※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。
目の前に広がる、穏やかな海。ここでじっくりと過ごすひとときは、どんなに心地いいだろう。
創業明治18年。石川県屈指の温泉街のはずれに「多田屋」はひっそりと佇んでいます。
羽田空港から能登空港まで1時間、乗合タクシーでさらに1時間弱。
2時間ほどで、のどかな風景が広がるまちへ着きました。
「季節の変わり目が一番好きですね。春になるなあっていう匂いとか、秋がくるぞっていう予感とか。都会のようにジングルベルを聴いてクリスマス商戦を感じることはないけれど、田んぼの畦に咲く花が季節を教えてくれるのは豊かなことだな、と思います」
そう話すのは、6代目社長の多田健太郎さん。
大学進学を機に上京し、卒業後は2年間アメリカに留学。20代を東京のITベンチャー企業で過ごし、多田屋へ帰ってきたのは11年前のこと。
一度外に出たからこそ、多田屋に可能性を感じるという。
「よそ者の視点って大事で。能登の魅力だって、能登の人が勝手に決めている部分もあれば、当たり前すぎて気づいていないこともある。少し光の当て方を変えるだけで、もっと伝わることがたくさんあると思うんです」
そんな想いから、これまでも能登各地の店や人を巡り、「のとつづり」というサイトに掲載してきた健太郎さん。
その土地の空気まで伝わってくる丁寧な取材記事と写真、そして映像の数々。臨場感がものすごい。
接客、料理、しつらえなど。
多田屋における一つひとつの仕事もまた、能登を発信することにつながっている。
「ただ、旅館と地域の総合的な魅力発信に取り組むような部署は今までになくて。ぼく自身が『のとつづり』などを通じてやってきたところもあるけれど、このごろは忙しくて、なかなか手が回っていませんでした」
「そこで設けたのが、オールサポートという部署です」
フロントや客室係の仕事を実際に行いながら、旅館全体としてのグランドデザインをつくりあげていく。
今回募集するのは、このオールサポートという部署のスタッフです。
現状、この部署唯一のスタッフが、こちらの信田光穂(しんたみつほ)さん。
新しく入る方は、信田さんとともに働くことになる。
昨年4月に新卒で多田屋に入り、フロント業務からスタート。現在はポップなどの館内広報物や各メディアの取材対応、インスタグラムの更新なども担当している。
「学生時代は芸術文化が専攻で。美術館の学芸員など、日本文化に関わる仕事を中心に就職活動をしていました」
ところが、インターン生として美術館の仕事を経験し、あることに気づいたという。
「それまで美術館はひらけた場所だと思い込んでいたんですけど、実際は限られた人しか来ていなくて。休みの日に気軽に行こうって考える人は、思っていたほど多くないことに気づいてしまったんです」
どうすれば、もっといろんな人に日本の文化を伝えられるだろう?
悩む信田さんに、知り合いが日本仕事百貨を紹介してくれたそう。
「視野を広げて探したとき、多田屋の記事が目に入りました。この表現が正しいかわからないですけど、旅館が日本文化を伝えるコンテンツのように感じられたんです」
何か、可能性がありそうだと。
「そうですね。石川県には行ったこともなかったですし、旅館に特別な思い入れがあったわけでもなく。記事全体の雰囲気から、やりたいことができそうだと直感しました」
当時の募集内容は客室係。やりたいのは企画の仕事だったけれど、まずは飛び込んでみようと思い、応募した。
「社長とお話しして、やりたいことを正直に伝えたら、オールサポートはどうかと提案していただいて。そのときに、想いをぶつければちゃんと返してくださるというか、ひらけた会社だなという印象を受けましたね」
それから1年間働いて、あらためてどんなことを思いますか。
「いろんなお客さまをお出迎えして、またお見送りして…。それを日々繰り返す感じが面白いと思います。旅館という場があり、その上で接客やお食事、しつらえなどのサービスを通して文化を伝えられる。何かを手に入れ、持ち帰ってもらえる場所という視点で、可能性を感じます」
「わたし自身、入社するまで日の入りの時間なんて気にしたことはなかったんですけど、ここからはいつも夕日が見えるので。日の長さを刻々と感じられるのは特別なことだなと、日々感じていますね」
多様な人々が交差し、日々変化していく宿の風景に、心動かされる。
その一瞬一瞬を、信田さんは宿の公式HPやFacebookページでも発信している。
「旅館に対する見方がいいですよね」と健太郎さん。
「現場に入ると、どうしても日々のことで頭がいっぱいになって、大枠で旅館というものを考える機会が減ってしまう。でも旅館って、接客や料理に限らず、本当はもっと伝えられることがあるはずです」
「ぼくは、そのうちフォトコンテストを多田屋でやりたいと思っているんです。能登各地のお祭りや風景の写真をずっと撮りためている人は絶対いるのに、見てもらえる機会がまだまだ少ない。将来的には、撮った人の想いと能登の歴史を伝える取り組みをしていきたいなあと思っていて」
それに先駆け、まずはインスタグラムの運用をはじめた。こちらもオールサポートの信田さんが担当することになっている。
フロント業務だけでなく、館内広報物の作成や広報、さらにはインスタグラムまで。
少しずつ仕事の幅が広がっているようだけど、信田さんは大変じゃないですか。
「たしかに、仕事量は多いと思います。事務的な仕事もあれば接客の仕事もあるので、何か作業中でもお客さまがいらしたら走りますし。徐々に慣れてくると、今度は若女将から客室係やってみない?って声がかかったり(笑)」
「ただそれも、気にかけてくださってることの表れだと思うんです。社長も若女将も、従業員ではなく『多田屋の家族』として見てくれていて。その意識はここで働くみんなが共有していますね」
健太郎さんが戻ってきた11年前には、働く人の年齢層もだいぶ高かったそう。
次第に若いスタッフも働きやすい環境が整ってきて、今では20代から70代まで、総勢60人弱が働いている。
信田さんの話を受け、「家族感は年々強くなってきています」と健太郎さん。
「本当にみんな仲がいいし、一生懸命やってくれているので、会社に来るのが楽しいんですよ。自分の役割としても、こう引っ張っていけばみんなと一緒に幸せに向かっていけるのかな、という手応えは、ちょっとずつ感じてきています」
相手のためになると思えば、しっかりと向き合って話すこともあるし、たわいもない話もする。
そういうところまでひっくるめて、ここでは働く人みんなを家族のように感じていることが伝わってくる。
「さらに言えば、まちの人や暮らす土地のことも好きでないと、いい仕事にはならないだろうし。仕事を覚えることも大切だけど、能登で暮らす楽しみも見つけられるように、みんなでサポートしていきたいですね」
宿の内側だけでなく、外にも目を向けて。
より俯瞰的に、この宿のグランドデザインを考え、形づくる人が必要とされている。
信田さんは、ある雑誌の取材対応時のエピソードを話してくれた。
「その日は、夕日がどうしてもきれいに見えなかったんです。とはいえ、誌面の構成上、夕日に代わる何らかのメインビジュアルが必要で。すかさず先輩がリニューアルしたばかりの玄関通路を提案してくださったおかげで、スムーズに取材が進んでいきました」
「みなさん夕日を楽しみにしていらっしゃいますけど、天候はその日にならないとわからない。雨や曇りの日もポジティブにお伝えするには、多田屋の良さをあらゆる角度から知っていないといけないんだなと実感しました」
客層も幅広く、今やHP経由で海外の個人客からも予約が入るようになった。
近い将来、館内の広報物をつくるにしても、多様な世代・国籍の人の目にとまることを想定したデザインにしなければならない。
「石川のなかでも能登を選んでくださるような海外のお客さまは、日本文化に興味のある方が多いです。また、若い方やファミリーのお客さまも増えています。ターゲットを絞りづらいのは難しくもあり、面白いところですね」
英語の得意な人や、編集・デザインの経験がある人なら、その力を活かせる場面は多いかもしれない。
「スタッフも一人ひとり個性が強いというか。いろんな方が働いているな、っていうのがわたしの印象です」
プライベートでは、有志で部活のような活動も行われている。「寿司部」やお酒を嗜む集まり、釣りに自転車、踊りなど。
「いろんな方を受け入れる土壌はあると思うので。好きなものとか、強いこだわりがある方、個性的な方が来ても楽しめる職場じゃないかなと思います」
そこへ、若女将の弥生さんがやってきた。
前職は看護師をしていて、結婚を機に多田屋の若女将になった弥生さん。
健太郎さんいわく、「慣れなかったのは最初の2ヶ月ほどで、半年後にはぼくが婿養子だと思われるぐらいメキメキと頭角を現した」方だそう。
初対面でも、その凛とした雰囲気が伝わってくる。
「今、一つひとつの所作や立ち居振る舞いを学べるところって、なかなかないと思うんですよ。男性であっても、身だしなみは非常に大切ですし。そういうことに対するモチベーションは高い方のほうがいいかなと思いますね」
とはいえ、なんでも完璧にできる必要はないし、むしろ自分に自信がないという人でもいいという。
「何かに挫折した人であっても、変わりたい気持ちさえあれば大丈夫。安心して来てほしいです。多田屋ファミリーみんなでサポートしますよ」
食べ物も空気もおいしいし、人はやさしい。
「定住しようとか、そういうことじゃなくて。2、3年留学するような気持ちでもいいと思うんですよね」
それなら気が楽になりますね。
「あまり固く考えなくて大丈夫。長くいてくれるのもうれしいけれど、能登を好きになって別の地域で能登の宣伝マンになってくれるのも、うれしいですから」
「毎日見える景色も、お客さまとの出会いも違うし。退屈するっていうことはまずないと思いますよ」
最後に、健太郎さんからも一言。
「今までこうしてきたからと受け身にならず、変えるべきところは変えていきたい。新しく入る方とも、一緒に学びながら多田屋をつくっていきたいですね」
自身の感性も磨きながら、多田屋から能登を発信していく。
留学するつもりで、まずは飛び込んでみませんか。
(2017/4/29 中川晃輔)