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ないなら、どうする

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

世界遺産・屋久島。

その隣にぽっかりと浮かぶ、ひょうたん型の島を知っていますか。

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口永良部島。「くちのえらぶじま」と読みます。

コンビニも、娯楽施設もない。

そんな環境で、たくさんの「ない」に目を向けるより、「ある」ものを活かして生きる人たちと出会いました。

この島で唯一の会社、有限会社久木山運送の一員となる人を募集します。

羽田空港から鹿児島空港まで2時間。そこからバスとフェリーを乗り継ぎ、屋久島で一泊。翌朝の便で口永良部島に向かう。

甲板からうっすらと影のように見えていた島は、近づくにつれて深い緑に包まれていることがわかってきた。

さらに進むと、硫黄の匂いがしてくる。

一昨年、爆発的な噴火を起こした新岳から漂ってきているようだ。

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幸い犠牲者を出さなかったものの、半年ほど全島避難の状態に。今でも一部地域は立ち入り規制がかかり、噴火前130人ほどいた島民は104人まで減ってしまった。

この噴火を機に島を離れた方がいる一方で、島に残った方もいる。

久木山運送の社長、久木山栄一さんもそのひとり。

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港に着くなり「おお、久しぶり」と迎えてくれた。

お会いするのは1年前の取材ぶりだ。

「少しそこで待っとって」

そう言うと、作業に戻っていく栄一さん。

「久木山運送」と書かれたフォークリフトやトラックを自在に操って、大きな荷物がどんどん運び出されていく。

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一通りの作業を終えた栄一さんとともに、港から歩いてすぐの事務所へ。

表の自販機でコーヒーを買い、飲みながらお話を聞く。

口永良部島に生まれ育った栄一さん。島には中学までしかないため、鹿児島の高校に通うも、馴染めない日々が続いた。

学校にもまともに通わず、繁華街で遊びまわっていたという。

「おれにはほら、帰る場所があったからね、島が。実家の会社もあるし、勉強しなくてもなんとかなるって」

「でもそれはすごく甘い考えだった」

突然、父が病に倒れ、会社を継いだのは20歳のとき。

「ふと人生を振り返って、これまで何か一生懸命やったことあったかなって。まあ、答えはわかんないんだけど、ぐずぐず言ってもはじまらん。とにかくやれることはやってみよう、と思ってね」

失敗を重ねながらも、体当たりで会社を育ててきた。

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そんな久木山運送の仕事は、今では島全体を支える大きな力となっている。

まずは港で見かけた荷役・集配作業。フェリーの荷下ろしや荷積みだけでなく、宅急便や郵便物を各家庭に届けたり、家庭ごみを回収したり、建築資材を運んだりもする。

これらの荷役・集配業務が円滑に進むように、書類の作成や問い合わせ対応をするのも仕事のひとつ。フェリーの出航時、窓口の向こうに座ってチケットを販売するのは久木山運送の社員だ。

さらに、焼酎「三岳」の原料となる芋や、胃腸良薬「我神散」の製造に必要な「ガジュツ」と呼ばれる作物の栽培もしている。林道の整備や伐採をしたり、旬の季節にはタケノコ採りを仕事として依頼されることもあるという。

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1日1便のフェリーが欠航しない限り、基本的に年中無休。シフト制で休みをとる。

「地域の消防団とか、行事があったり…島もいそがしいんだよ(笑)」と栄一さん。

そこへ今年、新たに加わったのが発電所の運転・保守業務だ。

もともと管理を担っていた農協が撤退を表明。久木山運送に声がかかった。

「発電所の監視だったり、ちょっとした不具合の修理、あとは検針とか現金の徴収もする。送電線のトラブルがあれば飛んでいくしね」

今回は荷役・集配や事務の担当に加え、この発電所の運転・保守業務の担当者も募集する。

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全島民への電力供給を担う仕事。責任は重いはず。

「やっぱり、島=うち、うち=島みたいなね。そういう意識はある」

「よそで働くとさ、仕事!経済!って感じだ。でもここでは“島暮らしの延長線上で仕事”みたいな。仕事よりそっちのほうが断然おっきいんだよね」

コンビニも、娯楽施設もない、島での生活。

外に出て海岸沿いを歩きながら、話は続く。

「物質的な豊かさは求めることができないけど、それに代わるものっていうのは、絶対に何かあるはずだから」

とここで、海のほうを指差す栄一さん。その先には漁船が何艘か浮かんでいる。

「魚屋もないから、ああやって自分で魚をとりにいくと。おれは釣るより潜るほうが好きだね。潜って、突く」

ちょうど黒潮と親潮の境目に位置する口永良部島では、多種多様な魚がよくとれるそう。

火山による地熱は豊かな天然温泉を湧かし、湯治の名所としても知られる。

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とはいえ、移住者にとって懸念のひとつとなっているのが火山の存在だと思う。

この3年間で2度噴火していますけど、大丈夫なんでしょうか?

「噴火したら噴火したで、止めることはできないからね。おれの屁も一緒や。待てー!ちゅうても出てくる(笑)。まあ、日々の備えをしとけば大丈夫」

つまり、“火山とともに生きる”ということ。

「ここで生活していると、ものの大切さ、人の大切さ。日々気づかされることがある。なんちゅっても、居心地がいいんだろうな。だから住んでる」

そんな話をしているうちに、お昼の時間がやってきた。

久木山運送の経営する民宿「番屋」の弁当をいただいたあと、島内をトラックで案内してもらうことに。

まずは港周辺の本村集落。人口の多くはこのあたりに集中していて、学校や商店、診療所などの施設もある。

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島の西側、火山とは反対側に位置するのが新村集落。高台の「番屋ヶ峰」は、噴火時の緊急避難場所となっている。

島の東側に位置する湯向集落には、湯の花が出るほど成分の濃い温泉や、町営の牧場がある。

そのほか、昨年取材した「民宿くちのえらぶ」がある田代集落や、「たてがみ」と呼ばれる巨岩がそびえる寝待集落、火山からほど近い向江浜集落や前田集落など、全部で7つの集落が点在している。

ぐるりと回ったあとで、向かったのは前田地区。

火山を背景に、立派なおうちが現れた。

移住して12年目になる関口さんの家だ。

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「この家は、基礎から5年かけて自分で建てたんです」

え、自分で?

「そう、島の人たちに協力してもらいながら。家を建てることが夢だったんですよ」

「ここではなんでもまず自分でやるから、技術や知識は自然と身につきますし、『ちょっと大工やってくれ』って言えばそれが仕事になる。誰かに依頼して、お金を払ってやってもらうっちゅう世界とは違いますね」

仕事に限らず、車や電気まわりの修理も自分でやらなきゃいけない状況に置かれる。

何事も0からチャレンジできる島だという。

「海に潜るのもライフワークのひとつだし。そうやって自然を楽しむとか、何か自分で楽しみを見つけていかないと、島では続かないと思います」

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そう話す関口さんは、もともと群馬県の出身。

これまでにトラックドライバーやキャンプ場の管理人、電気工事や牧師など、さまざまな仕事を経験してきたそう。

ご家族のアトピーが良くなるように、ストレスの少ない場所への移住を考えていたときに出会ったのが口永良部島だった。

「家内がイメージしていた白い砂浜…とは全然違いましたね(笑)。まあ正直、病気が治ればどこでもよかったんです。子どもは半年で、家内も2年ぐらいでほぼ完治しました」

その後は、群馬に帰ろうとは思わなかったですか。

「単純に居心地がよかったんだと思います。島の人もよくしてくれて、名前もわからないのに野菜をくれたり、伊勢海老をくれたり。あとは、2年目に公民館の役員をやってくれと言われて(笑)。それがよかったんです」

役割を担うことで、島の行事や組織のこともわかったし、島民との距離感もぐっと縮まったという。

「1年目はたぶん大変ですね。わけがわからないんですよ。なんで公民館に集まってるんだろう、行ったほうがいいのかな?とか。神経を遣うのは島の人も同じで、お互い探り合っているような状況が1年目です」

「自分のことばかりじゃなく、島のために動いたときにはじめて信頼が得られるんですよね。助け合うのがこの島なんで」

関口さんのようにいろいろな仕事を経験してきた方や、なんでもやってみようという方であれば、この島での生活を楽しめそうな気がする。

「これから民宿もはじめるかもしれません。やる気があれば、なんでもできると思いますよ」

再び久木山運送の事務所に戻り、話を聞いたのは貴舩森さん。

本村集落の区長を務める方だ。

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口永良部島に生まれ育った森さん。

10歳のころに一家で島を出て、再び戻ったのは27歳のときだった。

「当時は都会の生活が大好きで、田舎に暮らす気なんてまったくなかった。でも阪神淡路大震災のボランティアに参加したときに、疑問を感じてね」

疑問?

「都会でのいい生活っていうのは、人より稼いで、いいマンション住んで、いいもの食って。とにかく人より上みたいな。消費することに意欲的というかね」

「被災地でも、次第に人間の欲求が出てくる。飽きたから、ほかのものを食べたい。あれがない、これがない。そういう縛られてる姿ってどうなのかなと思いながらも、自分自身も同じように縛られていたんだよね」

同時に、幼少期の島での生活が自分を支えていたことにも気づいたそう。

「ちっさいころ、何もない島の環境で生活してた感覚が若干残ってたから。そのおかげで多少は辛抱することができた」

1日中釣りに出かけたり、タケノコを採りに山へ分け入ったり。

島に帰ってからというもの、森さんはそれまで失ったものを取り戻すように楽しんできたという。

「そうやって長いこと島を見ていくと、自然だけじゃなくて、そこに生きる人たちの姿が目に入ってくる」

「ものがないから貧乏だとか、不便だとか、そういうことではなくて。ないならないなりに知恵を絞って生きていくほうが、生き生きと暮らしていけるんじゃないかと思うんだよね」

隣で聞いていた栄一さんも、一言。

「今までは“移住者・定住者求む!”ちゅって。肩に力が入ってたんだよね」

「やっぱりこっちがガチガチだと、入るほうもガチガチになってしまうから。まずは試しに住んでみる、ぐらいのスタンスでもいい。あとは島暮らしをどう楽しむかってことかな」

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ないなら、つくる。ないなら、助け合う。

たくましくしなやかに暮らしを築いてきた島のみなさんは、生き生きとして見えました。

島での暮らしに興味が湧いたなら、まずは少し休みをとって、島を訪ねてみるのもいいかもしれません。

今回、動画でも島と仕事を紹介しています。よろしければあわせてご覧ください。

(2017/7/21 中川晃輔)