きているように感じました。

t01 長崎県波佐見。この陶磁器で有名な場所で1946年に創業したのが西海陶器株式会社です。

かつては日本中で使用されていた生活食器を大量生産していたという波佐見焼。しかし、世界中で大量生産が容易になり、職人の仕事が減ってしまったという現実もありました。

そんなとき、10年ほど前からさまざまな人が新しい変化をもたらしたことで、波佐見焼の価値を高めてきました。

東京西海株式会社もその担い手。西海陶器の関連会社として2013年に設立し、波佐見焼を中心としたテーブルウェアの企画開発・販売を行っています。

今では日本から世界へと広がり、海外のデザイナーさんと関わる機会も増えています。

t02 なぜそんなにうまくいったのかといえば、一つひとつ繋げてきたからだと思います。

それはバトンをつなげていくことでもあれば、今まで出会っていなかった人とつながっていくことでもあります。

今回は、波佐見焼であらゆるつながりを生みだす人を募集します。

 
東京都世田谷区の用賀駅から歩いて10分。交通量の多い環八通りに面した建物の5階に東京西海のオフィスはあります。

騒がしい路面と反して、オフィスにはゆったりとした空気。壁にはこれまで手がけてきた波佐見焼が。

t02 「東京西海ができて4年が経ちましたが、自分たちで商品開発から販売まで一通りの流れを確立し、ようやく土台が出来あがった段階だと感じています」

そう話すのは代表の児玉さん。今年の4月から本社である西海陶器株式会社の代表も引き継ぎました。

t03 「物心ついたころからとにかく楽しそうに働く父の姿を見てきたので、西海で働くことに抵抗はありませんでした」

商品開発から販売という商品の流れのなかで、産地に負担のないものづくりのシステムを提案したいという想いは、東京西海の設立当初から変わっていません。

「そのなかでも、さまざまなつながりを意識するような働き方になっています」

「創業者やこれまで働いてきた人々が、西海陶器という土台を築いてきたという基盤があって。その歴史を意味あるものにするためには、この会社を100年後、200年後につなげることが大事なんです。それが私たちの仕事だと思っています」

今まで働いてきた人たちの存在や、ものづくりの歴史を未来へつなげる。あるいは、波佐見焼の商品を国内はもちろん、世界中の人々へつなげる。

そのために、既存の枠に捉われない働き方が生まれています。

たとえば、ブランドを開発するために海外のデザイナーとやり取りをすることもあれば、実際に海外の展示会に出展することも。

maison1 自分自身が働く環境も、臨機応変に変化させることができるようになった。

「前回の記事で取材をおこなった営業部の正林は長崎で仕事をしていて、来年からはシンガポールで働く予定です。そうやって、いろんな働き方も実践していければと思います」

「ここでの商品開発、営業の働き方は、波佐見焼の価値を日本から世界へ、波佐見の歴史を過去から未来へ丁寧につなげる役割になると思います。そこを一緒に考えられる人が入ってくれればと思いますね」

目の前にある仕事をただこなすのではなく、自分たちの働き方が、これからの波佐見焼をつくっていくようなきっかけになると。

とはいえ、まず目の前にやるべき仕事はたくさんある。はじめは与えられた役割を担いながら、新しい自分の役割をつくっていってもらえれば、と児玉さん。

 
実際にどんな仕事なのだろう。

海外を中心とした商品開発を担当している玉木綾香さんにも話を聞きました。東京西海の立ち上げから関わった方です。

t04 「この会社で働かないかって誘っていただいたとき、はじめは断ったんです。アウトドア関連の輸入代理店での仕事が楽しかったので」

「けれども、ふと『同い年の仲間と0から会社を立ち上げることって今後の人生であるのかな』って考えたとき、きっとないだろうなって。また、何度か波佐見に通うにつれて、波佐見の文化や自然、そこで暮らす人々がすごく好きになって」

現在の主な仕事は、日本のデザイナー・海外のデザイナーと仕事をしたり、海外の展示会に出展し、自社製品を宣伝したりすることも。海外の方とのミーティングは、スカイプが基本。

話を聞くと、海外との仕事が多い印象を受けます。

「たしかに増えましたね。きっかけは海外の展示会に西海グループとして出展したのが大きいと思います。それ以降、商品を販売する以外にものづくりをする機会が生まれるようになって」

“ものづくりをする機会”

というのも、日本の産地企業が単独で海外デザイナーと仕事をする場合、ロイヤリティーについての認識違いや言葉の壁が大きな問題となってしまうため、デザイン専門のコーディネターや企業を介するのが基本となる。

「けれども、わたしたちは産地も技術もあるので、コーディネーターを介さずに直接ものづくりをすることが増えました。デザイナーさんにプロダクトデザインをお願いすることもあれば、ウェブサイトの立ち上げなんかも依頼しています」

%e6%92%ae%e5%bd%b1%e5%86%99%e7%9c%9f アメリカやシンガポール、中国にも西海陶器の支社がありますが、それでも玉木さんが直接海外とのやりとりするんですか。

「今、ひとつのブランドに対してウェブサイトがひとつなので、入口は東京西海になっているんです。ですので、まずこちらに連絡がやってくる。それをヨーロッパやアメリカに振り分ける仕事もあるんですよ」

「また、香港や韓国、オーストラリアやニュージーランドは東京の管轄なので、そこは直接英語でやりとりしています。海外とのやりとりを国内での注文と同じようなスピード感でおこなうことが日々の業務となります」

けれども、今後仕事の幅も量も増えていくことで、個人の仕事量をチームとしてフォローし、成果を伸ばして行こうという段階になってきました。

一緒に働く人は、どういう人がいいのだろう。

そのヒントになるかもしれないのが、ある海外デザイナーとの話。

「今はスウェーデンのデザイナーとウェブショップ製作を進めています。また、今夏から、フィンランドのデザイナーと来年の発表に向けて、子供用食器の開発を進めています。まず彼女は、家族みんなで波佐見に訪れてくれました」

t08 一緒に波佐見をまわるなかで、お互いのベースとして良いと思っているものにズレがないことに気づいたそう。

「大事にしたい生活のことや、長く使えるものをひとつの産地で手がけることへの姿勢、自然が人を良いコンディションにしてくれること、とか」

「自分たちも大事にしていることが、相手も同じように思っていることがわかったとき、なんか良いものづくりができるんじゃないかって。そんな姿勢は、私たちらしいものづくりだなって思いましたね」

t09 同じ姿勢だからこそ、いい循環が生まれていく。

そのためには、型にあてはめるのではなく、一つひとつ丁寧に向き合っていくことが大切になります。

だからこそ、必然的に働き方も自由になっていく。

「自由に働くには、気持ちよく働ける環境は大事にしていきたいですね。働く時間帯や通勤距離など、仕事が生活の一部になるような働き方が提案できればと思います」

 
最後に話を伺ったのは今村亜衣さん。前回の日本仕事百貨の募集で加わったスタッフです。現在は営業部として出来上がった商品を販売しています。

t08 「これまで仕事先を転々と変えていました。たとえば、家具屋さんやアパレルの販売など。でもそこではものづくりに対する違和感が払拭しきれなかったんです」

そんなときに東京西海の募集を見つけた。

「人も環境もつくっている商品もいいなと惹かれて。内定を頂いた後、『仕事の内容は今村さんのできることを徐々にやっていけばフィットするから大丈夫だよ』って玉木さんに言われたんです」

「その言葉をもらったことで、自分ができることを精一杯やって、ここに足りないことを補いたいと思いました。以前感じていた働き方の違和感や悩みも感じないので、自分の中でうまく回っているように感じます」

やりたいことと働く環境が、自分の生活にどれだけ馴染めるかが転職のきっかけでもあったけど、ようやく見つけられた。

具体的にはどんな仕事なんでしょう?

「日々やっている業務は、お客様から注文を受けて、長崎に連絡をいれて商品を出してもらっています。ただ、言われたとおりに連絡しているわけじゃないんです。小売店や飲食店やホテルなど、目的も様々なのでお客様に合わせて、こちらから提案することもあるんですよ」

とはいえ、商品の在庫がなかったり、最善の対応ができなかったりすることも。

「無理ですと言えばそこまでですが、それだけで終わらせないようにしています。その時々で言葉を考え、行動に移していますね。ただ販売するだけではなく、波佐見のものづくりについて伝え、お客様にも納得していただいた上で、商品を届けたいと思っています」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 入社してすぐに波佐見を訪れ、ものづくりの現場を実際に自分の目で確認した今村さん。

「形こそシンプルですが、いろんな作業を分業制でやっていて、一個の商品をつくるのにいろんな工場をめぐって出来上がるんです。そんな現場を見ると、言われたままじゃなく、こちらから伝えたい気持ちが湧いてくることもあります」

そのために気をつけていることは、波佐見でのものづくりを忘れないようにすること。東京と長崎で離れて働いているからこそ、大切なことかもしれません。

「お昼ご飯も自分たちでつくった料理を波佐見の食器に盛り付けてみんなで食べているんです。実際に販売する商品を自分たちで使うことで、使い勝手などが勉強になって」

lunch 「波佐見は町自体にいろんなメーカーさんがいて、全体で共存していけるような関係があります。ひとつの産地が生み出すものとして売っていければいいですね」

 
日本のものづくりが再注目を浴びるなか、ひときわものづくりの熱気を漂わせる波佐見の町。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA この町から生まれた波佐見焼の歴史や商品を、日々多くの人や未来へ丁寧につなげています。

自分だったら、こう働けるかも。そう思えた方はぜひ応募してください。

その働き方が、波佐見焼の価値をつみあげる仕事になっていくと思います。

(2016/11/30 浦川彰太)